2月は私の誕生月だ。
だからといって、特に目出度いわけでもなく、一年で最も寒く、陰鬱な月といえる。暖冬とはいえ、ここ福岡でも昨夜から今朝にかけて雪が降った。北国に比べればどうとはないが、身を縮ませ心も縮ませ、おまけに内外を見るにつけ鬱憤ばかりがふくらんでくる。
これはなにもカミさんの手抜き料理の話だけではない。寒さに縮こまったナニの位置確認や操縦ミスで放水に乱れを生じて、しばしばトイレに異変を起こしている。自分で処理できる分には黙っているが、出だしで誤るとカミさんに申告しなければならない。やってはくれるが幼稚園児になったようで、またまた2月の寒さに転化してごまかしている。
ごまかすと言えば、チリから塵みたいなアニータという女性が来たそうだ。監獄に入って”寒い寒い”と言っている旦那に会いに来たそうだ。それに寄ってたかって馬鹿メディアが羽田から秋田、更には山形まで追いかけているそうだ。
着服したことも知らないと言いながら、貢がれた8億円が無くなってしまったのか、また日本に稼ぎに来たようだ。愛人の間に子供をつくるという不義密通を隠しもせず、日本が好きと言い、いくらラテン系のちゃらんぽらんでも、あまりの厚顔無恥に「バカ、アホ」の言葉さへ忘れてしまう。確か「日本の男は小さくて早い」と、性能の良い軽自動車のような形容をしていた。そんな人間の取材に何故事故を起こしてまで雪道を必死に追い回すのだろう。「知る権利」とか「報道の自由」を言う前に、少しでも誇りがあるなら無視しなさい。聴いている限りでは、誰も核心ある質問をしていない。いいようにあしらわれて、まともなコメントさへ得ていない。まさに海千山千に対抗しきれないお人好し日本人丸出しである。法的にはくぐり抜けたようだが、あの白々しさはなかなかだ。日本政府もビザ発給を止められなかった。少なくとも「泥棒に追い銭」だけは避けたい。
加えて、憂うべきセント・バレンタイン・デイが来る。
わたしのように持てない男にとってはまさに厄日である。先ずは面倒臭い。
「ハイ、Aさん。どうぞ」と顔はにこやかだが、そこには「これはお義理よ」と、眼差しが冷たく宣言している。
こちとらも「ありがとさーん」と、志村ケン並みに応えはするが(いらねえんだよ)と鼻先辺りで匂わす。
特にここ数年、スパイラル現象が激しい。義理チョコには「こいつにもやっとかないと、ひがまれるとかなわないモンね」が前提にある。よくて本命を隠す目眩ましだ。
スーパーあたりに行くと必ず専門コーナーを設け、「愛しい人のハートを射止めよう!」みたいなキャッチコピーとともに、様々なラッピングでチョコを用意している。主婦は買い物ついでに「トーチャンに一個やっといたら結構喜ぶんだよね」と買い、高校生は板チョコを沢山買って溶かし、オリジナルをつくるとか。OLさんは200円から1000円のランク付けを決めて買っていくらしい。
そもそもSt Valentine's Dayってなんだろう。
諸説あるらしいが、最も有力なものは「3世紀初め、ローマ皇帝クラウディウス2世が、兵士の軟派化に危機感を持ち結婚を禁じたが、テルニの司教ヴァレンティヌスが反発して兵士を次々と結婚させ、2月14日、処刑された」というものらしい。
だがこれでは女性から男性へ愛を告白する根拠が見当たらない。
もう一説は「カトリックの司教ヴァレンティヌスがローマの神々を崇拝しなかったため投獄され、看守の娘と親しくなってその病いを祈りによって治療し、処刑の日に娘に『あなたのヴァレンティヌス』と書き記したと」とある。
他にも、古代ローマで行われていたジュノー女神の祭り「ルパカリア」説。2月14日は親子が交換日記する日で、その愛が男女のそれに変わっていったという説。14世紀の2月14日は、春の訪れとともに小鳥たちが相手を見つけてカップルになり、愛をささやきあう日だったそうで、これが若い男女の間で手紙のやりとりすることからカード交換になった説etc etc...。
日本での経緯はどうなのだろう。
朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版 によると、【1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場にバレンタインセールと手書きの看板を出した。3日間で売れたのは30円板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。 翌年ハート型チョコを作った。女性から男性へという殺し文句を作ったのもその頃だ。 1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。 チョコレート会社モロゾフ(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に外国人向け英字新聞にバレンタインデー向けチョコレートの広告を出している】
日本チョコレート・ココア協会でも、森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を新聞広告などのマスコミを通して行ない、チョコレートの販売を促進し、各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期といっている。一口で云えば、製菓会社のチョコ戦略である。
「義理チョコ」というネーミングが気にくわない。チョコという西洋伝来の甘ったるい菓子に「義理」はそぐわない。どうせ呉れるならはっきりした方がいい。何故和菓子業界は黙認しているのだろう。個人的には団子がいい。それもアンコや甘いタレ付きではなく、醤油をくり返し付けた辛味の団子だ。これなら1個食べる毎に感謝の念が湧くというものだ。というより、もっと工夫しろと言いたい。
50,60才代のおやじが上目つかいにいじましく「くれるのかな、くれないのかな。義理かな?本命かな?」と、周囲を伺う図など想像したくもない。
ヨシ!今年ははっきりと「いらねーよ」と云ってみよう。波風がなんだ。付き合いがなんだ。くだらない義理なんぞこっちから願い下げだ。嫌われるのは間違いない。”たかがチョコではないか。軽くあしらえばいいじゃないか。そんなに息巻くことか”と思われるに違いない。それでもいい。加えてホワイト・デイなぞ、まっぴらゴメンにしようではないか。
こんなことを言いながら、「くれたらうれしいな」の深層心理は崩れそうもない。やはり2月は厄月である。
だからといって、特に目出度いわけでもなく、一年で最も寒く、陰鬱な月といえる。暖冬とはいえ、ここ福岡でも昨夜から今朝にかけて雪が降った。北国に比べればどうとはないが、身を縮ませ心も縮ませ、おまけに内外を見るにつけ鬱憤ばかりがふくらんでくる。
これはなにもカミさんの手抜き料理の話だけではない。寒さに縮こまったナニの位置確認や操縦ミスで放水に乱れを生じて、しばしばトイレに異変を起こしている。自分で処理できる分には黙っているが、出だしで誤るとカミさんに申告しなければならない。やってはくれるが幼稚園児になったようで、またまた2月の寒さに転化してごまかしている。
ごまかすと言えば、チリから塵みたいなアニータという女性が来たそうだ。監獄に入って”寒い寒い”と言っている旦那に会いに来たそうだ。それに寄ってたかって馬鹿メディアが羽田から秋田、更には山形まで追いかけているそうだ。
着服したことも知らないと言いながら、貢がれた8億円が無くなってしまったのか、また日本に稼ぎに来たようだ。愛人の間に子供をつくるという不義密通を隠しもせず、日本が好きと言い、いくらラテン系のちゃらんぽらんでも、あまりの厚顔無恥に「バカ、アホ」の言葉さへ忘れてしまう。確か「日本の男は小さくて早い」と、性能の良い軽自動車のような形容をしていた。そんな人間の取材に何故事故を起こしてまで雪道を必死に追い回すのだろう。「知る権利」とか「報道の自由」を言う前に、少しでも誇りがあるなら無視しなさい。聴いている限りでは、誰も核心ある質問をしていない。いいようにあしらわれて、まともなコメントさへ得ていない。まさに海千山千に対抗しきれないお人好し日本人丸出しである。法的にはくぐり抜けたようだが、あの白々しさはなかなかだ。日本政府もビザ発給を止められなかった。少なくとも「泥棒に追い銭」だけは避けたい。
加えて、憂うべきセント・バレンタイン・デイが来る。
わたしのように持てない男にとってはまさに厄日である。先ずは面倒臭い。
「ハイ、Aさん。どうぞ」と顔はにこやかだが、そこには「これはお義理よ」と、眼差しが冷たく宣言している。
こちとらも「ありがとさーん」と、志村ケン並みに応えはするが(いらねえんだよ)と鼻先辺りで匂わす。
特にここ数年、スパイラル現象が激しい。義理チョコには「こいつにもやっとかないと、ひがまれるとかなわないモンね」が前提にある。よくて本命を隠す目眩ましだ。
スーパーあたりに行くと必ず専門コーナーを設け、「愛しい人のハートを射止めよう!」みたいなキャッチコピーとともに、様々なラッピングでチョコを用意している。主婦は買い物ついでに「トーチャンに一個やっといたら結構喜ぶんだよね」と買い、高校生は板チョコを沢山買って溶かし、オリジナルをつくるとか。OLさんは200円から1000円のランク付けを決めて買っていくらしい。
そもそもSt Valentine's Dayってなんだろう。
諸説あるらしいが、最も有力なものは「3世紀初め、ローマ皇帝クラウディウス2世が、兵士の軟派化に危機感を持ち結婚を禁じたが、テルニの司教ヴァレンティヌスが反発して兵士を次々と結婚させ、2月14日、処刑された」というものらしい。
だがこれでは女性から男性へ愛を告白する根拠が見当たらない。
もう一説は「カトリックの司教ヴァレンティヌスがローマの神々を崇拝しなかったため投獄され、看守の娘と親しくなってその病いを祈りによって治療し、処刑の日に娘に『あなたのヴァレンティヌス』と書き記したと」とある。
他にも、古代ローマで行われていたジュノー女神の祭り「ルパカリア」説。2月14日は親子が交換日記する日で、その愛が男女のそれに変わっていったという説。14世紀の2月14日は、春の訪れとともに小鳥たちが相手を見つけてカップルになり、愛をささやきあう日だったそうで、これが若い男女の間で手紙のやりとりすることからカード交換になった説etc etc...。
日本での経緯はどうなのだろう。
朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版 によると、【1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場にバレンタインセールと手書きの看板を出した。3日間で売れたのは30円板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。 翌年ハート型チョコを作った。女性から男性へという殺し文句を作ったのもその頃だ。 1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。 チョコレート会社モロゾフ(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に外国人向け英字新聞にバレンタインデー向けチョコレートの広告を出している】
日本チョコレート・ココア協会でも、森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を新聞広告などのマスコミを通して行ない、チョコレートの販売を促進し、各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期といっている。一口で云えば、製菓会社のチョコ戦略である。
「義理チョコ」というネーミングが気にくわない。チョコという西洋伝来の甘ったるい菓子に「義理」はそぐわない。どうせ呉れるならはっきりした方がいい。何故和菓子業界は黙認しているのだろう。個人的には団子がいい。それもアンコや甘いタレ付きではなく、醤油をくり返し付けた辛味の団子だ。これなら1個食べる毎に感謝の念が湧くというものだ。というより、もっと工夫しろと言いたい。
50,60才代のおやじが上目つかいにいじましく「くれるのかな、くれないのかな。義理かな?本命かな?」と、周囲を伺う図など想像したくもない。
ヨシ!今年ははっきりと「いらねーよ」と云ってみよう。波風がなんだ。付き合いがなんだ。くだらない義理なんぞこっちから願い下げだ。嫌われるのは間違いない。”たかがチョコではないか。軽くあしらえばいいじゃないか。そんなに息巻くことか”と思われるに違いない。それでもいい。加えてホワイト・デイなぞ、まっぴらゴメンにしようではないか。
こんなことを言いながら、「くれたらうれしいな」の深層心理は崩れそうもない。やはり2月は厄月である。
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