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日本の意地 其の弐 [2007年02月09日(金) ]
脅しに対する自分の感覚は「其の一」の通りだが、国内での北朝鮮核脅しへの対応の仕方は、多分二分しているだろう。

6カ国協議:北朝鮮「初期段階措置」受け入れ用意表明−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
DATE:2007/02/09 08:30
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070209k0000m030080000c.html

テレビなどで漏れ聞くところでは、アメリカは現段階で手は打つが、おれのところは重油50万トンはやらないよ、と言っている。他の3カ国も援助しないらしい。となれば、またぞろ日本にお鉢を回そうという話なのか。「核と拉致」両輪解決をどこまで推し進められるのか分からない。
今朝8時の日本テレビ(九州ではFBS)でこの話が出た。テリー伊藤さんは「拉致と核の両輪はきれい事。なにがなんでも非核化が最優先」と強調していた。つまり、金でも食料でも相手の思うがままに援助して核を捨ててもらうべきだと、他のゲストもびっくりするくらい大きな声で主張していた。女性コメンテーターの「拉致を解決できなければ援助なし」も、顔を真っ赤にして否定し、ひたすら援助ーつまり北の脅しに屈して、相手が核を持っている恐怖から、拉致された人はその後でいいと力説していた。正直、北朝鮮への思い入れ云々より、「原爆を持っているぞ。使われたくなければ金寄こせ」」に屈する訳だ。当然今後も「金寄こせ」が続くわけで、今までの経過から、どこに信用に足る国の条件があるのかテリー伊藤さんに訊きたい。

私が最も嫌いな「脅し」。飢える国民を犠牲にし、ひたすら外からの侵略をプロパガンダとして事実をひた隠しにした欺瞞のうえに、おのれの存在を保ちたい卑劣な独裁という体制に何故日本国民の税金を渡さなければならないのだろう。麻薬をつくり偽札をつくり、収容所で恐怖を煽る国に、何故命が欲しいからといって上目遣いの卑屈な態度を取らなければならない。
まさに、国内で頻繁に起こっている「いじめ」と称した恐喝と酷似している。相手は武器を持って「金、持ってこい」と脅迫している。きりのない狡賢い連中には断固とした拒否ーこれが日本では恐ろしく貧弱になった。見るに見かねて不正を訴えた人を、社会も国も完全に守ろうとしない。ナアナアをなによりの拠り所にする。生きている価値がどこにあるかさへ知ろうとせず無意識に日々暮らしている。意地はどこへ行ったのだろう。
中国は兄貴分、韓国は同胞、ロシアはただ居るだけ。アメリカはリーダーぶっている割には口ばかりで、適当にシャンシャンして後は金庫係の日本に「金出せ」というだけだ。拉致解決を押し通してこんな国々から孤立を恐れるなら、孤立してでも当たり前の意地を通すべきだ。意地を取るか、服従を取るか、正念場だ。

どうも分からない。相手がナイフをちらつかせているから言うとおりに金を払うということらしい。嘘つきで約束などへとも思わない相手だ。下卑た揶揄でしか非難できない程度の低い人間性の持ち主だ。今までも嘘つきそのもので食料やエネルギーを手に入れてきた。同じ手法でいつまでやられたら気が済むのだろう。蚊帳の外を恐れているというが、蚊帳のなかで勝手に決めて
拉致解決なく、脅しに屈して援助することで孤立するならそれでいいではないか。ごく当たり前の姿勢だ。北朝鮮は「日本は6カ国協議でなんの役にも立っていない」と言っているそうな。脅迫犯に何故役立たなくてはならない。米朝で決めたら、その後の工程も米朝で進めていけばいい。他の3国もそれに連なればいい。政治家よ、外務省よ、すぐにケツを割る役人よ、たまには意地を貫いたらどうだ。日本も核を持って脅かし軍団に入れば、仲間内では脅しは利かなくなるという理屈もおかしくない、考えれば考えるほどにおかしな会議だ。文脈も滅茶苦茶になるほどいらつく5(6ではない)カ国協議である。

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日本の意地 其の一 [2007年02月09日(金) ]
私は生まれて5ヶ月でポリオに罹り、その後遺症で右足が不自由だ。左より7センチ短く、腿の直径は10センチに満たない。しかし幸せなことに、この66年歩くことが出来た。年々確かに右足の能力は落ちてきているが、負けん気は変わらず旺盛である。
昔はよく喧嘩をした。相手の理不尽さには黙っていなかった。学年が上で体力が優っていようと、負けると分かっていようと、むしゃぶりついていった。そして泣いた。それは生理的な痛さより口惜しさからの涙だった。この性癖は大人になっても改まらず、計算でつくられた世渡りは出来ず仕舞いだ。
だがそれでいいと思っている。喧嘩早いのではなく、かなりの我慢の上での事が多い。いくら考えても「おかしい」と、考え抜いた上での喧嘩である。従って出世や金儲けに縁が無く、家族には済まないと思いながら、息子たちの独立後、夫婦二人でその貧乏を引きずっている。

確かに強いヤツは強い。身体能力も経済力もある社会的強者はどんどん強くなっていく。
法律の目をくぐる頭の良さ、弱味をつかんで相手を威嚇する強さ、組織に身を売って登りつめる強さーいろいろある。だが、心根の優しい強いやつはどれくらい居るだろうか。人間として当たり前のことが世界的にそうではなくなってきている。基本にあるのは暴力=力=軍事力=核兵器である。おまけにそんな奴らに限って「正義」「良心」「愛」「平等」という言葉を使いたがる。だから余計に、本来の正義がないがしろにされ、良心は砕かれ、愛は自己愛となり、都合のいい平等をつくる。それに迎合する国や地域の根本には、生き抜くためには誇りを捨て去ってでもという気持ちが横たわっている。それを強いというのか弱いというのか私は知らない。「したたかさ」が打たれ強いと同義語なら強いのかも知れない。おのれを捨てても生き抜く強さなのかも知れない。今は我慢して時期を待て
と言っているのかも知れない。

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