午前10時に着いてから9時間経ち、出発まで残り2時間になった。普段はなにか旨いものを喰いたいと思っているが、ひとりになるとそれが無くなる。今までもそうだった。ドンブリものや麺類になってしまう。多分みんなそうなんだろう。
若いときは、腹が減って鳥の骨をしゃぶっても詩が舞った。街の埃さへ愛おしく、眼は夜を貫き通した。今は歩いても疲れるだけで、哲学が生まれるわけではない。現実しか見なくなった。この視野の狭さ浅さに呆れ果てることだけは解るーなどと達観するようなジジィでもないし、不惑などとんでもねぇ。
と思いながら、目は蕎麦屋を探していた。外に出たら醤油ラーメンかビーフカレー、それか大盛り蕎麦のどれかと決めていたのだ。年を重ねると不思議な心持ちになる。量が少なく種類の多い懐石料理が向いている一方、ラーメンライスやてんこ盛りのかつ丼をガッガッと掻き込みたい心理もある。やっぱりこういうのは負け惜しみとか冷や水っていうのかな。
みつけた。蕎麦処「信濃」。こんな歌舞伎町のど真ん中に昔からの店があるんだ。
多分、と思いながら暖簾を分けて入ると、予想通り眼鏡をかけた50才台のおばちゃんが「らっしゃい」ときた。テーブルが6,7のこじんまりした店内に、これも白衣に白髪のおじさんと思った通りの登場人物だ。それにしっかり脇役まで居た。配達途中の顔なじみなのだろう。小柄なおっちゃんが立ったまま新聞を読んでいた。大盛りを注文したあと、ビールを頼むとその人が中ビンを持ってきてくれた。何気ない言わずもがなの雰囲気がいい。
厨房をのぞくと、白い髪を綺麗なカールした
いかつい顔がくわえタバコでメンを茹でていた。ここも老人たちが頑張っている。
しかしメンの腰が恐ろしく強い。喉ごしで喰うなんて気取ったことを言っていられないほどしっかり噛み砕いて食べた。おまけに大盛りなので食べこたえ満点、腹も満点になった。gePP!!
歌舞伎町から西口へタクシー移動。東京無線のやけに気取った若い運チャンで、「かしこまりました」「とんでもございません」などという口調だ。そういえば床屋のオネエサンが言っていた。東と西を結ぶ懐かしのガード下もいずれはなくなって、駅周辺で新しく通路が出来るそうだ。それに、これからは南口の再開発が盛んになってどんどん進行中だとか。昔は埃っぽくて田舎っぽかった。
高速バスセンターでポケットウィスキーを眠り薬として仕入れた。これがなんとなくエレジー、しょぼくれを感じさせる。夜行そのものがもの悲しい。家出して乗り物に乗るときの感覚ー目的があって決めたわけでもない行き先に漠然とした不安を持ち、腹の奥に冷たい石を抱え込み、ヒュッと吹く枯れ葉風に身をすくめるとき、その人間の目は本当に悲しい詩を唄う。今回は「帰る」理由があるが、それが無くなったときの気持ちを想像してしまい、早速ウィスキーを一口含んだ。
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