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大牟田・万田を訪ねて [2007年03月15日(木) ]
昨日(3/14)、「文化財探訪」として大牟田市の石炭産業科学館と熊本県荒尾市の万田坑跡を訪ねる日帰りツアーに参加した。主催は田川市の石炭歴史博物館だ。約10時間の行程のうち、車中が5時間ときついが、38人が参加した。男女比率は約半分ずつ、年令はやや高めで、学芸員など主催者側のスタッフ4名を加えて、総勢42人である。
私が参加したポイントは、炭坑に対して筑豊とどのような違いがあるのか知りたかったからだ。
科学館は円形で洒落た外観である。10のテーマに分けられ、訪問者はボタン一つで大きなモニターを見ながら学ぶことが出来る。石炭の創世記、炭坑技術の歩み、大牟田が関わった歴史などに加え、400メートル地底に降りたという仮定の下に、各種の掘削技術やマシーンなどを体験できる。野外展示場では採掘切羽の天井を支えた自走枠が時代毎に並べられ、全体にゆったりした空間を持っている。
しかしハコモノの例に違わず、多分赤字経営だろう。営利目的ではないのでそれなりの存在価値はあるが、ウィークデイトはいえ我々以外に訪問者は見当たらない。広々した駐車場が空っ風に晒され、なんともやり切れない地方自治の実態がある。ここにあやかろうと出店したのだろう。科学館の倍以上はある面積には北欧風の大きな飲食店や池が哀れな姿で閉じられている。


ここで昼食の弁当が配られた。「炭都物語」と名付けられ、「土の中に石炭が埋まっている形を弁当にしました」という能書きが包装紙に書かれている。小袋にはスコップとツルハシをかたどった小物が入っており、一生懸命に考えた努力の跡がある。小間切れのコンニャクが石炭をあらわしていると聞いたが、
それ以外にもいろいろ注釈を聞かないと分からない、ちょっと辛めの高菜漬け弁当(750円)だった。



昼休み後、荒尾市の万田坑に向かった。
明治30年に始められた三池炭坑は、1469年に発見され、柳川藩管轄のもとに瀬戸内地方の製塩用燃料として売られたという記録がある。團琢磨が開発に大いに寄与し、日本最大の近代的な炭坑規模として発展したという。平成9年3月に閉山するまでの108年間(官営時からは124年)、日本のエネルギーを担ったわけだ。
万田炭坑館は、「近代化遺産・国指定重要文化財・史跡」を管理しており、ここから歩いて7,8分のところで第二竪坑が現役の姿と役割など知ることが出来る。



その途中の小径は文化財のため車は御法度で、私は例によって歩く苦労をする羽目になったが、なんとか雰囲気だけは感じることが出来た。この小径の両側には崩れかけた塀が連なっている。この中に炭坑住宅が棟為していたと聞いた。塀は煉瓦などで作られているのでかなり昔の姿が見られるが、肝心の炭住はかけらもなく、復元もされていない。草ぼうぼうの雑木林である。文化財とはいえ、当時の生活の匂いをなんとかつくって欲しいものだ。昔日の哀れのみが漂い、残念で仕方なかった。
余談だが、ガイドの説明に、この炭住にタレントの“ヒロシ”の家があったということで、「応援よろしく」ときた。

田川の博物館や取り組み姿勢と比較した場合、田川は住んでいた人間や環境を中心としており、手堀りの時代(山本作兵衛氏描く実録や五木寛之氏の小説)に重きを置いている。大牟田はその後の機械化した姿を科学的にとらえているといえる。中小の炭坑主が集まった田川の、長屋の人情や残酷な私刑などに比べて、大牟田の少し味気ない大企業感覚というところか。
帰路のSAで「ぽたぽた餅」や芋あんの饅頭を買ったがカミさんには不評で、風呂に入って酒を飲んで寝たという結末だ。






Posted at 13:22 | エッセイ | この記事のURL
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