最近、昭和への想いがいろいろな形で見られる。それは濃い家族関係や強い連帯感と父権という社会的背景と、食生活に始まるちゃぶ台や生活用品に至るまで、懐古だけでは収まらない見直しである。
ただ昭和15年生まれとして、不潔で不便な生活環境を体験してきた者にとって、「良かった、懐かしい」だけでは済まないことも是非知って欲しい。
畑の肥料として人糞を使った野菜をつくって食べた結果、回虫などの寄生虫が体内に宿り、時には脳にまで入り込んで死んだり、口から出てきたりし、その駆除に児童は海人草を煎じて飲まされた。布団には蚤虱がうごめいて、寝る前に白い粉の殺虫薬をペコンペコン撒いたものだ。腹巻きを開けるとこれらがウジャウジャ蠢いていた。栄養失調で皮膚病に罹ったり、霜焼けあかぎれは当たり前だった。雨の日は、4キロの田舎道をすり減った下駄に破れて重い番傘をかかえて通学し、弁当はサツマイモ一個だった。
こんな風に振り返って大変だったことが多かったのに、何故回帰に向くのだろう。精神構造の魅力なのだろうか。土ほこり舞う中、少ない資材で物造りに邁進してきた一体感だろうか。全員が貧乏という連帯感かも知れない。
そのような匂いを持つ佇まいが少なくなってきた。これはかなり意識しなければ保てない状態でもある。昭和、特に30年代をテーマにした商店街や集合体が結構見られる。
それでなくても、新宿には結構そんな雰囲気が30年ほど前まで味わうことが出来たが、時代が移って最近はどんどん消えつつある。
火事以降の新宿駅西口飲食街は大分小ぎれいになり、花園のゴールデン街も中身が変わり、行政と自治会で浄化された歌舞伎町は親子連れでも楽しめる「安心」の街に変わった。末広亭近辺の新宿2,3丁目も胡散臭さが減ってきた。特に新宿2丁目は、都の次の目標のようである。
【ゲイタウン「新宿2丁目」石原発言に反発 - 社会ニュース : nikkansports.com
DATE:2007/03/18 14:18
URL:http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070318-171272.html】
私はゲイではないが、少なくとも独特の陰翳が煌々たる照明のもとに無くなることに淋しさを感じる。闇の魅力が消え、人間の澱んだ深みにコンクリートが流され、小ぎれいなデコラカウンターばかりのラーメン屋のように凸凹のない平坦な味になる。安心して遊べる、住めるという「健康」が果たして本当に健康なのか、健康をひっくり返して見えたものを知るべきだ。
どこの国の行政でも、国際的な行事を催すとなると、やたら掃除したがる。普段は無精半分で見て見ぬ振りをしてきた役人も、サミットだオリンピックだワールドカップだとなると、その根性で爪楊枝でほじくるように、特に目に見える「薄汚さ」を見つけだし、人間が居ないかのように法という掃除機の先端を当てて吸いとっていく。ホームレスや違法建築が主な目標物で、彼らのスィートホームは人間性と誇り共々シュレッダーにかけられて夜空へ散っていく。
薄汚さの価値をどのように保つかーこれも都会施政の大きなポイントである。ゲイー同性愛者が居るから”浄化”という発想があまりにもお粗末だ。作家が政治の世界に入ってしまうと、人間の機微より効率や経済の管理に追われ、ふと我に返ることもなくなるのかも知れない。
私の持論は「文字列は小汚いところから自然発生する」などという、まるで蝿の誕生と考えているところがある。そうだろう。やたら掃いたり拭いたり薬まがいの洗剤で清潔を目指したところに、なにが生まれるというのだ。せいぜいカミさんの納得笑いだ。
昭和の陰や汚れは郷愁だけではない。二丁目あたりにも在る気がする。なにも善人ばかりがピュアとは限らない。少しレールから外れた純粋だってある。迷路で遊ぶ情感を捨てさせないで欲しい。手で払った暖簾のカビ臭さを忘れないで欲しい。なにもかも時代の流れと称して整理整頓されてたまるか。
ただ昭和15年生まれとして、不潔で不便な生活環境を体験してきた者にとって、「良かった、懐かしい」だけでは済まないことも是非知って欲しい。
畑の肥料として人糞を使った野菜をつくって食べた結果、回虫などの寄生虫が体内に宿り、時には脳にまで入り込んで死んだり、口から出てきたりし、その駆除に児童は海人草を煎じて飲まされた。布団には蚤虱がうごめいて、寝る前に白い粉の殺虫薬をペコンペコン撒いたものだ。腹巻きを開けるとこれらがウジャウジャ蠢いていた。栄養失調で皮膚病に罹ったり、霜焼けあかぎれは当たり前だった。雨の日は、4キロの田舎道をすり減った下駄に破れて重い番傘をかかえて通学し、弁当はサツマイモ一個だった。
こんな風に振り返って大変だったことが多かったのに、何故回帰に向くのだろう。精神構造の魅力なのだろうか。土ほこり舞う中、少ない資材で物造りに邁進してきた一体感だろうか。全員が貧乏という連帯感かも知れない。
そのような匂いを持つ佇まいが少なくなってきた。これはかなり意識しなければ保てない状態でもある。昭和、特に30年代をテーマにした商店街や集合体が結構見られる。
それでなくても、新宿には結構そんな雰囲気が30年ほど前まで味わうことが出来たが、時代が移って最近はどんどん消えつつある。
火事以降の新宿駅西口飲食街は大分小ぎれいになり、花園のゴールデン街も中身が変わり、行政と自治会で浄化された歌舞伎町は親子連れでも楽しめる「安心」の街に変わった。末広亭近辺の新宿2,3丁目も胡散臭さが減ってきた。特に新宿2丁目は、都の次の目標のようである。
【ゲイタウン「新宿2丁目」石原発言に反発 - 社会ニュース : nikkansports.com
DATE:2007/03/18 14:18
URL:http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070318-171272.html】
私はゲイではないが、少なくとも独特の陰翳が煌々たる照明のもとに無くなることに淋しさを感じる。闇の魅力が消え、人間の澱んだ深みにコンクリートが流され、小ぎれいなデコラカウンターばかりのラーメン屋のように凸凹のない平坦な味になる。安心して遊べる、住めるという「健康」が果たして本当に健康なのか、健康をひっくり返して見えたものを知るべきだ。
どこの国の行政でも、国際的な行事を催すとなると、やたら掃除したがる。普段は無精半分で見て見ぬ振りをしてきた役人も、サミットだオリンピックだワールドカップだとなると、その根性で爪楊枝でほじくるように、特に目に見える「薄汚さ」を見つけだし、人間が居ないかのように法という掃除機の先端を当てて吸いとっていく。ホームレスや違法建築が主な目標物で、彼らのスィートホームは人間性と誇り共々シュレッダーにかけられて夜空へ散っていく。
薄汚さの価値をどのように保つかーこれも都会施政の大きなポイントである。ゲイー同性愛者が居るから”浄化”という発想があまりにもお粗末だ。作家が政治の世界に入ってしまうと、人間の機微より効率や経済の管理に追われ、ふと我に返ることもなくなるのかも知れない。
私の持論は「文字列は小汚いところから自然発生する」などという、まるで蝿の誕生と考えているところがある。そうだろう。やたら掃いたり拭いたり薬まがいの洗剤で清潔を目指したところに、なにが生まれるというのだ。せいぜいカミさんの納得笑いだ。
昭和の陰や汚れは郷愁だけではない。二丁目あたりにも在る気がする。なにも善人ばかりがピュアとは限らない。少しレールから外れた純粋だってある。迷路で遊ぶ情感を捨てさせないで欲しい。手で払った暖簾のカビ臭さを忘れないで欲しい。なにもかも時代の流れと称して整理整頓されてたまるか。
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at 17:04
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