他人の立ち話は面白い。といっても内容ではない。その佇まいである。何気ない日常のどうでもいいコンタクトは楽しげだ。二人だったら受け答えでおよその力関係は分かる。親密度や、時として前回会ってからどれくらい経っているかも想像できる。女性同士の仕草ーお辞儀の角度や姿勢と、加えて相手に触れる仕草を観察していれば尚更だ。特に肩を叩く動作は女性に特有で、親しみの他に妬みや憎しみを巧みに隠している場合もあるようだ。テレビドラマではまるで中年女性の特徴のように使っているが、これはいささか常套に過ぎる。もっともっと繊細なのだ。
4,5人になるといよいよ面白いが、想像をはるかに超える。難しくなる。こういうときは良くしたもので、ちゃんと聴き手に徹する人が居る。しゃべる合間に器用に返事を織り込み、人より多く情報発信を試みる中で、にこやかに「そうですねー」と相づちを打つ女性は、何故か賢そうだ。ただそれが本当に納得したうなずきなのか、(しょうがないなー)なのか(バッカじゃないの)なのか、心中を見せない賢さにもつながるようだ。
スーパーなどの店内で、知人とばったり会うカミさんの態度を見ていると、空恐ろしくなることがある。
「アラ、久しぶり」
「ホント、元気?」
と、互いに顔付きは微笑んでいる、かのように少なくとも見える。数分後別れて言うには渋い顔で「会いたくない人に会ってしまった」である。男にもこういう場面はあるが、だいたいは知らん顔をしてすれ違う。向こうも何故かそう思っていると確信できる。無駄なことはしない。どちらが礼儀に叶っているのだろう。
わたしの立ち話相手は本当に少なくなった。先ず車での移動が多い。住んでいる周辺は急な坂が多いので、足の悪い者にとっては気楽な散歩とはいえない。
休日の午前、生ぬるい曇天の舗道を珍しく歩いていたとき、近所の人と顔が合い、
「立ち話もなんですから、お茶でもどうぞ」
と誘われたが、家に上がっていいものかどうか、この辺の機微が結構難しい。間柄はお茶をご馳走になるほどではないし、ここは、
「ありがとうございます。ちょっと野暮用がありますんで」
と、失礼した。わたしは立ち話にも変な小理屈を付けるいやなおやじになっていた。
Posted
at 07:53
| エッセイ
| この記事のURL
コメント(3)
| トラックバック(0)

