
「人間は最も激しい孤独感に襲われたとき、最も好色になる」と、坂口安吾は言った。
好色とは生きるために追いつめられて、それを表現するための究極の方法だと思う。
この伝でいけば、津軽三味線の叩き、弾きは生命力の強さを高らかに謳いあげていることになる。
吹雪が道連れながら、そうそう悲愴なものではなく、カンジキを無くして深い雪に足を取られても、行き倒れることなく家の灯りを見つける能力があったのではないだろうか。
搾り出して芸能にまで生きる術として創り上げた太棹の世界は、何と表現していいのか分からないが、評論は抜きにして聴くと、津軽だけに限らない日本人の業の魅力に取り憑かれてしまう。それが、山田千里にある。
久しぶりにレコードのLP盤をいじくっていると、M・デイヴィスや岸洋子などの中に“津軽三味線・津軽恋情曲」というタイトルで、山田千里の演奏を見つけた。タイトル曲の他に、津軽三下り、津軽よされ節、おはら節、あいや節、津軽響奏曲、旧節・中節・新節ー津軽じょんから、津軽たんと節が収録されている。
ジャケットは、瞽女(ごぜ)の絵で著名な斉藤真一氏によるもので、そのシリーズの一枚と思われる。
【1961年(昭和36年)津軽を旅し、初めて瞽女の存在を知り、1965年(昭和40年)より10年を費やし越後に通い瞽女宿をめぐる。その結果が瞽女シリーズとして登場する。1971年(昭和46年)“みさを瞽女の哀しみ・越後瞽女日記より”が第14回安井賞展佳作賞を受賞。また、1973年(昭和48年)随筆、瞽女をテーマに独特の精神世界を描いて、日本エッセイストクラブ賞受賞する。雪深い津軽地方での三味線を弾き語る瞽女さんたちを世に知らしめた斉藤真一。文学と絵画に孤独と情愛の世界を描画名作瞽女シリーズを生む、かれらは美術史上に残る異色の傑作となった。】
人によって冬の津軽のイメージは当然違い、斉藤氏の吹雪に揺れて涙する緋色の瞽女は、曲を聴く限りあまり連想出来ない。
特に「津軽三下り」は、灰色に垂れ下がった雪雲、潮も凍る海沿いの波打つ薄穂、野づらを吹き抜ける中、一組の男女が襟元を押さえ、互いにすがって見えない明日に向かって歩きつづける。視界はモノクロで、イメージが貧弱な私には、心の奥深くが緋色に燃え立っていることがわからない。
ながい冬、凶作、飢え、巡り舞い上がる愛憎ーそんなところで欲しいのは‘人の肌’に違いない。単調にバチを叩きつけ、こまやかに囁く爪弾きが繰り返され、久しぶりに目をつむって音に聴き入った。
本州北端の、いつも圧迫されてきた人々の袋小路に喘いできた心情が、じょっぱり(依怙地)となって、津軽人の誇りとして、個性豊かな狂おしい音色を生み出したと思う。
ただ、そのような風土や現象が希薄になった現代では、音曲としての魅力は残って、若い人たちが次々に新しく取り組みだした。テクニックも素晴らしいものがあるが、どうしても津軽三味線をまとめ上げてきた高橋竹山や木田林松栄、それより前の白川軍八郎ら先達
と比べてしまう。やはり「哀愁」は即席で出来るものではない。新しい解釈が当然生まれ出るが、底を流れる瞽女の怨みや愛をくみ取れるか期待してみていきたい。
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at 12:06
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