『或る日或る朝、主人公が特別の理由もないのに突然逮捕される。やがて裁判にかけられるが、まるで事情が分からない。何もかも分からないまま、最後は主人公が刺し殺されてこの小説は終わる。』
カフカの「審判」である。不条理の典型として、よく例に出される。
なにがなんだか訳が分からないうちに本筋からどんどん遠ざかり、受ける審判も自分を避けて的をわざと外した結審をし、泣こうが喚こうが判決だけは自分に下される。冤罪者の多くはその状態に追い込まれるだろう。いくら事実と違うと訴え、その証拠が目の前にあっても、「一度下した結論は変更できない」と駄目押しされる。出来ない理由も示されない。人間が人間に行う間違いが、どうしてそのままの図々しい行為が世にはばかるのだ。
力関係だけでは収まらない、得体の知れない
流れというのだろうか。
納得出来ない結論を押しつけられて、悔し涙にくれた経験は誰でもあり、、それも一度や二度ではあるまい。
スポーツには必ずルールがあり、それに添って審判が下される。審判員(一定の規則に従って判定をする役目にある者。主としてスポーツの分野で用いられ、野球規則、オリンピック規則などの規則に従い判定する者をいう)の立場は、本人の意思に関係なく、そのものがかなり微妙である。先日中国で行われた国際的なサッカー試合で、日本対中国では、審判員全員が中国国籍と聞いた。これは微妙以前に明らかな間違いで、試合は目に見える日本側不利の判定を連発していた。結果は引き分けだったが、こんな試合運びで中国の人は満足するのかと、少々哀れに感じた。
シドニー五輪の柔道100キロ超級でダビド・ドイエ(31=フランス)と日本の篠原信一(27)との決勝戦では、篠原の返し技を判定する能力がなかった審判員が居た。一体どれほどの眼力があるのか、ましてや金メダルをかけた試合で、あまりにもお粗末な結果である。ビデオで確認すれば一目瞭然の内容を、審判員は非力を棚に上げて認めない。あんたらの自尊心なんか屁の突っ張りにもならないことを知りなさいよ、と言いたい。
最も新しい誤審例である。
【 時事通信 - ビデオ見ない審判に制裁を=浜口戦の判定で福田氏が抗議−世界レスリング
DATE:2007/09/24 12:12
URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070923-00000098-jij-spo】
ここでも、大会委員がビデオで確認して誤審を認めたが、結果はひっくり返らない。これが解らない。不可解奇天烈なんじゃもんじゃのオナラがプーである。そう、文字にしたら滅裂そのもので、理解したなら躊躇なく恥を捨てて変更すればいいのだ。ルールで出来ないのなら、そんなものは常識で判断して変えればいいではないか。審判なんて、いうなれば間違いが当たり前という前提にある。不条理そのものを貫く意味や価値がどこにある。特にアマチュアは普通に判断できる当たり前のルールに従うべきだ。また、ビデオ判定も採り入れて、審判員はそれに従うべきである。
プロ野球の場合は、誤審か否かも試合を楽しむ要素になっているが、大リーグの審判能力はあまり高くないので、それが問題だ。口泡飛ばして監督あたりと言い争うシーンは、人間味があっていいが、明らかな間違いでも我を通すのは交通事故のときと同じだ。裁判で不利になるので絶対謝らないことと繋がった精神構造なのかも知れない。
これが国際関係にまで浸透している。
間違ったことは「間違った」と認め、屁理屈で不条理にだけは持ち込まないで欲しい。
カフカの「審判」である。不条理の典型として、よく例に出される。
なにがなんだか訳が分からないうちに本筋からどんどん遠ざかり、受ける審判も自分を避けて的をわざと外した結審をし、泣こうが喚こうが判決だけは自分に下される。冤罪者の多くはその状態に追い込まれるだろう。いくら事実と違うと訴え、その証拠が目の前にあっても、「一度下した結論は変更できない」と駄目押しされる。出来ない理由も示されない。人間が人間に行う間違いが、どうしてそのままの図々しい行為が世にはばかるのだ。
力関係だけでは収まらない、得体の知れない
流れというのだろうか。
納得出来ない結論を押しつけられて、悔し涙にくれた経験は誰でもあり、、それも一度や二度ではあるまい。
スポーツには必ずルールがあり、それに添って審判が下される。審判員(一定の規則に従って判定をする役目にある者。主としてスポーツの分野で用いられ、野球規則、オリンピック規則などの規則に従い判定する者をいう)の立場は、本人の意思に関係なく、そのものがかなり微妙である。先日中国で行われた国際的なサッカー試合で、日本対中国では、審判員全員が中国国籍と聞いた。これは微妙以前に明らかな間違いで、試合は目に見える日本側不利の判定を連発していた。結果は引き分けだったが、こんな試合運びで中国の人は満足するのかと、少々哀れに感じた。
シドニー五輪の柔道100キロ超級でダビド・ドイエ(31=フランス)と日本の篠原信一(27)との決勝戦では、篠原の返し技を判定する能力がなかった審判員が居た。一体どれほどの眼力があるのか、ましてや金メダルをかけた試合で、あまりにもお粗末な結果である。ビデオで確認すれば一目瞭然の内容を、審判員は非力を棚に上げて認めない。あんたらの自尊心なんか屁の突っ張りにもならないことを知りなさいよ、と言いたい。
最も新しい誤審例である。
【 時事通信 - ビデオ見ない審判に制裁を=浜口戦の判定で福田氏が抗議−世界レスリング
DATE:2007/09/24 12:12
URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070923-00000098-jij-spo】
ここでも、大会委員がビデオで確認して誤審を認めたが、結果はひっくり返らない。これが解らない。不可解奇天烈なんじゃもんじゃのオナラがプーである。そう、文字にしたら滅裂そのもので、理解したなら躊躇なく恥を捨てて変更すればいいのだ。ルールで出来ないのなら、そんなものは常識で判断して変えればいいではないか。審判なんて、いうなれば間違いが当たり前という前提にある。不条理そのものを貫く意味や価値がどこにある。特にアマチュアは普通に判断できる当たり前のルールに従うべきだ。また、ビデオ判定も採り入れて、審判員はそれに従うべきである。
プロ野球の場合は、誤審か否かも試合を楽しむ要素になっているが、大リーグの審判能力はあまり高くないので、それが問題だ。口泡飛ばして監督あたりと言い争うシーンは、人間味があっていいが、明らかな間違いでも我を通すのは交通事故のときと同じだ。裁判で不利になるので絶対謝らないことと繋がった精神構造なのかも知れない。
これが国際関係にまで浸透している。
間違ったことは「間違った」と認め、屁理屈で不条理にだけは持ち込まないで欲しい。
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