身体のどこかが悪ければ、脳に「メシ、要らないよ」と伝える。脳は「諒解」と答える。問題はここだ。万能の脳とはいえ、それがどこから来たのか知らせてくれないのだ。ただ警告のみ。
いやいや、本当は知っているのかも知れない。どこかの役所のようにバレないように隠しているかも知れない。
肝臓の奥底で仲間が不正を働いて、食い散らかしているのを知っているが、正確な報告を上げるとその部分が切り捨てられる。だが義務は果たさなければならないというわけで、適当に「食欲がない」という曖昧な文書でごまかしている。
大体ひとくくりに脳と言っておいて、大脳やら間脳やら延髄やら小脳、脊髄なんかがあることがおかしい。わたしなんぞはノーミソという単語ひとつだけでこと足りる中身だから、ここからの発想だと、「どんな味噌かな?」にはこだわるが、「どんな働きをするのかな?」は考えない。
昔ちょっとヘボをすると“ノータリン”という暖か味のある非難を浴びた。脳が足りない。だから馬鹿であり、そうだけど足りないものは簡単に増やしようがないから、ヘボしてもいいんじゃなーい?という寛容さである。
今みたいに勝ち負けだけにこだわって、利口は利口、馬鹿は馬鹿に分けたがる風潮を認めるのは実に味気ない。
馬鹿のような利口や馬鹿に毛の生えた利口、利口と思っている馬鹿にその反対と、いろいろ混ざったモザイクが脳の本質としなければ、人間の複雑怪奇は説明できない。
従って、「何故、メシを喰いたくないのか」という苦しみは、わたしが人間として正常であるという証しなのだ。まさに医者の縄張りなのだ。脳は万能ではない。
ホント?
オメェ、なにを言いたいんだよと言われても分からないところにモザイクかけてるんじゃないの。
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at 12:59
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