なにか面白いことを書こうとすると書けなくなる。当たり前といえば当たり前で、書けないから頭をひねくり絞り出す。こんなときはろくな絞り滓も出ない。ほんわり自然に、または突拍子もなく突然に湧いてくる「面白ネタ」こそが良い質を持つと言える。だが「待っていれば湧いてくるよ」は無責任だし、才能がない限りあり得ない話だ。
伴淳三郎という喜劇俳優が居た。例の「アジャジャーにしてパーでございます」を短くした「アジャパー」を流行らせた。わたしの記憶ではなにかのCMで「カアちゃん、いっぱいやっか」もそうだと思う。
浅草ロック座でコメディの腕を磨いたお一人だ。この後フランス座(今の浅草演芸ホール)が出来て、渥美清やコント55号(欽ちゃん二郎さん)、ビートたけし等が活躍ー蛇足。
そのバンジュンさんが演じた一つが、今でも使われるギャグのベースになっている。
〈ひとりの男が椅子に座って、リンゴをむき出した。皮が紐のようにきれいにつながっている。早く食べたい男は涎を垂らしながらむき終わった。しばしリンゴを見つめていた男は、背中越しに実を投げ捨てて、やおら皮を旨そうに食べ出した〉
まさかの行為に観客は一瞬アゼンとし、バンジュンの「あたり前」という顔付きで笑いが生まれる。ここはコメディアンの演技によってかなり笑いの差が出る。
更に観客に向かって、
「なんか、おかしなことしたべか」と真面目な顔で問いを投げかける。子供が、
「実を食べるんだよ」と言ってくると、
「アレ、坊やんとこじゃ皮捨てちゃうんだべか」と、ここから別の展開をつくることが出来る。
逆転の発想はなにも新しいものではない。西洋のギャグでも昔から見られる。〈ギャグは逆〉まさにおやじギャグ。
“笑い”というものに関しては、一つの学問として成り立っているし、5センチほどの分厚い本も出ている。それに関係なく、笑いの基本は、常識をいかに効果的にひっくり返すか、いじくるかにあると思う。もっと簡単に、視点をずらすー大胆に或いは微妙に状況に応じて見方を変えると面白いときがある。
実際はこんなことを考えながら書くことはない。なにごともふとしたきっかけがなければ創れない。笑いは泣かせることより難しい。
福田さんが名宰相で、滅私奉公の勤勉役人だらけだったら、泣くほど笑って喜ぶのだが、夢のまた夢だからこそ日々文句を垂れ流す楽しみがあると思うしかあるまい。あるまいあるまい、である。
◎最近の雑感
福田首相のイメージはヌレッとしたつかみ所のない狢(狸のような可愛さはない)だ。外見からは、“ヒョウタンつぎ”。手塚治虫さんの漫画に出てくるキャラクターで、主人公やストーリーに関係なくコマのすみに突如と現れる(画像)。
安倍さんもそうだが、政治家のサラブレット等といわれてきた2世3世。血統が良いと馬並の評価で、飛ばしすぎて骨折したり、まともにコースを走らないで脇道ばかり気にしている。政治のやりくりや手管は確かに家系伝来のノウハウが蓄積されている感じだが、肝心のビジョンが見えない。日本国の経営者がこれでは早々に倒産する。苛立たしいばかりだ。
なにが「KY」だよ。なにが「空気を読まない、読めない」だよ。まさに日本人の馬鹿丸出し略字だね。ボケ、天然、あまのじゃく、意地っ張り、へそ曲がり、みんな面白いよ。仲良しクラブがあんまり好きじゃないせいかもしれない。刺激がないし、同じことを考えシャベリ、「そうだそうね」で無事一日過ごしたとして、一体何が残るんだよ。Kyorokyoro Yoroyoroで結構いろんな事が出来る。
「どんだけー」に至ってはなにをか況わんや。
タレントが外国へ行く旅番組がある。なかにはしっかりした考えを持ち、会話が出来る人もいるが、馬鹿丸出しのおちゃらけが多い。日本国内感覚のディレクターがお粗末で、下手なギャグを強要しているのではあるまいか。見ていて恥ずかしくなりスイッチオフ。そのせいか、tsutayaでビデオをいっぱい借りてきた。
「剣客商売」は面白かった。池波正太郎原作のせいもあり、藤田まことのセリフ回しがぴったりで、連続十話を続けてみてしまった。おかげで8時頃には目がショボショボと限界。その間止むことなく喰い飲みうたた寝と、典型的な正月太りと相成った。
伴淳三郎という喜劇俳優が居た。例の「アジャジャーにしてパーでございます」を短くした「アジャパー」を流行らせた。わたしの記憶ではなにかのCMで「カアちゃん、いっぱいやっか」もそうだと思う。
浅草ロック座でコメディの腕を磨いたお一人だ。この後フランス座(今の浅草演芸ホール)が出来て、渥美清やコント55号(欽ちゃん二郎さん)、ビートたけし等が活躍ー蛇足。
そのバンジュンさんが演じた一つが、今でも使われるギャグのベースになっている。
〈ひとりの男が椅子に座って、リンゴをむき出した。皮が紐のようにきれいにつながっている。早く食べたい男は涎を垂らしながらむき終わった。しばしリンゴを見つめていた男は、背中越しに実を投げ捨てて、やおら皮を旨そうに食べ出した〉
まさかの行為に観客は一瞬アゼンとし、バンジュンの「あたり前」という顔付きで笑いが生まれる。ここはコメディアンの演技によってかなり笑いの差が出る。
更に観客に向かって、
「なんか、おかしなことしたべか」と真面目な顔で問いを投げかける。子供が、
「実を食べるんだよ」と言ってくると、
「アレ、坊やんとこじゃ皮捨てちゃうんだべか」と、ここから別の展開をつくることが出来る。
逆転の発想はなにも新しいものではない。西洋のギャグでも昔から見られる。〈ギャグは逆〉まさにおやじギャグ。
“笑い”というものに関しては、一つの学問として成り立っているし、5センチほどの分厚い本も出ている。それに関係なく、笑いの基本は、常識をいかに効果的にひっくり返すか、いじくるかにあると思う。もっと簡単に、視点をずらすー大胆に或いは微妙に状況に応じて見方を変えると面白いときがある。
実際はこんなことを考えながら書くことはない。なにごともふとしたきっかけがなければ創れない。笑いは泣かせることより難しい。
福田さんが名宰相で、滅私奉公の勤勉役人だらけだったら、泣くほど笑って喜ぶのだが、夢のまた夢だからこそ日々文句を垂れ流す楽しみがあると思うしかあるまい。あるまいあるまい、である。
◎最近の雑感
福田首相のイメージはヌレッとしたつかみ所のない狢(狸のような可愛さはない)だ。外見からは、“ヒョウタンつぎ”。手塚治虫さんの漫画に出てくるキャラクターで、主人公やストーリーに関係なくコマのすみに突如と現れる(画像)。
安倍さんもそうだが、政治家のサラブレット等といわれてきた2世3世。血統が良いと馬並の評価で、飛ばしすぎて骨折したり、まともにコースを走らないで脇道ばかり気にしている。政治のやりくりや手管は確かに家系伝来のノウハウが蓄積されている感じだが、肝心のビジョンが見えない。日本国の経営者がこれでは早々に倒産する。苛立たしいばかりだ。
なにが「KY」だよ。なにが「空気を読まない、読めない」だよ。まさに日本人の馬鹿丸出し略字だね。ボケ、天然、あまのじゃく、意地っ張り、へそ曲がり、みんな面白いよ。仲良しクラブがあんまり好きじゃないせいかもしれない。刺激がないし、同じことを考えシャベリ、「そうだそうね」で無事一日過ごしたとして、一体何が残るんだよ。Kyorokyoro Yoroyoroで結構いろんな事が出来る。
「どんだけー」に至ってはなにをか況わんや。
タレントが外国へ行く旅番組がある。なかにはしっかりした考えを持ち、会話が出来る人もいるが、馬鹿丸出しのおちゃらけが多い。日本国内感覚のディレクターがお粗末で、下手なギャグを強要しているのではあるまいか。見ていて恥ずかしくなりスイッチオフ。そのせいか、tsutayaでビデオをいっぱい借りてきた。
「剣客商売」は面白かった。池波正太郎原作のせいもあり、藤田まことのセリフ回しがぴったりで、連続十話を続けてみてしまった。おかげで8時頃には目がショボショボと限界。その間止むことなく喰い飲みうたた寝と、典型的な正月太りと相成った。

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