東京に住むギンさんは今年81才で、心身共にすこぶる元気だ。寝たり起きたりだが身辺にとても気を使う。良い意味の「色気」がある。つやつやした肌の持ち主で、うっすらと紅をさし、特に髪の毛の手入れに余念がない。これで大人しければ可愛いのだが、率直というか口が悪いというか、江戸っ子口調でポンポン言われると、私も単純なのでつい「なんだ、コノヤロー」と思ってしまう。
「ケンジさん、あんた気が弱いからさ、嫁さんに馬鹿にされるのよ。夫婦喧嘩ったっていつーも負けてんじゃない。たまに会うとグジュグジュ愚痴こぼしてさ、パシッとやんなさいよ。まったくじれったいね」
よくもまあ、こんなふうに次から次へセリフが出てくるものだと半分感心しながら、「ハイハイ、分かりました」とごまかしている。一度くらいはギャフンと言わせてやろうと構えているのだが、なかなかタイミングが合わない。とにかく口では到底かなわない。
もうひとつ、かなわないことがあった。
写真が上手なのだ。構図が良いとか露出がピッタリなどだけではなく、心に沁みるのだ。まるでフィルムに絵を描いている感じで、同じ被写体を撮っても私にはそれがない。ただ写っているだけ。特に子供の写真は生き生きしており、自分が一緒に友だちになって遊んでいる。私は、いかにうまく撮ろうかと背景や表情を選んでしまうが、ギンさんはカシャカシャと無造作にどんどん撮っていく。カメラも大したものではない。今でこそデジタルのコンパクトカメラだが、最初はバカチョンカメラで撮りまくっていた。彼女の真似できないテクニックは「待つこと」である。特に風景の場合、天候と時刻を計算する。例えばよく見る里山の風景を曇りの日に撮るとしたら、午後3時まで待てばきつめの稜線がゆるやかで和やかなやさしさに変わると分かるのだ。子供の立ち振る舞いでも笑顔でも、驚くほど的確にシャッターを押す。というより、自然に指が動くのだ。アマチュア写真展に応募を勧めたが、他人様に見せるために撮っているのではないと受け付けなかった。
私もそれに影響されて、デジカメ片手に深大寺公園や新宿御苑、夜の渋谷などを撮ってきた。ギンさんに一応見せるのだが、滅多にお褒めにあずからない。「コントラストがいい加減」だの「なにを撮りたいのか分かっていない」だのと、鋭い指摘ばかりである。
私たち家族が福岡に移って以来、電話で撮影の相談をするが、相手に現物がないので「口で言って分かるわけないでしょ」と怒鳴られ放しである。
そこでカミさんと相談して、ギンさんに通販でファックス付きの電話機を送った。それで写真のやりとりをしながら教えてもらっている。それ以外にも、俳句をつくったのスケッチしたからと、なにかあるとファックスを送ってくるようになった。こちらとしてはありがたいことだ。言いたいことをポンポン言われてきた。だが、紙に書く動作が加わると文面も考える。まさか「このスットコドッコイ」などと文章としては書けない。静かに確実に気持ちのやりとりが出来るようになり、ジーという受信音が待ち遠しくもなった。
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