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夏の花 [2007年07月31日(火) ]


わたしの夏の花と問われたら、鶏頭とカンナと答える。どちらも見方によっては毒々しい色合いで、特に赤いカンナはひらひらした花びらのせいか、よけい血の色に見える。
そういえば赤いカンナは次のような言い伝えがある。
『ブッダ(仏陀)は、強い霊力があり、それを妬んだ悪魔が大きな岩を投げます。岩は、ブッタの体に当たらず粉々になりますが一片だけが足の指に当たりました。流れたブッタの血は、大地に染み込み紅いカンナを咲かせました。悪魔は、大地の怒りに触れ血の裂け目に飲み込まれしまいました』
ギリシャ神話のヒヤシンス(ハイヤシンサス)の優雅さはないが、仏様の血と聞くと見直してしまう。
名前の由来は、花茎の形から古代ケルト語の「杖・脚」を指すらしい。花言葉ー永続・快活・情熱・熱い思い。

黄色に赤をしみ込ませた種類は、どんないきさつを持っているのだろう。


もうアカネが飛びだした。







Posted at 18:13 | 写真 | この記事のURL
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外が見たいよ [2007年07月29日(日) ]


トゲ魚が
ぴちゃんと跳ねた
水の外を見ようと
ぴちゃちゃーんと跳ねた

アカ蛙が
ぴょんと跳んだ
池の外を見ようと
ぴょぴょーんと跳んだ

ニホン蜥蜴が
しゅっと走った
草むらの外を見ようと
しゅしゅーっと走った

アオ鷺が
ほわーんと翔けた
山の外を見ようと
ほんわほんわと翔けた

シラナイ蜘蛛が
せっせと糸を張った
自分の外を見ようと
せせせせせっせと
張った

Posted at 15:35 | 写真 | この記事のURL
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ウナギがニョロッと逃げていく [2007年07月28日(土) ]
夏は食欲が無くなると人はよく言うが、見ていると最近はそれほどでもない。なんやかや言いながらパクツイている。ダイエットを試みている人には残念だが、「夏痩せ」は死語になっているのではないか。

昔はエアコンも冷蔵庫もなかった。すだれや打ち水、風鈴などで少しでも冷気を得ようとしてきたが、所詮は気休めで、酷暑の中での生活はかなりきびしかっただろう。
こんなことを言うと、さもわたしが若いように見られてしまうが、昭和15年生まれの暑さで食欲をなくした経験者なので、よく分かるのだ。

夏ばてに栄養と、そんなときにお決まりなのが、土用丑の日のウナギである。土用とは、季節の終わりの18〜19日間をいい、春夏秋冬に4回あるのだが、一般には夏の土用を指す。この夏の土用の期間中、十二支が丑の日を「土用の丑の日」と言うんだそうで、今年は7月30日と相成った。
昨日買い物に引っぱり出されてスーパーへ行ったが、食堂もコンビニの店頭でも「鰻の蒲焼」や「うな重」の文字が舞い踊っていた。
この、「土用丑の日に鰻を食べる」習慣については、平賀源内が考えついたらしい。
江戸時代、夏場に商売がうまくいかない鰻屋に相談された源内が、「丑の日に『う』の字がつく物を食べると夏負けしない」という言い伝えをヒントに、「本日丑の日」と店頭に貼りだしたところ大繁盛。それが行き渡って、いつしか土用の丑の日に鰻を食べる風習が
定着したートトントンと講談調。こういうマコトシヤカは大歓迎だ。なんでもちょっと理屈が付いていれば有難味も増し、ただ「喰いてー」だけの心情では動物と同じである。実際、鰻にはビタミンB、D、Eの他にミネラル分、カルシウム、亜鉛、鉄などがたっぷり。本当に理にかなった夏の食い物だ。
いや、本当はそんなことどうでもいい。先ずは旨い!好きだ!喰いたい!これに尽きる。
そんな中で、またまた中国のお出ましである。
【安さより「高価な安心」、中国産ウナギが品質不安で不振 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2007/07/28 04:32
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070727i3w2.htm

残念ながら、安くて旨ければ良くて、安全を忘れがちなわたしでも、様々なインチキやいい加減さがこれだけ噴き出てくると、中国人そのものに不信感を抱いてしまう。カミさんなんぞは、「これ安い」と手にとって中国と表示してあるとポイと元に戻す。
出来たものだけに限らない。ほとんどの原材料のうち、中国からの輸入もかなりあるはずだ。それを使って日本で生産すれば国産になる。一世を風靡したミンチホープ(実態はホープレスだった)の感覚だ。鶏だろうが兎だろうが鼠や犬猫だろうが、混ぜくって「牛肉ミンチ」と貼ればそれは牛肉ミンチなのだ。肉屋の店頭で、目の前で挽肉にしてもらわなければ信用できない風潮をつくったあの社長の罪は重いが、「なんでも疑えよ」と、消費者の目を覚ましてくれた。いまだに「アー、失敗した」と思いこそすれ、反省はしていなさそうな顔付きには腹が立つが、多かれ少なかれ加工者の心理の一端を知らしめてくれた。
ましてや他国へ輸出するものとくれば、推して知るべしである。

ああ、どうしよう。今日も心が揺れ動く。国産は高いから買ってくれないし、中国製は気持ちを萎えさせるし、喰いたいし、こんな時哲学はどのように解決するのだろう。
「無いものは無い。在るものも無い。故に無いものを在るものとしてあらしめよ」
ン!解決した。
丼に飯をテンコ盛り。その上に三匹の缶詰のサンマを置き、蒲焼きのタレをたっぷりかけるのだ。山椒の粉をちょっぴり振って、ガッガッと掻き込めば’&%$#”=・’・・・。

Posted at 07:54 | エッセイ | この記事のURL
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10.10am [2007年07月26日(木) ]


空に網を張って
蒼を切り取って
蜘蛛じゃあるまいに
なにもかかりはしないと
そんな目で見ていると
あまりに広すぎて
蒼い空があまりにも広すぎて
馬鹿げたポーズに
小さな溜め息がひとつ出た

誰もいない公園は
午前10時10分

Posted at 05:27 | 写真 | この記事のURL
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外野 [2007年07月24日(火) ]


外野というと疎まれる存在に聞こえる。「外野は黙れ」と、関係者じゃないことを宣言されることもしばしばだ。これは外野席のことを指しているのだろうが、席だったら内野も同じで、応援は出来るが、直接試合には関係ない。試合には部外者だよと言われるのは辛い。最近はサッカーのサポーターのように、チームの存続に関わる外野も生まれつつある。ファンなしでは成り立たないのは野球も同じで、「蚊帳の外」などとんでもない話である。
暇だったので、暑い中、中学の地区リーグ戦を観に行った。照明設備もある市営球場だが、現在故障中で夜は使えないらしい。夏の陽射しであってこその野球とも言うらしいから、その臨場感を味わっての観戦である。
特に応援チームはなく、試合そのものは淡々と消化されていき、さほど面白くない。だから球場を一周しながら写真を撮った。
試合での外野は一見暇そうだ。いや、実際暇だった。ピッチャーの動きに合わせて一応スタンバイの姿勢はとるが、イチロー並の劇的な捕球場面には出くわさなかった。だったらと、ライトを守る選手の内面を描こうとしたのがこれらの写真だ。
所在なく立っているのではない。飛球への心構えは当然だが、次の打席には三遊間を狙うかピッチャー返しでセンター前に転がすかと、様々なシミュレーションをイメージしているのだ。これを「暇」などと言うべきではない。私もちょっと欠伸をして鼻くそをほじくっていると、カミさんから不当に「ヒマなら運動しなさい」「ヒマならごま油買ってきてよ」と、大いなる誤解をされる。事実かもね。もったいぶって、宜(むべ)なるかな、なんちゃって。





Posted at 16:18 | 写真 | この記事のURL
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無くなっていく昔・・・ [2007年07月23日(月) ]


福岡県筑豊の元炭坑住宅はどんどん消えつつある。時代の流れからいえば遅いくらいで、近くに代替の団地が建てられ、ここ松原地区も来年6月には移り住むと聞いた。
確かに住むにはギリギリの住み家になっており、確かめてみると半分近くが空き家になっていた。6畳、4畳半に土間の台所が基本の間取りで、住人は庭などを最大限に広げ、工夫を重ねて日常の住み良さを演出している。
ここには私の好きな「雑然」、特に夏の草いきれのような懐かしい雑然がある。それは見た目だけで、永年培ってきた昭和の人たちの息づかいがあり、しっかりと整理整頓されている。小さな世界の諦めもあるが、どこに住もうと発揮される日本人の本質ともいえる佇まいである。





Posted at 05:29 | 写真 | この記事のURL
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仲良し [2007年07月22日(日) ]




Posted at 20:59 | 写真 | この記事のURL
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盗撮 [2007年07月21日(土) ]


最近けったいなカメラの使い方をされている。1日に1件以上は新聞に載るが、ばれていないケースを入れたらかなりの数になる。スカートの中云々は論外だが、そんなつもりはなくてもそんな目で見られる怖れが増えたのは間違いない。
盗み撮るとは、いやな言葉だ。
また「撮る」は「盗る」「取る」に通じ、はたまた撮影は“影を撮る”ときた。だが写真は“真(まこと)を写す”と書く。これからはシャッターを押すときは、名詞を今風に『写真する』と言うことにする。
最近ほんの少し、写真の面白さが分かってきた。分からないのは写真を見る側の心理である。特にカメラや器材メーカー主催のコンテストで審査するプロの人たちの目だ。
興味を持って2年くらいのド素人には理解できない難しい基準があるようで、一時期はそれらに媚びる気持ちにもなったが、それでは先ず楽しくない。自分の視点をツクッタローと思うようになった。
書く文と同じように、「認められる」内容とかなりずれているのは確かだが、それが自分の世界ならそれでいいよと、夏風邪で鼻をすする午後である。
だってさあ、もう67才だよ。

Posted at 16:27 | この記事のURL
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立ち話 [2007年07月18日(水) ]



他人の立ち話は面白い。といっても内容ではない。その佇まいである。何気ない日常のどうでもいいコンタクトは楽しげだ。二人だったら受け答えでおよその力関係は分かる。親密度や、時として前回会ってからどれくらい経っているかも想像できる。女性同士の仕草ーお辞儀の角度や姿勢と、加えて相手に触れる仕草を観察していれば尚更だ。特に肩を叩く動作は女性に特有で、親しみの他に妬みや憎しみを巧みに隠している場合もあるようだ。テレビドラマではまるで中年女性の特徴のように使っているが、これはいささか常套に過ぎる。もっともっと繊細なのだ。
4,5人になるといよいよ面白いが、想像をはるかに超える。難しくなる。こういうときは良くしたもので、ちゃんと聴き手に徹する人が居る。しゃべる合間に器用に返事を織り込み、人より多く情報発信を試みる中で、にこやかに「そうですねー」と相づちを打つ女性は、何故か賢そうだ。ただそれが本当に納得したうなずきなのか、(しょうがないなー)なのか(バッカじゃないの)なのか、心中を見せない賢さにもつながるようだ。
スーパーなどの店内で、知人とばったり会うカミさんの態度を見ていると、空恐ろしくなることがある。
「アラ、久しぶり」
「ホント、元気?」
と、互いに顔付きは微笑んでいる、かのように少なくとも見える。数分後別れて言うには渋い顔で「会いたくない人に会ってしまった」である。男にもこういう場面はあるが、だいたいは知らん顔をしてすれ違う。向こうも何故かそう思っていると確信できる。無駄なことはしない。どちらが礼儀に叶っているのだろう。
わたしの立ち話相手は本当に少なくなった。先ず車での移動が多い。住んでいる周辺は急な坂が多いので、足の悪い者にとっては気楽な散歩とはいえない。

休日の午前、生ぬるい曇天の舗道を珍しく歩いていたとき、近所の人と顔が合い、
「立ち話もなんですから、お茶でもどうぞ」
と誘われたが、家に上がっていいものかどうか、この辺の機微が結構難しい。間柄はお茶をご馳走になるほどではないし、ここは、
「ありがとうございます。ちょっと野暮用がありますんで」
と、失礼した。わたしは立ち話にも変な小理屈を付けるいやなおやじになっていた。

Posted at 07:53 | エッセイ | この記事のURL
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災害発生時のテレビ局対応ー特にNHK [2007年07月16日(月) ]


今朝10時13分に甲信越地方で震度6の地震が発生した。
NHKは、総合、教育、BS1,2全部で同じ内容を放映開始した。まったく同じものだ。
しばらくして民放が我先に番組変更し、特別番組と称してスタジオと現場を結んで放送しだした。テレビ東京以外は、ほぼ午後3時までこの体制を続けた。
災害は大変なことである。先を争って伝えようとする姿勢も分かる。各局も特性を出したいだろう。だがいくつか納得できないことがある。
先ずNHKは総ての放送網で、全画面で延々と放送することしかできないのだろうか。久しぶりの休日、BS1で楽しみにしていた大リーグのマリナーズvsタイガースを観ていた。3回の裏だったろうか。一進一退の伯仲した試合の途中、地震のニュースが入ってきた。台風の後の地震だ。津波が来るという。この時点で高さ50センチ。このあと、続々と各地の震度や被害状況が伝えられた。当然テレビ画面の全面を使っている。1時間過ぎ、2時間過ぎた。総合、教育、BS1,2どこを回しても同じ内容だ。何故なのか理由を以前
聞いたことがある。場所によって届く電波が違うので、こうせざるを得ないようだ。事実云々はともかく認めるとして、それでも疑問が残る。台風進路を示す方法で、テロップや画面のコーナーで報せればいいのではないか。総合だけは全画面にすればいい。
一大事だ、くだらない番組なんかどうでもいい、さあ全部切り替えてしまえ、である。加えて民放も同じような感覚で、ドラマを観ていてプッツンと変わってしまう否応なさだ。
それでも民放にはあまり文句を言えない。タダで観ているからだ。コマーシャルと引き換えにつくられた番組だからだ。災害時にはスポンサーとの交渉や変更が大変だろう。だから、それらを踏まえた局の方針は当然だ。
NHKの場合はまったく違う。有料テレビだ。観ようと観まいと「義務」と称して金を取り立てる。
今朝もわたしは衛星放送契約に基づいて、金を払ってBS1を観ていたはずだ。それがなんの予告もなく、3時間(以降は諦めて観ていない)以上、総合とまったく同じ内容である。契約もクソもあったものではない。野球放送は続けて、情報はテロップなどを使うべきだ。こういうところに国営放送といわれる所以がある。金を取っておいてこのザマは、まさしく役人体質そのものだ。予算をもらっている(つまりは税金)ので総務省の言いなりなのか、本当に頭を使わない役人の集まりである。視聴者を何だと思っているのだ。
ついでに言うが、全画面放送は直接関係がないか無関心な人は、最初はともかく延々と続くとスイッチを切ってしまう。これが最も悪い形だ。通常の放送のなかに、継続性を持たせて惹きつけておくには、うまくコーナーを使うことだ。
とにかく有料ならその意味を知っておくべきだ。自分が偉いなどと夢々思い上がらないでくれ。もっと頭を使ってくれ。それでなければ、全部無料にしろ!!!!
*こういうのは書きなぐるに尽きる。

Posted at 17:14 | 生活 | この記事のURL
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