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月も泣く [2007年08月30日(木) ]


月をじっと見ていると
呼んでいる気がする
光芒が広がり
存在に委ねると
ぼくは泣きたくなる

ギリシャのアルテミスは
突然の死をもたらす神
人身御供を要求する恐ろしい女神
ヘテカは夜と満月の女神で
残酷な冥界を司るという

彼女らは
本当はやさしいんだ
あんなにやさしい光
漆黒の闇のなかに生きて
寂しさが心を砕いて
古えを恐怖で包んだ

そんなことしたくないのに
しなくてはいけない
悲しい神を見て
何万年もの光で
ぼくは泣いてしまう
涙で百筋の虹が見えてしまう


Posted at 18:09 | 写真 | この記事のURL
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川べり [2007年08月29日(水) ]


最近ちょくちょく川を見に行く。
土手に沿って、離合できない細い道を、前方を気にしながら駐車スペースを見つけて、かわべりへ降りていく。
時季の変わり目は特に面白いが、毎日来ても結構新しい発見をするものだ。
取水場のある橋に来てみた。町村によってはダム以外から水道用水を賄っているようで、ここでは川の水らしい。
渇水になったらどうなるのか余計な心配をしてみるが、今までそんな話は聞いたことがないので、水の供給には支障がないのだろう。
水道水は不味いとよく聞くが、塩素濃度と殺菌力のバランスは難しかろうと思う。
味噌汁や炊飯など料理全般に水道水を使っている。薬も飲んだりずる。ただ水割りは買ってきた水だ。氷を入れて冷やしてしまえばそんな大差ないのに、カッコ付けてミネラル水だ。
まだ今のところは、日本は水が豊かといえるが、地球はすぐに、深刻な水危機に陥ると思う。世界各地で広がる砂漠化、アフリカやアメリカ中部、中国に加えて、オーストラリアの渇水もニュースになった。
人間によって地下水を大量に使った農業、工業化がすすみ、数百年、数千年の時間を経て蓄えられた地下水を貪るように使い尽くしてしまったとも言われる。
一方で大洪水が頻発しており、温暖化による気象の変化も肌に感じる。
牧歌的な川の姿につい安心してしまうが、その裏ではかなり深刻な問題が、かなりの速さで進みつつある。


土手の夏草


なんのメッセージかな?

Posted at 05:29 | 生活 | この記事のURL
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うろこぐも [2007年08月26日(日) ]


そらのおさかな なんだろう
おびれもせびれも あるのかな
はりせんぼんより まんまるで
ちきゅうみたいに まんまるで
コロコロ うちゅうをころがって
しろいうろこを はがしてみると
あおいおいしい おさしみだ

しろいうろこは ひがしのそらに
どんぶらういては ながれぐも
かあちゃんほうちょうで バリバリと
たいのうろこを はがすけど
そらのうろこは むりだよね
あきらめあきは すごそこだ




これ、なまこ雲?


穴ぼこ雲だー。



Posted at 04:46 | 写真 | この記事のURL
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 [2007年08月23日(木) ]


堰とは用水をコントロールするための構造物で、河川などに造られる。水の増減を管理するわけだ。
作文には、「“堰を切って”“堰を切るように”話し出した」のように、今まで溜めていた思いが一気に噴き出すことをあらわす時に使う。
最近、変な感覚を味わう。今まで67年生きて来たわけだが、これから先が何故か短いと
感じる。理屈ではないから説明できない。まさに「感じ」ている。肌でも頭の中でもない。吹きわたる風のように、時折躯を覆う。だから四六時中ではない。
考えようでは不吉な現象である。このせいか、逆に‘生’の勢いが増してきた。まさに“堰を切って”だ。やたら頭が回転し、体力以上に動き、北国の短い夏を懸命に過ごす生き物になった気分だ。

堰の情景に心が惹かれる。



Posted at 14:56 | 写真 | この記事のURL
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犯罪者に退職金!? [2007年08月22日(水) ]
【警視庁の巡査長が女性射殺後に自殺 東京・国分寺 - 社会
DATE:2007/08/22 12:53
URL:http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200708210220.html

【自殺した巡査長、女性の店に頻繁に通う - 社会
DATE:2007/08/22 12:53
URL:http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200708210465.html


鉄道会社の社員が、線路に落ちた人を救ったが、自分は轢死してしまった。この時、会社は殉死として誉め讃え、それなりの金額を支払うに違いないが、電車で自殺したとする。こんな時会社は遺族に「退職金」を与えるだろうか。損害賠償金を請求するかも知れない。
今回の警官は、ストーカー行為の末、公人として携帯を許されている拳銃を使って殺人を犯した。殺人以外の何者でもない犯人が、何故退職金を受け取れるのか。何故、「警官」というだけで、殺人罪を無視して遺族に退職金を支払うのか。“泥棒に追い銭”どころか、捜査も終わっていないのに自動的に大金(税金)を使えるシステムになっているのか。
査問も行われず、単に役人と言うだけの話で、ましてや勝手に自殺したのだ。殉死であるはずがない。拳銃自殺は至極楽な方法である。頭や胸に押しつけて引き金を引けばいいだけのことだ。これもいうなれば特権濫用である。不法に使用した犯罪である。
自殺願望者はおそらく羨ましく思っているだろう。拳銃を奪うために警官を襲う事件も起きている。
今回は二重の犯罪を犯した人間が、たまたま警官だったという話で、結果として懲戒免職が当たり前だ。
もしなんらかの金を使うとしたら、所轄警察は殺された女性側の遺族に謝罪と同時に与えられるのが、普通の感覚だ。


【埼玉県警巡査が拳銃自殺 本部庁舎トイレで  (共同通信) 2007年7月23日08:33 】

【女性警官が拳銃自殺/島根県警出雲署
            2007/06/04 13:35
 4日午前6時45分ごろ、島根県出雲市の出雲署内で、同署地域課の女性巡査長(25)が、口から血を流して死亡しているのを署員が見つけた。巡査長のそばに拳銃が落ちており、県警は拳銃を使って自殺したとみている。
 調べでは、巡査長が死亡していたのは1階の仮眠室。巡査長の拳銃保管庫が空になっているのを不審に思った署員が、確認するために仮眠室に行き、発見した。四国新聞社】

【テロ警戒で派遣の巡査、高浜原発施設内で拳銃自殺
 19日午後3時50分ごろ、福井県高浜町、関西電力高浜原発の復水処理建屋3階で、テロ警戒のため派遣されていた大阪府警第3機動隊の男性巡査(23)が自分の拳銃を右手に握ったまま、頭から血を流して死んでいるのを同僚が見つけた。
 近くに「仕事に自信が持てなくなった」との内容の遺書があり、福井県警小浜署では自殺とみて調べている。
 巡査は今月6日から派遣され、敷地内を装甲車でパトロールするなどしていたが、19日午後2時20分ごろから行方がわからなくなり、同僚が捜していた。
同建屋は放射線管理区域外。
(2006年8月19日22時47分 読売新聞)】

このような感覚が現存する以上、いずれは銃口が市民に向けられることは完全否定出来ない。
殉職とは、職務を果たそうとして命を失うことである。警官なら犯罪者と闘い、市民を守るために死ぬことだ。消防署員が火災を消火するために命を落とすことだ。これらには遺族への厚い手当は当然である。それぞれの公務に携わり、命を懸けて職務を全うしてこその殉死であり殉職である。
この退職金支払いは、多くの公務員を馬鹿にした行為ながら、当のお役人さんは、残念ながらさほどの抵抗も無いに違いない。

昨日、北九州市の職員が刑事告発されている。生活保護を適正に活用するどころか、ひたすら予算枠を守るために、受けるべき人に「もういりません」と書かせ、死に至らしめている。役人といえども、これからはどんどん告発して、「責任を取らない」体質を変える必要がある。自らは安穏な立場に置き、能力もないのに偉そうに間違った判断を下す人間は徹底追及し淘汰するべきだ。

仲間内の論理展開はウンザリである。

Posted at 13:09 | この記事のURL
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庭に立ち [2007年08月19日(日) ]

夏の庭は
草いきれの懐かしさで
蒸れています
まるで昔の庭のように
蒸れています
夏紅葉に遮られて
影の中
糸蜻蛉や足長蜂が
水を飲みに
緩やかな流れに浮かぶ
小さな水草に止まります

夏の庭は
石灯籠の古えを教えます
照り返さず
室町の時から吸い込んできた
陽の粒子が緑陰に佇み
常夜燈と言われて路傍で
夜道を行く人の旅路を照らし
道中の安全を守っていた
頑固な暖かさは
今もって枯れた梅木を支えています

夏の庭は
時折つくられ
屡々放ったらかしの形を
ほどよく描いて
心の和みを簾に託し
住人は
団扇を小刻みに動かしながら
うとうと
小刻みな白昼夢を見ています





Posted at 07:38 | | この記事のURL
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木造 [2007年08月17日(金) ]


風化した板壁の風景が少なくなった。
新築の多くは、化学合板とでもいうのだろうか。雨風は無論、人の温みさへ受け付けない無機質そのものである。こんなところに住んでいると、人間もそうなってしまうかも知れない。

台所や御不浄の窓に、格子のような明かり採りがあった。外側は固定されており、内側が少しスライドして、強い雨の時は閉め切り、冷たい風はほんの少し開けて通気を調整し、匂いや煙がひどいときは全開にする。向かいの棟にも同じ様子が見られ、子供の時は自分勝手に秘密めいて細めにして外をうかがったものだ。本当にうまく考えた構造である。

部屋の中もあっさりしたもので、昼間は少々薄暗くても電球は消えたままだった。片隅のミシンが唯一の財産とも言え、貧乏で家財がないのか空間を埋めたくなかったのか定かではないが、障子からの明かりだけで慎ましく住んできた。物が増えすぎて心がやせ細ってきたこの頃と比べると、少しは反省してみる。

板壁は風雨と太陽に晒されて、趣のある暖かさをつくっていた。校舎もこんな風で、日向ぼっこの舞台にはぴったり。冬日に出来た濃い影のなか、友だち同士なんとはない悩みや嬉しさを交わしたものだ。壁を指でなぞって、ささくれた棘を刺しては痛がり、用務員さんの振る始業のリズミカルな鐘であわてて教室に戻った。机も椅子も床も木で溢れかえり、時折、「なんで木製ばっかりなんだ」と反発したりもした。今思えば贅沢なもので、まがい物が当たり前のこの頃では望むべくもない本物が多かった。

こんな懐古に耽ってばかりいても、プラスチックの便利さを捨てるわけではない。ほんの少し環境を想いはするが、どうせすぐ居なくなってしまうという逆算のずるさを捨てきれないところが正直な気持ちだ。





Posted at 05:24 | 写真 | この記事のURL
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#808080 [2007年08月15日(水) ]


13日は例によって納骨堂に迎えに行き、義姉のところに数人集まって食事をした。「迎え」るとは、お参りして自分の身に霊を乗せて連れ帰ることらしい。15日には逆に、仏壇から墓へ連れ帰る「送り」になるという。
その間の14日が、祖先共々楽しむ盆踊りというわけだ。

この辺の盆踊りは気楽で適当だ。
町内の多目的広場に、主催する町内会のおじさんたちがヤグラを建て、周りを紅白の幕で包み、前面と思われるところに盆提灯をぶら下げ、供え物を置く。今までほとんどこういう集まりに参加してこなかったが、昨夜は調子のいい太鼓の音がやけに響いてきたので、のこのこ出かけた。
薄暮の7時半頃から河内音頭や炭坑節、聞いたこともない「360度の唄」、「ドラエモン音頭?」などが次々に大音量で町内に流された。
会場でお会いした元町内会長に、今までの経過を聞くと、昔はひとつの町でそれぞれ盆踊り大会があったそうな。祭りもそうだが、じわじわと少子高齢化の影響や興味が薄れていくこともあって、この地区では一カ所になってしまったらしい。
三々五々、浴衣やジーパン姿で集まり始めた。蚊が結構いて、隣の女の子に「かゆいね」というと、「今かゆみ止めを塗ってきた」と、団扇をパタパタさせながら答えた。
「さあ、始めまーす」のアナウンスを皮切りに、20人ほどが輪をつくって踊り出した。何人かは師匠らしく、率先して見本を見せ、周りはそれに倣って手足を動かし出した。次第に人数が増え、それこそ老若男女が加わり、子供たちも嬉しそうに間違えていた。
わたしはもっぱらパチパチとシャッターを押し、片手で蚊を追い、1時間ほど楽しんで帰った。

‘盆’について、あれこれ言うことはない。何故か不思議な現象で、夏真っ盛りの八月、人は13日,14日,15日と家族縁者が集い、先祖の供養をするという他に、倭の人間として生まれながらに備わっている理屈なしの‘あわれみ’の心が、フワフワと遠くから漂う感じがする。ヤグラを取り巻いて賑々しいなかに、なにがしかの霊の流れがあるのかも知れない。それが人を和ませ、日本の夏を醸し出しているようだ。





Posted at 08:38 | エッセイ | この記事のURL
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笑いの端っこ [2007年08月12日(日) ]


カミさんが「この頃、食が細くなったわ」と言うので、反射的につい「体は太くなったね」と口走ってしまった。
夫婦二人だけだと単に喧嘩の元だが、もし3人目がいたら、その人は少なくともクスッと笑うだろう。条件次第で笑いで和やかになったり侮ったりするものだ。それがもし国境を越えるものだったら大したことだ。
イランのジョークで、
 先生「このバカな作文を書いたのはだれだ 」
 生徒「先生、ぼくのパパを悪く言うのはや めて下さい」
というのがあるが、これは日本でも結構見られる。使い古した内容だが、結構国際的だと思う。
これはどうだろう。

[Q 共産主義者とは何か?
 A マルクスとレーニンの著作を読んだ者。 
 Q それでは反共主義者とは?
 A その著作を理解した者。
「世界の紛争地ジョーク集」より    ]

わたしには面白い。本質を知ったとき、人はギョッとする。
国民性をあらわすジョークに、日本人はかなり登場する。
「イタリア人が3人集まったらファッションについて語る。ドイツ人は政治について語る。ロシア人はウォッカを飲み始めて酔っ払ってしまう。日本人は仕事が忙しくて集まれない」。
この類はかなり古い感覚だ。日本人は15年前ぐらいで良くも悪くも誇るべき働き者を返上している。
時代の移り変わり、他民族か否か、主義・宗教、民度などで、発し方や受け取り方は違うが、難しさには変わりはない。

「アメリカ人が3人集まると、イラクからの撤退主張が一人、続けるべきが一人で、残りの一人は何故か日本が悪いと遠くで言い続ける。中国人が3人集まると、一人が改革解放を続けようと言いながら札束を数え、一人は次のコピー商品を開発しようと知恵を絞り、残りは“共産主義って何?”と首をかしげる。日本人が3人集まると、一人は“ちゃぶだいをひっくり返した”と、肩をいからせ、一人はキーを叩きながら“関係ないよ”と決まり文句。3人目はウォーキングしながらグルメ番組に夢中。」         」
あんま、おもろないで。
無駄な時間を使って、朝になった。
朝焼け、きれい!

Posted at 12:22 | 写真 | この記事のURL
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夏は木にとまって [2007年08月09日(木) ]
井戸で冷やした西瓜の縞に
陽が照り返し
立てかけた虫取り網がコトンと倒れた

「はら、へったー」

ランニングシャツの白い跡もなくなって
向日葵の陰になった小さな少年

蝉の声をかいくぐって
木を見上げて
痩せた背中の汗も拭かずに
幹の出っ張りに手をかけて
30センチ先の油蝉の
腹を震わせる油蝉の
飛び出た目ん玉めがけて
左手をひるがえし伸ばした
落ちて転んで
開かなかった柔らかく結んだ手は
ジィジィ暴れる宝を離さなかった

「ケンちゃん、ごはんよー」

うん、とうなずきながら
小さな少年はそっと指の間から
掌をのぞいて
茶色い生き物が
自分と居ることを信じられず
こそばゆい動きを
確かめてばかりいた

母の白いエプロンが
目の片隅に入り
暑いと仰いだ空にも
蝉の形をした白い雲

粗い木肌に
また蝉が止まった

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