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小郡を訪ねて 3 [2007年10月31日(水) ]


右側に、臨時の駐車場になっている三井高校のグラウンドを見ながら更に進むと、一部通行止めの札があった。
大きめのテントが5張りほど張られ、2,30人の係りの人が忙しく準備に取りかかっていた。
こちとら、やっと着いたことと歩き疲れからどこか坐れるところはないか探したが見当たらない。
天気はほどよく晴れ、近くの旧い住宅は静かに佇んでいる。普段は人の行き来も少ない落ち着いた場所という感じだ。
そんな中の小郡市松崎・桜馬場に、野田宇太郎の“水鳥”詩碑があった。
---------------------------------------
   水 鳥
みづうみ

たったひとつのやさしい部分

みづうみ 

声のない微笑の輪

はねをつけてとび立つ

ひそやかな愛


それを撃つな
         『旅愁』より
----------------------------------------横幅は21メートルぐらいだろうか。さほど大きくもなく、水鳥にちなんで床面にはサラサラと水が流れており、碑としては演出されていた。



10時40分頃から受賞などのリハーサル?があり、一般を除いた小中学生らがおねえさんの「あっち向け、こっち見ろ」の指示に、
こわばった表情で従っていた。
わたしは周りをウロウロして所在なく写真を撮っていたが、だんだん人が増えてきて、テント内やその周辺は動きづらくなってきた。こういう場では必ず胸にリボンを付けるよう言われる。主宰者側は目印になって分かりやすいだろうが、どうも落ち着かない。典型的な自意識過剰で、それがわかるから余計に落ち着かず、ぎりぎりまでポケットにしまっておく。いっそのこと帽子をかぶらせて、その形や色で判別すれば面白かろうが、偉い人にトンガリ帽子なぞをあてがったら「クリスマスじゃない!」と、怒って帰ってしまうかも知れない。
わたしは一番後に座った。ここからは椅子のうしろの貼り紙がよく見える。市長席、議長席、議員席、文化協会会長席、国会議員席などと、こういう自治体主催の催しに必ず見られる議会、役所関係者が半分以上を占めている。これは退屈になりそうだと覚悟した。
あとは来賓、報道、受賞者及び選者、野田氏ゆかりの人といった具合である。そのテントをぐるりと一般参加者が取りまき、およそ150人ほどが揃った11時に式が始められた。

献花や献詩朗読、入賞者表彰とすすみ、式次第は「合唱」となった。
最初に、おそろいの緑のユニフォームをまとったおじさんおばさんグループが「松崎の道」を唱った。共に、作曲者である山田レイ(日へんに令)子さんも着物姿で合唱された(左端)。

  ‘松崎の道’
ははありき
ちちありき
われは をさなく

ちちははの
はかにこけむし
われもはや おい

かえりきぬ
をさなごころに
おもいでのみち

ののはなの
さきみだれたる
松崎のみち

         野田宇太郎 詩
         山田 レイ子 作曲

今でも「ののはなの さきみだれたる」面影が確かにあった。来る道すがら、昔はきれいだったであろう小川が流れていた。日本のどこにも見られた風景だが、両親共々古里としてあった松崎は、野田氏にとって歌い上げるほどの“道すがら”だったに違いない。歩く人によって、単なる田舎道にも数々の想いが散りばめられている。そんな道を、人それぞれ持っているに違いない。歩いているに違いない。



校歌にも似たものを感じる。
学び育った学校の歌ーわたしの時代はなにかにつけて唱わされ、その時は仏頂面だっただろうが、50年以上経ってもちょっと出だし
を教えてもらえば、すらすら出てくる。
小学校時は転校だらけで、一つも憶えていないが、中高は出来る。
子供たちの出番で最初に唱われたのは、野田氏作詞(森脇憲三・作曲)の「立石小学校校歌」だ。
一番だけ記してみた。

“光と風の 空はるか
 今日もそびゆる 城山は
 明朗の性 育みて
 学ぶわれらの 希望を燃やす
 学ぶわれらの 希望を燃やす
 立石 立石 立石小学校”

地名と名所を適度に織り交ぜ、心得やスローガンをやさしい言葉でくるんで唄えるという、力まない元気さが良い。
20人ほどの生徒は「つばさ」と銘打ったお揃いで、緊張もあったが口をいっぱいに開けて、唱って聴かせてくれた。
このあと、松崎に伝わるわらべ歌の「お城のサー」も唱ってくれた。

“おしろのサー おんさむらいしゅが
おかごで いっちょうけ いっちょさまドン
ドンとのさまは どのかみさまよ
こうこうしながの さやかのドン
おんよしわらの よねぞうさー こめぞうさー
ほうきではわくが おとひめさん
ほら ひーに ふーに 
やーに ここのとうかえして おしろのサー”
どこの童歌も、意味は完全には掴めないが、なんとなく調子に乗せられて口ずさむ楽しさがある。ボイス・レコーダーを持ってこなかったのが残念だった。



野田氏の次男ご夫婦が横浜から駆けつけ、謝辞を述べた。あまりこういう場になれていないようで、時々言葉に詰まりながらも訥々と話す姿勢に親しみを感じた。

この後、事務局から「野田宇太郎・文学資料館」や「筑後松崎宿」の説明、公民館での昼食を兼ねた露店のお知らせなどがあって、約1時間で終わった。
また駅までえっちらおっちら歩かなければならない憂鬱が先に立って、食事を摂る気も起こらず帰ることにした。

【野田宇太郎生誕祭 市民ら150人が参加 小郡の偉人しのぶ
小郡市出身の詩人、野田宇太郎(1909‐84)の生誕祭(西日本新聞社など後援)が28日、同市松崎の詩碑前で開かれた。市民ら約150人が参加し、郷土の偉人をしのんだ。
野田が愛したコーヒーを遺影にささげる恒例の儀式に続き、献詩コンクールの入賞者らによる受賞作の朗読が行われた。野田が校歌を作詞した地元・立石小学校の児童による校歌斉唱もあり、子どもたちの元気な声が秋晴れの空に響いた。
野田の三男、野田龍彦さん(63)=横浜市在住=も訪れ「多くの方に集まっていただき、感無量です」とあいさつした。】
=2007/10/29付 西日本新聞朝刊

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小郡をたずねて 2 [2007年10月30日(火) ]



夜明駅までが69分。乗り換えて、久留米までが49分となっている。
久留米着が8時近くながら時間が余っているので、時間つぶしに途中下車した。それにしても、おのれの体力のなさには愕然とする。階段を上がるたびにハアハア息切れ、50歩歩いてヒィヒィひと休み。なんとまあ情けない体たらくだ。循環器の衰えがいよいよ誤魔化せなくなった。しかしこんなになっても、早々簡単に認めたがらないのが質の悪いジジィたる所以で、歯を食いしばっても「まだまだ」はなかろうとは思うのだが・・・。
駅前は元気がない。ちょっとした広場にデカイ時計があり、8時になって鳩時計形式で人形がゾロゾロ出てきて地酒の宣伝を始めた。曇り空にカラ元気だ。心情として合っている。
駅を出て左側に「うどん そば」の看板があったので喰うことにした。わたしには家の外に出ると食欲が倍増する体質がある。博多ー東京間の新幹線で、駅弁3食をたいらげた実績からすれば3時間前のドンブリ飯はとっくに消化されており、食欲も正当なものだ。誰も訊いていないのにどこか後ろめたい。誰に言い訳しているんだろう。
カウンターが6席の小さな店で、中年夫婦が迎えてくれたが、清潔感があった。そしてここは旨くないとピンときたが、今更出るわけにもいかずゴボ天そばを頼んだ。東京からこちらに来たとき、蕎麦と言っていてもほとんどウドンに近いと感じた。細いウドンに蕎麦色を付けたようで、この時点で蕎麦への期待を捨て去った。出てきたモノはやはりモサモサとねちっこい口当たりで、これだったらよほどカップ蕎麦の方が喰えると思ったが、390円も取られるので我慢して流し込んだ。
駅に戻って、鹿児島本線の基山(きやま)まで15分ほどで着いた。ここから松崎までは私鉄の甘木鉄道になる。これも15分くらいだ。
着いてなお早すぎる時間が気になって、喫茶店で過ごそうと探したが、全くない。駅前には飲食店は一つもなく、タクシーもない。久留米駅前でさへ喫茶店はなかった。ラーメン屋とミスタードーナッツである。松崎駅の写真を見ればどんなところか予想がつくだろう。
会場は国道を渡って一直線の先だった。「近くて遠いは田舎の道」と昔は言ったものだが、久しぶりにそれを実感した。両脇は住宅と畑が混在しており、これといった被写体もない。道に沿って「小郡市 松崎」と看板を付けた街灯が点々とある。その下には企業名や学校名があり、多分道案内の役を果たしているのだろう。これは三井(みい)高校のそれで、確かに近くにその学校が見え、今日文化祭が開かれると案内書にあった。
あとは唯一、花畑らしいもので、葉が落ちた桜木がアクセントになってまあまあの姿になっている。





Posted at 04:16 | エッセイ | この記事のURL
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小郡をたずねて 1 [2007年10月29日(月) ]


この日は朝5時に起きた。
面倒なので卵かけご飯にしたが、一工夫してみた。ドンブリ飯の上に割った卵を乗せ、小間切れにしたトマトを置き、醤油ではなくウスターソースをかける。あとはガーッとかき回して「ガッガッ」と得意の3分喰いである。メタボ体に良いわけないが、時々無性にしたくなる。
駅から少し離れた駐車場に着いて、まだ暗いなか、日田彦山線下りの始発5時49分を待った。
こんな時間に駅ホームで電車(気動車)を待つなんて久しぶりだ。小郡市松崎の催し物は11時からだが、これに乗らないと間に合わない不便さである。なにしろ3回は乗り換えなくてはならない。それだけでもうんざりするが、これも最近ない乗り方である。
見方によっては奈落の底のような階段を上って降りて、朝露にけぶる中、10分ほど待った。半袖のTシャツにジャケットはちょっと寒い。所在なくカメラをいじくるうち、大分行きの2両編成が着いた。わたしと、登山に行く格好のおばさんの二人だ。
ディーゼルエンジンのタンタンタン・・・とうるさい音は、結構淋しさを紛らわせてくれる。なんとはない寒々しさが懐かしい。
汽車ポッポの時代、車内は薄暗かった。人々の多くの顔も思いつめたように暗く、独特の哀愁がふと蘇って来る。加えて石炭の匂い、汽笛、夜汽車の車窓からポツンと見える農家の灯り・・・。そんな想いに耽っている間に、東の空が白々と明けてきた。窓外が明るくなると気持も楽しくなってくる。
そんなとき、途中の大行事(だいぎょうじ)駅で面白いものを見つけた。黄色ならぬ橙色のハンカチである。黄色のつもりだろうが手許になかったのだろう。単に話題づくりなのかもしれない。どうせなら「ピンクの猿股で世界平和」や「地球を愛してグリーン・バンダナ」と、この地域の独自性を打ち出せば本当の話題になったんじゃないかなと思った。
1回目の乗り換えは「夜明(よあけ)」駅である。左は日田方面で、右が久留米に向かう。久大(きゅうだい)線(久留米の久と大分の大)を走るのが今回の楽しみでもあった。
7,8年ほど前の記憶では、かなり旧い客車が使われ、背もたれは布のクッションがあるとはいえほぼ直角で、路線そのものがのんびりしていた。今はごく普通の気動車(キハ)で、車内も小ぎれいにまとめられ、快適ではあるが味気ないものだった。





Posted at 17:03 | エッセイ | この記事のURL
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翳りの宴 [2007年10月27日(土) ]



空の表情に見とれて

クレーンの動きは結構 魅力

雲は

最大の演出家

今日は

遠くを見た






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運動会 3 [2007年10月24日(水) ]


【一チーム8名で行われる。補欠は2名まで。
男女ともチームウェイト(8人の総重量)によって階級ごとに分けられる。
時間制限はなく、相手側チームが4m自分側チームに引き込んだ時点で決まる。
チームの最後尾(アンカーマン)のみロープを肩にかけることが出来る。
競技会により1セットマッチ、2セットマッチ(1勝1敗は引き分け)、3セットマッチがある。】
これがルールである。
確か1920年のオリンピックまでは正式競技としてあったと聞く。へー、あんなものが、と思わないでもない。結構昔から世界で認められていたんだ。

こういうものは宗教的な行事としての発祥が多いが、やはりそうらしい。
【日本での「綱引き」の歴史も古く、アジア諸国と同様、五穀豊穣や吉凶を占う儀式として各地で行われており、現在も日本各地で伝統行事としてさまざまな形態の綱引きが数多く行われている。有名な綱引きとしては、秋田県の「刈和野大綱引」、佐賀県の「呼子大綱引」、鹿児島県の「川内大綱引」、沖縄県の「与那原大綱引」など、いずれも豊作、豊漁を占う催事として行われている】

また【日本では古くはカヤや藁を使った縄を使って引き合い一年を占う神事または行事で蛇や龍などを見立てることが多く、小正月などに行い中国の上元の綱引がルーツとされている。沖縄や南九州では8月ごろ北九州では盆の綱引など地域によっても少し違いがある。終わったあとは川や海などに流すところもある】とある。

今回の運動会では、そんなことは微塵も感じなかった。人数以外は、体重も年令も性別も関係なく、定番掛け声の「オーエス!」も聞こえない。これはフランス語の「oh hisse」(それ引け)だそうだ。リズムを取るにはいいが、あんまり力の入る言葉と思えない。

引く人の表情が良い。構成がバラバラなのでワンテンポ早かったり遅かったりし、その都度照れ笑い、怒鳴る、尻もちと忙しい。イザ勝負となるとみんな真面目に力を振り絞って
、中にはsexy faceになる人もいる。面白かった。 





Posted at 08:27 | 写真 | この記事のURL
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運動会2 [2007年10月22日(月) ]



「二人三脚スプーンリレー」と名付けられたこの競技は、なかなか難しそうだ。
わたしは割とバカ正直なので、ラケットの上にボールを乗せて走れといわれると、何回落とそうが繰り返すに違いない。
こういうとき、要領のいい人が必ず居る。また見ている人もそれを許す。いい加減なのだ。遊びだからいいのだ。たかが運動会ではないかと、普通の人は思うらしい。
つまり、ボールをラケットの隅で親指で押さえつけてしまえばいい。
遊び半分の競技でどの程度ルールを守ればいいのか、この辺が世渡りに通じる。この種の判断力はどうも盛っていないようだ。

足首を紐で結びつけて呼吸を合わせて走るのは、どんなコンビが最も適しているだろう。
夫婦、親子、友人、兄弟といろいろある。気が合えばどんな形でもいいが、テンポが取れるかどうかで仲のむつまじさが分かるのかな。
それだけじゃない。運動神経が鈍かったり体調の善し悪しもあろうし、見ていてそんなことを思った。
そんなことはどうでもいいんだ。みんな楽しそうだ。笑顔が秋空に飛び跳ねている。





Posted at 17:22 | 写真 | この記事のURL
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運動会 1 [2007年10月21日(日) ]


まさに秋晴れだった。
一点の曇りもないピーカンの青空。
空気は乾いていて、どこへ出かけても気分のいい一日が過ごせる。そんな中、地域の運動会に行ってみた。
ざっと見渡すと、年寄りと子供の比率が3対2ほどで、これでは地域の催事がこれからは
難しくなりそうだ。
去年より参加者は増えているようで、先ずはラジオ体操から始まった。

駆けっこは楽しい。
見ている方も走る方も楽しい。
わたしは走れないので羨ましい気持ちが強いが、子供たちの明るい頑張りについ「イケイケー!」と声を張り上げてしまう。
運動会の最大の特徴は観客がいることだ。家族であったり近所のおじさんだったり友だちだったりする。それが子供を奮い立たせ、日頃は「ダセー」と小生意気を言っても、精一杯楽しんでいる。

ともかく晴れて良かった。







Posted at 18:59 | 写真 | この記事のURL
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再生のシンボル [2007年10月20日(土) ]



そろそろ木枯らしが吹き始めた。
空気がひんやりしてくるこの時期、人恋しくではないが、昔から人は感傷的になるらしい。先行きが見えないときは悲観し、「あーあ」と溜め息が出る。
冬になってしまえば寒さで凍るのか開き直るのか、挑みかかる気持ちになって忘れてしまうが、中途半端な今がいけない。春が再生の始まりなら、秋は代謝で剥がれた皮膚がぶら下がる汚い季節でもある。
年令と季節と状況の絡み合いを67年も繰り返していれば、こんな気持ちになっても不思議はなかろう。

だが建造物はそれらを選ぶことなく、望めば
生き返る。筑豊にそびえ立っていた炭坑遺産の二本煙突が、修復のためにツインビル状に様変わりしている。
来年3月には完成から100年経つと聞くと化粧直しも当然で、傷みだした材料の煉瓦が剥がれて落ちる危険な状態らしい。高さ45メートルは26階建てビルに等しく、それを囲う足場が組まれ、来年3月にはお披露目になるらしい。
  ♪月が出た出たー 月が出た・・・
はこれによって間違いなく受け継がれていく。地元出身ではないので懐古はないが、石炭と炭坑と悲惨さと、生き抜いてきた炭坑の人達のためには無くてはならないシンボルだ。
年をとってもしっかりと化粧し、乏しい生活費で小さな缶ビールを楽しみに生きている。逞しさというより体も心も「つくり」が違う。よろけていても筋が一本ピンと入っている。ちゃらちゃら飾り立てていても、それに溺れはしない。狡い目も持つが、今までを振り返れば当然ではないか。
11月にはまた「炭都祭り」がある。今度こそ“人間”を恐がらずに撮るつもりだ。





*一ヶ月前

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わけ、わかんねーよ 史郎さんよ [2007年10月19日(金) ]
「亀田父子謝罪会見」となっていたものを観たが、何を誰に謝っているのかさっぱり分からない。大毅選手の一見シュンとした様子は、朝翔龍タイプをけっぱってきたと、悪意で観てしまった。曲がりなりにもチャンプに挑戦した男だ。チャレンジャーは年令に関係ない。世界のボクシング界が認めたタイトルマッチだ。結果は誇りも技術もない、裏付けのない闘志だけで、負けだしたら言われるとおりの反則連発。今頃になって、18才だから可哀相の、許してやれのとの町の声もあるが、冗談ではない。親子してボクシングを冒涜した罪は年令に関係なく、責任を取るのが当たり前である。金平会長、JBCと亀田一家の構造は、朝翔龍とそっくりである。これにメディアが食らいついて、ここ数日、あーだこーだとほじくり返してネタとして繰り返し放映している。
史郎氏は過保護ママに似ている。それも出来損ないで、被害者意識を持つことで無理して
子供たちをコントロールしている。彼はよく「子供たちを守ってやらなければ」と口にするが、一体何から何を守るんだろう。大阪西成の頃、子供のくせに周りの大人を脅かし続けていたとも聞く。大人たちがビビると、史郎氏は「どうだ、分かったか」と、恫喝の使い方と威力を子供たちに植え込んだ。それが
記者会見や計量時毎に下卑た態度や罵詈雑言につながり、ビッグマウスを演出した気でいる。実績がともなわないこれらは、ひんしゅくを買うこそすれ盛り上がりなどするわけがない。この行動を批判する側から守るというのか。
羽を広げてか弱いヒヨコを外敵から守るなら分かるが、自分たちで原因をつくっておき、社会の常識に反した「見苦しい強さ」にまみれて、何を守ろうというのだ。それでも反則やそれをけしかけるボクサーとセコンドがつくりだした試合を見て、喜び認める観客が居る。
「いろいろご迷惑かけてすいませんでした」と、首だけペコリ。気持ちも心を入っていない。「なんだ、コノヤロー」が匂っている。史郎氏は変わらない。
反則は指示していないとはっきりいったが、それではJBCは何を根拠に謹慎無期限を言い渡したのか。なんの会見だったのか未だに不可解だ。みっともないふてくされだけが印象に残った。「卑怯」という意味を知るべき。
金平会長の「負けたから何を言われても仕方がない」という本音。それこそ、反則勝ちをしてチャンプという結果になっていたら、投げ飛ばし、玉打ち、サミングなどが正当化出来たと言うことなのか。
本人の「意気消沈」はなんなのか、よく分からない。なんとでも受け取れる。坊主頭は、真摯な謝罪を言葉と態度で示してこそ生きてくる所業だ。丸めればいいというものではない。
子供たちは、史郎おやじと訣別しなければ、いよいよ変なヒヨコになっていくだろう。

Posted at 08:14 | 日記 | この記事のURL
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荒れ神社 [2007年10月18日(木) ]


見つけた神社は恐ろしく荒れていた。
田舎町の、それも片隅にひっそりと消えかけた「大宮」という名の神社ー大正に建立されたとあり、思わず車を停めてしまった荒れようである。
【大宮神社という名前の神社は日本全国に存在する。「大宮」という語は神社を敬っていう言い方の一つで、氏子などから「大宮」と呼ばれていた神社が、それに「神社」をつけて社名としたものなどである。よって、祭神は一定ではない。】

手水場も無く、石の階段は凸凹で、枯れ草で覆われ、危ないことこの上ない。無論、宮司もその住処もなく、小さな祠が神社の証としてポツンと置いてある。建ててあるのではなく、どこかで造って運んできたようだ。中には一応、家庭にあるような新しい神棚が納まっているので、誰かは気遣って最低条件だけは揃えているようだ。それだったら掃除ぐらいして欲しいのだが、勝手に来て勝手に文句を言えるわけがない。小ぎれいに整えられているより野趣があっていいと思えば、気にもならない。要するにその辺の神社の体を為していない魅力があった。
参拝に訪れる人もなく、蜘蛛の巣だけは何回も紡いでいるせいか、かなり丈夫に出来ていて、切れ方はプッツンと音がしそうだった。
狛犬の台座に「産子中」と彫ってある。字面から産土神が祀られていると思う。
日本人にとって神社は最も身近で抵抗のない宗教対象だ。鈴を鳴らしてパンパンペコは当たり前に身についており、特に願うことが無くても「拝んだ」気持ちで心もなんとなく落ち着く。そこには深い信心ではなく、山や海での日の出を拝む気持ちに似ていて、狂信にはしる一神教とは性格を異にする、穏やかで安まるものがある。
陽射しも弱まり、雲の形が丸くぼやけてきた。秋は深まる一方である。





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