右側に、臨時の駐車場になっている三井高校のグラウンドを見ながら更に進むと、一部通行止めの札があった。
大きめのテントが5張りほど張られ、2,30人の係りの人が忙しく準備に取りかかっていた。
こちとら、やっと着いたことと歩き疲れからどこか坐れるところはないか探したが見当たらない。
天気はほどよく晴れ、近くの旧い住宅は静かに佇んでいる。普段は人の行き来も少ない落ち着いた場所という感じだ。
そんな中の小郡市松崎・桜馬場に、野田宇太郎の“水鳥”詩碑があった。
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水 鳥
みづうみ
たったひとつのやさしい部分
みづうみ
声のない微笑の輪
はねをつけてとび立つ
ひそやかな愛
それを撃つな
『旅愁』より
----------------------------------------横幅は21メートルぐらいだろうか。さほど大きくもなく、水鳥にちなんで床面にはサラサラと水が流れており、碑としては演出されていた。
10時40分頃から受賞などのリハーサル?があり、一般を除いた小中学生らがおねえさんの「あっち向け、こっち見ろ」の指示に、
こわばった表情で従っていた。
わたしは周りをウロウロして所在なく写真を撮っていたが、だんだん人が増えてきて、テント内やその周辺は動きづらくなってきた。こういう場では必ず胸にリボンを付けるよう言われる。主宰者側は目印になって分かりやすいだろうが、どうも落ち着かない。典型的な自意識過剰で、それがわかるから余計に落ち着かず、ぎりぎりまでポケットにしまっておく。いっそのこと帽子をかぶらせて、その形や色で判別すれば面白かろうが、偉い人にトンガリ帽子なぞをあてがったら「クリスマスじゃない!」と、怒って帰ってしまうかも知れない。
わたしは一番後に座った。ここからは椅子のうしろの貼り紙がよく見える。市長席、議長席、議員席、文化協会会長席、国会議員席などと、こういう自治体主催の催しに必ず見られる議会、役所関係者が半分以上を占めている。これは退屈になりそうだと覚悟した。
あとは来賓、報道、受賞者及び選者、野田氏ゆかりの人といった具合である。そのテントをぐるりと一般参加者が取りまき、およそ150人ほどが揃った11時に式が始められた。
献花や献詩朗読、入賞者表彰とすすみ、式次第は「合唱」となった。
最初に、おそろいの緑のユニフォームをまとったおじさんおばさんグループが「松崎の道」を唱った。共に、作曲者である山田レイ(日へんに令)子さんも着物姿で合唱された(左端)。
‘松崎の道’
ははありき
ちちありき
われは をさなく
ちちははの
はかにこけむし
われもはや おい
かえりきぬ
をさなごころに
おもいでのみち
ののはなの
さきみだれたる
松崎のみち
野田宇太郎 詩
山田 レイ子 作曲
今でも「ののはなの さきみだれたる」面影が確かにあった。来る道すがら、昔はきれいだったであろう小川が流れていた。日本のどこにも見られた風景だが、両親共々古里としてあった松崎は、野田氏にとって歌い上げるほどの“道すがら”だったに違いない。歩く人によって、単なる田舎道にも数々の想いが散りばめられている。そんな道を、人それぞれ持っているに違いない。歩いているに違いない。
校歌にも似たものを感じる。
学び育った学校の歌ーわたしの時代はなにかにつけて唱わされ、その時は仏頂面だっただろうが、50年以上経ってもちょっと出だし
を教えてもらえば、すらすら出てくる。
小学校時は転校だらけで、一つも憶えていないが、中高は出来る。
子供たちの出番で最初に唱われたのは、野田氏作詞(森脇憲三・作曲)の「立石小学校校歌」だ。
一番だけ記してみた。
“光と風の 空はるか
今日もそびゆる 城山は
明朗の性 育みて
学ぶわれらの 希望を燃やす
学ぶわれらの 希望を燃やす
立石 立石 立石小学校”
地名と名所を適度に織り交ぜ、心得やスローガンをやさしい言葉でくるんで唄えるという、力まない元気さが良い。
20人ほどの生徒は「つばさ」と銘打ったお揃いで、緊張もあったが口をいっぱいに開けて、唱って聴かせてくれた。
このあと、松崎に伝わるわらべ歌の「お城のサー」も唱ってくれた。
“おしろのサー おんさむらいしゅが
おかごで いっちょうけ いっちょさまドン
ドンとのさまは どのかみさまよ
こうこうしながの さやかのドン
おんよしわらの よねぞうさー こめぞうさー
ほうきではわくが おとひめさん
ほら ひーに ふーに
やーに ここのとうかえして おしろのサー”
どこの童歌も、意味は完全には掴めないが、なんとなく調子に乗せられて口ずさむ楽しさがある。ボイス・レコーダーを持ってこなかったのが残念だった。
野田氏の次男ご夫婦が横浜から駆けつけ、謝辞を述べた。あまりこういう場になれていないようで、時々言葉に詰まりながらも訥々と話す姿勢に親しみを感じた。
この後、事務局から「野田宇太郎・文学資料館」や「筑後松崎宿」の説明、公民館での昼食を兼ねた露店のお知らせなどがあって、約1時間で終わった。
また駅までえっちらおっちら歩かなければならない憂鬱が先に立って、食事を摂る気も起こらず帰ることにした。
【野田宇太郎生誕祭 市民ら150人が参加 小郡の偉人しのぶ
小郡市出身の詩人、野田宇太郎(1909‐84)の生誕祭(西日本新聞社など後援)が28日、同市松崎の詩碑前で開かれた。市民ら約150人が参加し、郷土の偉人をしのんだ。
野田が愛したコーヒーを遺影にささげる恒例の儀式に続き、献詩コンクールの入賞者らによる受賞作の朗読が行われた。野田が校歌を作詞した地元・立石小学校の児童による校歌斉唱もあり、子どもたちの元気な声が秋晴れの空に響いた。
野田の三男、野田龍彦さん(63)=横浜市在住=も訪れ「多くの方に集まっていただき、感無量です」とあいさつした。】
=2007/10/29付 西日本新聞朝刊
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