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「おい!」とカミさんを怒鳴っていた頃 [2007年12月11日(火) ]
といっても、わたしの話ではない。
ここの貸しビデオ屋では、1のつく日は半額である。新作290円は145円で2泊3日、旧作は125円で1週間借りられる。この日はわたしのような暇を持て余しているジジババが押し寄せ、10作品以上持って帰る。
わたしも負けじと今月の1日に5本借りた。連続テレビドラマ「寺内貫太郎一家」だ。今は亡い原作・向田邦子、演出制作・久世光彦コンビで、1970年代が舞台の“ちゃぶ台ひっくり返し”ドラマだ。他愛のない人情コメディだが、それまでになかった意外性や突飛なセリフと動作が魅力である。DVD一枚には45分×3本=135分入っており、借りるときのわたしの条件である100分以上にも適っている。    
このシリーズが飽きないのは、各登場人物の
性格が分かっていることだ。分かっていれば予測もできるし逆に面白くないだろうと思われるが、一種の「水戸黄門」現象で、そのうえに胡座をかいて安心して面白がる年寄り臭さもある。
出だしの多くは貫太郎が事務所の神棚の前で、
「おい、里子。おーい、お水が上がってないぞー!」
と、妻に向かって怒鳴るところから始まる。里子が「ハイ、ハイ」小走りに持ってきて、
椅子に上がって神棚に供え、二人揃って二礼二拝一礼。この椅子が回転式で、いつも貫太郎が手で押さえている。なにかの拍子でクルッと回りはしないかと心配したものだ。
貫太郎は気短かで怒りっぽく、おっちょこちょいで涙もろく情が厚い。妻の里子は良妻賢母の下地はあるものの、優しい口調だが結構頑固なところがある。

寺内貫太郎(小林亜星)      
妻・寺内 里子(加藤治子)       母・寺内きん(樹木希林)
長女・寺内静江(梶芽衣子)
長男・寺内周平(西城秀樹)
お手伝いさん・相馬ミヨコ(浅田美代子)
従業員・イワさん(伴淳三郎)
従業員・タメさん(左とん平)
静江の恋人・上 条(藤竜也)
居酒屋「霧雨」のおかみ・お涼さん(篠ひろこ)
花屋の花くま・(由利徹)
以上がキャストだが、シリーズによって多少の変化がある。

多くの連続もので、決められたシーンや状況がある。観る方が「きたきたきたー」と喜ぶところだ。
「貫太郎」にもいくつかある。
食事のとき、祖母のきんと周平は隣同士。きんは決まって食べ物を落としたり唾を飛ばしたりして、周平が「ばーちゃん、きたねぇなあ!」と叫ぶ。
きんの部屋と母屋の間に引っ張り上げる橋が渡っていて、きんの機嫌によって上がったり下がったりする。
沢田ケンジのポスターに向かって、きんが「ジュリィィィィ」と悶えるところはよく知られている。
浅田美代子が屋根の上でギターを爪弾きながら「しあわせの一番星」を歌う。
などなどである。
もうひとつ忘れられない歌がある。シリーズUだったか、小林亜星弟子の徳久広司作詞作曲「北へ帰ろう」だ。彼のデビュー作でもある。これ、いまだに唄えてしまう。
http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo2/kitaekaerou.html
腹巻き姿でギターを抱え、夜の飲屋街をよたり歩くー多分彼本人ではないかと思う。

記憶によると、久世光彦が手がけた最初の作品は「時間ですよ」だ。堺正章の「オカミさん、時間ですよー」の掛け声で始まる1970年のドラマで、74年の「貫太郎」を経て、77年には「ムー」(伊東四朗、郷ひろみ、樹木希林、岸本加世子、由利徹)となる。この中の挿入歌「林檎殺人事件」も憶えている。
    
とりとめもなく思いつくままにキーを叩いてきたが、今日は11日。そうなんです。今日は半額デーなんです。10時を待って続編を借りなくっちゃ。なんか、食欲も戻ってきたぞ。

Posted at 09:06 | 生活 | この記事のURL
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食欲がない [2007年12月10日(月) ]
やっと冬らしくなってきた。
今まで60数年付き合ってきた季節の替わり目に、ここ数年違和感があった。環境や時代の変化が原因だろうが、春と秋の存在があやふやで、自分の季節サイクルと微妙に食い違う。人間が壊しつつあるにもかかわらず文句を言うー申し訳ないことである。

ここ2日ばかり食欲がない。わたしには珍しいことで、食い物に〈意地汚い〉のが信条でもあるのに、目の前のウナギ(中国産だが)にも新発売のカップ麺にも食指の小指も動かない状態なのだ。
微熱と飽満感がある以外はいつもの胸痛くらいでこれといった症状もなく、メタボっ腹には都合がいいとほっといたらカミさんにばれてしまった。昨日一昨日と昼に雑炊一杯では当たり前で、早速検査に行けと言いだした。「分かった」といい返事をしたには訳がある。ちょうど今日が通院先の検査日だったことと、食欲がなくて朝飯を意識して抜かす必要がないからだ。検査でなにが嫌というと、絶食である。喰う動作を欠かすことに病的な恐怖がある。元をたどれば欠食が重なった子供の頃に起因するのではないか。
生きるに不可欠な食べる動作が呼吸と同じ次元に並んでしまって、そのまま今に至った感じがする。「なにかいま喰っておかなければ無くなってしまう」想いが、喰い意地の汚さにつながり、ちょっとしたきっかけで現世の餓鬼道に陥っても不思議ではない。
時々冬ごもりするリスを羨ましく思ったりする。越冬に備えてせっせとドングリなどの木の実を巣に蓄え、寝床のまわりを餌だらけにして、かじっては眠り、起きてはかじり、ピューピュー吹きすさぶ外もなんのそのだ。
食欲はないが、睡眠時間は増えた。
今までは5−6時間だったが、この二晩8時間を越える。それも目覚めるまで熟睡で、寝覚めも悪くない。自覚はないが、疲れているのかも知れない。意識できないストレスなど信じない。それに、確かに目は酷使しているが、運動はストレッチ以外していない。だがよく眠れる。メシも喰わないが眠れるとはちょっと不気味である。

Posted at 09:51 | 日記 | この記事のURL
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寒かったなぁ [2007年12月07日(金) ]


久しぶりに福岡市へ行って来た。
最近はなにかないと滅多に行かなくなったが、「もののついで」があると出かける気持ちになるものだ。
テレビ朝日系列の九州朝日放送(KBC)で、テレビ・ラジオの視聴者が10人ほど集まって、あーでもないこーでもないと話し合おうではないかとお誘いがあった。しかし、ウィークデイのam9:30からとは少々驚いた。
バスの到着時間を逆算して7時に出ようと車を見ると、窓がすべて霜に覆われ、真っ白けである。なんとまあ、今朝に限って初霜ときた。あわててヒーター全開にして、適当な液体をぶっかけて拭きまくり、運転できるまで結局7,8分かかった。
この頃車での遠出はしなくなった。方向音痴に加齢、そのうえメンドクサイとくれば公共の交通手段がいいに決まっている。
7時20分のノンストップに乗り、福岡のバスセンターに着いたはいいが、寒さもあって右足の調子が悪く、細い血管が縮まって、完全にブラブラ状態になっている。まともに歩けるなら100円循環バスで二つ目の那の津口停留所だが、乗るところへ行くのもままならない。仕方なくタクシーに乗った。
運転手と世間話をしながらも、迫り来る現実をなかなか認めたくない自分がある。第三の目で見ておのれの歩く姿を想像するに、一歩あるく毎に歯を食いしばっているに違いない。事実の冷酷さをどう受け入れようかーその時人々はそれの脚色や演出を必ず試みると思う。だが事実の棘はそう簡単に抜けるものではない。むしろ更に深く突き刺さっていくこともある。“生き様”という言葉はあまり好きではないが、そこに関わる事柄かもしれない。

KBCの出入り口は円形の自動ドアで、さっぱりしていた。
先ずはスタジオ見学から始まった。わたしはこういう時、天井を仰ぎ見る癖がある。床上はカメラや洒落たデスク、大道具などで埋め尽くされ、いっとき目を奪われるが、それらは照明によって効果が加減される。だからどんな具合になっているのか先ず気になるのだ。見慣れている「アサデス。」が始まる5分前のスタジオは活気というより『おーい、今日も気楽に行こうぜ』雰囲気で、特に人気の徳永玲子さんが小走りに来て「オハヨーゴザイマス」の挨拶にはびっくりした。ついでに30センチのところで横顔を拝したとき、目尻に小じわがあって親近感が増した。誉め言葉と受けとめて欲しいが、口に出すべき事ではないくらいの節制はあるので、「いつもお元気そうですね」と返礼した。
男性アナが現れ、女性たちは沸き立った。嫌味もそつもない30代イケメンである。
ADが「本番まで後1分です」と言っても二人とも平然としており、「30秒前」で広報の人に背中を押されて、やっとポジションに落ち着いた。毎日のこととはいえ大したものだと感心してしまった。
カメラが3台動いていて、しゃがんでいる人は始終「あと5秒」とか「10秒」と喚いている。これはCMやら切り替えやらの指示が2階の副調整室から来ると説明があった。ふーん、まさに時間の切り売りだ。昔のテレビはよく「少々お待ち下さい」という空きがあったが、1秒なんぼの計算ではあるまいか。
スタジオではいつも不思議な感覚になる。賑やかに繰り広げられる様々なニュース伝達やコメントが、それなりのキャリアを経た人達によってテンポよく伝えられる。バックのセットは発泡スチロールが味のある岩になり、カメラを反転させれば別の番組セットを見ることができる。軽くて移動の簡単なつくりは芝居にも共通している。
直に見る感じとカメラを通した映像とでは別物と思った方がいい。セットを作る場合の第一の心がけに、カメラと照明からのイメージをつかむ必要があるのではないか。
現場には必ずスタイリストとメイク係がスタンバイしていて、おかしな事になったときにはサッと直すそうだ。
舞台裏の面白さは、茶の間で観られないいろいろな前提があり、そのギャップに驚きもする。
指示を出す副調整室は緊張感がある。
いくつものモニターで出来具合や進行度を判断していく、チョンボが許されない凝縮した時間帯の中にいるようだ。
その点、ラジオ放送はあっさりしたものだ。スタジオと調整室はガラス一枚で仕切られ、
スイッチ一つでオンエア又はオフ。設備も簡単で音声の調整はあるものの、音だけの世界である。しゃべりまくる人は大変そうだが、タレント性を求められるならテレビよりラジオの方が鍛えられそうだ。身振り手振りで誤魔化せず、すべてを言葉で表現する大変さは奥深い。
テレビもラジオも脚本めいたものはないそうで、大筋のメモに沿って自分が蓄積した情報や知識でしゃべるそうだ。話の流れや時間の計算も自分の才覚である。NHKはかなり細かいスクリプトがあるが、民放にはないと以前聞いたことがある。どちらにせよ、好きで一定の才能は欠かせまい。

そんなこんなで見学が終わり、テレビとラジオの制作編成担当者二人が中心になって、お話会が始まった。希望やら文句やら過程に自慢と、双方討論した後、昼飯になった。
近くの岩田屋デパートの弁当だ。食べながらまわりの人とおしゃべりし、午後1時に散会した。出演者らの撮影は禁じられたので叶わず、あまり面白味のない裏舞台の写真で終わった。
外は相変わらず木枯らしがピューピュー吹き、櫛田神社へ行こうとしていた気持ちが萎えてしまったので、早々に帰りのバスに乗ったーという、実り有無が付けがたい久しぶりの博多だった。





Posted at 13:20 | 日記 | この記事のURL
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古神 [2007年12月04日(火) ]


古代マヤは
「この世界は13バクトゥンが
完了する日に滅び去るだろう」
と予言した
1バクトゥンは14万4000日
《この世界は西暦2012年12月21日の金曜日に滅び去るだろう》

遠くを見ながら
陽を浴び雲を被り
小さな像は
『チラム・バラムの聖なる予言』に従い
白人のアメリカ大陸到来を予言した
だから
13バクトゥンを信じて
マヤは周期の意味だとするなら
冷たい風に吹かれながら
古神になぞらえた置物を
拝んでみよう





Posted at 19:07 | 写真 | この記事のURL
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ここ、バッタ! [2007年12月02日(日) ]


今朝、不思議な思いをした。
例のごとく、朝食後の茶碗類を洗って乾燥機に入れたり周りを拭いたりしていると、カミさんも動き出して、わたしの行く先々で彼女担当の仕事をし始めた。
物を置こうとするとカミさんが先にいて、別のことをする。かち合っている。そんなことが3回ほど続いたので、テーブルを争う前にわたしが「そこ、おれの」と宣言すると、「あたしが先」と譲らない。そうはさせじと両手をついて出た言葉が「ここ、バッタ!」である。昆虫のバッタのことではない。
静岡に住んでいた頃使っていた方言のひとつで、電車の座席を取るときなどのセリフとでも言おうか。
映画館の席でも「ここ、バットいてね」と友人に頼んで確保してもらったり、占有権を周囲に知らせるものだ。語源もなにも調べていないが、ついでにどんな言葉があったか静岡弁で検索してみた。以下はかすかに記憶にあるもの。そもそも子供は意識してしゃべるレベルではないので、もっと大いに使っていたと思う。

[(鍵を)かう]・・・鍵をかける
[かんじくなる]・・・冷たくてかじかむ
[そらつかう]・・・知らんふりをする
[おぞい]・・・粗悪、劣等
[かたす]・・・仲間に入れる
[かんだるい・かいだるい]・・・だるい、疲れる
[たんと]・・・沢山
[ぬくとい]・・・あたたかい
[ひどろしー・ひずるしー]・・・まぶしい
[ぶしょったい]・・・不潔、やぼったい

全国区になっているものも結構あり、また動詞だったり形容詞だったり形容動詞になったり、結構複雑に変化するのだが、自然に口をついて出る不思議さは、どの言語にもあるわけで、50年以上も使っていなかったのに面白いものだ。
大垣や名古屋にいたこともあるのだが、10才前のことなのでほとんど覚えていない。でもきっと自分も気付かないうちにいろいろ使っているかも知れない。

カミさん相手だからこそ、子供並につい「バッタ!」と言ってしまったが、これは普段わたしの中にバッタしたい気持があるからなのかも知れない。町を走るバスの中では到底出来ない行動で、ジジィがガキ相手に「これはおれがバッタんだぞ」と目をつり上げている様子を想像して、出来ないが「したい」気持があるのではないかと、ふと自分を疑ってみたくなる。こんなことが頭にあるとやってしまいそうだ。
しかし世界は《バッタ!》が渦巻いている。無邪気な子供の遊び心なら笑ってすませるが、一過性であるべきバッタなのに、座り込んだらおれのものという国や、税金をバッタバッタと自分の金にして使いまくる役人。さらに地球をバッタ図々しい人間。もうそろそろ《おぞい》欲をかいていないで、諦めるなり交替するなりして下さい。

Posted at 12:56 | 日記 | この記事のURL
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さかなになったぼく [2007年12月01日(土) ]
いくら体を動かしても
汗をかかないのは
寒いといって暖まろうと
泳ぎまくる魚だ
冬になって水温が落ち
体力を保つために
じっとそこに沈んで動かない魚
泳ぎまくって体を暖めようとしても
体温は上がらず消耗するばかり

陸に棲む人間は
オイチニオイチニと
冬の公園で体操すれば
白い息とともに
タオルを使うくらい汗をかいて
体が暖まって元気になって
「行くぞー」と駆けだしてしまう

いくら動いても
魚は暖まらない
今のぼくは魚になっている
体ではなく
気持が汗をかかなくなった
気持が大車輪しても
気持が全力で百メートル走っても
あったかくならないし
汗もかかないし
疲れてしょぼんとなって
気持だけ水の中に置いて
澱みを泳いでいる魚になった
汗腺はあっても
汗をかかない魚になった

Posted at 08:10 | | この記事のURL
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