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リンク集
日々雑感 [2008年01月09日(水) ]

    シーシェパードの旗


◎鯨は可愛いがカンガルーは邪魔
【日本の捕鯨活動、豪州が近く監視開始と発表 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2008/01/08 04:13
URL:http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080107i216.htm

【中日新聞:捕鯨監視船、今週出港 豪外相が発表:国際(CHUNICHI Web)
DATE:2008/01/08 12:51
URL:http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008010701000560.html

外相が不快と述べたユーチューブの映像
http://www.youtube.com/watch?v=e8lvep0-Ii0

彼らの、捕鯨ではなく“保鯨”の哲学は聞き飽きた。伴う行動も、よくも時間と金と労力を傾けられると思うほど幼稚だ。
外相(何故外相なのか分からない)自ら巡視船を派遣して、日本の調査を見張るという物々しさである。
日本の調査捕鯨の他に、ノルウェーは1993年から改めて開始し、アイスランドは2006年に、公的に商業捕鯨を行っていることを認めた。商売として堂々と鯨を獲っている国は放っておいて、アジア人種である日本が調査をすることには軍隊出動ーこれは白豪主義に基づいていると言われても弁解できまい。賢明?な外相は不快に思うよりもっとはっきりした理屈を科学的に全世界的なビジョンを展開するべきだ。IWCのことでも散々同じことを何度も言ってきた。方向の違った予測がどんどん大きくなっている。

【カンガルーの殺し方の豪政府指針、愛護団体は批判 | Reuters
DATE:2008/01/08 04:00
URL:http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-29638320080107
ときた。
何でもかんでも動物愛護という狂信的団体も始末が悪いが、「増えすぎたから赤ん坊は叩きつけて殺してしまえ」と、保鯨と正反対の行動は理解できない。
ここには「鯨は賢くて可愛い」から、増えすぎてもイワシやサンマを食い荒らしても守ってあげましょうよというモンスター保護主義
がある。つまり、鯨の脳みそはでかく、音波によるコミュニケーションをとっているらしく、また哺乳類だから「知能が高い動物を食べるのは残酷である」と言うわけだ。知能の高さで生き物を比べる傲慢さはどこから来るのだろう。これからは日本人を「虫けら」と判断したら、人間であっても抹殺する理屈に通じないだろうか。

カンガルーは跳びはねて土地を荒らすし利口でも可愛くもないからぶっ殺しましょうよ、もある。要は数が増えすぎたという前提の行動で、これは今に始まったことではない。
2002年5月のCNNは、
【オーストラリア・パカパニアル(CNN)豪ビクトリア州にある豪陸軍の基地で、増えすぎたカンガルーを撃って駆除する間引きが20日、始まった。この間引きに反対している動物愛護活動家は、狙撃チームとカンガルーの間に隠れて反対する予定だが、陸軍側は活動家に対し「生命の保証はできない」と通告している。
この基地は山火事の消火訓練などに使われているもので、面積が4万5000ヘクタール(種子島とほぼ同じ)もある。
8万頭以上のカンガルーが棲息しているとみられているが、この数は、基地内の
自然環境からみて、適正と考えられる4万頭の2倍で、陸軍の委託を受けた
狙撃チームは過剰分の4万頭を間引く予定だ。 陸軍のこの姿勢に対し、活動家は「病気のカンガルーだけを間引き、残りは野生に
戻すべきだ」と主張、体を張って反対する作戦に出ることにした。活動家の団体は「我々の組織的に行動する。もしカンガルーが撃たれそうになれば、我々は守り抜く」とロイター通信の取材に対して話している】
また、「作物を荒らす『害獣』としてカンガルーの間引きはこれまでも行われている」「カンガルーの肉を食用として販売することは、オーストラリアでは一部の州でしか 認められておらず、今回の間引きで死んだカンガルーは基地内に埋められることになっている」とも付け加えられている。
愛護、保護の基準を自分だけの判断で決められる権利はない。その国や地域の風土、宗教、国体などを加味する地道で時間のかかる事柄だ。今回はあまりにも単純な行動だ。本来は日本人を納得させる正確で公正なデータを示してこそ、大国豪州ではあるまいか。デッカイ国なんだからデッカイ構想を持てよ。
鯨を喰わない日本人として、いらつく出来事である。

◎ハンドボール大会
アジアハンドボール連盟は、クェートの金持ちオジサンが8割の理事会で出来ている。そこで、「インチキやったからって文句を言うな」と威張っている。
ハンドボールのアジア予選で、対日本、対韓国の試合で、イラン人レフリーはしっちゃめっちゃかの審判を繰り返し、そのおかげでクェートチームは勝った。
あまりのデタラメに世界ハンドボール連盟は再試合を命じた。金持ちオジサンたちは「再試合する理由がない」と蹴った。日本の連盟は再度抗議文を送ったとのことだ。
こんな価値のない勝ち方をして本当に嬉しいのだろうか。あくまでもスポーツである。金持ちも貧乏もない。堂々と不正審判をしながら勝利の喜びがあるのだろうか。中東ではジャッジ・ルールを無視しても勝てば誉め讃えられるらしい。イラン人審判は何をもって丸め込まれたのだろう。
正々堂々という観念がないのかも知れない。
言いたくないが、クェートには湾岸戦争で日本国民の税金が1兆円以上注ぎ込まれている。それの礼がひと言もない。なるほど、さもありなんと、そんな国なのかと再確認出来た。哀れな理事たちである。
*国際ハンドボール連盟から「まだ再試合をしたいですか?」というメールが日本に来たそうな。


Posted at 08:32 | 日記 | この記事のURL
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春のかすかな徴(しるし) [2008年01月08日(火) ]
春の七草を喰った。
芹(せり)は分かるが、薺(なずな) はアブラナ科のぺんぺん草? オイオイ、貧乏代名詞だったのか。
御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ) ときて、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)。どんな由緒があるのか知らないが、葉っぱや大根という野菜を粥と一緒に炊けば、飲みすぎ喰いすぎの正月の後には、確かに胃に優しい食べ物に違いない。
「お昼につくるから買ってきて」とカミさんに言われてスーパーへ行くと、貧弱な大根と蕪に葉っぱがチョロチョロと入ったパックがあった。290円。なにしろお世話になっているペンペン草入りだ。どんな形の草なのか知らないが、なんとなく面白い。
大根と蕪がやけに口の中で目立ち、後は緑色。なかなか清楚な色合いだ。喰いながら撮るのを忘れたことに気付いて後悔した。
塩味が足らなかったのでお茶漬けの素を入れてみたら結構イケた。

お粥は好物の一つで、一番旨かったのは十数年前台湾のホテルの朝食だった。お代わりを3杯した記憶がある。無論様々なトッピングがあるからこそで、梅干しだけの病人用ではいただけない。
粥の詳しい定義は知らないが、米を数杯または数十杯の水で薄めてコトコト煮たものと思う。
記憶にあるのは、米飯では米びつがすぐ空になってしまう戦後の、お湯にプカプカ浮かんでいた米粒で、少ない米を出来るだけ長い期間持たせる基本的な方法というイメージが強い。
今は粥専門店もあるくらいで、若い女性たちに人気があると聞く。これほど工夫の効くベース食は無いと思った。米飯よりも融通がある。
わたしがよくやるのは、納豆粥だ。濃いめの味つけをする。卵の黄身を加えても良い。他には、小豆、緑豆と貝柱、ツナカレー味、チリビーンズ風などなどキリがない。要するにどうにでもなるということだ。

21日の大寒を控えて、無病息災を願う春の七草を喰うのも、少しでも春の兆しが欲しいからかもしれない。

Posted at 04:59 | 生活 | この記事のURL
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そそぎ陽(び) [2008年01月07日(月) ]


囲炉裏に小さな火が燃えて
ぽっぱぱぽっぱぱ燃えて
しわくちゃ爺っちゃのしわくちゃ想いが
そのまま次郎の想いになった

東京に出て
十八で東京に出てきて
喧しいビルの群を
とうとうあたり前の風景にしてしまい
小さな火を忘れて
古里は鬱々なんだと
思い込んできた十二年

正月に帰って
しわくちゃ爺っちゃは
その前に逝ってしまった
正月に囲炉裏を見たら
しわくちゃ座布団が尻の形を残していた

重ねあった薄雪山は
冬の精を積もらせて
その上に
幾層かの厚い雲を破り
陽が偉そうに救世主と思い込んで
小さな陽を降り注いでいる

なんだかしわくちゃ爺っちゃが
狭い囲炉裏で火を焚いている
山の上で黙って
ぽっぱぱぽっぱぱ
小さな火で陽をつくった
次郎は山に向かって
手のひらを向けた
笑いの少ない爺っちゃだった
皺にあったかい日を刻んでいた

次郎は家族に話した
自慢の書斎をつぶして
ぽっぱぱぽっぱぱ囲炉裏をつくるぞと
腕を組んで威張った
子供は爺っちゃそっくりに
くっくくっと小さく笑った

Posted at 12:56 | | この記事のURL
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正月が終わって [2008年01月05日(土) ]
なにか面白いことを書こうとすると書けなくなる。当たり前といえば当たり前で、書けないから頭をひねくり絞り出す。こんなときはろくな絞り滓も出ない。ほんわり自然に、または突拍子もなく突然に湧いてくる「面白ネタ」こそが良い質を持つと言える。だが「待っていれば湧いてくるよ」は無責任だし、才能がない限りあり得ない話だ。

伴淳三郎という喜劇俳優が居た。例の「アジャジャーにしてパーでございます」を短くした「アジャパー」を流行らせた。わたしの記憶ではなにかのCMで「カアちゃん、いっぱいやっか」もそうだと思う。
浅草ロック座でコメディの腕を磨いたお一人だ。この後フランス座(今の浅草演芸ホール)が出来て、渥美清やコント55号(欽ちゃん二郎さん)、ビートたけし等が活躍ー蛇足。
そのバンジュンさんが演じた一つが、今でも使われるギャグのベースになっている。

〈ひとりの男が椅子に座って、リンゴをむき出した。皮が紐のようにきれいにつながっている。早く食べたい男は涎を垂らしながらむき終わった。しばしリンゴを見つめていた男は、背中越しに実を投げ捨てて、やおら皮を旨そうに食べ出した〉

まさかの行為に観客は一瞬アゼンとし、バンジュンの「あたり前」という顔付きで笑いが生まれる。ここはコメディアンの演技によってかなり笑いの差が出る。
更に観客に向かって、
「なんか、おかしなことしたべか」と真面目な顔で問いを投げかける。子供が、
「実を食べるんだよ」と言ってくると、
「アレ、坊やんとこじゃ皮捨てちゃうんだべか」と、ここから別の展開をつくることが出来る。
逆転の発想はなにも新しいものではない。西洋のギャグでも昔から見られる。〈ギャグは逆〉まさにおやじギャグ。
“笑い”というものに関しては、一つの学問として成り立っているし、5センチほどの分厚い本も出ている。それに関係なく、笑いの基本は、常識をいかに効果的にひっくり返すか、いじくるかにあると思う。もっと簡単に、視点をずらすー大胆に或いは微妙に状況に応じて見方を変えると面白いときがある。
実際はこんなことを考えながら書くことはない。なにごともふとしたきっかけがなければ創れない。笑いは泣かせることより難しい。
福田さんが名宰相で、滅私奉公の勤勉役人だらけだったら、泣くほど笑って喜ぶのだが、夢のまた夢だからこそ日々文句を垂れ流す楽しみがあると思うしかあるまい。あるまいあるまい、である。


◎最近の雑感
福田首相のイメージはヌレッとしたつかみ所のない狢(狸のような可愛さはない)だ。外見からは、“ヒョウタンつぎ”。手塚治虫さんの漫画に出てくるキャラクターで、主人公やストーリーに関係なくコマのすみに突如と現れる(画像)。
安倍さんもそうだが、政治家のサラブレット等といわれてきた2世3世。血統が良いと馬並の評価で、飛ばしすぎて骨折したり、まともにコースを走らないで脇道ばかり気にしている。政治のやりくりや手管は確かに家系伝来のノウハウが蓄積されている感じだが、肝心のビジョンが見えない。日本国の経営者がこれでは早々に倒産する。苛立たしいばかりだ。

なにが「KY」だよ。なにが「空気を読まない、読めない」だよ。まさに日本人の馬鹿丸出し略字だね。ボケ、天然、あまのじゃく、意地っ張り、へそ曲がり、みんな面白いよ。仲良しクラブがあんまり好きじゃないせいかもしれない。刺激がないし、同じことを考えシャベリ、「そうだそうね」で無事一日過ごしたとして、一体何が残るんだよ。Kyorokyoro Yoroyoroで結構いろんな事が出来る。
「どんだけー」に至ってはなにをか況わんや。

タレントが外国へ行く旅番組がある。なかにはしっかりした考えを持ち、会話が出来る人もいるが、馬鹿丸出しのおちゃらけが多い。日本国内感覚のディレクターがお粗末で、下手なギャグを強要しているのではあるまいか。見ていて恥ずかしくなりスイッチオフ。そのせいか、tsutayaでビデオをいっぱい借りてきた。
「剣客商売」は面白かった。池波正太郎原作のせいもあり、藤田まことのセリフ回しがぴったりで、連続十話を続けてみてしまった。おかげで8時頃には目がショボショボと限界。その間止むことなく喰い飲みうたた寝と、典型的な正月太りと相成った。

Posted at 12:13 | 日記 | この記事のURL
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自撮像 [2008年01月03日(木) ]


自画像ならぬ自撮像は面白い。
週に1回ほどしか鏡の中の自分を見ることがない。髭は電気カミソリで顔をなで回し、手で剃り残しを見つけている。髪は2,3度、起きたときにブラッシングする。週1回のご対面は、安物の電気カミソリなので首あたりに残ってしまうのを安全カミソリで剃るときである。
くどくど説明したが、正直に言うと鏡を見るのが嫌なのだ。自分が持つ像との隔たりが年々広がり、顔にイメージを合わせられない。先ずは弛みである。顔全体を上から下へローラーをかけた結果、目尻や頬、首がでれーっと垂れ下がっている。筋力が重力に負けだした事実が残る訳だ。
特に瞼の下の弛みは、目鼻口以外に新しい部品が出来たようで情けない。
すべては加齢と不摂生が積もったものなので、文句は自分以外に言えないが、眉毛と結びついた円形はまさに狸である。
こんなことを言いながらも、もし整形するかと訊かれたら、ふざけ口調で「no thank you」と断る。
自撮像を見ながら気をつけなければと思ったのは“歯”の周辺だ。だんだん噛み合わせが悪くなり、口の右端が下がりつつある。頭はてっぺん以外はまだ良いようだが、毛が糸より細く、なんとも情けない。洗髪したあとはドライヤーを使ったこともトニックをかけたこともなく、タオルで拭いたままほったらかしが悪いのかも知れないが、今更変える気もない。
67年付き合ってきた顔だ。嫌いなときもあるが愛着はある。自分の顔を自分が嫌がっても誰か褒めてくれるわけでもないし、いじいじしていても得はないし、ジジィとしての覚悟を決められない中途半端を指摘されるだけだ。

こんなことを書いていたら、掃除するからしばらく出ていろとカミさんが言ってきた。わたしの都合など訊かれたためしがない。無視していたら周りから徐々に責めてくる。ではと、近くの公園へ出かけた。桜の枯れ木が久しぶりの青空を背に浮き出ている。
どこからか「コッコッコッ・・・」と規則正しい音が聞こえてきた。よく見ると2羽のコゲラである。幹の上の方で一心に木肌を突っついていた。縞模様の小柄な体を固定してトンガリくちばしを上下させ、中の虫を掘り返しているのだろう。10秒ずつ移動しながら「コココココココ」。メジロのように始終周囲を気にすることなく、カメラにも無関心に朝飯の最中というところか。カミさんに追い出されなければ会うこともなかった。

久しぶりの晴れ間は清々しかった。







Posted at 13:35 | 写真 | この記事のURL
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新年 [2008年01月01日(火) ]


<中>27才に決闘で死んだロシア詩人ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフは言いました。
“馬鹿が居なければこの世はさぞ退屈なものに違いない”
なにが馬鹿なのかいまだによく分かりません。今年もこの追求に終わるようです、おそらく。

Posted at 10:58 | 日記 | この記事のURL
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