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リンク集
歯抜けのロマンス、わたしの。 [2008年02月28日(木) ]
歯が抜けた。というより、朽ち果てて折れてしまった。10年以上も前、痛くなって近くのは医者へ行ったとき、神経を抜かれた。あとで知ったのだが、あまり良いことではないらしい。加えて、傷みが止まったのをいいことに、面倒くさいので通院をやめてしまった。だから、自分にも半分は責任があるから仕方がないとして、2年ほど前からその歯のまわりが変色してきた。昨日の朝、やけにぐらつくので指でちょっと押すと、ポッキリである。

歯にロマンスはないように思える。食べる行為自体が排泄、生殖と連なった“生きる=生存”条件の一つだからだ。
ラーメンを喰ってメンマをくっつけたたあとのキス、納豆を掻き込んで口をネバネバさせながら愛を語るなどありえないだろう。エネルギー補給という聖なる行為ゆえに、「喰いたい、腹を満たしたい」欲望以外は、入り込む余地はない。少なくとも30分以上経たなければ「さてと」と次の段階に進めないようだ。それもきれいな歯並びと白さがあってこそで、見つめ合ってニッコリ微笑みあうとすれば次第に顔を寄せ合うことになる。歯抜け、特に前歯の一本でもなかったら、どうも様にならない。見た目もそうだが、舌のおさまりが悪い。先端が隙間から出たがる。サ行の発音がしにくい。唾がきれいに遠くへ飛ばせない。

中心から二番目の歯だから微妙にずれているから、口を大きく開けなければ全部は見えないが、下あごを突き出す志村けんさんの「アイーン」をやると、もろに“歯抜けじじぃ”がばれてしまう。外見のことは歯牙?にもかけない。
それより、せっかく空きが出来たのだから、なにかに使えまいかと、口惜しさ半分ながら考えた。ただ「抜けちゃったよ」と見せるだけでは芸がない。鏡で見ると、本当にいよいよ間抜け面だ。

“間が抜けて 
   ついでに歯も抜け 爺となる”

貧乏性なのか隙間があると埋めたくなる。なにをはめ込んだら有効利用できるか、かなり考えた。これ自体、暇を持て余す所業でみっともないのだが、本当に考えたのだ。
そうだ、タバコだ。こんなことを書いたらまたぞろ禁煙信奉者からクレームが付くだろうが、抜け歯のみっともなさに嘆いている人には朗報だ。
タバコのホルダーである。隙間にフィルター部分を入れるとピッタリ!両手が空くのでキーを打つにもハンドルをさばくにも便利で安全だ。これでデッドスペースの一つが生き返った。と思ったが、残念ながら最近はタバコを吸わない。カミさんの意見をと訊くと、
「相変わらず貧弱な発想ね。なによりも口の中がいつも煙りだらけじゃない。歯が真っ黒になって吐く息も毒ガス級」と指摘された。
でも、なにか、きっと、歯医者へ行かずにまわりを納得させる活かし方があるはずだ。当分はこのテーマを追求するとしよう。

*写真は食事前には見ないように(食事中も後もかな)。
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Posted at 08:38 | 日記 | この記事のURL
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からっ風 [2008年02月26日(火) ]


人の真似をして
突っ立っていろと云われ
用もない冬の日だまりに
泣いたあまりに目を無くし
鼻水ダラダラで鼻を無くし
あんまり「への字」にしたものだから
口まで無くして
文句が言えない
だから案山子は
山へ帰らなかった案山子は
悔いて帽子をかぶりなおした

二月のすすきは茶色に煤けて
勢いなく案山子に添って
ほんの少し暖まった田んぼに
柔らかく笑った田んぼに寝ていた
蛙を起こすしか
ないのかなと穂を揺らせた
すすきに風は
結構尖って
ぶつかっている

まだ冬だ






Posted at 17:12 | 写真 | この記事のURL
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豊岡を訪ねて 4 〈目的3〉 [2008年02月23日(土) ]
30分の準備時間のあと、ピアノ演奏付のディナーショウが始まった。参加者はおよそ100人ほどだ。
わたしは一人なので、他のグループと同席で頂くことになった。
加古川から来た4人のご老人(老人クラブかなにか)と妙齢のご婦人の5人+わたしというメンバーが円卓を囲んだ。
メニューは和食会席とか。ソフトドリンクは無論、ビール、ワインはフリーとくれば、酒に卑しい心根のわたしとしてはこの際ガッポガッポといただくことにした。様々な形の器にチョコチョコと手をかけたシェフの心づくしがまぶしい。日頃B級グルメを信奉(半分仕方なく)しているので、こんなゴッツォーは滅多にお目にかからない。しかしやたらと凝っている。この後も次々に運ばれ、飲んだり喰ったりしゃべったりと楽しんだ。
ピアノからはやさしいメロディが、時々キーを間違うご愛敬とともに流れ、やがてピアノバー並にカラオケが始まった。別グループの女性が「いい日旅立ち」をリクエストしたが歌うことにイヤイヤして間が持たなくなった。こういう時に、酔っ払ったわたしはつい余計なことをする癖がある。それならと買って出たのである。歌いだして、これはヤバイと思った。循環器が弱っていて息切れするのだ。なんとか歌い終わり拍手を頂いたが、まさに赤面ものである。
3時間を楽しみ、ロビーに出ると、まだ雪は深々と降りしきっている。そんななかを温泉の湯煙が静かに立ち揺らいでおり、まさに音のない‘深々’という形容がスクリーンのように窓の外に見えた。





城崎温泉駅は更に日本海側の山陰線を二駅先に行ったところにある。
朝から容赦なく雪が舞い、ここ出石での散策はあきらめて、タクシーで豊岡駅に向かった。これでは城崎も同じ状態という予想はついたが、帰りの特急まで5時間もあるので行かざるを得ない。
着いたらやっぱり雪まみれで、おまけに人まみれでもあった。日曜日だからだろうが、歩くほどにいやになってきた。狭い地域である。ジャリジャリの雪道である。土産物屋も蟹を食べさせる店も、どこもここも人人人で、狭い間口に空きを待つ人の列。普段なら昼時でも客が10人という駅前食堂も満杯だ。そんな中にもぐり込んで、ざるそば大盛りを頼んだ。わたしは一人なので当然相席になるが、若いカップルを目の前にして、そばをズルズルとは、なんとも喰いにくい。
http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/miyage/etc/etc.html#02
このページを見る限り、結構いろいろ面白そうなところがあるのだが、なにせ足元が悪く、歩く気にもならない。円山川からの支流が温泉街を二分する形で流れているが、そこでまあまあの写真一枚が収穫となった。
駅前の無料休憩所で時間をつぶしながら見ていると、駅口からは30分おきに観光客が押し寄せている。温泉街の情緒のかけらも見られなかった城崎だった。三つめの目的は完全に失敗に終わった。

今回の豊岡滞在は15時間。天気に恵まれなかったが、いくつかの出会いがあった。列車内でのおしゃべりも久しぶりだった。ひとりブラリは良さそうだが、目的があって、移動や宿泊での時間を楽しめる旅程の方が良いという結論になった。



Posted at 19:36 | エッセイ | この記事のURL
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豊岡を訪ねて 4 〈目的2〉 [2008年02月22日(金) ]


宿泊先のホテルのページを見ていたら面白そうなイベントを見つけた。
万葉の和歌を現代風に歌い上げる「岡本三千代と万葉うたがたりコンサート・万葉の春ー草木花を歌う」だ。これは滅多にあるものではない。正直、万葉和歌を理解する能力はまったくない。しかし、万葉言葉でどんな風に歌うかとなると興味が沸々と湧いてくる。すぐネットで申し込み、2番目の目的にした。

万葉を現代のポップス調にのせて歌うという
試みは20数年前から行われたと、会場で買い求めたCDの解説にあった。
CDのタイトルは、
「岡本三千代作品集 恋歌5」で、[しただみわらべうた」「越中三賦ー序奏、二上山の賦、布勢の水海を遊覧する賦、立山の賦」が入っている。

演奏のプログラムは、
*サンバ DE ツバキ
巨勢山の
  つらつら椿 つらつらに
  見つつ偲ばな 巨勢の春野を
(巨勢山の多くの椿よ、今は秋景色として見ているが、春の椿の満開の巨勢の野を賞美したいものだ)

*もうすぐ春
石激る 
  垂水の上の さわらびの
  萌え出ずる春に なりにけるかも
(岩の上をほとばしる滝のほとりのさわらびが、萌え出る春になったなあーかな?)

といった項目一覧は、
*梅の園
*花ごよみ
*家持爛漫
*散りな乱れそ
*春秋競憐歌
*花咲く少女たち
に分かれて、それぞれの詩歌が選ばれている。
メンバーは写真右から、
岡本三千代ーエレクトーン
大岡美佐ーヴォーカル
園田知子ーヴォーカル
木原三知子ーフルート
山寺寿子ーピアノ
の5人で、平均40才代と思う。

ポップス系音楽のポイントは「ビート」に尽きると思う。8ビートや16ビートの心地よさは、自然にからだが動き、わたしのように音痴気味であってもリズムを楽しめる。それにフワッと万葉の詩がかぶさり、透明な歌声(芹洋子風)が流れる雲のように会場を漂い、間をぬってフリュートの不思議な柔らかさが包み込んでいく。面白い感触だった。
ヒップホップするわけでもなく、聴く限りではべらぼうな冒険ではない。和歌とて謳いあげるもので、そのリズムが底流にある気がする。今回聴いた限りでは女性ばかりだが、岡本さんの活動を初めて知ったところなのでなんとも言えない。まだまだ試すバリエーションがある気がする。
メンバーの衣裳は、飛鳥時代の色彩なのか、派手さを押さえた節度のあるソフトな雰囲気が、柔らかな素材から生まれている。
万葉うたがたりのページは、
http://nukata.jp/index.html
ラストナンバーは参加者共々「千の風になって」を歌って締めくくられ、1時間のコンサートは終わった。



岡本三千代さん


偶然にも、同じホテルで「万葉花」の展覧会が催されていた。
http://www.izushi-ngh.jp/event.htm#
そこでは、写真ー岡田憲佳氏、文ー矢富巌夫氏による「万葉歌 植物編」という文庫本が売られていた。発行所はニッポン・リプロで、初版の1996年から5版を重ねている。
1ページに万葉の詩にちなんだ植物のカラー写真、植物の説明、歌意、出典・作者、注釈
が載っている。特に《注》は興味深く、丁寧な説明が、より詩の楽しみを引き出す。「動物・風月編」も出版されている。

Posted at 11:46 | エッセイ | この記事のURL
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豊岡を訪ねて 3 〈目的1〉 [2008年02月21日(木) ]


雪の峠を越す。除雪が自慢と、迎えの人は得意気だ。時間が昼ということもあり、積雪量からすれば確かに走りがスムースだ。
駅から車で30分走ったところで、会場の但東市民センターホールに着いた。
案内された控え室には、受賞者5人のうち、わたしを含む4人が揃った。一人欠席らしい。

【第5回 東井義雄賞「いのちのことば」概要
http://www.city.toyooka.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html

【2月16日、第5回 東井義雄賞「いのちのことば」の入賞作品発表会・記念シンポジウムを但東市民センター市民ホールで開催しました。
 この賞は、いのちの教育を探求し続けた日本を代表する教育者・東井義雄さん(但東町佐々木出身)の遺徳を顕彰し、その理念を後世に伝えるために創設したものです。
 今回は、「悩んでいた私にスイッチを入れて目覚めさせてくれた先生のあの一言」をテーマに募集したところ、全国各地から902編の応募作品を応募いただきました。
 入賞作品発表会当日は、最優秀作品の東井義雄賞5編を含む入賞作品100編(秀作10編、特別賞10編、佳作75編)を発表し、対象者に中貝市長から賞状や記念品などを贈りました。
 また、式典終了後には、記念シンポジウムとして、高橋小学校3・4年生の児童によるオオサンショウウオ保護活動の取組み発表や、「東井義雄の心を受け継いで」と題したパネルディスカッションが行われました。】

東井義雄氏については、
http://www3.city.toyooka.lg.jp/toui-kinenkan/index.html

彼を紹介する人は、よく「日本のペスタロッチ」と言う。素晴らしい教育者という意味を伝えたいのだろうが、この「日本の」は好きではない。もし言いたいなら「ペスタロッチ同様」にするべきだ。
二人とも、先ずは子供ありきという教育者として当然の教育論をまっとうし打ち立てた人である。また、宗教心に則った慈愛に満ちていた。
特に東井氏は言葉ではなく、身を以て率先した行動で子供たちに道徳心を教えたといわれる。自ら校庭のゴミ拾いをし、自分からあいさつし、日々子供の良き見本を示したのである。詩や考えをおさめた著書も多く出版されている。
『彼の詩を集めたページ』
URL:http://www005.upp.so-net.ne.jp/nijikei/toi-sensei/t-shi10sen.htm

今回のことで、わたしが最も印象深かったのは、このような山深く鄙びたところで、真摯に教育と向かい合った氏の生きる姿勢である。教育の場の荒廃がいわれる今、東井氏を師と崇める多くの先生方の活躍が救いとなればと期待したい。

昔話題にのぼった先生を思い出してみた。
ラジオドラマ「三太物語」の花荻先生は架空ではあるが、印象に残っている。
「おらぁ三太だ。おらぁの村には……」で始まるこの連続ドラマは30分の週一回。 舞台は相模川上流の田舎の小学校で、主人公の三太をはじめ、同級の花子、花荻先生、オトさんや留さんたちが日々繰り広げるコメディックな放送劇だ。この後テレビや映画にもなった。
壺井栄・作「二十四の瞳」の大石先生は映画化され、全国に広まった。
文集「山びこ学校」を生んだ無着成恭先生は実在した人物である。映画化の際、村の貧しさを世間に示したということで追放されてもいる。独特の東北弁がまだ頭に残っている。
虚実が混じっているが、どの先生も子供への暖かさがベースになっている。

わたしの“先生”を思い浮かべていた。
先ずは小学校だが、戦後のどさくさと父の転勤が重なって、4回転校している。印象に残っているのは、二部学級(午前午後に分かれて授業)のスシヅメ教室と意味なく生徒をぶっ飛ばす荒れた教師、静岡へ引っ越したとき優しく接してくれた若い女先生と担任になった40過ぎの謹厳実直のみの女先生。中学1年担任の自殺した若い男先生と、2,3年と受け持ちになった新任の小沢和子先生。高校時の担任は生徒の就職のために走りまわっていたので、ほとんど記憶がない。
小沢先生とは、年賀状だけではあるがやりとりがあり、年一回の同級会にも出席されていると聞く。読む書く聴くの基本をていねいに教えて下さった。涙も流して下さった。悪い生徒としていまだに先生の中に「心配ばかりかけて」という想いが無くならないようで、どうにも頭が上がらない。
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このあと、地元の小学生たちの発表会があった。オオサンショウウオの生態と河の現状など、かなり詳しい報告があった。壇上に15名の生徒が並び、入れ替わり立ち替わりスライドに沿って説明していく。そのローテーションの計算がしっかりされており、誰一人間違うことなく、立ったり座ったりとよどみのなさは練習をいっぱいした成果だ。大きな声、のんびり声、あわて声と、個々の性格もにじみ出ていて、とても楽しかった。
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比べて、シンポジウムは残念ながら眠かった。専門家や現場の先生6名が東井先生に関して討議されたが、興味のある人には有意義な内容だったに違いない。小一時間続いたあとの質疑応答で、聴衆のひとりが淡々と先生への思いを話し始めた。途中で司会者が止めたが、正直彼の話は実感がこもり、具体的で、もっと聴きたかったほどだ。

というわけで、ここへ来た一つ目の目的が終わったので、雪の中、隣町の出石にあるコウノトリ・グランドホテルまで送ってもらった。



Posted at 09:43 | 日記 | この記事のURL
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豊岡を訪ねて 2 [2008年02月19日(火) ]


豊岡へ近づくにつれ、だんだんわたしの予想
が確信に変わった。多分「大げさな」と人は思うだろうが、観光以外に初めて日本海の町に来たのだ。イメージと実状のズレをどれだけ楽しめるのか、結構大げさなことなのである。

“豊岡市の概要”
http://www.city.toyooka.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000609/index.html
【 豊岡市は、平成17年4月1日、兵庫県の北東部に位置する1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が合併してできたまちです。
 市域の約8割を森林が占め、北は日本海、東は京都府に接し、中央部には母なる川・円山川が悠々と流れています。海岸部は山陰海岸国立公園、山岳部は氷ノ山後山那岐山国定公園に指定され、多彩な四季を織りなす自然環境に恵まれています。
 平成17年9月には、国指定の特別天然記念物・コウノトリが自然放鳥され、人里で野生復帰を目指す世界的にも例がない壮大な取組みが始まりました。
 産業は、農林水産業、観光業などが盛んです。特に観光業では、全国的に有名な城崎温泉をはじめ、西日本屈指の神鍋スキー場、但馬の小京都・出石城下町などを有し、年間の観光客は500万人以上にのぼっています。また、地場産業としては、全国の4大産地の一つであるかばんや出石焼などの生産が行われています。】

豊岡という市に関しては、検索すれば概ね知ることが出来るので省くとして、到着からのありさまを記しておこう。
到着時間11時に遅れもなく、豊岡駅に着いた。迎えは11時半なので、駅売店でここの地方紙を買って読むことにした。
神戸新聞しかない。いうなれば兵庫新聞だ。但馬の地域ニュースとして、コウノトリのご当地らしく、一羽の雄を放し飼いから飼育に替える記事があった。理由は近親婚の弊害とある。飼育数は日本一で、野生化を目指しての活動を根気よく続けている。赤ちゃんを運ぶ以外の知識はないが、有意義なことに違いない。『豊岡17センチ、香住21センチーきょうも降雪予報・「注意を」と気象台』とあるように、予定が雪に阻まれる可能性はいよいよ大きくなった。
毎日新聞の「たじま」版では、『巧みな技でコウノトリー城崎町の伊賀さん・切り絵はがきが人気』と、ここでも鸛(こうのとり)が話題になっている。
ホットコーヒーを飲み終わったところで時間になったので、駅の玄関で待つことにした。しかしどうだろう。当然雪だらけだ。それも車の轍でグシャグシャになっている。市の玄関口ともいえる駅前ロータリーが、歩くに一苦労二苦労の状態だ。地元の人はともかく、観光客を含めた訪問者も結構いるのだから、こまめに除雪した方がいいんじゃないのと思ってしまう。
側面に「豊岡市役所」表示のバンがやって来た。これがお迎えと、なんとなくわかる。目が合い、わたしの名前を呼ぶ。うなづく。中年前の女性が歓迎してくれた。もう一人の参加者を乗せて会場へ向かう途中、3年前の河の氾濫の話になった。
河とは上から下に「流れる」ものだが、ここではほとんど流れが見えないと言う。これが決定的な氾濫の条件になった。その時、本流の円山川河口は満潮だった。そこに大きな台風が海から吹き荒れ、海水が逆流して支流にまで押し寄せ、結果として堤防が決壊した。考えられない自然現象が不幸にも重なったのだ。その対策なのか、川沿いの土手や河原では、雪の中の大がかりな工事現場が見られた。
田んぼはまさに雪原となり、地吹雪まがいの風景で車の四囲が覆われた。「エライときにエライところへ来てしまった」と、雪に縁のない人間は心細くなる。





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豊岡を訪ねて 1 [2008年02月18日(月) ]


16,17日の2日をかけて兵庫県豊岡市を訪ねた。
目的はいくつかあり、それについては順番にアップしていく。

わたしが中学生の頃、地勢として日本列島の大まかな特徴を示す言葉に、表日本に対して“裏日本”があった。山陰地方、北近畿、北陸地方、旧出羽国(東北地方日本海側)に当たる。県では、新潟県、富山県、石川県、福井県、鳥取県、島根県といわれるが、ときにはこれに青森県、秋田県、山形県が含まれる場合もある。加えて、日本海に面する地域があるとして京都府北部と兵庫県北部、山口県北部も、裏日本に含まれることがある。
解釈にもよるが、東京や大阪、名古屋といったヘソのある面は日が当たり、当然裏側の背中は日陰になるわけだ。といってしまえばそれまでで、ではその“裏”に住んでいる人たちはどう思っているのだろう。
1970年代に住民の苦情からNHKが真先に使用を自粛し、「日本海側」「太平洋側」という呼称に改められた。特に新潟県選出の田中角栄政権になると、他のメディアも自粛するようになった。差別そのものだったのだ。

話が前後するが、17日の帰りのタクシーで運転手とそんな話になった。
ここ豊岡は、新潟ほどの豪雪地帯ではないが、そこそこ厳しい冬の生活があるという。やはり雪解けの春を待つ心情は、寒いながらも陽を燦々と浴びているわたしからすればなかなか理解は出来ない。東北秋田の友人宅を真冬に訪れたときのことを思い出して、陰鬱な鉛色の雪雲が垂れ込める毎日は、たった5日ほど泊まっただけでもやり切れない。それが2,3ヶ月ともなると、口数も少なくなり、「我慢、堪える」風土となり、発露として太棹に託したジョンガラの激しさになるのだろう。
幸か、豊岡はそこまでいかず、かといって明るさ一辺倒ともいかない、はなはだ中途半端な地域のようだ。去年は雪が降らなかったと聞くし、今年も今まではたいしたことなく、たまたまわたしが訪れた日にドンドコドンドコ降ったらしい。城崎の温泉街をネットで流しているライブカメラでも、屋根の雪が見えたり消えたりで、予想もつかない気紛れな寒気は想定外だったということだ。

姫路から播但線に乗り換え、途中和田山で山陰線となって豊岡へ向かった。この和田山あたりを境に陽から陰になっていくような車窓の変化がある。中国山脈を乗り越えた時から徐々に雪景色が増えていく。

大阪発で臨時に走っている「特急はまかぜ」は「カニかに特急」ともも言われ、6車輌のほとんどは関西方面からの団体客で占められている。日本海に面したカニの特産地である兵庫県城崎(きのさき)を目指すわけだ。
わたしの指定席はカニ喰いツァー参加のオッサンたちの中に埋没しており、何故か「あれ、来たの?」てな感じで、席を向かい合わせにして談笑を止めようとしない。60過ぎた男たちでも、仲間と楽しい旅ともなれば、人の迷惑に思いが至らない情けなさである。特にその邪魔をする気はないが、わたしとて座りたいし、権利は充分ある。もう一度指定席券を示して席を空けるよう言うと、渋々席をたっていった。
日本人には、主張していい人が多数に押されて我慢してしまうところがある。自分の権利はしっかり保ち、なおかつ相手が弱いとみると人の権利を平気で無視する。老若男女問わず、その傾向が強まっている。
最初はやさしく相手の過ちを指摘し、相手の態度でわたしは刻々変わっていく人間なのだ。ごり押しされたらどんどん強い気持になっていくという、あまり得な性格ではないが、今更丸いの枯れたのとはいかない、偏屈爺になるのかも知れない。

やっと指定の窓際に座り、日本のどこにでもある中途半端な田舎風景を、余韻を冷ましながら追うのだった。
わたしがいかに先見性を持つかという証拠がある。実は楽観していたわけではない。雪の恐るべきゲリラ性は知っていた。従ってちゃんと雨用の靴(ビニール性の深靴)を履いてきたのである。式に出るからして、一応スーツ姿ながら、見る人にとっては不思議な格好に見えただろうが、そこはオシャレに対して不感症に近いので、ドタドタと音を立てて歩けるのだ。姫城あたりまでは少し後ろめたさもあったが、豊岡に入ってのち、その真価は十分発揮されたのだ。
車窓はやがて雪一色になってきた。これ見よがしに靴を見せびらかして、昼の握り飯を頬ばる気持ちの良さ。おじさん、おばさんたちは一様に新品のスニーカーで、ねえちゃんたちは流行りなんだろうか、バカ高いヒールのサンダル履きみたいなやつだ。
と気持ちよくなったところで次回につなぐ。





Posted at 13:17 | エッセイ | この記事のURL
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朝六時 [2008年02月13日(水) ]


朝の 六時に
忍ぶ音の あるのかないのか
重なって 雪積もり
人は 深々と聴こえると
布団の中で 知りながら
知らんぷりして
枕を外して もぐり込んで

雪は
言えば いいものを
なぜか言わずに もったいぶって
冷たいから 言わなくても
図々しく わからせる
その ‘つもり’が 
白い色になって

だからか
朝の 六時に起きて
積もっていく
畑の だれかの小さな畑の
様変わる土を 見て
雪だと 安心した 


Posted at 17:40 | 政治 | この記事のURL
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連想 [2008年02月11日(月) ]
連想
この頃わたしの脳内に、ちょっとした異変が起きている。
瞬間的に記憶が途切れるのだ。
外出は目的地があるから出かけるのだが、車に乗って三叉路に行きかかる前に、「ハテ、どこへ行くんだっけ?」と、数秒間、頭が真っ白になり、進路をためらってしまう。自分の用事で自分だけだったらこういうことはない。カミさんの買い物に付き合って、彼女が横に座っているときが多い。他人事のように行き先をいい加減に聞いていたことが原因なのかも知れないが、ちょっと不気味である。
脳の中がジグゾーパズルだとしたら、ピースがどんどん抜け落ちていく感じで、「年をとったから」で済ますには恐いマダラ現象だ。

昨日20年ぶりにナンチャンに会った。南という名前だが社内の通称がナンチャンである。
広いスーパーのレジを抜けたところに、製氷機がある。冷凍物を買った客が家まで保冷するための氷を溜めている。その説明メモを熱心に読んでいた。
確かわたしより年下だから、60を過ぎた年令になる。ジャージー姿に上っ張りを羽織り、見た目でも生気が欠ける様子だ。
声をかけると、一瞬いぶかりながらも「ひさしぶり」と応えてきた。目が異様に老いている感じで、前歯も抜け落ち、頭の前あたりにモジャと髪は残っているが、全体に存在感の薄さが増していた。訊くと、糖尿を患って7年になると言う。早めに症状が見つかったので、これという後遺症もなく通院で済んでいるらしい。
それに比べたら、おれはまだイケルかな。こんないやらしい優越感をつい持ってしまった。こういう心情が嫌いなくせにと自己嫌悪に陥りながら別れた。
体格のいい奥さんは今、宅配の仕事をしていると言っていた。以前何回か会っているが、頑張り屋で人の良い、アチャコに顔立ちの似た人だった。

そういえば、昔から何故「アチャコ」と名乗るようになったのか気になっていた。
花菱アチャコという漫才師は1974年逝去だからそう遠い事ではない。
本名は変哲のない‘藤木徳郎’で、寺の小僧や材木屋の丁稚などを経て、山田五十鈴の父の一座に入ったのが漫才への第一歩になったらしい。
わたしがよく聞いたのはラジオで、「お父さんはお人好し」だったか。浪花千栄子が妻役で、賑やかなドラマだった。
たしか、15人家族だったと思う。それも、戦後の個人主義のはしりのようなバラバラの家庭だが、貧乏生活の中、なんとか家長としてまとめていく主人公‘藤本阿茶太郎’の悲喜こもごもを描いたものだ。
このオッサンは支離滅裂の八方破れだが、何故かいつも丸く収めてしまう理屈なしの特技を持っていた。
「ほんまにもう、ややこしい。おとっつぁんは、ウロがきて、どないしてええやら、わからんようになったわい」
こんなセリフを独特の間で相手を説得してしまうのだ。台本作家の長沖氏は大した人だった。
では何故‘アチャコ’と名乗ったのか。二つの説を見つけた。
大阪弁で、アベコベのことを『あっちゃこっちゃ』と言うらしい。また、こまめに動く人を「ようアッチャコッチャ(あっちこっち)するわ」と、これは理解できる。そういう人だったらしい。
また彼自身の話と言うことで、旅回りの小さな一座でチョンチョンと幕切れの拍子木を打つ役を受け持っていた。幕切れ多くは「アアッ!」というセリフで終わるので、
「ええか、アアッ、チョン!やで。忘れなや、アアッ、チョン!やで」と教えられ、それがつまってアチャコになった(長沖一「上方笑芸見聞録」)とか。
わたしとしては最初の方が自然の流れに見えるが・・・。どちらにしても永年の疑問がほんの少し解けたという、粗末な連想を重ねた結果でありました。

今日は祝日。昔の紀元節。おれの誕生日。法律上68才になる。
【ホンマにもうめちゃくちゃでござりまするがな】

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「卵かけご飯の店」 [2008年02月09日(土) ]
今朝の新聞サイトにあった記事。
asahi.com:卵とご飯食べ放題で300円 「卵かけご飯の店」 - コミミ口コミ
DATE:2008/02/09 04:20
URL:http://www.asahi.com/komimi/OSK200802040061.html

これから連動して、来週土曜日に行く所にも同じような店があったことを思いだした。
但東マップ
http://www.tantosilk.gr.jp/kanko-map/index.html
この中の百笑館の“但熊”である。
http://www5.nkansai.ne.jp/shop/kura/

まさかメシにぶっかけ卵が商売になるとは・・・。好きな喰い物のひとつで、カミさんの目を盗んで家ではちょくちょくやるが、外食として成り立つのかは疑問だ。
しかしこの不景気の時だ。300円でメシの食い放題だったら、立ち食いソバ屋やラーメン店並に増える可能性はある。そば粉も小麦粉も自給率一桁台のうえ、高騰とくると尚更だ。
ご飯は松竹梅の3ランクに分け、卵もスーパーで安売りのもの、近所の地物、こだわりの高級卵から選び、値段は100円、200円、300円くらいにする。裏庭で飛びまわっている鶏を見せ、客に卵を獲らせてもいい。
醤油は厳選するか、自前のブレンドものを開発する。
資本はそう要らないし、誠実な心がけを失わないで対応すれば、街中でも開業できる。ただはやりのチェーン店にだけはして欲しくない。わたしは基本的にこの類の店は信用しない。個人の『こだわり』は絶対に不可欠だからだ。

16日には兵庫県の豊岡市但東に居る。遠井義雄賞の集まりは午後1時半からだから、ゆっくり1泊したいと思って、いろいろ調べてみた。
マップで「善」を見つけた。
http://www17.ocn.ne.jp/~noukazen/
電話で問いあわせすると、残念ながら満杯で、人の良さそうなお婆さんが申し訳なさそうに対応してくれた。いい写真が撮れたのではないかと今でも心残りだ。

それならと“やまびこ”にメールで申し込んだが、翌日になっても返信が来ないので、隣の出石(いずし)にあるホテルの予約を取った。
http://www.izushi-ngh.jp/information.htm
城下町なので、それなりの面白味があるが、問題は天気である。どの程度の雪なのか分からない。成り行きに任せるとして、泊まる当夜、興味を惹く催し物を見つけた。
イベント情報でタイトル「万葉うたがたり」
だ。万葉をポップス・メロディで歌い上げるという謳い文句に引っかかって予約してしまった。

この辺は交通の便がいいとはいえない。17日朝早めに便数の少ないバスで豊岡駅に出て、城崎(きのさき)へ行くことにした。
http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/dokyu.html#03

午前中遊んで帰ることになるが、円山川や温泉街の写真がどれくらい撮れるか、これも雪次第である。

卵かけご飯から始まって、ついお喋りしてしまった。旅はいいが、億劫でもある年令になった。特にカミさんは出不精で、「オトーサン、何日行ってきてもいいですよ」のセリフに、ホッと開放的になるが、反面複雑な気持だ。暖かくなったら気持も変わるだろう。
だから2月は嫌いなんだ。

Posted at 05:30 | 日記 | この記事のURL
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