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ラジオ体操の勧め [2008年04月30日(水) ]



カタカタと下駄の音を鳴らしながら、町の広場に集まると、
♪タンタカタカタカ タンタカタカタカ タカタカタカタカタァ 
と、ラジオ体操のピアノ前奏が、晴れわたった夏の早朝に風に乗って聞こえてきた。昭和20ー30年代のやせ細った少年少女は、体をぎこちなく動かしながら、「今日はなにして遊ぼうか」と、夏休みの特権を精一杯に生かすために目を輝かせる。
真っ黒な背中の皮の剥き合いが始まる休み後半になっても、あと7日、あと6日と、しぶとく遊びの姿勢は崩さない。宿題の未消化だけがふくらんでいくが、ラジオ体操をしていると机より蝉や鮒、蛙や小川のイメージが次々に襲ってくる。したがって、朝ご飯をかき込んで一目散にトンズラしては、昼飯時に帰宅して怒られることの繰り返しだった。
もしラジオ体操がなかったら、結構おとなしく宿題をこなしていたかも知れない。大人の今になっても、勉強しなかったのは体操のせいにしておいた方が、気楽に夏休みを話せるというものだ。

ラジオ=ラヂオ体操とは、そもそもと語るだけの知識も興味もないが、気になって検索した結果は次の通りだ。
【昭和03年11月   旧ラジオ体操第一は、
逓信省簡易保険局が昭和天皇ご即位の大礼を記念し、「国民保健体操」という名称で制定され、NHKの電波にのって放送開始
  昭和05年07月   東京神田和泉町でラジオ体操の会(子供の早起き大会)開催〜ラジオ体操会の始まり〜
  昭和07年07月   旧ラジオ体操第二を制定
  昭和14年12月   旧ラジオ体操第三を制定
  昭和21年04月   旧ラジオ体操を中止し、新ラジオ体操(第一〜第三)を制定し、放送開始

この頃から今風になる。
  昭和22年09月   新ラジオ体操の放送中止
  昭和26年05月   現行のラジオ体操(ラジオ体操第一)の放送開始
  昭和27年06月   現行のラジオ体操第二の放送開始
  昭和28年07月   夏期巡回ラジオ体操会の開始
  昭和31年09月   ラジオ体操の普及奨励に寄与した功績の著しい個人又は団体を対象に優良団体等の府県別表彰を開始
  昭和32年10月   テレビ体操放送開始
  昭和37年03月   常陸宮殿下のご来臨を得て、「全国ラジオ体操連盟」の結成式を挙行
  昭和37年10月   1000万人ラジオ体操祭の開始、優良団体等の全国・地方表彰の開始
  昭和45年08月   第9回1000万人ラジオ体操祭中央大会を大阪府万国博覧会内お祭り広場で実施
  昭和53年07月   ラジオ体操50周年記念第17回1000万人ラジオ体操祭中央大会の実施(東京都内)
  昭和53年10月   ブラジルでラジオ体操会が発足
  昭和63年08月   ラジオ体操60周年記念第27回1000万人ラジオ体操祭中央大会の実施(長野県内)
  平成04年08月   第31回1000万人ラジオ体操祭中央大会を大阪市長居陸上競技場で実施
  平成10年08月   ラジオ体操70周年記念第37回1000万人ラジオ体操祭中央大会の実施(東京都内)
  平成11年09月   国連の国際高齢者年にちなみ「みんなの体操」を制定
  平成15年12月   ラジオ体操が「2003毎日スポーツ人賞文化賞」受賞 】

今ではテレビ体操に引き継がれた部分もあると思うが、無理せず気楽に体を動かすにはもってこいである。
国内のみならず、海外の日本企業で採り入れているところもあると聞く。そういえば、わたしも数十年、会社勤めの時に経験している。よく見ていると、ダラダラや無駄な動きが覆い。仕方なく体を動かしているタイプは本当にみっともない。むしろやらないほうが周囲はいらいらしない。他方、やたらと張り切って、目的を果たしていない人もいる。
例えば、手に腰を当てて反り返るところがあるが、反っくり返ればいいというものではない。首は常に背骨と一体化していないと意味がない。両腕を上げて反るところも同じだ。体の硬い人ほどその傾向がある。
まともにすればどんな良いことがあるのか。
先ず、ラジオ体操なら、激しい動きやゆったりした動きが組み合わされており、短時間で効率よく全身を動かすことができる。
わたしの場合、息切れがどんどんひどくなっているが、呼吸器系の運動能力低下と脚力低下が原因とか。ラジオ体操の胸を伸ばす運動や深呼吸で呼吸器系を鍛え、両脚で跳ぶ運動や脚を曲げ伸ばす運動で脚力を鍛えることができる。体の硬さも体を前後に曲げたり、体を回したり胸をそらす運動によって、背筋や腹筋を鍛えるとともに柔軟にし、腰痛の慢性化を防ぐ。基礎体力がつく訳だ。
第1・第2で計26種類の動きを組み合わせて出来ているが、これを正しく実践すると、脈拍は安静時の約2倍の100以上に上がり、約60キロカロリーを消費するという。
成人男性の場合、1日あたりの望ましい運動量は300キロカロリー。このうちの5分の1をラジオ体操で消費すれば、残りはウォーキングや日常的な活動で十分消費される。だが、ウオーキングで脚以外の筋力をつけたり、背中から腰にかけての筋肉を柔らかくするのは無理だが、ラジオ体操なら、激しい動きやゆったりした動きが組み合わされており、短時間で効率よく全身を動かすことができる。
とかなんとか知ったかぶっているが、実は中京大学体育学部の湯浅景元教授の「図解本当はすごい『ラジオ体操』健康法」(中経出版)からの引用である。

体を動かすことが好きだったにもかかわらず、どんどん億劫になっている。動かなければ錆びつくことぐらい分かっていても、老い人の無精はとどまるところを知らない。せめて、せめてでも日に2回はラジオ体操をすると決心した。これでまた子供の頃の遊びボケに少しは戻ることが出来るかもしれない。

Posted at 17:28 | 生活 | この記事のURL
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聖火無惨 [2008年04月28日(月) ]
【聖火リレー:留学生動員「中国大使館が関与」 オーストラリア当局者 - 毎日jp(毎日新聞)
DATE:2008/04/27 06:11
URL:http://mainichi.jp/select/world/news/20080426k0000m030064000c.html

今回の聖火リレーなるものを見ていると、徳川綱吉の犬公方を連想する。
当時のお犬さまは自分の存在価値が人間より上だとは思いも寄らなかった。もし自覚があれば、「お、この頃何故か待遇が良いな」となるが、犬は犬である。犬と聖火を置き換えてみればいい。
聖火も同じだ。そもそもなぜ‘聖’火なんだ。どこが聖なるものなんだ。
【ギリシア神話に登場するプロメテウスがゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、古代オリンピックの開催期間中にともされていた。聖火は、1928年のアムステルダムオリンピックで再び導入されて以来、近代オリンピックの一部であり続けている。現在の聖火リレーは、1936年に開催されたベルリンオリンピックで、ナチスによって導入された】という所以があるが、まだ分からない。
オリンポスで太陽から採火という魅力的な儀式からはほど遠い、寝違えた首の痛みのようなけったいな聖火である。
特に‘今回’の聖火は、中国のねじれた想い
が燃えているようで、チベットの怨念と中国の‘愛国’が燃料の気がする。
長野での無意味なリレーが無事に終わったが、政府主導としか思えない集人力なのか、インターを声高に歌いながら大きな紅旗をうち振るっているプロレタリアがイベントの意味を忘れて道路を真っ赤に染め、「中国ガンバレ!」と絶叫していると錯覚した。一方、ウィグルの青い旗、「フリー チベット!」の声。現代の国威発揚とは、住民や観客の迷惑など屁とも思わず、大人数でわめくことではない。両者共々、半分ぐらい五輪の旗を持てば、「ああ、これはオリンピックのためのリレーなんだ」と思うことが出来たろうに、情けない感覚である。
後生大事に聖火を護送して何が残る。少なくとも賞賛は同類の国しかあるまい。こんなことをして無事に聖火を中国に持ち帰ったとして、本当に歓びがあるのだろうか。持ち込まれた国々の迷惑顔を見れば、「絶対に聖火を消すな」などと中国は言えないはずだ。オリンピックの歴史にどのように残るのか、チベットに変化が生まれるのか、まともに競技が出来るのか、見守っていこう。

Posted at 17:26 | 日記 | この記事のURL
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炭住無惨 [2008年04月27日(日) ]


今日2008年4月27日で、田川市松原の炭坑住宅から住人が居なくなる。住居としての期限日だからだ。
バラック又は廃屋寸前の長屋はひっそりしていた。近くで車の整備をしていたおじさんに訊くと、もう誰も居ないらしい。市と警察の名前で【立入禁止】の札があちこちに貼り付けられている。
地域を形づくってきた。様々な人生があった。なのにセレモニーひとつないとは寂しすぎる。崩れいくものには目もくれない。たかが数百戸の歴史など意味が無いというのか。何回も訪れたが、その度に建物と人が崩れていくのを実感してきた。
住人の多くは3階建ての新築団地に引っ越し、これからは住み心地の良い環境で新たな生活を送るだろうが、前のようなコミュニティが再生出来ればと願うばかりである。





Posted at 15:37 | 日記 | この記事のURL
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ハーモニー [2008年04月25日(金) ]
ンク:on}


人の営みが終わると
モノは捨てられていく
共に生きたせっかくの時間も
ついでに捨てるのが人間だ
手に入れたときは
撫でまわして慈しみ
捨てる煩わしさは「このゴミが」と
置いてきぼり

こんな風に置いてあると
哲学の空間が生まれてしまう
慈しみをはぎ取られ
行儀良く座ったり横たわったり
しているが
結構悲しい
ほど良いバランスが悲しい

Posted at 07:27 | 写真 | この記事のURL
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立ちション考 [2008年04月24日(木) ]
先日、久しぶりに立ちションベンをした。
これでも常識男なので、結構後ろめたい気持だったが、まわりにそれらしい施設もなかったので、車を停めて田んぼの真ん中で失礼した。さすがに畦道に立ってという訳にもいかず、水が枯れている側溝に降りてみた。目線がかなり低くなり、もしどなたかが通りかかってもごまかせる姿勢になれる。子供の頃はもっと堂々とチン○コをコントロールして、角度を上げて射程距離を更新したものだが、今はこそこそと周囲をはばかる情けなさである。老い人はこんなところにもその現象が出る。
ところでイギリスにはこんな法律があると聞く。
『男性が公共の場で小便する場合、自分の車の後輪に向かい、右手を車についた姿勢なら合法である』
合法の訳をいろいろ考えてみた。先ず車が無くてはいけない。それに、あくまで自分の車と明記している。これはあくまでドライブ中にモヨオシしたときの処置に限っている。車でまわりの視線をさえぎるということしか思いつかない。
“右手をつく”。何故右手なのか。左手でモノを引っぱり出さなければならないが、いやいや、引っぱり出してから右手をつくのだから、ただ方向を決めるなら左でいいわけだ。
いつ頃立法化されたのか分からないが、イギリス人らしい分かったようなそうでないような決まりだ。きっと、こねくり回した理屈があるのだろう。是非知りたいものだ。
ついでにこんなのもあった。
『エレベーター内で放尿してはいけない。(シンガプール)』
それまではやっていたのかよ、といった感じだ。シンガポールといえば、チューインガムの持ち込みが厳しい国だ。違反すれば最高刑は懲役2年というのに、国民性とはいえ面白い。
インドの『牛を見ながら小便してはいけない』は理解できる。ヒンドゥ教にとって牛は神聖な存在だからだ。牛にひっかけるならともかく、見ての所業も駄目というのはどうかと思うが・・・。

江戸時代、上方では尿も肥料になるということで、公衆トイレがあって、立ち小便は少なかった。江戸では尿は畑の肥やしにならないとして、そんじょそこらの裏通りで男女共々シィシィしていた。つまり、外での排泄行為は日常目に入る風景の一つということで、少なくとも小用に限っては“のぞき”行為は意識されておらず、町内のたわいない出来事として片付けられていたに違いない。話題性がないから瓦版のネタにもならなかっただろう。
良い悪いは別にして、人は大らかさを無くしていく。公序良俗や公衆衛生が根付くにつれて改善されていくのだが、わたしの子供時代、戦後の貧しさもあって、トイレの板壁は節穴だらけだった。だから江戸時代のかけらくらいは想像できる。

初夏、田をわたる風を受けながら、放出生理の快感を味わいつつ・・・。

Posted at 12:00 | エッセイ | この記事のURL
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母子殺害判決 [2008年04月23日(水) ]

                   (イラストはサンケイから)

安田弁護士を長とした[殺人、強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元会社員(27)(犯行時18歳1か月)]被告の弁護団は、常々主張してきた死刑廃止に自ら冷や水をかける結果になった。少年であろうと、残虐性、計画性を持って二人殺害という罪は死刑に価する判例をつくってしまったからだ。
1,2審と容疑を認めて反省の念を持ったかのようだった被告が、新弁護団の指示に従って、「殺意の否定」を軸としたとき、これでもかという荒唐無稽な弁論展開のため、反省云々は別として、それまでふてくされながらもうなだれていた顔を上げ、「ぼくをなめないで下さい」姿勢に変わったとき、わたしは22日の判決を確信した。
もし弁護人の理屈が認められたなら、これからの凶悪犯罪はすべてこの手で歪められるからだ。舌先三寸の空論で正義が弄ばれることになるからだ。

朝日新聞は、思った通りの扱いだった。
【母子殺害に死刑 「不当判決で厳罰化加速」弁護団が批判 - 社会
DATE:2008/04/23 07:23
URL:http://www.asahi.com/national/update/0422/OSK200804220087.html

産経新聞も同様。
【光市母子殺害 被告に死刑宣告 新供述は「不自然、不整合、到底信用できない」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
DATE:2008/04/23 07:26
URL:http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804221202010-n1.htm
それぞれの主張は社説を読めばはっきりするが、報道姿勢からも充分伺える。

裁判員制度をどうとらえるか、今回の裁判は一つの指針の気がする。
おかしな判決は多々ある。推定無罪より推定有罪の傾向が欧米よりかなり濃い結果の数字もある。イギリスの推定無罪は50%前後と聞く。日本は90%以上だ。原因の一つに、日本では検察官と裁判官の交流が日常的にあり、裁判官から検察官になる人やその逆もあることから、当然検察寄りになるのがその原因とも言われる。自白だけの検察庁書内容は認めるが、物証も含めた弁護側の証拠はなかなか認めない事案がみられるからだ。
事実を争う公正な裁判過程があるとは限らないと言うことだ。ここに裁判員の存在意義があると思っている。
一般人の常識だけでも法律家の判例だけでも公正は保たれない。両者で証拠や自白内容をとことん検証する場になるはずだ。
よく「裁判官の心証を害する」と判決に影響が出るといわれるが、これを極力避け、論議に徹する方向に持っていくためにも、裁判員の責任は大きい。

被告、原告、検察、弁護人、裁判官すべてが人間である。感情を持つ生き物でロボットではない。この難しさは理性に基づいた正義に頼るしかないのが現実であり、これからも“裁き”への試行錯誤は延々と続くだろう。

Posted at 08:17 | 日記 | この記事のURL
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聖火とチベットと中国と [2008年04月22日(火) ]
夏の北京オリンピックの前哨戦になっている“聖火の世界巡り”は、残念なのか当然の帰結なのか、行く先々の国で、トレベルがトラブルと同義語になりつつある。
IOCと中国政府は、なにがなんでも五大陸制覇とばかりに、イメージダウンを自らばらまいている。
チベット国(文明的にまさしく国)及び亡命政府の作戦は見事に的中した。アメリカを始め、日本を含む各国政府は見て見ぬ振りを決め込んできたが、今頃になって「人権、人権」と、取って付けたようにコメントしだした。政府関係者はともかく、市民や一部メディアはチベットでなにが起きているのか、かなり正確な感覚で、抑圧の実態を想像している。
中国政府は「内政問題だ」として受け付けず、先日の報道番組では、在日中国大使が様々に正当性を主張していた。途中から見たのだが、「農奴制から解放した、寿命が2倍になった、警官は1人の死亡者と200人以上の負傷者を出しているので弾圧ではない、信教の自由は保障されているetc etc」。だからダライ・ラマ側が言う不当な行為は一切無いと結論づけている。
わたしの偏向的な観念として、共産主義の「解放」ほど怪しいものはない。ソ連でも東欧でも同じで、解放つまり侵略に他ならない。日本もかつては、東南及び東アジアを欧米の植民地から「解放した」と言っていた。それを非難し続ける中国は、少数民族といわれる人たちに同じことをおこなっている。また多数の漢民族にも同様の行為で格差を広げ、都合のいい市場経済を一党独裁のもとに展開している。本当の農奴はまだまだ居り、かつ増えているのが現状ではなかろうか。
中国政府の主張が本当なら、先ずは一切の制約なしにチベットを世界の報道関係者に公開するべきだ。それなくしていくら主張しても、誰も信用しない。面子にこだわり我を張りつづけるなら、世界の冷たい目は変わらないだろう。その象徴が聖火護衛隊などという出現である。平和を信じるならこんな集団青服で守られた聖火がいかに無意味で虚しいかを悟るべきである。
中国の経済成長になんの羨望も持たない。やっかみなどゼロである。ただ、騒々しいのだ。自由とは言い切れない13億の民のざわめきが煩わしいのだ。良いことと言えば、多少裕福になったため密入国が減ったくらいで、環境破壊ではまさにメガトン級である。以前にも言ったが、黄砂だけでも迷惑なのに、それに産廃物がくっつくようになり、韓国、日本は防ぎようがない。食の安全では既報のように改善しようとする気がほとんど見えない。官が対外的なアピールをしても、生産者の意識が「売れるならなにをしてもいい」にとどまっている以上、コピー商品の氾濫と同様、無くなりはしない。政府が自国中心主義(中華思想)であるなら、その国民が自己中心なのは当然でもある。
民度を上げる本当の教育は、共産主義下では
無理だ。飢える者富む者のひずみがあり、それを強権で押さえつけている現状は、13億人を束ねるには不可欠という理屈の上に立っている。川や湖の水汚染で住民に飲み水が無くても役人がその企業を守り、オリンピックがあるからと強制立ち退きさせる不動産業者と役人がくっつく。万民平等のための共産主義は、単に国体維持のみのために存在しているようなものだ。
正直、オリンピックなど大した催しではなくなった。商業主義がどんどん流入し、その国の経済効果は確かに大きいだろうが、魅力は回を重ねる毎に減少している。ましてや、聖火の通り道にある町が罵声と暴力から必死に守る意味がどこにあるというのだ。
なんといおうが、オリンピックに関係なく、終わった後さらにチベットに目を注ぐことを忘れてはならない。
どちらにしろ、迷惑千万な話である。

Posted at 05:36 | 日記 | この記事のURL
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き色 [2008年04月21日(月) ]


くろは いろでしょうか
しろは いろでしょうか

き色を みると
きいて みたくなりました

あかは すてきでしょうか
あおは ふかいでしょうか

き色を みると
きいて みたくなるのです




Posted at 05:19 | 写真 | この記事のURL
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 モーツァルトな朝 [2008年04月20日(日) ]



ほうとに こだわらない ひとですね
しばられない おとを
じゆうに あやつって
あかるく かろやかに
わたしの あさに あらわれて
‘おはよう’と あいさつして
ゆめみごごちを そのままにして
ずるいひとです あなたは
ここちいい ひなんを
あさの コーヒーにして
のむんですね
わたしは まだ あさのコーヒーを
つくっても いないのに
あなたは 
こゆびを たてて のむのですか
カップの おとを
わざとらしく 
じぶんの おと にして
オンプを いっぱい
ばらまくんですね
だから
あなたの あさなんです

Posted at 06:14 | | この記事のURL
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ゆっこちゃん [2008年04月19日(土) ]




へいを またいだら
となりの ゆっこちゃんが
てを ふった
ぼくも てを ふったら
おっこちちゃった
いたかったけど
ゆっこちゃんが わらった

Posted at 08:04 | | この記事のURL
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