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サボテン 仙人掌 覇王樹 Cactus [2008年04月16日(水) ]


サボテンという植物はなんとなく面白い。
そう興味をそそるわけではないが、存在そのものが良い。
先ずは砂漠で月の光を浴びながら屹立している姿である。淡いベールが鋭い棘を覆い、アリゾナやメキシコ、アフリカに佇んでいる。多肉種などといわれ、風物をつくりだしている。
その出自や由来、歴史、植物学的特性などには興味がないが、たまたま「サボテンハウス」を見つけた。
宮崎のサボテン公園ではサラダ向きの料理を食べた。たしかテキーラの原料とも聞いた。
そう、この程度の興味しかないのだ。よほど暇でなければここにも来ていない。わたしの中ではその程度のサボテンだが、よく観ると結構凝ったコスチュームで、丸っこいのやペラペラや、棘のない種類もある。
数枚撮ったが、初夏が羽ばたくガラス張りの建物はやたらと暑く、早々に引き上げた。その結果だ。





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桜が散って [2008年04月15日(火) ]


公園の桜木が、葉桜から若葉に移りつつある。以前のように、チチッとかわいい声のメジロやギャギャッとうるさいヒヨドリは蜜を吸いに来なくなった。四月も半ばというのに、花冷えのせいでセーターを着たり脱いだりと
結構せわしく、カミさんもブツブツ言いながら衣類を出したり仕舞ったりとうるさい。
また訳もなく浮き浮きしてしまうのもこの時期だ。落ち着かない。集中力が更に低下し、思考の広がりも狭まっていく。喜怒哀楽のアンテナが電波を拾いきらず、たまに受信しても‘喜’だけだったり、弱い‘哀’だったりする。一つの出来事を出来るだけ多くの角度から見る『視線』が欠けてくるのだ。よく考えれば季節になんの関係もない。かこつけて老い人の立場をごまかそうとしている。春よ、広い心で許してくれたまえ。

こんなことをつらつら思っても書いても仕方がないので、オモロイものを見つけに出かけた。
菜の花畑はまだ真っ黄色である。更に田舎道を走ると、きれいに計算して植えられたチューリップ集団を見つけた。チューリップ畑で四駆を走らせて滅茶苦茶にしたり、沢山の鉢に植えたものを傘か棒で花をちぎり飛ばしたりと、ニュースになっている。本当にぶっ飛ばしてやりたいクソ野郎(失礼!)だ。
真っ赤っか、まっ黄黄、真っ白と色毎に分けられ、真っ盛りである。
チューリップは英語だとたぶん“Tulip”だと思うが、lipは唇の意味がある。つまり、唇でチュッである。kissである。口づけである。接吻である。そういえば、チューリップの花は真っ直ぐ上に向いて、春だか空だかにチュッチュチュッチュしているみたいだ。





Posted at 19:31 | 写真 | この記事のURL
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“老い人"  訓読みを広げよう [2008年04月08日(火) ]
年をとった人が増え続けている。
今までは、当たり前に「老人」と呼ばれてきたが、この呼称に抵抗する人が増えたせいか、シニア、シルバー、熟年その他さまざまな言い方が世に溢れている。爺はジジィ、婆はババァなのに、名前で心構えがそう変わるとも思えない。
だが、わたしが子供の頃に見た、腰が曲がったり皺くちゃな人は確かに減った。だから前記のように呼ばれるのが良いのかも知れない。食べ物が変わり、運動への認識も改まり、代謝を促すサプリメントや医療の進歩のおかげといえる。
「老人」という言葉はいかにも固い。さも頑固そうな人間像になってしまう。それに、幸か不幸か女性が含まれていない様にも思える。音読みでロウジンというからなのかも知れない。それならと、わたしは「老いた人」、つまり“老い人”にしようと決めた。無論、勝手にである。人=ニンというよりヒト又はビトと訓読みすることで、柔らかい深みが生まれる感じがするのだ。幼児はオサナビト、青年は活発だからイキビト(活き人)などとすれば、少しはみやびな和の国の、のんびりが戻り生まれるのではなかろうか。

老い人の宿命であるハゲ。
明らかな禿が頭の真ん中にポツンとある。これはあまりにも残酷な喜劇ではないか。単なる禿男になってしまう。ぼよんとぼやけた様こそ老い人の禿の尊厳に似つかわしい。そんな人は“禿人(ハゲビト)”と呼んで尊敬の眼差しを贈ろう。



どうも言うことすべてから、わたしはロマンティストになれない。センスがない。自分では夢見る老い人のつもりが、照れという現象から逃れられない中途半端さを消すことが出来ないのだ。そもそもテメェの禿頭を撮ってなにを言いたいんだか。

支離滅裂した日であったが、気晴らしに近くの池で風景画を撮った。

Posted at 17:49 | 日記 | この記事のURL
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鯉のぼりU [2008年04月07日(月) ]


前回の桜と鯉のぼりの写真、見れば見るほど元気がない。風がなかったので鯉がまったく泳がない。ダラーッとまるでおまえのチ○○だな、と友人が言ったので、それならと2回目にはかなり風があって納得した内容だったが、間違って削除してしまい、DataRecoveryでも戻らなかった。
しばらくはどうしようか思い迷ったものだ。こういうところに老い人の特徴が出てくる。決断力が乏しくなり、やっと思いを決めても行動がこれまた遅い。2回目の午前9時からグズグズノロノロして、やっと午後4時に腰を上げたお粗末である。
しかし桜の花吹雪の中、風はかなり強く、空も青くなってくれていた。チューリップと鯉のぼりと桜のスリーショットは残念ながらいまいちだが、乱舞と桜と青空はまぁまぁと思う。明日にでも友人に見せて、前言を取り消すよう強く要求する?つもりだ。



金太郎、空を翔る


Posted at 07:51 | 写真 | この記事のURL
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桜に泳ぐ鯉のぼり [2008年04月06日(日) ]


といいたいが、あいにく風がなくて、弛んだ日干しのようにダラーとしているので、唱歌の‘♪屋根より高い鯉のぼり’のような元気さが見られなかった。
ここは幼稚園の遊び場の一角で、少し高台の桜木を背景に、なかなか上手なセッティングだ。早めながら気の利いた季節感の演出である。
隣接する老人ホームでは、係りの人なのか花壇を手入れするご老人が、一心に草をむしっていた。雑草一本ないお花畑には色分けされたチューリップが、単純な姿と無地の赤や黄色で咲いていた。小さい頃に描く絵には山と雲、それに必ずチューリップがあったことを思い出した。
桜と鯉のぼりとチューリップという三連装の風景を撮ってみた。ちょっと面白い。





Posted at 09:12 | 写真 | この記事のURL
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クジの店 [2008年04月05日(土) ]



ほんとかな
いいものがいっぱい当たるって
ほんとかな
ピストルやおもちゃがいっぱいあって
みんな当たるのかな
きれいに並んでるけど
裏っかわもきれいなのかな
店のまんなかに穴があいて
おじさんが居なくて
店番のおじさんが居なくて
クジ引きたいんだけど
おじさんが居ないので
当たっちゃうとこまるから
いっぱい取られちゃうから
こわいから居ないのかもしれない
引いたら
なにが当たるんだろ
一等の景品がこのお店だったら
どうなるのかな
おじさん
こまるだろうな

Posted at 05:39 | 写真 | この記事のURL
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花盛り [2008年04月02日(水) ]


今朝8時に総合病院へ行った。
肝臓のエコー検査を受けるためだ。
γ-GTBの値がここ数年高止まりで、数日前クリニックの医者が一度検査しろと紹介状を書いてしまったのだ。身を案じてのことだと分かるが、半分は余計なお世話と思った。
朝飯を喰った後、カミさんが「検査だったらご飯食べたら駄目じゃないの」と言う。喰う前に言えよと「血液検査じゃないからいいんじゃないの」と、いつものように目一杯腹を満たしてしまった。
へへへ、やっぱり駄目だった。正確な値が出ないと言うのだ。そもそも79が上限なのに
160である。おかしくないはずがない。だが、だがだ、去年は200を越えていたことを思えば、40も下がっているではないか。
その精進をもって考えれば大したものだ。
だが医者からは冷たく「出直すように」と告げられた。従って、診察代はタダ。タダ好きにとって、2時間を無駄にしたことより、なけなしの小遣いを守られたことにホッとしたのである。
ついでに花見でもしていくかと近くの公園に寄った。ウィークデイの11時頃なので、当然空いている。警備員も手持ち無沙汰、露店のアンチャンたちものんびり。花はまさに満開で、車でなければ焼きそば肴に一杯したかったが、自分を誇らしげに表現している桜たちを愛でるだけにした。
桜たちの素晴らしさをどう表したらいいのだろう。彼ら(彼女ら?)が居る場所、生い立ち、風雨との交わり、無自覚の価値ーこの頃は、こういうこと考えるのがめんどうくさくなって、感覚に任せて撮った。





Posted at 17:15 | 写真 | この記事のURL
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え? [2008年04月01日(火) ]
日曜日の午後12時55分から某局で放映される「新婚さん、いらっしゃい」が面白い。
かなりの演出やヤラセがあるのは明らかだが、それでも出演して夫婦生活のアレコレをしゃべる神経は、ただテレビに出たいだけでは収まらない魅力があるに違いない。
見る方は、桂三枝のどぎつい質問に期待し、彼らもそれに応えているようだが、最近の出演者には“羞恥”の気持がなく、また局もそれを選択肢の大きな条件にしているようだ。
先ず、出てきてお辞儀をし、住所と名前・年令を訊かれるが返事の仕方が、
「福岡県○○市、春画九瑠蔵 28才」「妻
 鬼田代 32才」と、紋切り型で、元気のいい小学生である。語尾に「です」が付くことは滅多にない。
新婚さんだから当然、夜の営み(懐かしい言葉だネェ)の話がある。そのときも、「やった、やらせた」と実に即物的で、情緒のかけらなどありはしない。司会者側はたまにはたしなめているが、アッケラカーンと言われると、日本人が持ち続けていた湿気もすぐ乾いてしまい、〈これも温暖化のせいかな〉と変な理屈を付けてしまう。
この類の番組で難しいのは、えげつなさを包むオブラートの質だが、三枝師匠は椅子から転げ落ちる度合いの強弱でうまく処理している。靴を脱いで床に叩きつけたり、発泡スチロール製の柱を蹴飛ばすのも、進行中の中身と合っている。わたしが好きなのは、どうしょうもなくなって直立姿勢で「誰か代わって下さい」と客席に問いかけるアクションだ。
さすがと思う。
数十年続いているらしいが、相方が代わっても変わらない師匠の姿勢が、長寿番組の地位を保っているのではあるまいか。

このようなことをテレビ局に投稿すると、次のような返事が来た。
『毎週見ていただいて、誠にありがとうございます。あなた様ご指摘の通り、三枝師匠のご努力の賜物と同時に、これからの日本を背負っていく若いカップルを応援する当テレビ局の微力ながらの努力の結果と自負いたしております。
これからは、新婚というコンセプトのみならず、あなた様のようなジジババ夫婦をお招きしてお話をお聞きする企画も立ち上げる所存でございます。
つきましては、その第一号に是非ご参加されたく御願いいたします。詳しくは御来訪の際に打ち合わせをさせて頂くべく、取りあえずJALのファーストクラスのチケット及び帝国ホテルのスィートルームを予約させていただきました。心よりお待ち申し上げております。

  [晩婚さん、いらっしゃい]担当ディレクター
         日付 2008年4月1日  』

ああ、4月1日でなければ、またタダで東京へ行けたのになぁ・・・。

Posted at 12:32 | 日記 | この記事のURL
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