シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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日本の少数民
・・・父子家庭から侘しくも、
  ペーソスあふれる
  つぶやきのブログです。

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たそがれの島 G [2008年03月11日(火) ]
ちょっとしたわけ その三

退職時の慌ただしさの中で、離婚もあった。

別れの予感は前からあったが、その先の人生航路の
予感に乏しいのが玉に瑕である。

二、三か月ブラブラしていたある日、ふと生まれ故郷
を訪れてみようと思い立った。
既に廃村になって三十年以上、両親も亡くなって久し
く、なぜ思い立ったのか定かでない。

またまた思いつきで小さな工房を作り、今に至る。

STAGEや周りではラストラブやら終の棲家の話題も
多い。
私も一応焦ってみて考えはするが、これから何処へ
いくのだろう?

たぶん、これからも行方定まらずフラフラするようだ。
根拠のない確信。
これまでも、これからも人はそう変わらない。

一応ちょびっと、里山らしきものが顔を出しました。



倉庫も作ってみました。


白魚の手も鉈やチェーンソーにすっかり馴染みました。


私がユーミンの歌詞を知らないわけ・・長くなりました。

追伸:誤解されてる方もいるかと思いますが、
    ハンドルネームの「らっこ」は小さな工
    房の所在地名が、広域合併する前に
    △□町○×郷 楽子 に由来するもので
    す。工房下の岩場は、かつてアワビや
    サザエが取れ好物でした。
    風の噂で北極海の方に、イタチと狸を
    足して二で割ったような奴が同じ名前
    を名乗っているそうです。
    聞くところ、好物までサザエとか言って
    ますが私のパクリです。
    気を付けて下さい。


 終わり
 ありがとうございました。    by らっこ
   

Posted at 14:49 | この記事のURL
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たそがれの島 F [2008年03月11日(火) ]
ちょっとしたわけ その二

県内有数の進学高に入学した私は、たちまち置いて
きぼりになる。
なにせ勉強は毎日するものということも知らなかった
のである。

にもかかわらず、どこかの期末試験成績で理-A、
今は特進理系のことか?
太陽は西から昇らない、定説どおり40人余りのクラ
スでワースト5の常連・・・これ以下のない落ちこぼれ
であった。
時折行われる実力試験が前年の東大入試そのもの
はざらで、たしか英語3点とかあったなぁ。
まぐれで( )に入れる記号が一個だけ合っていた状態。
はっきり言って全く付いていけなかったのである。

こんなところ来るんじゃなかった・・・後々も幾度か
つぶやくことになるセリフ。
学校に行くのがたまらなく嫌な三年間であった。

その後適当に留年も経験しながら学生生活を過ごし
たが、就職年に第二次オイルショックが直撃した。
就職先がなかったと言うより採用がなかった。

開き直りと投げやり、こんな逼塞したチンケな日本に
いてどうする?
肩肘張って海外合弁会社へ飛び込んだ。

戒厳令真っ盛りの台湾、激動のインドシナ、タイ、
ビルマが勤務地となった。ビルマ花梨等の現地検査。
当然熱帯雨林の中が仕事場。

殊に鎖国政策のビルマなぞ、ぼんくら学生がいきなり
ジャングルへ放り込まれたようなもの、泣きたくなった。
なにせバンコクからのビルマ国営航空、ツギハギだらけ
の旧ソ連の軍用輸送機の譲り受け、ソ連で使えない
ものっていつ落ちても仕方ない・・・あきらめが先に来る。
そのくらいの直感だけは持ち合わせていた。

来るんじゃなかった、こんなところ
後悔先に立たず、と言っても仕方ない。
アウンサー廟爆破事件や国名が難しくなったのはずっ
と後のこと。

仕事は過酷であった。同期で入社した者も次々辞め
一人になった。
変な負けず嫌いだけはあったのかもしれない。
最近流行りのインドシナあたりの旅行は行く気がしな
い。今では近代化も進み観光地も立派に整備されて
いるだろう。
しかし骨身に滲み込んだつらい日々が、思い出され
もうたくさんとの反応となる。
初めにルンルン気分の観光旅行だったら、たぶん逆
なんだろう。

三年後退社し、別の会社へ移った。
東京本郷や千葉の研究所で一年ほど、その後九州
を二、三転勤しながら平凡なサラリーマン生活を過ご
した。

五年ほど前就職氷河期があった。勤め先でも人員
余剰感が漂い、なんとなく嫌な雰囲気?なんとも言え
ない空気? があった。
見ざる聞かざるでやり過ごす手もあるが、なんとなく
早期退職が頭を過ぎった。

先のことは何も考えてなかったが、三年前待ちに待
った五十歳の早期退職を申請した。
別に就職がない新卒者に同情したわけでもなく、こ
れと言ったポリシーも持っていたわけではない。
なんとはなしに自分の人生に大きな影響を与えた
就職氷河の心情が思い出され何かの縁、もういいか
くらいの付け足し気分ぐらいであった。

  つづく     by らっこ






Posted at 13:21 | この記事のURL
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たそがれの島 E [2008年03月11日(火) ]
ちょっとしたわけ その一

昨日紹介した高校に行かなかったor行けなかった
わけは、振り返ればバカバカしいことなのである。
私の生い立ちも含め、掻い摘んで書いてみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

丘の上の高校の対面に中学校がある。
すなわち一つの中学校に一つの高校であるが、当時
過疎化も今ほど進んでおらず20人ほどが定員オー
バー、すなわち入試に落ちることになっていた。

当時私の父は地元の水産会社の漁労長をしていて
金持ちではなかったが、苦しいと言うほどでもなかった。
また私もクラス委員長などを時折こなし、比較的真面目
な生徒であったらしい・・・。

そこで昔の先生は考えた。
目ぼしい上位20人ほどの家庭を回り、県庁所在地の
進学校へ行くよう説いたのである。

突然訪問された両親も面食らっただろうが、褒められ
て上機嫌だったに違いない。
あまり問題も起こさず、そこそこにやっていた子供だっ
たろうこともあって、もともと学校のことには無頓着であ
った。
(自慢しているのではありません。これが後々の苦々しい生活の
出発点になったのです)


なにせ昭和45年頃の話である。両親にとって先生は
神様に近いのである。
先生の申し入れをあしらうなんて、とんでもないことで
ある。

そうとも知らないのは本人だけ、先生に呼び出された。
概略こんな会話だった。

先生: 「らっこお前○×の高校へ行かんか?」
らっこ: 「なんでや、考えたこともないし」
先生: 「両親にも話は付けとる。お前なら通るけん
     頑張れ」
らっこ: 「ばってん急に言われても・・・あんまり行きと
     おもなかし、親に負担を掛けたくなか」
先生: 「お前知っとるやろが! お前がそこの高校に
      行くと、誰かが落ちっとぞ。こまか町でうわ
      さになったら住んでいかれんやろ。
      お前幼かときから一緒に遊んで来た友達
      ば見殺しにしてもよかとか。お前がそがん
      人間とは知らんやった、もうよか」
らっこ: 「わかりました・・・ガンバリマス・・・
先生: 「うん、うん、お前ならわかってくるっと思とった」

今風に置き換えると脅迫である。
進路選択権の自由への侵害である。
家庭内プライバシーへの侵害である。

昨今の教育ママパパが聞いたら青筋立てて
「校長を出せ! ・・・話にならん! 教育委員会へ訴えて
やる」ってわめき散らすかもしれない。

あくまで当時の田舎である。

似たような奴とひそひそ話、「お前も呼ばれたっか?」
お互い困ったような苦虫走ったポーズの顔。
が内心嬉しいのである。

なにが?
鼻水垂らしていた幼いときから、のほほんと育った
少年にとっては華やいだ街中へ行ける・・・
頭の中はそれが120%なのである。
時代は変われどこの年頃は賑やかな若者の多い街
へ行きたがるのは世の常、人の情け。

前ブログの「波止場の別れ」も見送る方は感傷にも
浸ろうが、見送られる側はウキウキ気分も確かにある。
少年は現金なものなのです。

(つづく  by らっこ)






Posted at 10:24 | この記事のURL
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