日本の少数民
・・・父子家庭から侘しくも、
  ペーソスあふれる
  つぶやきのブログです。

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詩心のない私 [2008年03月18日(火) ]
備前長船   犬塚昭夫

おれはほしかった
ほしくて
買えなかった
備前長船
おりたたみになった小刀よ
木の枝のゴム銃や竹鉄砲をつくる
白く光る


おれは盗んだ
こっそり盗んだ
十円札三枚三十円
さつまいもを売った売上金でいっぱいの
財布から

油のきれた大八車
さつまいもをつんで売りにいった
大八車を母が引き
おれがあとを押した
道は草がしげり
ズボンがぬれた
小学三年生
学校は休んで
町まで五キロ
押していった

一斤五円のさつまいも
一けん一けん売ってあるいた
いつも買ってくれる家
値切って買わない家
掛で売ることがあった
掛がとれないことがあった
ねぎ
大根
白菜
一緒につんで売りにいった
さつまいもがすくないときは
背中にせおって
売りにいった

空の大八車を引いて
帰りながら
母もおれも疲れた
日はしずんでしまった
母に小刀一挺買ってくれといえなくて
(いえば買ってくれたろう)
盗んでしまった
生きることの重さがつまっている財布から

おれは走っていって
買ってきた
備前長船
文房具屋で
三十円で

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この詩は1942年生れ、昨年1月65才で亡くなった
詩人犬塚昭夫の詩です。

実は「たそがれの島」に登場した廃小学校の卒業生、
私の大先輩となります。

しかし、文学芸術への造詣がほとんどない私は半年
ほど前、初めて教えてもらった次第です。

犬塚さんは大阪へ集団就職されて、所謂労働詩歌に
秀で、「文学大阪」「異郷」などたくさんの詩歌を創刊さ
れたと経歴にありました。

その死を悼み今年1月岐阜県中津川市高山に
「犬塚昭夫文学資料館」が建設されたそうです。

開館に尽力され現館長をされている太田光昭氏と全く
偶然に縁ができたことでその名を知ることになりました。
確か太田館長が「その生い立ちを訪ねて」みたいなこ
とで、かつての生家や通った学校を探したということか
らでした。

この詩を読んで今ひとつピンとこないのはたぶん、
詩の情景が昭和20年代ではないかということです。

唯一「大八車」は一番古い記憶、小学校へ入る前頃
の記憶として確かに見たような・・・淡い思い出として
残っているくらいです。
どちらかと言うと三輪車やミジェットだったか? の方
が主だった曖昧なところもありますが。

もしかしたらSTAGEの会員の方の中にこんな情景が
ピンとくる(失礼かも知れませんが)方もいるかと思い
アップしてみました。





Posted at 16:56 | この記事のURL
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たそがれの島 G [2008年03月11日(火) ]
ちょっとしたわけ その三

退職時の慌ただしさの中で、離婚もあった。

別れの予感は前からあったが、その先の人生航路の
予感に乏しいのが玉に瑕である。

二、三か月ブラブラしていたある日、ふと生まれ故郷
を訪れてみようと思い立った。
既に廃村になって三十年以上、両親も亡くなって久し
く、なぜ思い立ったのか定かでない。

またまた思いつきで小さな工房を作り、今に至る。

STAGEや周りではラストラブやら終の棲家の話題も
多い。
私も一応焦ってみて考えはするが、これから何処へ
いくのだろう?

たぶん、これからも行方定まらずフラフラするようだ。
根拠のない確信。
これまでも、これからも人はそう変わらない。

一応ちょびっと、里山らしきものが顔を出しました。



倉庫も作ってみました。


白魚の手も鉈やチェーンソーにすっかり馴染みました。


私がユーミンの歌詞を知らないわけ・・長くなりました。

追伸:誤解されてる方もいるかと思いますが、
    ハンドルネームの「らっこ」は小さな工
    房の所在地名が、広域合併する前に
    △□町○×郷 楽子 に由来するもので
    す。工房下の岩場は、かつてアワビや
    サザエが取れ好物でした。
    風の噂で北極海の方に、イタチと狸を
    足して二で割ったような奴が同じ名前
    を名乗っているそうです。
    聞くところ、好物までサザエとか言って
    ますが私のパクリです。
    気を付けて下さい。


 終わり
 ありがとうございました。    by らっこ
   

Posted at 14:49 | この記事のURL
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たそがれの島 F [2008年03月11日(火) ]
ちょっとしたわけ その二

県内有数の進学高に入学した私は、たちまち置いて
きぼりになる。
なにせ勉強は毎日するものということも知らなかった
のである。

にもかかわらず、どこかの期末試験成績で理-A、
今は特進理系のことか?
太陽は西から昇らない、定説どおり40人余りのクラ
スでワースト5の常連・・・これ以下のない落ちこぼれ
であった。
時折行われる実力試験が前年の東大入試そのもの
はざらで、たしか英語3点とかあったなぁ。
まぐれで( )に入れる記号が一個だけ合っていた状態。
はっきり言って全く付いていけなかったのである。

こんなところ来るんじゃなかった・・・後々も幾度か
つぶやくことになるセリフ。
学校に行くのがたまらなく嫌な三年間であった。

その後適当に留年も経験しながら学生生活を過ごし
たが、就職年に第二次オイルショックが直撃した。
就職先がなかったと言うより採用がなかった。

開き直りと投げやり、こんな逼塞したチンケな日本に
いてどうする?
肩肘張って海外合弁会社へ飛び込んだ。

戒厳令真っ盛りの台湾、激動のインドシナ、タイ、
ビルマが勤務地となった。ビルマ花梨等の現地検査。
当然熱帯雨林の中が仕事場。

殊に鎖国政策のビルマなぞ、ぼんくら学生がいきなり
ジャングルへ放り込まれたようなもの、泣きたくなった。
なにせバンコクからのビルマ国営航空、ツギハギだらけ
の旧ソ連の軍用輸送機の譲り受け、ソ連で使えない
ものっていつ落ちても仕方ない・・・あきらめが先に来る。
そのくらいの直感だけは持ち合わせていた。

来るんじゃなかった、こんなところ
後悔先に立たず、と言っても仕方ない。
アウンサー廟爆破事件や国名が難しくなったのはずっ
と後のこと。

仕事は過酷であった。同期で入社した者も次々辞め
一人になった。
変な負けず嫌いだけはあったのかもしれない。
最近流行りのインドシナあたりの旅行は行く気がしな
い。今では近代化も進み観光地も立派に整備されて
いるだろう。
しかし骨身に滲み込んだつらい日々が、思い出され
もうたくさんとの反応となる。
初めにルンルン気分の観光旅行だったら、たぶん逆
なんだろう。

三年後退社し、別の会社へ移った。
東京本郷や千葉の研究所で一年ほど、その後九州
を二、三転勤しながら平凡なサラリーマン生活を過ご
した。

五年ほど前就職氷河期があった。勤め先でも人員
余剰感が漂い、なんとなく嫌な雰囲気?なんとも言え
ない空気? があった。
見ざる聞かざるでやり過ごす手もあるが、なんとなく
早期退職が頭を過ぎった。

先のことは何も考えてなかったが、三年前待ちに待
った五十歳の早期退職を申請した。
別に就職がない新卒者に同情したわけでもなく、こ
れと言ったポリシーも持っていたわけではない。
なんとはなしに自分の人生に大きな影響を与えた
就職氷河の心情が思い出され何かの縁、もういいか
くらいの付け足し気分ぐらいであった。

  つづく     by らっこ






Posted at 13:21 | この記事のURL
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たそがれの島 E [2008年03月11日(火) ]
ちょっとしたわけ その一

昨日紹介した高校に行かなかったor行けなかった
わけは、振り返ればバカバカしいことなのである。
私の生い立ちも含め、掻い摘んで書いてみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

丘の上の高校の対面に中学校がある。
すなわち一つの中学校に一つの高校であるが、当時
過疎化も今ほど進んでおらず20人ほどが定員オー
バー、すなわち入試に落ちることになっていた。

当時私の父は地元の水産会社の漁労長をしていて
金持ちではなかったが、苦しいと言うほどでもなかった。
また私もクラス委員長などを時折こなし、比較的真面目
な生徒であったらしい・・・。

そこで昔の先生は考えた。
目ぼしい上位20人ほどの家庭を回り、県庁所在地の
進学校へ行くよう説いたのである。

突然訪問された両親も面食らっただろうが、褒められ
て上機嫌だったに違いない。
あまり問題も起こさず、そこそこにやっていた子供だっ
たろうこともあって、もともと学校のことには無頓着であ
った。
(自慢しているのではありません。これが後々の苦々しい生活の
出発点になったのです)


なにせ昭和45年頃の話である。両親にとって先生は
神様に近いのである。
先生の申し入れをあしらうなんて、とんでもないことで
ある。

そうとも知らないのは本人だけ、先生に呼び出された。
概略こんな会話だった。

先生: 「らっこお前○×の高校へ行かんか?」
らっこ: 「なんでや、考えたこともないし」
先生: 「両親にも話は付けとる。お前なら通るけん
     頑張れ」
らっこ: 「ばってん急に言われても・・・あんまり行きと
     おもなかし、親に負担を掛けたくなか」
先生: 「お前知っとるやろが! お前がそこの高校に
      行くと、誰かが落ちっとぞ。こまか町でうわ
      さになったら住んでいかれんやろ。
      お前幼かときから一緒に遊んで来た友達
      ば見殺しにしてもよかとか。お前がそがん
      人間とは知らんやった、もうよか」
らっこ: 「わかりました・・・ガンバリマス・・・
先生: 「うん、うん、お前ならわかってくるっと思とった」

今風に置き換えると脅迫である。
進路選択権の自由への侵害である。
家庭内プライバシーへの侵害である。

昨今の教育ママパパが聞いたら青筋立てて
「校長を出せ! ・・・話にならん! 教育委員会へ訴えて
やる」ってわめき散らすかもしれない。

あくまで当時の田舎である。

似たような奴とひそひそ話、「お前も呼ばれたっか?」
お互い困ったような苦虫走ったポーズの顔。
が内心嬉しいのである。

なにが?
鼻水垂らしていた幼いときから、のほほんと育った
少年にとっては華やいだ街中へ行ける・・・
頭の中はそれが120%なのである。
時代は変われどこの年頃は賑やかな若者の多い街
へ行きたがるのは世の常、人の情け。

前ブログの「波止場の別れ」も見送る方は感傷にも
浸ろうが、見送られる側はウキウキ気分も確かにある。
少年は現金なものなのです。

(つづく  by らっこ)






Posted at 10:24 | この記事のURL
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たそがれの島 D [2008年03月10日(月) ]
小さな県立高校が1つある。

小高い丘の上に立つ教室から眼下の瀬戸を見おろす。

この高校の愛唱歌は「瞳を閉じて」

作詞・作曲:荒井由実(現松任谷由美)
名も知れぬ瀬戸の風景を歌ったもので、ご本人が
来島された折はこれまた沢山の人が出迎えたそうです。

     瞳を閉じて

1 風がやんだら  沖まで船を出そう
  
  手紙を入れたガラスびんをもって

  遠いところへ行った友達に
 
  潮騒の音がもう一度届くように

  今 海に流そう

2 霧が晴れたら 小高い丘に立とう 

  名もない島が見えるかもしれない

  小さな子供に尋ねられたら 

  海の碧さをもう一度伝えるために

  今 瞳を閉じて 今 瞳を閉じて



そしてこの小さな瀬戸の向こうに見える集落跡
は○×町五輪地区。

五輪真弓の故郷である。
詳しくは知らないが小学生まで過ごしたと聞いて
いる。

昭和49年につくられた「瞳を閉じて」であるが、
ユーミンは創っている詩が、まさか五輪真弓の
ふる里の原風景だとは知らなかったのかも知れ
ない。

実は私はずっと瞳を閉じての歌詞や、五輪さんの
ことを知らず、つい1,2年前に知った程度なのです。

しいて言えば荒井由実時代の「中央フリーウェイ」
や「恋人よ」程度しか覚えてなかったのです。

これにはちょっとしたわけがあります。たわいもない
ことなのだが・・・後日話します。





Posted at 13:02 | この記事のURL
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たそがれの島 C [2008年03月09日(日) ]
三月になると進学、就職シーズンになる。

波止場には島を離れる同級生を見送るクラスメート
が集まり、別れを惜しむ。

この光景は私が小さかったころから変わらない、
これからも繰り返されるだろう。

変わったのはターミナルが新しくなったこと、
汽船と呼ばれた客船からフェリーになったこと、
クラス全員で見送るが、随分少なくなったこと。

クラス全員揃うのはこれが最後。
進学して就職、結婚・・・そのまま都会で過ごす
人あれば島に残る人さまざまである。
同窓会もあるだろうが、二度と全員揃うことは
ない。

「蛍の光」が静かに流れる中、汽笛を鳴らし
フェリーがゆっくりと岸壁を離れる。
同じフェリーに乗り合わせた私は、一瞬タイム
スリップしたように忘れていた記憶が鮮やかに
蘇えった。




Posted at 09:19 | この記事のURL
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たそがれの島 B [2008年03月08日(土) ]
近くに去年3月に閉校した小学校がある。
明治7年に開校した古い学校であるが、過疎化の波
に勝てなかったようだ。

私の母校でもある。
当時300人ほどいた児童も、20人ほどに減っていた
らしい。



もともと鎮守の杜を切り開いて開校したと言われてい
る。すぐ横は樹齢400年くらいの原生林で天然記念
物に指定されている。

私は昭和36年頃から、30年代後半を過ごしたが
当時木造平屋建ての昔風の校舎であった。
その後ご他聞に漏れず、高度成長期に鉄筋コンク
リートの定番の建物に変わったらしい。

配置も変わり面影はないが、かつての痕跡はないか
探してみたらありました。

かつて正面玄関横にあった二宮金次郎さんと蘇鉄。
隅の方にひっそりと30年代の匂いが残ってました。



もうひとつは校庭の真ん中にあった巨きな樹。
杜の名残りの樹なのでしょう。





かつてここが本校で、周りの小島に分校があ
ったのですが、過疎化の波のなんと早いこと。

諸行無常の世界かもしれない。

Posted at 15:07 | この記事のURL
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たそがれの島 A [2008年03月07日(金) ]
昨夜偶然見ていたNHKスポーツコーナーで、ロイヤルズ
の一軍へチャレンジしている選手がいた。
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工房での椿灰つくりに必要な鋸が切れなくなり、新しいも
のを買いに雑貨店へ行く。

年老いたおばあちゃんが出てきたので「どれがお勧め?」
と聞いたが、少し耳が遠いようで聞きなおしながら手頃な
ものを調達した。


かつてこの島で育ち、大阪へ就職された方の小さな子供
が故郷の大好きな祖父母の元へ何度も遊びに来ていた。

後に近鉄でエースとして活躍したが、不和問題等で日本
球界を追われ、単身メジャーリーグへ挑戦した野茂英雄
選手である。

既に過疎化の波に飲まれていたこの島を旅立つとき、
多くの島民がフェリー波止場まで見送りに訪れたそうで
ある。(残念ながら私はサラリーマンしてました)

五島灘を渡り、遠く太平洋を渡り、あのロジャーブルー
の青い空の下、マウンドに立ったとき胸中に何を想い
何が去来したのかは誰にもわからない。

彼も早晩年齢による限界がくるだろう。
その実績も次々に塗り替えられるだろう。

しかし、彼が果敢に挑戦しなかったら今のイチローも
松井も松坂もなかったのも確かである。

燃え尽き納得するまで挑戦し続け、私たち凡人に感
動を与える生き様を貫いてほしい。

この程度の田舎であれば姓はたいてい一族を表す。
雑貨屋のおばあちゃんが同じ姓だと気づき
「野茂選手のいとこですか?」と聞いた。
「いとこだなんて・・・はずかしい、もうむさくるしかけん
そげんこと言われても・・・」
・・・・。田舎である。

STAGEの野茂ファンの皆様、関西STAGEの皆様〕

野茂選手が力尽き、大阪へ帰ったら暖かく迎えて
ください。
STAGEの縁を借りてお願いします。   byらっこ

(つづく)







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たそがれの島 @ [2008年03月06日(木) ]
一ヶ月の予定で田舎工房の仕事予定であったが、
二週間過ぎ頃から胃痛が始まった。
悪い予感がしたが案の定、胃潰瘍の再発で痛みが
増すばかりとなった。

十年ほど前に初めて味わったが、ここのところ決ま
って春先に痛くなる。
仕方なく薬をもらうため岐路に着くはめになった。

さっそく昨日リーマン時代から検診してもらっていた
クリニックに出向いた・・・がない。
長年博多駅ビル内二階にあったのだが、階段が見
当たらない。

前回は一年前になるので少しボケてきたかと、しく
しく痛む胃を我慢しながらもう一回ぐるーっと廻るが、
やはり見当たらない。

人見知りしがちな私であるが、構内にある小さな薬
局に聞いてみると反対側の出口を出たところのビル
に移転したとのこと。

薬を出してもらったが、慢性だから胃カメラで胃ガン
検査しなさいとの達し。
ブルーな気分の上に胃カメラを思い出し、更にブル
ーが重なり深い群青色になってしまった。

なにしろ私の母は高血圧の薬を飲んでいたが薬嫌い
病院嫌いのため、ちょっとよくなったとたん服用を止め、
そのまま脳溢血で他界してしまった。

血は争えぬ・・・ぎりぎりまで・できれば・なるべく病院
は足を向けたくないのだが、落ち込んで借りてきた猫
状態なので、うん、うん頷いてしまった。

帰って薬を一服飲むと、気のせいかだいぶけろっと
なる。

少しずつ平常心に戻ると博多駅が改修中であること、
元クリニック跡は阪急デパートがくるので立ち退き
する旨の葉書が年末頃届いていたのを思い出した。

人間の横着さというか私のサガというか、元気な時に
はゴミの類の葉書としてポイ捨てしてしまう。

今度からはもう少し謙虚に保管しておこう・・・と思って
いるが、たぶんまた同じことを繰り返しそうな予感。
年金払い込み領収証も構図は似てるかもね(*゜▽゜*)

次回からは短かった島の近況をつれづれ書いていき
ます。  (つづく)


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