母は30年にわたる糖尿病との付き合いの中で、食事療法を中心に生活してきた。普通人とかわらぬ血糖値を維持するほどの摂生をしてきた。薬も併用しているのだが、昏倒した2週間ほど前に医者から血糖値が安定しているので、薬は当分控えてもよいとの診断を受けた。その結果の昏倒である。急激に血糖値が上がり、その結果の意識混濁、昏倒という結果になったらしい。
その後○○脳神経外科で母は肺炎であると診断された。糖尿病患者をあつかう××会病院に転院し肺炎の治療を受けた。高齢者の肺炎は随分と恐ろしいことに初期発見されないとほとんどが死んでしまうそうだが、母は幸運にもまったくの初期であった。
××会病院では母に精密検査の中で腸の内視鏡検査を勧めたのだが、辛い思いをしたこの検査を母は拒否した。××病院との関係が険悪になったのはそのためである。
母は足の踵が針で刺されるように痛くて歩くのがままならないと医者に訴えたが、ここは肺炎を治すところで踵の痛いのを治す病院ではないといわれた。母は憤慨した。何回かそんな訴えを母はしたのだが、果ては踵の痛いのは直りませんと医者は投げ捨てるようにいったものである。
肺炎も小康状態となり、踵の治療をするため▲▲総合病院に転院した。いろいろ検査はしたものの▲▲総合病院の医者には原因を発見することができない。足を冷やしたり、暖めたりするが一時的な気休めにしか過ぎない。
退院して様子をみながら■■整形外科に通うことにする。あまりの痛さに睡眠もままならない朝を迎えたとき、■■整形外科にタクシーで駆けつけた。長い待ち時間の後、担当の医者はかけ持ちで他の病院に行っていてよく分からないと、対面した医者は母に赤外線で足を暖めるだけの治療ともいえない処置をした。
母は突然耳が不自由になった。左耳もとで大きな声を出してやっと会話できる状態で、右耳はまったく聞こえなくなったのだ。
足の踵が痛くて歩行困難。耳が聞こえなくて会話が成立しない。母は覚悟を決めたようであった。
そんな中で勘当同然の兄が東京から父母の食事や介護の面倒を見るため帰ってきたのが母の救いであっただろう。
耳鼻咽喉科に通い耳の治療を受けた結果、鼓膜の奥に膿がたまり極度の難聴になったと診断され、麻酔をかけ鼓膜に穴をあけ膿を除去する治療を2回受け、何とか聞こえるようになった。麻酔をかけるのがとても痛いといいながら、あと一度手術をうければ完璧に治るという医者の勧めで治療を待つ今日である。
最近訪問看護士を頼んでいるのだが、あるとき母の足を見て、一度皮膚科に行くよう助言した。踵が痛いということと皮膚科とどういう関係があるのか。訪問看護士は達観であった。○○皮膚科に行った結果、水虫菌が踵の角質を破って皮下組織をおかしているという診断であった。治療の結果、年来の踵の痛さは解消された。
数日前に2週間休みなしの仕事を終えた土曜日、母を訪ねた。
11月中旬に倒れて以来、数々の屈託が取れ心安らぎながら話す母のそばで聞いている僕は母の奮闘とたくさんの医師や看護する人たちとの邂逅に思いを巡らしていた。
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