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毎日たくさんのことがある。
まったく整理のつかない、雑記録風57歳のオス猫のブログ。
右の葉っぱはモンステラですね。

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綺麗なお婆ちゃんね。 [2007年06月30日(土) ]
94歳の母が入院した。6月19日のこと。
今度は、足の膝関節から腰の付け根の痛みを訴えたからだ。
老人性のこの種の痛みは、年のせいとして、対処療法しかないみたいで、電気治療と安静のみである。
今日面会に行ったとき、他の病院で処方された眠剤を預けてあるのだが、それがきれて昨日はよく眠れず、身体がだるいと言っていた。眠剤の残量を病院が周知するなら、患者は苦痛を受けずにすむのだが、と思った次第だ。
11時過ぎに行った、昼食のちょっと前の母の大部屋の病室には、賑やかに他の患者さんの見舞い客がいて、ちょっとした社交場のようであった。
奥の窓側左の方の患者さん、母よりは10歳くらいは若い人だが、4、5人の見舞い客があった。
妹が順番で今日の付き添いであった中に、僕は行ったのだが、チラチラこちらを見る。決して不愉快な視線ではなく、むしろ、暖かい眼差しでこちらの噂をしているようだ。僕も不愉快ではなく、時々は目線を合わせていた。
その人たちの面会が終了し、部屋を出て行きしなに、母に向かってこういわれた。
「綺麗なお婆ちゃんね。若いときはとっても美人でしたね」と。
身内びいきという言葉があるが、その通りだと思う。
そう言って自慢しているというのも本当だと思う。
しかし、他の人にそう言われるの母はの徳というものだと、僕はそう思う。
年をとってどういう顔になるのかというのは、その人の生きてきた軌跡にあるのだと思う。
母が見も知らぬ人にそう言われるのはそれなりに、母の生き方が、加齢の歴史が、良きものであったのだと僕は思った。

Posted at 16:13 | この記事のURL
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スティーブンキング「クリスティーン」02 [2007年06月28日(木) ]
訳者の深町眞理子の言によると、この小説の根幹をなす人々のひとりにルディがいるが「ルベィの怨念とは何か。一言でいえば、“はみだしもの”、社会不適応者が、自分とは違って、うまく適応しているように見える人たち、つまり“くそたれども”に向ける、『あいつらうまくやりやがって』という逆恨みの感情です。……」、その情念が霊として現実に形成されたという設定になっている。
霊が現存するか否かはともかくとして、ルディ的人間を想起することは容易だと思える。
いかがだろうか。
怨念の連鎖として、例えばだがこんな置換はどうだろうか。

岸信介のルディがいるとする。安倍首相のアーニーがいるとする。
岸信介は本来であれば、文官としてただひとりシビリアンコンロール(文民統制)の責任を負って処刑される運命にあった人であったそうであるが、終戦直前特高に逮捕された経験があるという一点で処刑を免れ、他の人が処刑されたのだが、岸信介はあの軍国主義の権化であったことは確かな話だ。
安倍首相のアーニーは岸信介のルディが乗り移っている、こんな想定は、かなり説得力を持つのではなかろうか。
そういう想像力や他のシュツエーションを働かせつつ、読んでみるのも、一つの読み方ではある。

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スティーヴン・キング「クリスティーン」 [2007年06月27日(水) ]


デニスの一人称で物語が語られる。あの、スタンドバイミーと同じように。文庫本、上下巻で1040ページにわたる長編、数十時間の映像を見ている臨場感のある筆致だ。スタンドバイミーとともに映画化されているが、一番大事なところが変質しているので、と訳者が言い、僕もそれに同感し、見る気はしない。

クリスティーン。ルディの魂が同化し、彼が殺した魂の集合した車’58年型プリマス・フューリー。年老いた彼の後継者となったアーニー。クリスティーンと出会ったその瞬間から魂を乗っ取られはじめる。
冗漫なデニスの独り言から始まり、少し欠伸をかき、すぐ後に引き込まれる。
霊とか怨念をそのまま受け取り、想像力を発揮してともかく気を(身を置くを気を置くと代えて)置くと、別世界が開けてくる。
ルディに乗っ取られたアーニーの魂を友情という名の愛で(訳者がいうこの本の主題)、アーニーの恋人リーを結果として彼から奪い、彼女を守る戦いに挑むデニス。
勝利で結ばれる物語。

勝利して、生きているからこそ一人称の語りは存在する。
読むものに安心感を与えるアメリカンならではの造作だ。

スティーブン・キングの人物設定と緻密な人格描写は架空の世界にリアリティを与えている。

Posted at 19:53 | 読後感想 | この記事のURL
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V・C・アンドリュース「ルビー」を読む。 [2007年06月23日(土) ]
50代後半にして、読書放浪が始まる。
今回は、V・C・アンドリュースの「ルビー」。
アンドリュースは1979年に処女作を発表して、その9年後、86年12月に死去した。
短い作家生活。何がアンドリュースを冥府にやらせたのか?

ルビーという15歳の多感な少女に巻き起こるさまざまな事柄、善良なその本性から、その才能、人への思いやりを嫉妬され苦境に追い込まれていく。
多感な世代の性への憧れ、慄きを女性の目から見つめるその描写は男性にとっても、誤解を避けず言うなら、大変興味深いものがある。
括っていうなら、アメリカ流成功物語とはいえる。

事情があって、生まれてすぐに双子の姉と離れ離れになったルビーはルイジアナ州バイユー、フランス系の人々ケイジャンと呼ばれる社会に生活する。読者がハラハラする、ここでの沢山の事件は、育ての親キャサリンおばあちゃんの死去によって終わる。

本当の父、双子の姉探しにニューオルリンズに来たルビーを待っていたのは、大富豪の父親一家の財産に庇護されたハッピィな生活ではなかった。過去の過ちに神経を蝕まれたうつ病の父親。真の母親を知らず、自分にとっては快適であった生活を乱されるという敵意に満ち、ルビーの才能を嫉妬し、注目を妬み、意地悪をし続け果ては自分自身を傷つける双子の姉ジゼル。
上流階級の体面を取り繕い、人間的な関係を誰とも結ばない、決定的な権力を家族に示す、冷徹で利己的な義母ダフネ。
果敢にそれらに挑み続け、最後に融和と安定をもたらすルビー。

思春期のカオスの中にある精神に、正義と幸福と希望を示唆する1冊といえる。

文庫本1.5センチ、上下巻にわたる長編は、少しの信望さえあれば物語の筋に嵌ってしまうだろう。
感性を枯らせない一冊だと僕は思う。
下巻の訳者あとがきでは、物語の地理的、歴史的背景やに出てくるケイジャン料理の「ジャンバラヤ」、「ガンボ」などの料理にも一言書かれていて興味深い。

アンドリュースを読んだ人がいたら共有したいものだ。

Posted at 12:09 | この記事のURL
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ムービー「モンスター」、パトリシア・コーンウェル「神の手」、そして、孫への草鞋。 [2007年06月17日(日) ]
なんとも長いタイトルになったが、最近の出来事を三つまとめてするよりない気持ちになった。順序は逆だが、「孫への草履」から始めよう。
父の日というので、息子の一家が今日来た。そのためでもないが、最近始めた「草鞋作り」の技を、昨日、孫にも披瀝しようと、草鞋を作った。
参考のため、所要時間は5時間。その価値はあるとみた。



小ささが分からないので。



これで分かると思うが、右は23センチ、左は15センチ。



ラックに入れたところをパチリ、お気づきのように他愛もないバカさ加減。


シャーリズ・セロンのモンスター
全く不条理の世界。
8歳のときに、父親の親友にレイプされた女性。その後数年に関係を続けさせられ、父に訴えても信じてもらえない。13歳で、経済的担い手として娼婦となる。すさんだ生活の中、あるきっかけで、無垢な少女と出会いい精神的な絆を持つ。その生活を守るため、一度は足を洗った娼婦に身をやつす。
精神的な愛と自らの汚れへの嫌悪で、殺人を犯し、連続する。
法廷での彼女の叫びは、その罪への償いは当然とは思うものの、深く重い不条理が拭えない。

パトリシァ・コーウェルの神の手
相当にポップな小説なのかもしれないが、初めてこの手の小説を読む。
シュツエーションははいかにもハリウッド的というべきか。
ホッグという名の主たる出演者の意味は「ハンド オブ ゴッド」、その綴りのHOG、豚の蔑称をもった、ブラックユーモアか。
シーンの切り取り描写の筆致は、初めての経験にすぎることもあり、読み尽きるには辛抱もいったことだ。
コーンウェルの本を読んだ方のコメントを期待したいと思う。

Posted at 22:48 | この記事のURL
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草履三昧その2 [2007年06月13日(水) ]
妻の布草鞋が完成しました。
草履のくせに、大事なパソコンの上に、なんていうことは言えません。
何しろ、その手間といったら、パソコンに上に神棚を置いてその上に置いてもよいくらいの感じです。仕上がりは、かなりしっかりしてます。



今日完成したばかりの紫の草鞋です。
紫の草鞋なんて、どうなんでしょうか。
紫は、僧侶でいえば最高の袈裟の色。知性の色?なんでしょうが、如何なものでしょうか。



因みに、背景にある青い色は今度作る草鞋の布。妻が今度のなら旅行に履くんだ、作る前から自分のものと断定しているのです。
その背後にある、左側に四本の釘のある板が僕の編板です。

春の小径さん、6日のコメント有難うございました。この場を借りてお礼

Posted at 21:44 | この記事のURL
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草鞋三昧 [2007年06月10日(日) ]
先先週のこと、予てから草鞋作りのために狙っていた、ガレージバザーで、絶対売れないという感じの和服を無料で譲ってもらった。
それからが奮闘だった。ブログを書いているヒマもない。仕事から帰ってきたら、和服を解体し、平らにアイロンをかける。7センチ×1メートルを都合28枚作る。一足分の量だ。これを売ろうなんてキチガイじみている。もし売ろうなんてするなら、ウン千円という労賃でもマカタしないだろう。



右のダンボールには直定規やはさみ、カッター、加工終了の生地、そして本。
左の紙バッグにはあれもこれも、未完成の物がぎしっりはちきれそう。



今日完成した3作品目。妻へ。
裏側からの撮影は、鼻緒を固定するのにボンドを塗って逆さま。失礼。

いつまで続くのか草鞋三昧。

Posted at 21:54 | この記事のURL
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猫のバリケード [2007年06月06日(水) ]
「ネコ可」の賃貸マンションに引っ越したのは去年の11月。
息子の寝ている部屋をガリガリ、たかを括っていると、ついに剥げてしまった。あせって、ボンドで修復した。ガリガリを防ぐ手段はないものかと思いつつ、ダンボールを二つ戸の前に置いたが、やはりガリガリやる。
最終兵器バリケードはその苦悩から、必要は発明の母として生まれた。



横の長さ84センチ、高さ53センチ、蛇腹はダンボールを二枚張り合わせ、上から差し込む式の補強板は4枚重ねにした。
偶然と言おうか、棚から左の壁にぴったいりと嵌った。
息子に感想を聞くと、ネコには乗り越えられない、快適に寝ることができたと言う。
角度を変えて見ると、



このようなわけで、結構強い。差し込み式の横板は一枚物では出来ないので、二枚を大工の梁の継ぎ足しの様に組んで、ボンドで接着した。

必要のないときは、コンパクトに纏める。



張本人の紹介はついでのようなものだが、左下に写っているのは6月が誕生日の娘のために編んだ草鞋である。

Posted at 19:03 | この記事のURL
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この近所で珍しい「キングサリ」 [2007年06月01日(金) ]
名前が分からず、その珍しい美しさに目を惹かれて数年。
今年はついに撮影。一軒置いた隣に住む人に場所や花の容姿などを説明した。「それってゴールデン……、鎖とか、ウーン、よく覚えていないけど」とのこと。インターネットで「ゴールデンチェーン」と言われているでドンピシャリ。
名は「キングサリ」、別名「キバナフジ」。
サガリフジは木肌がごつごつ老木っぽいが、キングサリは和歌だけのように冴え冴えしい。






もう一つ。これは職場の近くの公園にあるのだが、真中に富士棚があり、その周りをライラックが囲んでいると言うこんもりした空間をなしている。





PS:この記事は6月1日にアップしたつもりが、今日チェックしたら、下書きになり、生地は半端の状態でファイルされていた。発見できて、良かった、よかった。

Posted at 20:24 | この記事のURL
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