近頃の父と母は、ひとつの角を曲がったように老いてきた。
それは最後から幾つめかの角で、そう多くはないように思う。
最近僕は、布草履作りを趣味にしているのを父母にアピールすることがあった。それならと、母が、今はもう着ない、というよりは切る気力も体力もないというのが正鵠を得ているが、僕に数着の着物を快く、布草履に供してくれた。
まずは、それをバラす事からはじめるのだが、なんとも、母がきっとこの着物を着て宴会にでも行ったのだろう、転々とシミが付いている。ああこれは母の生活の証明だのだなと思うと、心にふと突き刺さるものがある。
中には、随分着たと思われ、勿論クリーニングに出しているものの、襟に油染みが残っていたりする。
なぜか、母の生活の厳しさを思ったりもする。
そんな、着物を壊す作業をしていると、ふっと思い来たった計画がある。
母の、生活臭を布草履にして、その子どもたちに送ることも悪くはないことでないかと。
このように解きほぐす。着物はタダの塊となる。
そんな塊を、切れ切れごとにアイロンをかけ、まあいわば反物にする。
そして、幾つか出来た反物の積み重ねだが、アイロンをかけて皺を伸ばす時の、布の臭いはぼくは好きだ。
妻は嫌いだというが、余程近しいものでも好悪は違うのだなと思いながら、僕はその臭いに酔う。
そんな思いを形にした第一号だ。
これは父違いではあるが、一番上の姉にやるつもりだ。
後十足をとりあえず作る。
まずそこを目標にしている。
94歳の母だから、布草履にして形見分けも、場所を取らなく身近に置けるかもしれない。
出来るかぎり早く作って、母を通して送りたいと思う。
マザーコンプレックスと、人には言われよう。
それは最後から幾つめかの角で、そう多くはないように思う。
最近僕は、布草履作りを趣味にしているのを父母にアピールすることがあった。それならと、母が、今はもう着ない、というよりは切る気力も体力もないというのが正鵠を得ているが、僕に数着の着物を快く、布草履に供してくれた。
まずは、それをバラす事からはじめるのだが、なんとも、母がきっとこの着物を着て宴会にでも行ったのだろう、転々とシミが付いている。ああこれは母の生活の証明だのだなと思うと、心にふと突き刺さるものがある。
中には、随分着たと思われ、勿論クリーニングに出しているものの、襟に油染みが残っていたりする。
なぜか、母の生活の厳しさを思ったりもする。
そんな、着物を壊す作業をしていると、ふっと思い来たった計画がある。
母の、生活臭を布草履にして、その子どもたちに送ることも悪くはないことでないかと。
このように解きほぐす。着物はタダの塊となる。
そんな塊を、切れ切れごとにアイロンをかけ、まあいわば反物にする。
そして、幾つか出来た反物の積み重ねだが、アイロンをかけて皺を伸ばす時の、布の臭いはぼくは好きだ。
妻は嫌いだというが、余程近しいものでも好悪は違うのだなと思いながら、僕はその臭いに酔う。
そんな思いを形にした第一号だ。
これは父違いではあるが、一番上の姉にやるつもりだ。
後十足をとりあえず作る。
まずそこを目標にしている。
94歳の母だから、布草履にして形見分けも、場所を取らなく身近に置けるかもしれない。
出来るかぎり早く作って、母を通して送りたいと思う。
マザーコンプレックスと、人には言われよう。
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at 20:35
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