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忙しくなってしまって、アップできません。  [2008年05月13日(火) ]
申し訳ありません。出張が入り忙しくなってしまいました。
2週間ほど、何もできなく、お読みいただいた方にお詫びします。
また、帰りましたらよろしく!です。

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「佐伯警部補の肖像」その3  [2008年05月10日(土) ]
こんにちは。それでは、第四話
「佐伯警部補の肖像」その3/3を始めます。
※初めての方は、その1からお読みください。


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家の裏手に来ると、閉じた雨戸の隙間から、薄い光りが漏れていた。
ろうそくの灯りと思われる、わずかな光の揺らめきの中に、子供と安藤がいる。佐伯は街路灯もない、暗い植え込みを横切り、雨戸の前の庭に出た。静かに雨戸に近寄ると、持っていた懐中電灯の明かりを消した。この一枚の板の内側に廊下があり、そして安藤のいる6帖の間がある。佐伯は大きく呼吸を整えると、漏れ出たわずかな光に顔を寄せ、語りかけた。
「安藤きこえるか?私は、I警察署の佐伯という者だ。私一人でここにいる。安藤、お前を説得に来た。争いに来た訳ではないので、まず聞いてくれ。」
突然、漏れ出る光が消えた。ろうそくを吹き消したのだろう。佐伯は、聞き耳を立てたが、中からは物音ひとつしない。
「安藤、話し合うだけだ。まず、聞いてくれ。いいか雨戸を一枚外したら、私はそれ以上お前には、近づかない。いいか、雨戸を一枚はずすぞ。」
中はまだ、静かなままだったが、佐伯は思い切って、雨戸を外しにかかった。
闇の中で、雨戸をゆっくり外すと、廊下をへだててガラス障子が見えた。
揺らめいていた明かりはすでに無く、佐伯の背後にも闇が迫る。
「安藤、聞こえるか?私は、I警察署の佐伯という者だ。居ると思うので、聞いて欲しい。」
障子の内側からは、何の物音もしない。しかし佐伯は、息を潜める気配を感じていた。
「子供は大丈夫か?ともかく子供の安否だけは教えてくれ。お前も人の子だ。子供を人質にすることが、皆にどれだけ苦しみを与えるか。お前も分かると思う。」
中からはあい変わらず、音は無い。しかし安藤が聞いているだろうことは、確信していた。
そして、廊下をはさんだ、暗く少し傾いだ障子に向って、繰り返し語りかけた。
「いいか、聞いてくれ。俺にももうすぐ、子供が出来る。親になるんだ。安藤、お前にも親がいる。だからな、俺はお前の親の気持ちも、その子の親の気持ちも分かるようになったんだ。お前にも、母ちゃんの気持ちを分かってくれ。安藤、お前のやったことは、一時の気の迷いだ、なっ。このまま争わずにパトカーに乗ってくれ。お前はまだまだ、やり直しができる。子供の様子はどうだ?安藤?」
佐伯は、一気に語りかけると、そっと廊下に上がって、中の様子を伺った。
しばらくして言葉を足そうとすると、障子の内側でごそごそと人の動く音がした。
佐伯は、貼り付いたのどを剥がすように声を出し、話しを継いだ。
「安藤。お前のやったことは犯罪だ。だから、罪の償いはしてもらわなければならない。しかしな、年齢から言っても、それと子供になんの怪我もなければ、お前が思っている以上に早く、やり直しがきく。いいか、ここが大事なところだ。捨て鉢になるな。これからだと思え。これで終わりじゃない。いいか、ここが始まりだと思ってくれ。」
佐伯の悲痛な声が通じたのか、障子の奥から、くぐもった涙声が聞こえた。
「刑事さん。俺とんでもねえことしでかして、、」
佐伯はふたたび、静かに問いかけた。
「子供は、どうだ。子供はどうしている。」
「子供はここで、寝てるよ、、無事だよ」
佐伯は安藤の言葉を聞き、そっと胸をなでおろした。そして、努めて冷静な口調で言った
「それならな、話しは簡単だ。私と一緒に来てくれ。このままでは済まないが、お前が罪の償いを終えるまで、私がお前の母ちゃんの様子をちゃんと連絡する。お前が出てくる時はなあ、私が保証人になる、なっ、だからこれでもう終わりにしよう。な、いいな。」佐伯は諭すように安藤を導いた。
「俺はいいんだけど、、、」
安藤の物言いに、一瞬異様さを感じたが、すでに子供の安否を確認できた佐伯は、いつに無く油断をしてしまった。
佐伯は間をおかず、中の安藤に言った、
「子供を先ず、解放してくれ。寝ているなら、私が、子供を抱えていくよ」
先を急ぐ佐伯が、思わず障子を開けた途端、安藤が大声を上げた。
「刑事さん!入っちゃあ、だめだあ!」
「うおー」と奥の暗がりから、安藤とは違う大声がした。そして、佐伯めがけて突進して来た。
避ける間も無い佐伯の胸に、鈍い音を与えた人影は、廊下を蹴り上げ表に飛び出した。
外で待機していた、警察官が異常に気づき、一斉にサーチライトを点灯した。
照準を合わせていたライトが、空家周辺を昼間のように明るく照らし出したのだ。
目映いばかりの光の中で、廊下に仰向けになった佐伯警部補の姿が浮かび上がった。その胸には、白く光りを反射させた包丁が立っている。
「刑事さあーん、刑事さあーん。だれかああ、だれかああ、」と側で安藤が泣き叫ぶ。
佐伯は倒れたまま、あたりが騒がしくなるのを聞いていた。あまりのまぶしさに瞼(まぶた)を閉じると、泰子の顔や姿が浮かんでくる。意識の薄れる中で「申し訳ないことをした、申し訳ない事をした」と泰子に話しかけるが、青くなってしまった唇は、少しづつ動かなくなっていた。
近づいているはずの救急車やパトカーの音が、何故か遠くの方で鳴り、横で泣き叫ぶ安藤の声も途切れがちに聞こえる。
激しさを増すあたりの喧噪とは裏腹に、佐伯の体は二度と帰らぬ沈黙の世界に、入り込んでいった。

この誘拐事件は、安藤単独の犯行ではなくもう一人、実行犯がいた。警察の捜査を巧妙に逃れながら、若い安藤を操っていた男が、主犯であった。
男は佐伯を包丁で刺し、逃れようとしたがその場で取り押さえられ、事件は終了した。
この事件を一人の犯行と決めてかかってしまった、捜査本部の後悔や、工藤署長の悲しみは、深く大きいものであった。
とりわけ9ヶ月という身重で、最愛の伴侶を亡くした、泰子の悲痛さは、想像すべくも無い。
葬式から、ひと月ほどたったある日「ほんの気休めではあるが」と工藤署長の提案で、佐伯警部補の肖像画が描かれることになった。
佐伯警部補の肖像画を掲げ、その勇気と功績を永くとどめようとしたものである。

時は流れて、工藤署長も退任となりI警察署を去った。少しずつこの事件を知る者もいなくなり、歳月は過ぎていった。
そして、この悲しい事件を誰も口にしなくなった22年後、昭和も終わりに近づいていた年のこと。
I市警察署もすっかり様変わりし、木造だった建物は堂々した5階建てのビルになっている。
桜の花びらの舞う季節、そのI市警察署には、この春大学を卒業した6人の若者が警察官として職務に就いた。
就任式を終えた夕刻、署長室での懇談会の最中に、その中のひとりの青年が、壁にかかる若い肖像画をじっと見ていた。
普段は誰も気に留めない、壁に並ぶ肖像画である。くつろいだ会話のまとまりから、ひとり外れたその青年が妙に気になり、署長が声を掛けた。
「ああいう絵に、興味があるのかね?」
「はい」と、その明るく聡明そうな青年は、答えた。
それならばと署長は、自分が伝え聞いたその若い肖像画の由縁を話そうと、ゆっくりと青年に近づいた。
そして、青年の胸元の名札を見て声を上げた。
「佐伯、、、君はまさか、、」
肖像画を見ていた青年は、署長の方に笑顔を向けて答えた。
「はい、佐伯幸雄と申します。あの絵は、私の父であります。」

                       
                    (おわり)






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文章は、私の夢想です。掲載画とは、直接の関係はありません。
この作品のサイズは約32.8×41cm(F6号)板に油彩
作品表に作者サインと年期(1929年)があります。
入手時期、出処場所は共に残念ながら、はっきりしません。
「肖像画」というには、若過ぎますし、遺影にしては、色使いが少し明るい気がします。
絵画が好きでも、一般的にはこの手の絵は不人気です。
というより、誰も買いたがらない、飾りたがらないと、私も思います。
今あらためて見ると、作者の力量に感心して入手したのではないかと、そんな思いがします。
卓越した描写力、一瞬で人格にまで迫る筆使いは、そう簡単には身につかないものです。こんな風にさらっと描くのは、とても難しいことと、個人的には思います。また、こんなふうに、「嘘のつかない人間」を描けたらいいなあ、とも思います。
これほど誠実な人物像が描けるなら、きっと風景や静物画も、どこかに残っているような気がします。
約80年前、1929年のこの人と、この人を描いた画家にはもう会えませんから、せめて同じ画家の描いた作品に、巡り逢えればいいなあと思います。

拙い記事におつきあいいただきありがとうございました。
次回は5月15日(木)(予定)
人物古写真「最後の花魁(おいらん)春奴の恋」を掲載します。
昭和40年代(おそらく)で最後となった「花魁」という生き方に、興味を持ち、書いてみたくなりました。よろしければ、次回もまた、おつきあい下さい。
※使用している映像、画像のオリジナルは当方が所有しています。
しかし、これらには出処不明のものが少なからずあります。
著作・肖像権の消滅していると思われるものを使用しますが、
もし著作者ご本人で、掲載に異議のある方は、
私のサイトhttp://www31.ocn.ne.jp/~tokyusha/ から
ご連絡ください。
画像削除等、誠意をもって対応させていただきます。

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絵画教室・生徒募集  [2008年05月08日(木) ]

油絵の鑑賞と楽しい実技講座」のお誘い!


こんにちは、
私の得意とする!`O'!
絵画講座の日程を、お知らせします。
場所は銀座です。週一回ですので、お散歩がてら楽しい
時間を過しませんか?

<講座内容>
美術館で常に主役の油絵。実は扱いが最も簡単な画材だ
ってご存知でしたか?だからこそ多くの傑作があり,描か
れ続けてもいるのです。
本講座では絵画鑑賞の楽しさと、絵を描く喜びを、実技
とともに学びます。
ゴッホやルノアールなどの絵画技術の秘密を解いたり、
少しでも絵の好きな方なら、とても楽しい講座になると
思います。
なお、実技の際には、あえて油絵の道具を揃えなくても
進行できるように致します。初心者の方には、材料、道
具の揃え方なども丁寧にお話します。
講座の間には、小さな静物画を一枚仕上げます。
お問い合わせ、ご応募は下記メールか、教室へお願いし
ます。     tokyusha@ba.mbn.or.jp
       
         
「油絵の鑑賞と楽しい実技講座」
`08年.7月3日(木)より毎週木曜日全6回講座※8/7(木)終了
                 時間/午後1時〜3時 
・料金/全6回 19.800円
・場所/銀座ナガタニビル6F永谷カルチャースクール
     東京都中央区銀座7-17-13 03-3270-6064
・講師 小野寺 雅憲     東京造形大学油彩学科
              旧武蔵野デザイナー学院
                      学院長


講義をするのは、掲載者本人ですので、お問い合わせは、
ご遠慮なくどうぞ!








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「佐伯警部補の肖像」その2  [2008年05月06日(火) ]



絵画・写真で綴る昭和叙事詩(第四話)

こんにちは。それでは、第四話
「佐伯警部補の肖像」その2/3を始めます。
※初めての方は、その1からお読みください。


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「6日ぶりだよお、夕飯一緒。」
妻、泰子の声に、不平らしさはまるで無く、夕飯を一緒にできるうれしさだけが、佐伯には伝わった。
真向かいに膝を崩して座る泰子は、大きなお腹を腿の上に抱えている。
佐伯は、おかわりの茶碗を差し出しながら、泰子に言った。
「今度のヤマが片付いたら、お父さんの墓参り行こう。お盆に行けなかったからな。」
泰子は、子供のように座布団の上で跳ね、はしゃいで応えた。
「そしたらI百貨店に寄って、もう少し、おしめ買っておこうかな。何だか、何百枚あっても足りない気がするのよ。」
「何百枚は大げさだろう。」そして佐伯は続けた。
「生んだらお腹ぺしゃんこになるなあ、お前のワンピースでも買ったらいいなあ。」
「あら、やさしいんだ。でも、あんたも少しおしやれしたらいいよお。私あんたの、姿形(すがたかたち)にも惚れたんだから」と言ってのける妻に佐伯は渋い顔をして見せた。しかし、溢れ出るうれしさは押さえ切れなく、すぐ笑い顔になった。
「同じく、、」と言いそびれて佐伯は、沢庵をほおばり茶碗のご飯を、かき込んだ。
誰が、痩せて神経質そうな自分の姿を、褒める者がいるだろう。お世辞と分かっても、妻の気持ちは大切にしたい。俺たちはそんな気持ちを持ち寄って、そこから長い二人旅に出たのだ。
そして、来月には仲間が加わる。
待ちかねた天からの贈り物だ。そして妻は、その新しい仲間も、きっと褒めるのだろう。笑ったと言って褒め、立ち上がったと言っては褒めるのだ。
夕飯になると、いつものように熱心に泰子は語りかけたが、ことの他今夜は勢い込んで話した。まるで、もう時間が残っていないかのように、佐伯に語りかける。
「名前のことだけどね、あんたの幸って字を貰って、幸雄はどうかって。署長さんの奥さんが言ってたけど、どお。」
「何だかずいぶん平凡だなあ」と佐伯は、みそ汁に手を伸ばしながら言った。
「私もね、遠慮なく奥さんにそう言ったのよ。平凡だって。そしたらね、あんたの仕事って、平凡な日常を守ることだって。人がキチンと育てば、平凡な名前も平凡で無くなるって。」
佐伯は笑いながら言った。
「そりゃあ、そうだが、、生まれて来る本人が気にいるかどうか、、それに男って決まった訳でもないしなあ。」
すると泰子はお茶を飲み込み、口をとがらせながら言った。
「男の子だよお、お腹けるものお」
「男の子は、けるかあ、あははは、」
そこへ電話器の音が、けたたましく鳴った。柱の時計を見ると夜9時をまわっていた。奥の暗い部屋に行き、佐伯が受話器を取ると、署長の声がとびこんできた。
安藤の居所が掴めたので、すぐ現場に来てくれということであった。
「出かけるわ、飯の途中ですまんなあ」
すでに、着替えの洋服を抱え、側に立っていた泰子に、佐伯は言った。
泰子は、微笑みをつくりながら、佐伯の着替えの手伝いをした。
そして、佐伯がネクタイを結び終えるのを待って、背広の肩にあった糸くずをつまみ取り、笑い顔をみせた。
「あなた、気を付けて、行ってらっしゃい。」
さきほどまでの、はしゃぎぶりをすっかり押さえ、気丈な風に言って見せる泰子を後に、佐伯は玄関を出た。

H川の土手には、既に十数台のパトカーが連なり、赤色灯が紅い花びらのように、夜の川面に舞っていた。
佐伯は車を降り、署長がいると思われる、警察官の一団に向って走った。
佐伯の姿を見ると、署長が挨拶もそこそこに言った。
「安藤の潜伏先を確定した。周囲の小さな道まで、非常線を張っちょるが、とにかく、急いで子供の安全を確保する。あそこの、灯りの点いていない平屋の家だ。」と署長は、土手下の畑の間にある、一軒の小さな平屋を指差した。
佐伯は、立っている土手の上から全体を見渡した。暗がりの中でも探照灯(サーチライト)の配置した場所は見てとれ、まわりにはその家を囲むように機動隊が配置されている。この様子から、数時間で突入の指揮が下るのではないかと佐伯は考えた。
そして夜の闇の中で、黒い雲のように横たわる平屋を見ながら、署長に言った。
「突入の前に、一度私が安藤を説得してみます。1時間ほど、ねばってみますので、突入はその後にしていただけませんか?」
署長はうなずき、佐伯に空家の間取り図を渡して言った。
「機動隊を一緒に行かせよう。」と署長が言うと、
「いえ、安藤ひとりとの話し合いですから、私一人が良いと思います。複数だと刺激することになりますから。何かあればすぐ分かる位置に、警察官を配置してください。」
そう言って佐伯は、図面を持ってパトカーの窓に寄り、敷地の様子と家の間取りを記憶した。
それから、数名の警察官と手短に打ち合わせを終えると、土手のコンクリート階段を下り、ひとり畑の中の暗い家に向って、歩いた。

                     (つづく)



  文章は、私の夢想です。掲載画とは、直接の関係はありません。
 この作品のサイズは約32.8×41cm(F6号)板に油彩
 作品表に作者サインと年期(1929年)があります。
 次回(第四話「佐伯警部補の肖像」その3/3)は
  5月10日(土)(時刻未定)掲載予定です。
  桃丘舍http://www31.ocn.ne.jp/~tokyusha/

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「佐伯警部補の肖像」その1  [2008年05月04日(日) ]
こんにちは。
今回は少し長文になったため、3回にわたって掲載します。
次回(その2/3)は5月7日(時間未定)掲載予定です。

それでは、(第四話「佐伯警部補の肖像」その1/3)
を始めます。


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島根県東部に位置するI市、そのI市の警察署、署長室。
天井近い壁に、歴代署長の肖像画と並び、ひときわ若い顔の絵がある。佐伯幸治警部補の肖像画である。


「はいっ、行方不明になった日の午後11時頃です。工員服の男が、3〜4歳位の男の子の手を引き、H川の土手の上を歩いているのを、暴走族の一団が目撃しておりました。危なく撥(は)ねるところだったげで、顔もよう覚えちょる言っております。」
「安藤だ」
I市郊外の駐在所警察官の報告を聞き、佐伯警部補は直感した。
そして、汗ばんだ手で黒い受話器を握り直し、強く耳に押し当てた。

記録的な残暑が見舞った、昭和40年9月のある日。
地元プレス工場経営者の、四歳の息子が、何者かに連れ去られた。
複数の目撃証言で、ひと月前にこの工場を解雇になった、元プレス工、安藤保という17歳になる男が、容疑者に浮かんだ。
工場経営者に解雇の理由を尋ねると、何か釈然としない物言いであったが、どうも工場内で負傷してしまい、それからの解雇であったらしい。
行方不明から2日たっても、身の代金要求などはまだない。しかし、佐伯警部補を中心に、誘拐事件として特別捜査本部が置かれ、安藤と子供の行方を追っていた。

佐伯が、電話を切るのを待って、後ろに居た工藤署長が声をかけた。
「どげな?(どうだい)足取りは掴めたか?」
「はい、署長。潜伏先はまだですが、何人かの目撃者がおりました。どうもH川沿いに潜んでいるようなので、すぐ現場に行ってきます。」と机に置いてあった上着を手に取った。すると、署長はそれを制し言った。
「まあまあ、焦るな。昼飯食ったかあ。」
「いえ、まだ。」と答えながら壁の時計を見ると、午後2時になろうとしていた。
署長は持っていた、大きな弁当箱を持ち上げた。
「わしもまだだけん、一緒に食わこい(食べようよ)。」と空いている椅子を佐伯の机に引き寄せ、腰掛けた。
「事件が見えて来たら、それこそ落ち着きが肝心だなあ。昼抜きすると、午後からしんどくなるけん、食わなあいけんよ。愛妻弁当じゃろうが。」
言われて佐伯は、机の上の、藍染めの風呂敷包みを見た。
「今はまだ容疑者も極度な緊張状態じゃけん、やたらな動きを見せると、子供に影響が出る。」
そして署長は表情を緩めながら、箸を持つ手で、自分の腹をなぞった。
「何ヶ月になるかのお?」
妻、泰子の大きなお腹を思い浮かべて、佐伯は答えた。
「はい、来月の予定ですので、もう、9ヶ月目です。」
「あんたらは、ほんに立派な夫婦じゃけん、わしも早う子供の顔が見とうてなあ。孫の時よりも、わくわくどきどきだ。あははっ。」
泰子を紹介し、仲人を務めた署長は、笑って言った。
佐伯も弁当の蓋を取りながら、笑みをこぼした。
「はい、順調にいっておるようですので。ご心配おかけしまして、、、」
「あははっ、ご心配はしとらんって。」
佐伯夫婦は、お互い30代後半の遅い結婚であった。
佐伯は仕事柄で婚期を逃し、妻の泰子は、父の看病のため婚期を逸していた。
結婚後も、佐伯の多忙さは一緒だったが、待っている妻がいるというだけで、心に潤いが沸き、仕事も充実した。
今は、泰子がつくり出す平凡な生活が、佐伯の心の糧になっているのだ。
仕事柄、悲惨でむごい事件も多く、以前は良く自分を見失い、生活も荒れた。
しかし今は、この平凡な日常があればこそ、心が安定する。そして、この平凡で静かな日常は、泰子の人知れない努力によってあるのだと、佐伯は心に刻んでいた。
署長と佐伯が、遅い昼食を取っていると、担当刑事が二人の間に飛び込んで来た。
「例の行方不明事件、経営者宅に、身代金要求の電話がありました。」
署長は、軽くなった弁当箱の包みを抱え、立ち上がり佐伯に言った。
「よし!捜査令状だ。営利誘拐容疑!佐伯君はすぐ、安藤のアパートにガサ入れてくれ。おらんと思うが、後で令状持たせるけん。ドア、はずしてなあ。それと、機動隊の要請もしておくけん。潜伏場所が分かりしだいすぐ連絡する。」
そこまでまくしたてると、署長は鑑識に急いだ。佐伯も、大急ぎで警察署を出て、パトカーに乗り込んだ。


安藤容疑者の部屋に、足を踏み入れた佐伯は、いい知れぬさみしさを覚えた。
3帖一間いっぱいに、よどんだ西日が満ち、壁に貼られたアイドルの顔を茜色に染めている。これといった家具も無く、人の気配も感じないが、それでいて人いきれのする、息苦しい部屋だ。畳は暑さと湿気で膨らみ、歩く佐伯の足裏を、力無く押し返している。
佐伯は、目の前にある小さなちゃぶ台の上を見た。どこか温泉地名の入った湯のみ茶碗の横に、乾いた血で汚れた包帯が、几帳面に丸めてあった。
それから、佐伯はちゃぶ台の下にある、小さな炊飯器に手を伸ばした。蓋を取ると、一粒の米も無く、空っぽだった。
一緒に来た鑑識に、指紋採取の指示を与えると、佐伯は部屋の隅にある、みかん箱を調べた。
壁に掛かった2着の洋服と、このみかん箱の中身が安藤の全財産なのだ。
箱の中には中学の卒業アルバムと、読み込まれた雑誌に混じり、はがきと封書の束があった。ほとんどが同じ島根県山間部の過疎部落の住所からのものである。
「保様へ、ありがとう。仕送り着きました。なんてて、この夏は畑のキュウリが虫にやられてしまって、大弱りです。、、、」
どれも手紙の出だしは「保様へ、仕送りありがとう。」と書かれた母からの手紙であった。中に混じって、高校に通う妹の手紙もあり、それも「兄ちゃんへ、仕送りありがとうございます」と始まっていた。
みかん箱の底には、ブリキの菓子缶があった。中には、紫色の布にくるまれて古い止まったままの腕時計と、数枚の写真がある。おそらく父親であったろう白黒写真は、弱い笑い顔を佐伯に向けた。はがきの文面から、父はすでに他界していることを知った佐伯は、しゃがんで痺れた膝を伸ばし、立ち上がった。
夕日の貼り付いた窓を開け、部屋に風を入れて佐伯は思った。
「安藤を追いつめてはいけない、もう十分に彼は追いつめられている。」と。
                                  
                                    (つづく)

 


 文章は、私の夢想です。掲載画とは、直接の関係はありません。
 この作品のサイズは約32.8×41cm(F6号)板に油彩
 作品表に作者サインと年期(1929年)があります。
 次回(第四話「佐伯警部補の肖像」その2/3)は
  5月7日(時刻未定)掲載予定です。
  http://www31.ocn.ne.jp/~tokyusha/
            

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「仙人岳での遭難」  [2008年04月27日(日) ]
 

 こんにちは。それでは、(第三話)
「仙人岳での遭難」を始めます。


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通称仙人岳は、穏やかで平凡な山である。
5月の朗らかな日、この山で地元小学生が楽しく遠足をしていた。
群れから離れた生徒の一人が、朽ちかかった神社で、古い壷を発見した。
群れにもどり、引率の教師にそれを見せると、教師の頭に「大判、小判キラキラ」と浮かんだ。
「おお、おお、」と生徒が騒ぐ中、引率の教師は、どきどきしながら蓋を開けた。
何かポワンとしたものが壷の口から出たように見えたので、逆さまにして振ってみた。すると小さく折り畳まれた、汚い紙切れが、目の前に落ちた。
相当前に書かれたようで、教師が読むには、達筆過ぎた。かろうじて「大雪の素」という文字が読めたが、大判・小判は入っていなかった。教師はそれを放って、群れをまとめ、そのまま遠足を続けた。
その翌日の事である。仙人岳で、大の男三人が、遭難することになるのは。
k市郊にある自動車部品卸業、YARUKI自動車部品(合資会社)、経理課長の根蔵蔵三(43)、営業部長の砂唐奈芽太(53)、そして社長の金尾星人(63)の三人である。


「あそこ、あそこ、あやしい雲です。」
山の中腹で、根蔵が空を指差した直後、猛吹雪が三人を襲った。
晴天の霹靂(へきれき)とはこの事である。すぐ近くに廃屋があったので、慌てて戸を蹴破り、中で天候の回復を待つこととなった。
しかし、一日待ったが、吹雪は治まらない。二日目の夜、食料も尽きた。
事態は深刻さを増し、三人の顔から、当初あった余裕は消えた。
「大体、君が地図をまちがえたから、こんなことになったんじゃあないのかね、んっ?」
持っていた『挑戦!中高齢からの乗鞍岳・難行苦行ルート』を根蔵経理課長の前に放り出して、金尾星人社長が言った。
「仙人岳の地図は、紀伊国屋にもありませんでした。ゼツリン出版社まで尋ねたわたくしの苦労を、、、」
「ゼンリンでしょう。まあ、もうよしませんか。言い争いで雪が止むわけでも無いし。」砂唐部長がひげののびた、焦燥しきった顔で言った。
「ありがとうございます、営業部長。ああ、こんなことになるならパチンコでも行ってればよかった。」と根蔵課長が目をしょぼつかせた。
「いやはや、社長、いよいよもって、僕らはあぶないですよ。何か書き残しておいたほうがよろしくありませんか?」と砂唐が言うと
「弱気だねえ、砂唐くん、そんなところが今期の数字にも出てるんじゃあないのかね。まあ、それにしても私が言い残したいとすればとすれば、スナック・アザラシのママ位かな、んっ。」
それに根蔵が口をはさんだ。
「アザラシのママって、あのブっ、」
「ブって何かね、ブって。」
「あそこのブッ、ブランデーは高いなあって、、」
ひとり砂唐が、遠くを見つめながら言った。
「僕はやはり女房のミコちゃんかな。ええ、中学の時、村の神社の夜祭り。イチゴのかき氷で、口のまわりが真っ赤でねえ、、」
「誰も砂唐くんの初恋などきいておらんよ。根蔵経理課長、君はどうかね?こんな時こそ、結ばれぬ禁断の愛、発覚!なんてね、んっ?んっ?」
独り身の根蔵を、金尾が冷やかした。
「たら子ですね、私は」
「ほう、浮いた話はとんと聞かない君が、色っぽいねえ。どこの馬の骨なんだね、その娘は?」
「骨では無く、卵です。冷蔵庫の中のたら子が、本日12時をもって賞味期限です。こんなことなら、あの晩食べておけば良かったです。」
午後の6時ともなれば、猛吹雪のせいもあり、廃屋内はまっ暗闇になる。
三人はなすべきこともなく、一枚しかないひどく汚れた毛布で、身体を寄せ合って眠りについた。おとといは金尾社長が真ん中、昨夜は砂唐営業部長が真ん中、そして今夜は根蔵経理課長が真ん中の番である。
暗闇の中、男三人が身体を縮める。山の夜は寒い、毛布の中はさながら地獄である。
「、、、」
「砂唐営業部長、わたくしの腿にあたるつんつんしたもの、なんとかしていただけませんでしょうか。」
「ふん、砂唐くんは、まだ若いからねえ。」うとうとしていた金尾が冷やかした。
「、、、」
「、、、」
「ブッ、」
「うっ」
「失敬!んっ?んっ?」
「、、、」
「むにゃむにゃ、、」
「みこたーん。」
「スヤスヤ」
「ンアー、ンガー」
「、、、」
「、、、」
「、、、」
仙人が、枕元に現れたのは、その真夜中であった。
白く長く伸びたひげを、得意そうに撫で付けながら、仙人はひとりひとりにささやいた。
「いいか、他の二人には決して語ってはならぬぞ。残念なことに、今回は、一人だけしか助けることができぬ。オンリーワンだな。この家の入り口を出て西へ、1町ほど行ったところに大きな栗の木がある。そこまで来れば、わしのペットの猫が待っておる。その猫が、お前を麓まで案内しよう。ただし、繰り返すが、助かるのは一人、お前だけだ、オンリーニャン。あっ、さむいかな?どうあれ、このことを他の者が知れば、お前の命は無い。むろん三人とも助かることもない。分かったな。ではさらばじゃあ。」と。


目覚めた三人は、一様に気の重い表情を浮かべ、黙っていた。
沈黙を破って、砂唐が尋ねた
「社長、一町って、今の単位に直すと何メートルですかねえ」
側で爪の垢をとっていた根蔵も、思わず顔をあげ、金尾を見た。
「町(ちょう)ねえ、今の100メートル位かねえ。それがなにか?んっ?」金尾は不安げだった
「栗の木ってどんな葉っぱでしたっけねえ」
根蔵の問いに、砂唐は飛び上がって驚いた。
「まあ、広葉樹の特徴が大きいし、今なら白い花の時期だから、すぐ分かるんじゃあないですか」と砂唐が答えると、すかさず根蔵が詰め寄った。
「分かるってなんですか?分かるって?」
「どっちが西かな?んっ?砂唐くん」と金尾が尋ねると、根蔵がポケットの中から、方位磁針を取り出した。
「おっ、用意が良いねえ、根蔵くん。ちょっとそれを貸したまえ。」
根蔵が、イヤイヤをすると、横の砂唐がすかさずそれを取り上げた。
「社長命令でしょう。ねえ社長。」と砂唐。
「まあ、まあ、砂唐くん。乱暴はやめたまえ。」
「何故、みんなそんなことを言い始めたのですかあ?」取り上げられた根蔵は涙声である。
「例えばだ。例えば、三人が助かる方法があれば、わしも知りたい。だが、昨夜わしが得た情報によるとだ、わししか助かることができんのだ」思い詰めた表情で金尾が言うと、根蔵と砂唐は、顔を見合わせ叫んだ。
「仙人が出た!」
「ほう、」と金尾も声を上げ、二人を見て言った。
「三人とも同じことを聞いているかもしれん。同時に聞いた内容を話せば、三人平等じゃあないかね、んっ?」
「さすが、社長、民主主義の原則だ。せいのお、で正直にいえばよろしいですね。」と砂唐。
「んっ、んっ」と金尾。
「では、僭越(せんえつ)ながら、僕砂唐が音頭をとりますので、お二人ともご一緒に。せえのお!」
「うわあ!」と根蔵が叫んだ。
「そんなことをしたら、そんなことをしたら、みんな死んでしまうじゃあないですかあ」
「おおっ」と金尾が感心すると、砂唐も額の冷や汗を拭った。
「死んじゃうんだ、死んじゃうんだ。」と空腹の腹を押さえながら、根蔵は泣き始めた。
「仙人って何だろう、、」と砂唐がつぶやくと、金尾も「もしかしたら、もしかするかもなあ、んっんっ」とつぶやいた。


その頃、捜索途中の消防団員が、山の測道で、蓋の開いた壷を見つけた。中にくしゃくしゃになった紙切れがあった。消防団団長(108)にその紙を見せると、書の内容が判明した。
そこには、大体こう書いてあった。
「この壷の中は、大雪の素である。古来よりこの山には、いたずら好きの仙人がおり、たびたび気候変動をおこし、悪さをした。村人のこまるのを見かねた当神社開祖、大国之法羅葺王之尊(おおくにのほらふきおうのみこと)が仙人と交渉し、苦心して買い取った壷である。なお、大雪の素とはいえ、その効力は限定的であり、どれだけ長引いても3日分の量である。しかし後世の安心安全を思えばと、へそくりを投げうっての買取りでもあり、しごく、もったいなかったのでもある。夢々この7つの壷を祖末にすることなきよう、末代までの家訓とせよ。云々。」

4日目の朝、晴れわたった空の下、廃屋の中で泣きじゃくる3人を見つけたのは、遠足に来ていた通りがかりの中学生であった。
生命には全く別状ないのだが、一枚の汚れた毛布を三人で、大切そうに持って下りるのを、中学生の群れは怪訝(けげん)に見ていた。
その汚れた毛布を、会社の宝とし、社長以下三人が一致努力して働き、立派な上場会社にしたという噂は、まだ無い。
そして古文書に書かれていた、残り6個の壷は、誰も見ていない。 
                        
                         (おわり)


---------------------------------------------------------------------------




文章は、私の夢想です。
この作品のサイズは約37.8×45.5cm(F8号)ボードに油彩
作品裏に作者サインと年期(1965)があります。
入手時期については3年位前だと記憶しますが、出処場所は残念ながらあまりはっきりしません。おそらく業者市場で山になったものを購入、その作品の中の一枚と考えます。

何か固有の風景、例えば、乗鞍岳とか白馬山といった風景なら、おそらくは地名なりタイトルを入れるのが普通でしょう。リアルに描かれてはいるものの、強い非現実性があり、私には空想の風景に思われます。
いかに、非現実的かは、左下の岩場に人の姿を配置すると良く分かります。
現実的に描けば描くほど、非現実になる、シュールレアリズム絵画同様の理想郷が現れます。
このパノラマ的な描き方はどこか懐かしく、昭和という時代感覚だけではない雰囲気を感じます。あえて例をあげると、江戸時代の洋風絵師、司馬江漢の絵のような、劇場的要素も感じます。
この舞台の書き割りのごとく焦点のはっきりした、右側と左角の岩場。シンメトリーの単調さに抗(あらが)って、あえて、歪んだ三角形にした正面の山。これら焦点のはっきりした山々の距離感は、立ち上る霧によって、より大きくへだてられ、絵はがきのように見る人を楽しませてくれます。
山の頂上を、勢い良く飛ぶ雲。かってな空想ですが、私はこの雲たちひとつひとつの上に、孫悟空やら、仙人を乗せて遊びました。するとどうでしょう画面は俄に動きだし、まるで、スペクタクル映画のように私を愉快にしてくれました。


拙い記事におつきあいいただきありがとうございました。
次回は5月4日(日)(掲載時刻未定)
・人物古写真「最後の花魁(おいらん)春奴の恋」
または、・人物油彩画「佐伯警部補の肖像」のどちらかを掲載します。
          

※使用している映像、画像のオリジナルは当方が所有しています。
しかし、これらには出処不明のものが少なからずあります。
著作・肖像権の消滅していると思われるものを使用しますが、
もし著作者ご本人で、掲載に異議のある方は、
私のサイトhttp://www31.ocn.ne.jp/~tokyusha/ から
ご連絡ください。
画像削除等、誠意をもって対応させていただきます。

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「わたしの名前はマリー」  [2008年04月23日(水) ]
こんにちは。
それでは、「わたしの名前はマリー」を始めます。

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「わたしの名前はマリー」
そう言って彼女は、畳の上にある、僕の煙草の箱に手をのばした。
モデルをしてくれて3日目というのに、僕らはお互いの名前も知らなかったのだ。
僕は描きかけのキャンバスから目を離して、自分の名前を名乗り、ついでに年齢も告げた。するとマリーは、僕より5歳年上だということを、恥ずかしそうに言った。
「おいら、煙草止めようと思っているから、それあげるよ」
僕がそう言うと、マリーは笑い「私もほんとは吸えないんだあ」と抜き取った一本を、不器用に箱に戻した。


大学の必修課題である裸婦実技に、どうも気乗りがせず、僕は着衣の絵を描きたくなっていた。
何とか好みのモデルを探し出そうと街に出て、初めて入った新宿駅東口の音楽喫茶にマリーはいた。
満席の店内で、忙しそうに働くマリーに、僕はいっぺんに惹きつけられた。口元が上がり、微笑みがとても自然に見えるのと、肉感的で大柄な体が、僕を特別に魅了した。そしてそれが、小心者の僕に奇跡的な力を与えてくれたのだろうか。帰り際のレジで、唐突にモデルを頼んでも、マリーはそれにあっけないほど簡単に応じてくれた。


約束通りに僕のアパートを訪れたマリーは、昨日と同じ姿勢で僕の目の前にいる。胸元や裾にフリルをあしらった、柔らかそうな薄紫色のワンピースを身に着け、脚をくずして座ったマリーの姿は、僕の汚く狭いアパートの中で、豊潤な果実のように輝いて見えた。
「本当はね、私、横浜に住みたいの」「ああ、高校の時もっと勉強しておけばよかったあ」ポーズをしてくれている間も、マリーは何かを話していた。
出身地である愛媛のみかんのこととか、そこに暮らす大好きな妹のこととかを、まるで僕も、家族のひとりであるかのように話した。そして時折、僕が懸命に描くのを、楽しそうに見ていた。


僕は座布団にすわり込み、床に置いたキャンバスに、間断なく絵の具を置いていく。筆を動かし描き始めると、僕のキャンバスはすぐ別の世界に入り込み、さらに何ものかになろうと、油絵の具の深い色をまとっていった。
「水色の雨の歌詞の中にねえ」「あのお店のチョコレートパフェってね」
と、マリーは秘密を打ち明けるようにクスクス笑いながら話したり、夢を語るように目を閉じ、ひとり頷いたりしていた。
モデルに気兼ねしてしまうタイプの僕には、マリーはとても描き易いモデルだった。普通なら描き手の方で気を使い、懸命に話しかけたりするものだから、僕はどんどん描く事に集中できた。
少しづつマリーの話し声は遠くなり、言葉の意味もなくなってしまうほど、僕は夢中になってマリーを描いた。大きく柔らかな身体から、流れる音楽となってマリーの声は響き、そしてほどなくその音楽すらもキャンバスの中に吸いこまれ、途絶えた。


「ねえ、どっちなの」
突然、マリーの強い口調が僕を現実に引き戻した。
相づちだけをうっていた僕に、マリーは何事かを尋ねている。
僕は、マリーの話の内容を思い出そうと焦り、やっと少しの断片だけを思い出した。
「冷蔵庫」「赤レンガ」「ジーパン」「雨の日」そして「捨て猫」
だけどこれらをどう繋ぎ合わせ、マリーとの会話を再開できるというのだろう。
僕はパレットと筆で塞がった両手を、ただ曖昧に振って見せるしかなかった。
「聞いてないんでしょう、私の話、もおー」
マリーは、わざとらしく頬をふくらませながら立ち上がり、僕に近づいた。
そして、いきなり手を伸ばして、僕の持つパレットを取り上げようとする。
僕は膝立ちになり、中腰のまま身体をよじって、ただ抵抗するしかなかった。
「ケーキをつくるには、どうしても冷蔵庫が必要だ」とか「横浜の赤レンガ倉庫に行こうよ」とか「絵の具の付いたジーパンしかないのか。」「雨の日に捨て猫に出合ったら、拾うしかないよね」といったことを、どうやら話していたらしい。
同じ話を矢継ぎ早に僕にぶつけながら、マリーは僕を攻め続けた。
目の前でマリーの柔らかな体が揺れ、僕の肘や腕に触れるたび、甘い匂いが僕の身体を包み込む。笑い声や無邪気な動作にまぎれても、二人の身体は何かを求め近づいていったのだ。
そして僕がどうしてもパレットを離さないのがわかると、マリーはじれったそうに僕の頭を両手で押さえた。それからゆっくりと力強く自分のお腹に押しつけ、自ら悪ふざけの終りを告げた。
部屋に静寂が戻るとマリーは、僕の足元にあるキャンバスをそっと脇に押しやった。そしてそこへゆっくりと自分の体を横たえ、仰向けになった。
マリーの着けた薄手の布の中で、乳房が揺れ、めくれてしまったワンピースの裾から白い肌がのぞいた。身の置き所の無いほどの激しい鼓動が、僕を襲う。
「いいわよ」
湿ったマリーの声が、僕の鼓膜の内側でうずいた。
それが何を意味するのか、まだ女性を知らない僕にもわかった。
けれど、マリーの豊かな肉体は、今の僕には、とてつもない豪華な宝物のように思えた。
震える長い睫毛、少し微笑んで見える薄く開いた唇。深く息をするマリーの姿態全てに、僕の入りこめない聖域を感じたのだ。
つまりは、あろう事か僕は、怖じ気づいていたのかも知れない。
全ての男達が、輝くような大海原を見て、すぐ航海ができるわけではないだろうし、ましてや僕は小心者だ。
吸い込まれるような艶やかな体を前にしながら、僕はマリーに触れることができなかった。
そしてそれがはっきり分かると、僕はしどろもどろに何かをつぶやき、畳の上にパレットと筆を置いた。そして、マリーの身体から逃げるように流し台の前に立った。
コーヒー瓶の蓋を開けると、後ろを振り返らず、僕は言った。
「インスタントだけどさあ、コーヒー飲もうか。」
薄闇に横たわるマリーは、何も答えない。
マリーが震えているのもわかったし、ここでコーヒーを勧めるべきでないこともわかっていた。けれどこの時この他に、僕のできることは何もなかったのだ。
そしてその日から、マリーは来なくなった。


立てかけたキャンバスの中のマリーを眺めながら、僕はあまり眠れない4日間を過した。
そして5日目、僕は全身から吹き出た汗に驚き、飛び起きた。
夢を見たのだ。マリーの乗った電車に僕は追いつき、急いで乗ろうとする。しかし何度追いついても、僕は乗れないで、ただ電車は通り過ぎる。そんな分かり易い夢だったが、嫌というほどの繰り返しで、へとへとに疲れていた。
でもその夢のおかげなのか、胸にあった暗くて重いものが消えていた。そして形の無い大切なものが、僕の心の中で大きくなっていることに気がついた。それはきっと何か不思議な法則で創られていて、あの日マリーが、僕の心の中に置いていったものなのだ。
その日、僕はこの5日間でやっと理解できた「形の無い、とても大切なもの」を心の支えに、再び新宿の音楽喫茶を訪ねた。


「マリー? 4、5日前から、店には来てないよ。困った奴だよ。もう娘っこでもないだろうにな。行き先?分かんねえなあ。歌舞伎町あたりにでも流れたんじゃないの。」
煙草をくわえたまま下卑た笑いをする店主に、僕はそれ以上尋ねることはせず、頭を下げて店を出た。
新宿の喧噪の中を歩きながら、僕は努めて冷静に、ゆっくりと空を見上げた。
雨でも落ちてきそうな、暗く重苦しい雲が、東の空に淀んでいた。
あの嫌な雲の下に、マリーがいない事を。そして例えいたとしても、雨にはあたらないことを僕は願った。
本当はたくさんのいいわけが胸に溢れていたのだが、そんなことはマリーには意味が無いと思った。だから僕は眠れなかった日々にこしらえた、僕なりの計画を心の中で繰り返した。そして、マリーにも良く伝わるようにと、言葉をきちんと区切り、つぶやいた。
「白のスカイラインに、君を乗せて、僕はチノパンをはいて、君の好きなパフェを食べて、赤レンガの倉庫に行って」と。
マリーの喜ぶ顔が少し浮かんだが、誰かが僕の肩にぶつかって、僕は新宿の風景の中に引き戻される。それでも僕は、溢れ出るたくさんの悔しさと戦いながら、それほど遠くない、空の下のマリーに、懸命に話しかけた。
「ついでにワインも飲んで、雨が降ったら、捨て猫をひろって、」と。


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文章は、私の夢想です。
この作品のサイズは約117×92cm(F50号)キャンバスに油彩
作品裏に作者サインとタイトルがあります。
制作年の記入はなく、正確には把握できませんが、昭和50年代後半と推測しています。
描かれているモチーフがとても私的で、おそらくは制作者の部屋で描かれていると考えられます。
画面右側に室内スタンドのふさふさ飾りがあります。木製であったと思われるスタンド部分は大胆にカットし、ふさふさ飾りとその後部に描かれているドライフラワーのかすみ草が、画面全体の装飾性に大きな役目をはたしています。
しかし奇妙なことに、画面の右側の装飾的モチーフに比べると、左側画面は素っ気無くも、あやしい雰囲気を持ちます。こちらを凝視する黒猫、まったく光の無い大きな窓。不可思議なバランスです。
最初見た時、私にはこの左右のバランスがどうもしっくりきませんでした。そして試しに、この闇を放つ窓をやめ、窓の外に植物か街並みでも描いたなら、どうなるだろうと想像してみました。
もちろん、作品を台無しにしてしまうでしょう。
つまりモデルさんと一体になった黒猫、そして黒猫と一体になった闇の窓。そのつながりがあればこそ、作品の価値と個性があったのです。
ちなみに作品の重さは6.2Kgあります。F50号の木枠とキャンバスの重さは普通3Kg弱ですから、絵の具の重さだけで3.2Kgあります。この女性のイメージを定着させるために費やした絵の具の量はかなりの量です。
女性が、単に絵のモデルさんということでは無いのは歴然です。この女性に対する作者の思いは、生半可なものではなく、女性の個性・雰囲気、そして何か人格までをも描き出そうと、画面は重厚なものとなっています。
私はこの作品に、昭和末期の濃密なエロチシズムを感じています。おそらく、当時若かった私には理解できなかったであろうものが、時代に熟成され私に届けられたように思っているのです。
最後になりましたが、私の夢想とは裏腹に、作者名には女性の名前が記してあり、私にとっては謎の多い作品となってしまいました。


拙い記事におつきあいいただきありがとうございました。
次回は4月27日(日)(掲載時刻未定)
風景画油絵「仙人岳での遭難」を掲載します。
          

※使用している映像、画像のオリジナルは当方が所有しています。
しかし、これらには出処不明のものが少なからずあります。
著作・肖像権の消滅していると思われるものを使用しますが、
もし著作者ご本人で、掲載に異議のある方は、
私のサイトhttp://www31.ocn.ne.jp/~tokyusha/ から
ご連絡ください。
画像削除等、誠意をもって対応させていただきます。

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「鋼材屋にて」  [2008年04月19日(土) ]
始めまして、こんにちは。
それでは、絵画・写真で綴る昭和叙事詩
「鋼材屋にて」を始めます。

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「おーい、もたもたすんなあ、早く積み込んじまえー」
社長の声に、良男は額の汗をぬぐった。
今日は土曜日。早目に工場を閉め、社長が皆を東京タワーに連れていってくれる。
良男は2度目、後輩の16歳になったばかりの茂にとっては始めての観光だ。
寮の窓から毎日東京タワーを見ていた茂は、朝からそわそわしている。
「おまえなあ、ロープ緩んでるぞ、銅はけっこう重いんで締め直せよお」良男は荷台の横でロープを握っている茂に叫んだ。それには応えず茂はいう
「あにきよー、俺毎日東京タワー見ていてすごい不思議だなあって思ったんだあ」
「何だよすごいって」
「あのさ、東京タワーって一応建物だべ。そんなのに、中身が何にも無くてアミアミじゃない。なんだかなって、あれ結局。」
「あれな、本名は電波塔っていうんだ。うちの工場のてっぺんにもあるだろ。テレビのアンテナ。あれのでっかい親分みたいなもんだぞ」
「うっひゃー、そしたらあそこの展望台の中に、ここのテレビの百倍位でっかいテレビがあるのかあ。」
「ちがうって、お前バカだなあ。あそっから、ここにテレビが届くのよ。だからあそこにはテレビはないぞお。」
「なんでよ、あにき。なんであそこにテレビが無いのに、ここにテレビが届くのよお。」
「茂、おまえよ、さっぱり何にもわかって無くて説明できねえよ」
ドアの音がして、社長の奥さんが事務所から出て来る。
それを見て、良男は荷台から降り、茂の玉がけを手伝った。
「はい、はい。アイス溶けないうちにちょっと休憩しな。」
そばに来た奥さんが、アルミニュウムのお盆に乗った、ミルクの匂いのするアイスを茂の前に差し出した。
もたついている茂より先に良男が手を出し、2本掴んで荷台に上る。
「ずるいべ。あにきー」と茂も残りの2本を掴んで荷台に上る。
「あらら、社長の分があ」と奥さんの声も聞かず、二人は兄弟のように荷台の上でじゃれあっていた。

いつの間にか、影が少し長くなっていて、奥の方からかすれた社長の声もした。
「おーい、積み込んだかあ、伝票書いたら,すぐ出るぞお」
まだ社長に、アイスキャンディは届いていない。


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文章は、私の夢想です。
この作品のサイズは約53×46cmキャンバスに油彩
作品裏に昭和39年3月と作者サインがあります。
空の青緑色の鮮烈さと、舗道に照り返す春の日差しが見事なバランスを保ち、作品をとても力強くしています。これは、左の三階立て建物の右壁にあたる日差の矩形が、画面の上と下を繋ぐ大切な役目をしているからと考えますが、とにかく画面全体が輝いて、当時の元気さが見る人に伝わります。
また、三輪のトラックが画面の左右にあり、いずれも荷が載っています。そして、表にいる人物は今まさに中に入り込もうとして、駆け足の形に描かれています。トラックの荷台にいる人物はしっかりと鋼材を持ち上げています。
活気あふれるこの油絵は2001年1月、東京日野市で催される高幡不動の骨董市で買い求めた作品です。もう1点を追加し、計3万円弱を支払った記憶があります。
予想以上に高額な気持ちがし、以来私は価格の安さを期待し、古物免許を申請し、仕事の合間をぬって自ら業者市に出かけるようになりました。
うまいへた、無名でも関係なしに心に残る作品を集めようとした、最初の一点です。当時元気だった高幡不動骨董市の会主、Kさんは故人になってしまい、私も白髪が目立ち始めました。個人的には色んな思い出が詰まっている一品ですが、作品からは、今も当時と同じ、ただ明るく正しい輝きが放たれています。


拙い記事におつきあいいただきありがとうございました。
次回は4月23日人物画油絵「私の名前はマリー」を掲載します。


※使用している映像、画像のオリジナルは全て当方が所有しています。
しかし、これらには出処不明のものが少なからずあります。
著作・肖像権の消滅していると思われるものを使用しますが、
もし著作者ご本人で、掲載に異議のある方は、
私のサイトhttp://www31.ocn.ne.jp/~tokyusha/ から
ご連絡ください。
画像削除等、誠意をもって対応させていただきます。

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