大安寺の歴史と人物
大安寺貫主河野良文作成
1.歴史
熊凝精舎ー百済大寺ー高市大寺ー大官大寺ー大安寺への変遷
文献「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」天平19年 「日本書紀」
「扶桑略記」「三代実録」「続日本書紀」「東大寺要録」
「諸寺縁起集 管家本」「7大寺巡礼私記」等など
熊凝精舎 推古25年(617) 聖徳太子が熊凝精舎を建立する
(扶桑略記)
推古29年(621) 太子、精舎を朝廷に献ず(扶桑略記)
大安寺貫主河野良文作成
1.歴史
熊凝精舎ー百済大寺ー高市大寺ー大官大寺ー大安寺への変遷
文献「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」天平19年 「日本書紀」
「扶桑略記」「三代実録」「続日本書紀」「東大寺要録」
「諸寺縁起集 管家本」「7大寺巡礼私記」等など
熊凝精舎 推古25年(617) 聖徳太子が熊凝精舎を建立する
(扶桑略記)
推古29年(621) 太子、精舎を朝廷に献ず(扶桑略記)
「財物を奉らんと欲すれど財は亡び易く保ち難し。三宝の法は絶えず
して永く伝わる。故って熊凝寺を奉る。宜しく承けて永く伝えよ」
百済大寺 舒明11年(639) 舒明天皇.百済川の畔に大宮と大寺を建てる。
日本最初の官立寺院。九重の塔を建つ(日本書紀)吉備池廃寺を
比定。
高市大寺 天武2年(673) 造高市大寺司を任命。(日本書紀)
大官大寺 天武6年(677) 高市大寺を改めて大官大寺と号す(流記資材帳)
香具山南麓の大官大寺跡は、発掘により文武天皇(697)以降の
建立と判明。
大安寺 和銅3年(710) 平城京に移す。(大安寺縁起など)左京四坊.6条
7条に官大寺筆頭として壮大な伽藍を誇った。境内地15町(25万u)
に金堂、講堂など90棟余の大伽藍。後に東大寺に比し南大寺と呼
ばれた。
東西に巨大な七重の塔二基 最近の発掘成果で塔の基壇21m。
建物の一辺12mと判明。高さ70m以上と推定され、鍍金された
風鐸など出土した。塔は金色に輝き、泉州の浜を照らしたという説話
が残る。
三面僧房には887名の学侶居住。三論宗を中心に諸宗を兼学する
仏教綜合大学。
海外使節など賓客をもてなす鴻臚寺(迎賓館)的性格を持った。
国際ホテル。
空海25箇条御遺告8条、「大安寺は是都卒の構え。祇園精舎の業
なり云々。」
奈良から平安時代の仏教文化、先端技術など大陸文化の受容と
伝般におおきな役割をはたした。(各地には寺領地が広がる)
2.居住した名僧達
道慈(入唐留学僧) 在唐16年。養老2年(716)帰朝後、西明寺
をモデルに大安寺伽藍を造る。国分寺の発案か。
大般若会を起こす。三論宗。
菩提遷那(インド僧) 天平勝宝4年(752)大仏開眼の導師となる。
道セン(唐僧) 大仏開眼呪願師。華厳、律を伝う。弟子に
行表ー最澄
仏哲(ベトナム僧) 林邑楽を大仏開眼に奉す。雅楽に影響を与える。
以上3名は天平8年(736)来朝、行基が難波津に出迎える。
審祥(新羅学問僧) 華厳経を金鐘寺にて講ずる。大仏造立の教学的
バックボーン。
普照(入唐留学僧) 鑑真招請。天平5ねん(733)栄叡と共に入唐。
天平勝宝6年(754)鑑真と共に20年振りに
帰朝。菩提遷那が難波津に迎える。栄叡は唐
にて病没。
空海(入唐留学僧) 大安寺勤操に学ぶ。延歴23年(804)入唐。
始め西明寺寺に住し、青龍寺の恵果より真言
密教を受ける。帰朝後高野山開創。大安寺と
東大寺別当になる。
その他、戎明、善義、行表(最澄の師)行教(石清水八幡の祖)など多数。
して永く伝わる。故って熊凝寺を奉る。宜しく承けて永く伝えよ」
百済大寺 舒明11年(639) 舒明天皇.百済川の畔に大宮と大寺を建てる。
日本最初の官立寺院。九重の塔を建つ(日本書紀)吉備池廃寺を
比定。
高市大寺 天武2年(673) 造高市大寺司を任命。(日本書紀)
大官大寺 天武6年(677) 高市大寺を改めて大官大寺と号す(流記資材帳)
香具山南麓の大官大寺跡は、発掘により文武天皇(697)以降の
建立と判明。
大安寺 和銅3年(710) 平城京に移す。(大安寺縁起など)左京四坊.6条
7条に官大寺筆頭として壮大な伽藍を誇った。境内地15町(25万u)
に金堂、講堂など90棟余の大伽藍。後に東大寺に比し南大寺と呼
ばれた。
東西に巨大な七重の塔二基 最近の発掘成果で塔の基壇21m。
建物の一辺12mと判明。高さ70m以上と推定され、鍍金された
風鐸など出土した。塔は金色に輝き、泉州の浜を照らしたという説話
が残る。
三面僧房には887名の学侶居住。三論宗を中心に諸宗を兼学する
仏教綜合大学。
海外使節など賓客をもてなす鴻臚寺(迎賓館)的性格を持った。
国際ホテル。
空海25箇条御遺告8条、「大安寺は是都卒の構え。祇園精舎の業
なり云々。」
奈良から平安時代の仏教文化、先端技術など大陸文化の受容と
伝般におおきな役割をはたした。(各地には寺領地が広がる)
2.居住した名僧達
道慈(入唐留学僧) 在唐16年。養老2年(716)帰朝後、西明寺
をモデルに大安寺伽藍を造る。国分寺の発案か。
大般若会を起こす。三論宗。
菩提遷那(インド僧) 天平勝宝4年(752)大仏開眼の導師となる。
道セン(唐僧) 大仏開眼呪願師。華厳、律を伝う。弟子に
行表ー最澄
仏哲(ベトナム僧) 林邑楽を大仏開眼に奉す。雅楽に影響を与える。
以上3名は天平8年(736)来朝、行基が難波津に出迎える。
審祥(新羅学問僧) 華厳経を金鐘寺にて講ずる。大仏造立の教学的
バックボーン。
普照(入唐留学僧) 鑑真招請。天平5ねん(733)栄叡と共に入唐。
天平勝宝6年(754)鑑真と共に20年振りに
帰朝。菩提遷那が難波津に迎える。栄叡は唐
にて病没。
空海(入唐留学僧) 大安寺勤操に学ぶ。延歴23年(804)入唐。
始め西明寺寺に住し、青龍寺の恵果より真言
密教を受ける。帰朝後高野山開創。大安寺と
東大寺別当になる。
その他、戎明、善義、行表(最澄の師)行教(石清水八幡の祖)など多数。
Posted
at 14:14
| この記事のURL
コメント(0)
| トラックバック(0)