シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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東京は遠いなぁ [2007年12月15日(土) ]
今日は患者の会・総会の日です。
体がもう少し元気だったら、今頃は東京のどこかにいるはずだったのに。

交通機関が発達した今日では関西から東京まで行くのに どれほどのこともないのに、如何せん、自分の現在の体調ではどうにもならない。

思えば5年前、主治医から患者の会が出来たということを知らされ すぐに連絡を取り患者の一人が開いているHPの掲示板のURLを教えられました。

さっそくアクセスし 書き込みを読み進むうちに涙が溢れて、溢れて、・・・・・。
自分と同じ症状、苦しみ、悩みを持った人たちがいる。
発病して二十数年にして 初めて同病者を知ることが出来ました。(同病患者としては弟妹以外には知らなかったので。)

いい年をしたオッサンがPCの前で涙をポロポロ流している など なんともおかしな光景だったことでしょう。

その後 三回 総会に出席することが出来、同病の方達とも会うことが出来ました。
しかし今回は出席できません。

来年は大阪で開かれる予定です。
大阪であれば何とか行けるでしょうから、それまで体調を整えるために頑張ろう。

Posted at 15:49 | 病気 | この記事のURL
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麻酔 [2007年07月13日(金) ]
麻酔というものは、スゴイですね。
歯の治療で局所麻酔を経験した人は多いでしょう。 歯をキィーン キィーン ガリガリ 削っても 少しも痛くないし 何も感じない。 唇あたりまで効き目がひろがっていると、うがいをするときに口をしっかり閉じたつもりが、水が漏れる。 筋肉が働かないんですね。

全身麻酔の場合はそれが体全体だから、人工呼吸や血圧の管理を麻酔の先生にやってもらわなければなりません。
手術の前日の夜、麻酔医が診察に来てくれます。
朝日新聞の記事です。(クリックで拡大、さらに+の虫眼鏡マークをクリックすると読めます。)

その日の手術がおそくまでかかったのか消灯時間が過ぎてから来たこともありました。
なまみの人間相手の手術ですから、電車の時刻表通りというわけにはいきませんよねぇ。(患者によっては来るのが遅い、と言って怒る人もいますが、それは仕方がないでしょ、お互い様なんだから。明日は我が身かも知れないのに。)

感謝こそすれ怒るなんてとんでもない。


「麻酔の薬がはいりますよ」と言う声が聞こえると数秒で眠ってしまいます。
” あ 効いてきたな ” と考えるとすると、” あ 効いて・・ ” くらいのところで 視界も意識も電源が切られたように、ストン となくなってしまいます。「はいりりますよ」のところはフェードアウト。

きっと 人間が死ぬときはあんな感じじゃないんだろうか?

手術が終わると目を醒まさせてくれるんですが、それからの3〜4日が一番ツライ、苦しい、痛い。
麻酔の管理をコンピュータでできるようにならないかな。
そうすれば手術後1週間くらい眠ったままにしておいて、目を醒ました頃は楽になっている、というふうに。

なにより麻酔科の先生の負担が軽くなるだろうな。

Posted at 16:43 | 病気 | この記事のURL
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医師と患者 [2007年07月12日(木) ]
この場合の医師は私の初代主治医、患者は私です。 

その先生に25年間 診てもらいました。
通常、医師と患者が関わりをもつのは病気の間だけのことで、治癒すればその時点で関わりも終わり というのが普通でしょう。 

しかし。

私の場合、完治するということがないので これだけ長い付き合いになりました。 
先生の定年退職がなければ ずっと続いていることでしょう。
いつごろからか、入院中にベッド脇に来て説明をするときなど ベッドに腰掛けて話をされるようになりました。 
それだけ気安い存在になっていたのかな。 
私も全幅の信頼をおいていました。

自分で言うのもなんですが、私は律儀でね。
いつでもそうですが、特に手術後など 先生や看護婦さんの指示はよーく守ります。
つまりはそれが回復への最短距離だから。 

もう1つ体力回復のコツ。
「動いていいですよ」、「歩いていいですよ」というのは 単なる許可ではなく、動け、歩け という指示が隠れているもので、こんなときは 苦しくても痛くても 歯をくいしばって動き 歩きます。

ま、しかし、これは入院 手術のリピーターへの助言であって、普通は入院なんて1回限りのことでしょうがね。

たかが頭の手術だったら翌日から点滴棒をゴロゴロおして、「イテテ」 と言いながらトイレへ行きます。
(ベッド上でのトイレ作業というものは・・・、なさけないものです。)

数年前から2代目の主治医になりましたが、この頃から病院の方針が変化してきて、たてつづけに3人ほど代わりました。
どうも政策の影響あるのでしょうかね。 (弱者いじめ)

時代の流れというものもあるかもしれないけれど、初代の先生に25年間もの長い間 診てもらえたのは何より有難いことでした。

Posted at 10:57 | 病気 | この記事のURL
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ハイヒール ! ? [2007年07月08日(日) ]
入院中のできごと。

ちょっと派手なパジャマを着て、向こうから点滴棒をコロコロ押しながら歩いて来る患者さんの足元を見ると、何と ハイヒールをはいている!
見舞いにきた人か と思ったけどそうじゃない。点滴をしているんだから 確かに入院患者に間違いない。(ちょっと見では、水商売でバリバリの現役風のご婦人)


ここ入院病棟だよ。
どんなパジャマを着ようが かまわないとは思うけれど、こんな所でそんな靴履いてまでオシャレする必要があるんだろうかねえ? (ハイヒールはアブナインジャナイノ?)

せめて ペッタン靴 くらいにしておくべきじゃないのかな。

−−−しかし、世の中にはいろんな事情のある人がいるんだから、よけい なことは言わない−−−

その人は眼科か整形外科の病棟にいるらしく、それほど重い病気ではなかったのかもしれないけど。

それにしても・・・・・〜゚・_・゚〜

Posted at 18:35 | 病気 | この記事のURL
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脳神経外科(脳外科)病棟 [2007年07月01日(日) ]
入院病棟は どこでもそうでしょうが、私がいつも入院する病院のこの病棟は、一般社会とは全く別世界のように感じます。
入院患者の見舞いで訪れる人にとっては ごく普通の病室風景に見えるでしょうが。

脳障害(脳梗塞、脳出血など)や頭部外傷の患者さんは一時的にかなり異常になっているので、したがってその行動や言動も 普通ではありません。

一晩中大声で叫び続けたり、言語訓練で数を全くでたらめに数え続けたり(その人は ごくあたりまえに数えますが、これはやってみると意外と難しいですよ)、点滴の針を引っこ抜いて看護婦さんを困らせたり、普通の顔をして服を着替えて家に帰ろうとしたり。

「イチゴを2個も食べてくれた、お粥が少し口に入った、水が飲めるようになった。」
付き添っている家族の方達の会話です。

他にも異常だなと思うことはいくらでもありますが、 ここでは それが あたりまえのことなんです。 自分も無意識のうちに同じようなことをやっていたのかもしれません。

そして多くの人が時が経てば落ち着いてきて、正常になり退院してゆきます。
人間の回復力、治癒力はたいしたもんだ、といつも思いますが、その裏には、家族の 看護師さんたちの 先生方の大きな支えがあってこそなんですね。

だから 皆さんにはただ感謝、感謝です。



でも、時にはこういうこともあるんですよね〜〜〜。
かなり重病で植物状態の人もいて、夜中に何か看護婦さんがアタフタと駆け回っていたような晩は、翌朝早く 白いシーツで覆われたベッドが病棟を出て行ったり・・・

Posted at 15:49 | 病気 | この記事のURL
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奥さんの手厚い看護 [2007年06月29日(金) ]
前回の投稿「もう だめだな・・・・・」を書いていて思いだしたことです。

いつの入院中のことだったかは憶えていません。

− − − − − − − − 
だんなさんが悪性の脳腫瘍で手術のかいもなく、もうかなり進行してしまい、起き上がることも話すこともできなくなっていました。
年は中年くらい。 毎日 奥さんがつきそいに朝8時頃にはやって来ていました。
「おとうさん、気分はどう?」 「おとうさん 眠れた?」 「おとうさん 体を拭こうね」 「おとうさん ・・・」 「おとうさん ・・・」 (おとうさん というのはだんなさんのこと)
次から次に、あれをして これをして、奥さんは熱心に一生懸命につくしていました。
だんなさんはそれに対して反応することはなかったようですが、 私は 「 あれでは病人は疲れるな 」 と感じていました。(私自身 病人として)

どうも、奥さんは奥さん自身のペースで、自分を納得させるためにやっているようでした。だんなさん当人としてはもう少し自分のペースに合わせてほしかったんじゃないかな?
当時は私はそんな風に思っていました。

しかし、後になって考えてみると、奥さんとしては「どうして この人がこんな病気に・・・」と どんなにか辛かったでしょう、切なかったことでしょう。
せめて自分にできることをと必死の思いだったんでしょうね。


その後 しばらくして だんなさんは亡くなられたそうです。

 ・ ・ ・
 

Posted at 18:10 | 病気 | この記事のURL
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水が飲みたい。病気ドキュメント [2007年06月21日(木) ]
手術が終わって目が醒めると口や喉がすごく渇いていますが「何か飲ませてくれ」なんて言う力はないです。
聞かれたことにボソボソと答えるのが精一杯。

しばらくすると体力が少しもどってくるので「ミズヲノミタイ」というと、看護婦さんが聴診器を腹にあてて「まだ だめですね」。

内臓というヤツは寝坊なのか麻酔から醒めてもすぐには活動を始めないらしいです? 
だから今飲んでもすぐに吐き戻してしまう。(1度 無理に飲んで ひどい目にあった)
 ・ ・ ・
   よーく冷えたビールをごくりと飲ったらウマイだろうな!
 ・ ・ ・
少し経って又聞いてみる、聴診器、まだ だめ。
   ジュースでもコーラでもいいけどな。
水分は点滴で補充されているから飲む必要はないんだろうけど。
 ・ ・ ・
少し経って 又聞く、やっぱり だめ。
   アー 水でいいよ、冷えてなくてもいいよ。

「もうしばらく辛抱」、くちびるを湿らせるだけ。(T▽T)
 ・ ・ ・
そして かなり経ってからやっとOK。

といってもごくごく飲めるわけじゃない。ぬるい湯冷ましをスプーンに2〜3杯程度。

 それでも ウマイヨ!

Posted at 12:21 | 病気 | この記事のURL
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病気ドキュメント・手術 直前直後 [2007年06月20日(水) ]
この文章は患者の会の会報用に書いたものです。
病人の気持ちを少しでも知ってもらえれば。

=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =

この室(手術室)は何度入っても好きになれない。もちろん自分で入って来たのではなく、ストレッチャーで運ばれて。
手術台の上、まさに「俎上の鯉」。もうなんとでもしてくれ。
(もっとも、世の中の大部分の人はこんな室に入ることはないだろうし、あっても1,2回くらいのもんだろうな。それからするとこれはいい経験だと思うことにしよう。)
 女医さんがまわりでなにやらいろいろと手術準備の処置をしている。
 モニター類、電子機器類、チューブ類、その他いろんな器具、びん、医療器具が入ったケースが並んでいる。仰向けになっているので床は見ることはできない。
 主治医の先生が室に入ってきた。
「うら茄子サン、どう、元気ですか。」
(何言ってんの。こんな所で鯉になっているのに、元気なわけない。
そう言えば昔はうら茄子クンだったな。いつのまにか サン になった。お互いに年をとったもんだ。)
 麻酔の先生が左手首を見て「おや、これは?」と主治医に問いかけると「ああ、この人はベテランでねェ。」
(そう、VHL患者はみんな手術のベテランなんだよ。ベテランか、こんなことでベテランになんかなりたくないな。
そうそう、この言葉、Joyceさんも使っているよな。)
 しばらくゴチャゴチャとやっているうちに「麻酔の薬がはいりますよー。」という声とともに左腕がピリピリする、血管に沿って。(あ、きたな)と思う間もなくテレビのスイッチを切るようにスッと視界が暗くなり、意識が消える。
 麻酔薬の効目は絶大で、ということは、体にとってはかなりの負担になるんだろう。
 眠っている間は患者本人は何とも無い。何もわからないが、待機している家族は大変だ。無事に終わることを願って何時間もただひたすら待つだけ。そして手術室の先生方も、朝から晩まで、苦闘してくれる。(何とありがたい事です。)
 
家族の一人から聞いた話によると、交代で昼食に行った時、執刀の先生が手術着のままごはんを食べていたそうな。
(そりゃそうだ、飲まず食わずというわけにはいかないんだから。たいへんだな、ありがたいな。 (いつも8時間くらいかかる。))
手術室に入るときはまた着替えたと思いますよ。

「うら茄子さーん、終わりましたよー、わかるー、手を握ってー。」
 集中治療室に移されているらしい。この瞬間は先生にとっても、家族にとっても緊張の極だろう。
はたして答えが返ってくるか?!

(大丈夫ですヨ、生きていますヨ。)
ア~~~と声らしきものをだしながら、手を握り返す。
一件落着。
 さて、ここからの一晩が・・・地獄だゾーーー

=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =

集中治療室は自分も含め 皆 生きるか死ぬか だからねー。

Posted at 16:47 | 病気 | この記事のURL
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やせっぽち、スリム? [2007年06月15日(金) ]
食事事情が悪いため私は非常に痩せています。
看護婦さんも「うらやましい」と言うほどです。
(今は看護士と言うようですが、私にとっては看護婦さん! 男性も増えました。医師とは違いこの方たちもいいですねえ。こちらは当然 看護士さん。でも いずれにしろ名前で呼びかけるようにしています。)

でもねエ、本人としてはもう少し太りたいんですよ。
服のサイズとしては S くらいが適当ですが、昨今はみんな体格がよくなったのか、ほとんど M 以上。 S なんてめったに見当たらない。
それに貧相で、なんとなくみすぼらしい感じです。
やはり、ちょっと太り気味でどっしりしているのがいいですね。

女の人もそうですよ。 なんであんなに ダイエットとか シェイプアップとか 痩身〜、なんぞにこだわるのか?

痩せていてよかった と思ったことといえば、手術直後で自力では動けないときにベッドからベッドへ移るのに、体が軽いので 周りの人にあまり手間をかけさせずにすんだ、というくらいのものですかね。


おまけ
夙川に鯉がいます。(いつも歩く公園)
それを参考にメタセコイアで作った鯉。(錦鯉にでもすればもっといいかも?)




追伸
いちゃもん人間とは今のところ折り合いがついた状態。
この体で喧嘩もできないしね。

Posted at 10:28 | 病気 | この記事のURL
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たたり [2007年06月14日(木) ]
この話はもしかしたら以前に一度投稿したかもしれません。
でも 退会以前のことです。
再度(?)投稿。

フォン・ヒッペル-リンドー病(VHL病)というのは欠陥遺伝子で発病する病気です。

私は4人きょうだいです。 男・女・男・女、でそのうち3人がフォン・ヒッペル-リンドー病(VHL病)です。
末の妹は死にました。 
ずいぶん気に病んだ母親が占い師(霊視のような)に相談したところ、祖先の誰かに関わっている、というようなことだったそうです。 (私が脊髄や腎臓をやる前)

昔のことなので確かなことはわかりませんが、父親方の祖先で首切り役人をつとめた人がいたそうです。、私の三代程前にあたります。

ここからは私の想像です。
年代から考えてみると、明治時代の初期で、おそらく西南戦争に関係しているのではないか?
祖先の家は熊本県の植木(地名)の旧家で、ここら一帯は激戦の地になった所です。 田原坂の戦いの地はすぐ近くです。 このとき、その人は薩摩軍に加担し その陣内で捕虜の処刑役をつとめ、そして処刑され首を落とされた人々の怨念が子孫にたたっている。 
だから首から上の病気で苦しむ。


しかし、その後私は脊髄や腎臓の手術もしましたから、首から上のたたり、というのはあてはまらないですね。

もっとも、たたり とか 怨念 とかは はじめから信じてはいませんが。

今ではその旧家とは、ある事情で全く縁が切れており、つながりはありませんが、フォン・ヒッペル-リンドー病(VHL病)だけはしっかり受け継いでいます

おまけ
メタセコイアで作った昔の電話機。
これでも当時は最新鋭の機械だったんでしょうね!
いまどきのケータイとくらべたらどうだろう!

Posted at 10:55 | 病気 | この記事のURL
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