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『日光街道』[2007年09月29日(土) ]
先日「日光街道を歩く予定と投稿し、ルートなどを調べ始めると 思ってもいなかったことが最初から判ってきました。

1,「日光へは国道4号線を行けばよいのだ!」 と思っていましたが、実際はそうではなく、この地図の黒点線が「江戸時代の日光街道」だったのです。

【 なお江戸時代には中央を流れる「荒川」はまだ無く、昭和5年(1930)に「荒川放水路」として掘削されたものです。】

2,お江戸日本橋を出発すると最初の宿場が千住ですが、千住までは「上野ルート」と「浅草ルート」の2本あることも判りました。

これから更に北へ上るわけですが、日光街道と国道4号は合流したり、離れたりしながら日光へ向かうようで、こんな事を調べながらもまた楽しい時間です。 (仕事に家事にとお忙しい方々には申し訳なく思っています。)

蛇足1,6時方向にある「小塚原刑場跡」は、品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸時代の刑場でした。

     小塚原刑場跡の「首切り地蔵尊」

蛇足2、そのやや上にある「千住大橋」は、芭蕉が「奥の細道」を歩き始めた所で、ここまでは隅田川を舟で来ました。

蛇足3、上記のように江戸時代は荒川はありませんでしたから、そのまま陸続きに歩くことが出来ました。

だいぶ涼しくなりましたから、これから徐々にトレーニングを始めようと思っています。(が、これも予定でありまして未定です 笑)


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コメント


:yumezi さん、コメントを有り難うございました。
あの番組のように色々と寄り道していると 歩く距離もあのようになってしまうのでしょうね。
そうなんですよ! 腰痛手術後1年になりましたがこれがチョット心配です。かといって「釣瓶落としの年齢」ですから賞味期限のこともあって、歩ける内にと思っています。
マァいい加減な人間ですから適当です。
Posted by:遊歩  at 2007年10月01日(月) 10:58

Rui さん、コメントを有り難うございました。
昨日は涼しいのを通り越してしまったような一日になってしまい、少し風邪気味です。
ルート調べと言っても 元もとズボラな私のやることですからいい加減なものです。それでもこれがけっこう楽しいものなのです。
Posted by:遊歩  at 2007年10月01日(月) 10:49

「街道テクテク歩き」毎朝見ていますが、幸手まで歩を進めたようですね。
一日10キロほど仙台まで一ヵ月半の道程だそうですが、腰痛の私にはもう羨ましくて指を銜えてテレビを見ています。
遊歩さんの歩きに期待していますが、お互い脊柱管、くれぐれも無理をなさらないようにどうぞ慎重にお運びください。
頑張らないように頑張って!
Posted by:yumezi  at 2007年10月01日(月) 09:15

こんばんわ

先日は有難うございました。
今日午後からでも探しに歩こうと思っていたらこの雨
で止めました。

いよいよ「平成の芭蕉」の準備が始まりましたね。
このようにルート探しをするだけでも興味ありますね。

私は「地図の見方が分からない女」です。
そのような本ありましたね
Posted by:Rui  at 2007年09月30日(日) 19:35

遊歩さま

早速の情報ありがとうございました。

やはりそういう説もあったのですね。この話は、以前聞いていたのですが
これで、すっきりしました。さすがの勉強振りに敬服、脱帽です。

私の文中「空」はミスで、「曾良」の間違い、冷や汗ものでした。
Posted by:黒めだか  at 2007年09月30日(日) 14:12

インテリアさん、コメントを有り難うございました。
旅行計画などは インテリアさんの万華鏡作りに比べれば比較にならないほど雑なものですよ。
それこそ万華鏡作りは「細密工業イエ精密工業」なのでしょう?

遊歩=読んで字のように、ヒマに任せて「遊び歩いている」でけです(笑)。
Posted by:遊歩  at 2007年09月30日(日) 13:10

黒めだかさん、コメントを有り難うございました。
「芭蕉隠密説」には曾良の陰が付きまとっている という説もあるようですね。(下記に抜粋しました)

【芭蕉の奥の細道の旅には 高弟の河合曾良が同行している。彼は表向きは観光情報を事前に集め、名勝旧跡、寺院の由緒等の情報をしたため 旅に備え、会計を担当するが、実際は彼は 芭蕉の諜報活動の助手として働らく。
彼は情報収集のプロであったことは旅の前にした情報収集、整理能力からも分かる。
芭蕉の死後 曾良は61歳の高齢にもかかわらず、大目付直轄の巡見使の用人として採用されている。】
Posted by:遊歩  at 2007年09月30日(日) 13:01

遊歩さま
お元気で「頭の散歩」を励んでいらっしゃいますね。私は、旅を計画するだけで疲れてしまうのに、遊歩さんは、「下調べを楽しみ、旅の実行を楽しみ、そしてブログを楽しむ」さすが『遊歩』さまですね。
何とか(写真失敗続きで)、更新しましたのでお知らせを。
Posted by:インテリア  at 2007年09月30日(日) 12:39

遊歩さま

やっていますね、淡々と、粛々と。
ひとつお調べいただきたいことがあります。(無理は禁物ですが)

それは芭蕉は、単に俳句のために奥の細道を歩いたのではなく、つぶさに行く先々の情報を幕府に報告するという役目が主であった、という話。
これは、ある種のいい意味でも悪い意味でもスパイ行為であり、空と共に
綿密な計画の旅であった、ということは本当か?ということなんですが。
Posted by:黒めだか  at 2007年09月30日(日) 07:34

ルルさん、コメントを有り難うございました。
【千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里の思い胸に・・・】
の「千じゅ」(千住)ですね。

この「奥の細道」は腰痛手術で入院した時、退屈で退屈で・・・。病院内の売店で「「えんぴつで奥の細道」を買って、暇潰しをしていました。

亡くなったのは御堂筋だったのですか。それでは大阪のど真ん中ですね。
Posted by:遊歩  at 2007年09月29日(土) 22:14

リンちゃんさん、コメントを有り難うございました。
この「小塚原刑場」での刑死人の解剖を見た杉田玄白らは、明和8年(1771)「解体新書」の翻訳を完成させまたそうです。

鈴ヶ森もそうでしたが、ここもあまり気持ちのいい場所ではありませんよぉ〜〜〜
Posted by:遊歩  at 2007年09月29日(土) 22:02

和ちゃん さん、コメントを有り難うございました。
私の場合は歩くのが好きですから、車はあまり乗らず、ましてタクシーは殆ど利用したことがない健康優良児?です。
載せた「首切り地蔵尊」の上に走っている電車が常磐線で、右に少し行けば「南千住駅」ですね。
Posted by:遊歩  at 2007年09月29日(土) 21:47

E-チャン さん、コメントを有り難うございました。
「春日部」にお住まいだったのですか? ここは江戸時代には「粕壁」と書かれていたようですね。
もし春日部周辺でお薦めの名所や旧跡がありましたら、是非とも教えて頂けないでしょうか?

「吉原コース」ですと「三ノ輪」に出てしまい、日光街道とは1本道が違うのですが、それほど離れていないから当然寄り道したでしょうね。
今の吉原って昼間でも黒スーツのオアニイサンが居て、チョット近づき難いのです(笑)。
Posted by:遊歩  at 2007年09月29日(土) 21:41

芭蕉と曾良はこの橋の下から出発したのですか、
『弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月はありあけにて光おさまれるものから不二の峯幽かにみえて、上野・谷中の花の梢又いつかはと心ぼそし・・・』
見送る人々も別れに泣き・・・
          行く春や 鳥啼き 魚の目は泪・・・の句が出来たのですね。
そして、旅の途中、大阪の現・御堂筋で亡くなりました・・・。
Posted by:ルル  at 2007年09月29日(土) 21:34

子鹿 さん、コメントを有り難うございました。
子供の頃から地図を見るのが好きで。今回のことも地図や検索で楽しんでいます。
きょうの千葉は小雨模様、仕舞って置いたトレッキング・シューズもそのままです。
Posted by:遊歩  at 2007年09月29日(土) 21:26

昔にしろ、現在にしろ、あの辺りの事は全然知りません。同じ、都内なのにネ。 どうも、ご縁が無いのですね〜。
鈴ヶ森刑場は知っていましたが、「小塚原刑場跡」というのも初めてお聞きしました。ダメですナ〜、日本史お勉強し直さなくては。。。。
Posted by:リン  at 2007年09月29日(土) 21:06

隅田川を見送りの人などと船で北千住までのぼりここで別れたそうですよ
また小塚刑場跡はメトロ日比谷線南千住駅のそばにあります。
昔は健脚の人ではないと遠くへはいけなかったのでしょうね
つい油断すると車になってしまいますが歩くのも努力が必要になってきました
Posted by:和ちゃん  at 2007年09月29日(土) 20:56

遊歩さん今晩は・・・
実は私30年前に春日部に住んでいて日光街道ぞいはなじみがありましたので大変懐かしく想いだしながら貴ブログ拝見いたしました。
特に旧街道のルートが黒い点線で示されていたのには本当に驚きました。
そして第一の宿場へはルートが2本あったことも意外でしたね。浅草ルートを通って行くときに吉原で遊んでからスタートするなんて粋な人がいたかも
Posted by:E-チャン  at 2007年09月29日(土) 19:41

ルート探し、あらかじめに知っておくこと・・・などなど、今が楽しい
ですね・・私はよく、本に出てくる所を目指して旅にでましたよ。
ゆっくり、ウオーミングアップなさってくださいね。
Posted by:子鹿  at 2007年09月29日(土) 18:15

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