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暮れになると[2007年12月15日(土) ]
暮れになると 何故か「忠臣蔵」がもて囃されますが、今回はチョット珍しい画像でお話ししてみたいと思います。

1,忠臣蔵と言えば、忘れたならないのが「南部坂 雪の別れ」。
これはフィクションという説(そこで画像にはボカシを入れました)もありますが、これでは身も蓋もありません。

ここが赤坂の近くにある「南部坂」ですが、車のすれ違いは出来ないような狭い、急な坂道です。 左の石垣の上はアメリカ大使館の宿舎。

2,忠臣蔵同志の中に「大高源五」という人が居ますが、この人は俳句も詠んでいたようで、両国橋の袂にこの人の句碑が建っています。 何故両国橋なのかは判りませんが・・・

   (左の字は私が書き入れてしまったものです)

3,討ち入りされた吉良上野介の屋敷跡で、両国駅の近くにあります。
左には吉良邸で亡くなった人たちの供養碑、右は「首洗いの井戸」だそうです。



4,仇討ち本懐の後、彼等は泉岳寺に向かうのですが、隅田川の東側を歩き、永代橋を渡ったそうです。
その永代橋近くに休息した場所が残っています。

       左手にその碑が建っています

5,泉岳寺から北へ数分歩くと、大石内蔵助以下の同志が切腹した場所が残されています。

とても狭い場所ですが、頑丈そうな塀で囲われていまして、その門の隙間から撮ったものです。
塀の中には大小数個の石が埋まるようにありました。

後日談として・・・その後、浪士たちは四大名に分散して預けられ、後日の処分を待つことになり、最終的な処分は切腹と決定。

これは、儒者の荻生徂徠が、「赤穂浪士は義士である。しかし、法に照らせば罪人。もし法を破って免罪すれば、政道は立ちゆかない。故に彼らには武士として名誉ある切腹を命じるべきである」との意見が取り入れられたとのこと。
誰一人取り乱さず、この場所で生と別れを告げていった そうです。

そして大石内蔵助は切腹の時、吉良家の断絶を知らされ随喜の涙を流したといわれている と説明されています。

寺坂吉左衛門が姿をくらましていますが、内蔵助が本家の芸州浅野家へ義挙を報告させるため、といわれているようです。


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コメント


ひでさん、コメントを有り難うございました。
長谷川一夫の「忠臣蔵」は見たことがないのですが、この「南部坂」に出会ってからは、何となく「忠臣蔵」を見るようになってしまいました。
片岡千恵蔵・・懐かしいですねぇ。子供の頃「ある時は片目の運転手、そしてある時は・・・」なんて言うセリフを真似したものです。
市川歌右衛門・・最近息子がよく似てきましたね。
Posted by:遊歩  at 2007年12月23日(日) 10:53

忠臣蔵にまつわる画像拝見させていただきました。東京下宿の学生時代、泉岳寺へ行ったことがあります。
40年以上も前、大河ドラマで長谷川一夫の忠臣蔵を興味を持ってみました。中学生の頃です。テーマ♪も良かったです。
当時の出演者をネットで調べましたら超豪華スターの名前が載っていました。日曜日の朝、百円くらいだったでしょうか、東映の映画館へ行き列を作ってみたものです。片岡千恵蔵、市川歌右衛門、大川橋蔵のファンでした。
もうこのようなスターは出ないでしょうね。
Posted by:ひで  at 2007年12月23日(日) 09:11

ieiesan さん、コメントを有り難うございました。
仰るように聖路加の傍に石柱が建っていますね。その画像も載せようと思ったのですが、5枚までなので割愛しました。
歩いてみるとけっこう色々と在るもので 楽しくなってしまいます。
Posted by:遊歩  at 2007年12月17日(月) 09:35

miss-sumichann さん、コメントを有り難うございました。
その写真、ぜひ拝見させてくださいな。
やはり季節があるようで、この時は夏でしたのでお墓にも土産物屋にも、境内にもあまり人はいませんでした。
もし行かれることがありましたら、切腹の場所も近いですから足を延ばしてみたら如何でしょうか?
Posted by:遊歩  at 2007年12月17日(月) 09:31

なるほどね。そう言えば築地聖路加のそばに浅野家跡があった様な気がしたな〜
Posted by:ieiesan  at 2007年12月17日(月) 07:25

この時期はやはりこの話題ですね。

まだうら若き頃赤穂まで行きましたよ。撮影会と称して〜〜〜

当時もすごい人ごみだったです。よく覚えてないのですが、陣笠をかぶり、ハッピ姿の自分の写真がアルバムにあります。白黒写真で

泉岳寺にも何度か行く機会があり、そこはいつも線香が絶えないそうですね。
Posted by:miss-sumichann  at 2007年12月16日(日) 23:28

ルルさん、コメントを有り難うございました。
「炭小屋からの実況」を聴いて、それでは江戸からもという事で投稿しました(笑)
瑤泉院の実家があった場所 という標識が「氷川神社」境内に立っているだけですが・・・そして坂までは数分と掛かりません。
けれどもこの坂を偶然通りかかると、「南部坂」の案内標識があってその時は感激しました。
Posted by:遊歩  at 2007年12月16日(日) 09:50

うわ〜、この場所、この道ですね、感慨深いです〜!!
「南部坂 雪の別れ」、瑶泉院の屋敷跡もあるのですか?
大高源吾は、俳句や茶道にも造詣が深く、吉良家出入りの茶の湯の宗匠四方庵宗へんに弟子入りし、12月14日の夜に吉良屋敷で茶会の催しがあることを突き止めた功績が有名ですね。両国橋に句碑があるのは、討ち入りを知らせた句を其角と交わしたからでしょうね。
切腹した時の年齢は32歳、その墓所が何故か大阪の我が家の傍のお寺にあり、墓石には辞世の句、『山をぬく 力も折れて 松の雪』が彫られています。
(我が地域は全国でも有数の寺町で、飛鳥時代〜江戸時代からの神社仏閣が何十と軒を並べている珍しい場所です)
興味のある所を順に見せて下さり、ありがとうございました〜
Posted by:ルル  at 2007年12月16日(日) 02:35

chuuchichi さん、コメントを有り難うございました。
当時の作家が「勧善懲悪」に仕立てたのではないでしょうか。
今では両家とも「昔のことは水に流して」和解した と言うことを聞いたことがあります。
今ではドラマが固定されているので、吉良側から見た「反面忠臣蔵」も興味がありますね。
Posted by:遊歩  at 2007年12月15日(土) 23:52

道祖神さん、コメントを有り難うございました。
討ち入りの時は、隣の屋敷から今で言う「夜間照明」の応援?があったと言うことを聞いたことがあります。
今でも暮れになると、両国から泉岳寺まで行進する行事があるらしいですが、相当の歩きでがあるのではないでしょうか。
Posted by:遊歩  at 2007年12月15日(土) 23:39

やうちさん、コメントを有り難うございました。
南部坂は知っていて行った訳ではなく、赤坂周辺を散策していて偶然この坂に出会いました。
坂の近くに「氷川神社」がありまして、この境内が「瑤泉院」の実家の屋敷だったそうです。
いつだったか忘れましたが、「瑤泉院の陰謀」というTVドラマがあって、興味深く観た記憶があります。
Posted by:遊歩  at 2007年12月15日(土) 23:32

子鹿さん、コメントを有り難うございました。
時代劇を見始めたのが時代小説を読むようになってからのことで、長谷川一夫の「忠臣蔵」は知っていましたが、観たことがありませんでした。

寺坂吉左衛門のことも、色々と検索して知ったような訳なのです。
ついでに言うと、この人のお墓は東京・南麻布の「曹渓寺」、ほか日本に7箇所にあるそうです。
そして曹渓寺ではお墓の公開はしていないとのことでした。
Posted by:遊歩  at 2007年12月15日(土) 23:23

忠臣蔵年末になると必ずTVなどで放送されますね。
忠臣蔵のすストーリー忠臣・忠義ということばが日本人は好きなんでしょうね。
ただ、忠臣蔵を見ていていつも感じることが果たして単純に仇討ちを果たした赤穂浪士が正義で討たれた吉良が悪なのか疑問を感じます。
勧善懲悪を好む日本人の気質からすればこのストーリーでいいのかもしれませんね。
今の日本の政治と同じで時の権力者がきちっとした裁定をしていればこの様な話もなかったかもしれませんね。
Posted by:chuuchichi  at 2007年12月15日(土) 22:14

遊歩 様

 NHKの大河ドラマの最初が、子鹿さんのおっしゃる
長谷川一夫さん主演の『忠臣蔵』でしたでしょうか
しかし、単純発想ですが、昔の人はすごいですね。
幼少からの教育といってしまえばそれまでかもしれませんが、
切腹するのですから。
今となっては、いろいろな考えも出てくるところかもしれません。
しかし、犠牲となられた方々のご冥福を祈り、合掌です。
Posted by:道祖神  at 2007年12月15日(土) 20:42

>南部坂 雪の別れ
 ここでしたか・・・歌舞伎・浄瑠璃には欠かせない場所ですね。

其角源五
 「年の瀬や川の流れと人の身は 明日またるるその宝船

我々の年代には、「忠臣蔵」は師走には欠かせない風物詩の一つです。
Posted by:やうち  at 2007年12月15日(土) 17:38

忠臣蔵といえば、長谷川一夫のを思い出します。
テーマ曲になってしまいましたね。
何かの本で読んだのですが・・忠臣蔵ごっこが江戸っ子で、流行った
そうなのです。子供でなく、大人が・・首級は冬瓜であったとか。

寺坂吉左衛門は可哀そうですね・・。
卑怯者、臆病者と云われ。
Posted by:子鹿  at 2007年12月15日(土) 15:01

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