先日、「STAGE の誕生招待」で麻布十番へ行ってきたことをお話しましたが、商店街の中心?には童謡「赤い靴」の「きみちゃん像」が一人で立っています。
そこできょうは受け売りで恐縮ですが、この子のことをアップしようと思います。
【 誰もが知っている童謡「赤い靴」、この詩は大正10年に野口雨情によって書かれ、翌大正11年に本居長世が作曲したものです。
この赤い靴の女の子にモデルのあることが明らかになったのは、昭和48年(1973)11月、北海道新聞の夕刊に掲載された、岡そのさんという人の投稿記事がきっかけでした。
「雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会ったこともない私の姉です」
横浜港にある「赤い靴の女の子」
この記事を当時北海道テレビ記者だった菊地 寛さんは、5年あまりの歳月をかけて「女の子」の実像を求め、義妹である「岡そのさん」の母親の出身地静岡県 静岡市清水を皮切りに、そのさんの父親の出身地青森県、雨情の生家のある茨城県、北海道各地の開拓農場跡、そして横浜、東京、ついにはアメリカにまで渡って幻の異人さん、宣教師を捜し、「赤い靴の女の子」が実在していたことを突き止めた のだそうです。】
まだ続くのですが、ご興味がありましたら「赤い靴像」で検索されると読むことが出来ます。
蛇足ですが、先日散策した「麻布十番」はブログに載せましたので、お越し頂けますと幸いです。
「東京ってオモシロイ(麻布十番界隈)」
そこできょうは受け売りで恐縮ですが、この子のことをアップしようと思います。
【 誰もが知っている童謡「赤い靴」、この詩は大正10年に野口雨情によって書かれ、翌大正11年に本居長世が作曲したものです。
この赤い靴の女の子にモデルのあることが明らかになったのは、昭和48年(1973)11月、北海道新聞の夕刊に掲載された、岡そのさんという人の投稿記事がきっかけでした。
「雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会ったこともない私の姉です」
横浜港にある「赤い靴の女の子」
この記事を当時北海道テレビ記者だった菊地 寛さんは、5年あまりの歳月をかけて「女の子」の実像を求め、義妹である「岡そのさん」の母親の出身地静岡県 静岡市清水を皮切りに、そのさんの父親の出身地青森県、雨情の生家のある茨城県、北海道各地の開拓農場跡、そして横浜、東京、ついにはアメリカにまで渡って幻の異人さん、宣教師を捜し、「赤い靴の女の子」が実在していたことを突き止めた のだそうです。】
まだ続くのですが、ご興味がありましたら「赤い靴像」で検索されると読むことが出来ます。
蛇足ですが、先日散策した「麻布十番」はブログに載せましたので、お越し頂けますと幸いです。
「東京ってオモシロイ(麻布十番界隈)」
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at 22:09
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