きょうの行程は 「徳次郎(トクジラ)から今市まで」で、それほど長い距離ではないと思いますが、待望だった杉並木を歩くことになります。
ただ悔しいことに宿から日光街道へ出るまで、約2.5q歩かなくてはなりません。
第7日目(11/5) 8時半にホテルをスタート 天候は晴
「日光杉並木の石碑」・・・寄進した松平正綱は天正四年(1576)生まれ。十七歳で家康側近に仕え後年大名になった。
家康に心服し、遺体が日光山に改葬される時は葬列に加わり、二代将軍の日光参拝の時は供を務め、日光山大火の後始末にも功績をあげ、慶安元年(1648)に没した。七十三歳。家康三十三回忌の年であった。
正綱はなぜ杉並木を寄進したのか。今市市歴史民俗資料館の半田慶恭館長は「家康公が眠る東照宮の参道を厳かな雰囲気に包み、神君の権威を高めようとしたのでしょう。参拝者が安らぐ街道整備の狙いもあったと思う」という。東照宮もおなじような見解だ。・・・このように解説されています。
「日光街道杉並木」
解説によると・・・日光・例幣使・会津西の三街道の全長37kmの両側にわたって約13,000本の杉がそびえる「日光杉並木街道」。
世界一長い並木道としてギネスブックにも載っているこの杉並木は植栽されてから、もうすぐ390年が経とうとしています。
現在日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている貴重な文化遺産であり日光市が世界に誇る「郷土のシンボル」。
杉並木は、家康の家臣・松平正綱が日光東照宮に寄進するため植栽したもので、寛永2年(1625)頃から20年余りの歳月を費やした一大事業でした。植栽された杉は約20万本と推定されるそうです。
「さくらすぎ」・・・この木は桜杉と呼ばれ、杉の割れ目に桜の種が落ち芽を吹いたもので、1本の木のようになっていて春には花を咲かせるそうです。
「杉の大木」・・・七本桜一里塚に立っている。
並木ホテルとも呼ばれ、杉の空洞に近づいてよく見ると確かに大人4人が入れそうな大きさです。なおこの塚は特別史跡、特別天然記念物の両方に指定されている そうです。
因みに私が背負っているザック(高さは約50p)を傍に置いてみました。
「今市の追分地蔵尊」
解説によると・・・日光街道と例幣使街道の分かれ道に祭られていることから、追分地蔵と呼ばれています。このお地蔵様には、日光の含満ケ淵の親地蔵や源頼朝の奥州征伐にかかわる話など多くの伝説が残されています。
いつごろのものか年代はわかりませんが、江戸時代の8代将軍吉宗の日光社参の時にはお地蔵様にかかわる話があることから、それ以前からあったようです。
石でできた座ったお地蔵様としては北関東一の大きさで、市の文化財に指定されています。
この地蔵堂を境にして、向かって左が「日光街道」、右が「例幣使街道」です。
16時頃 宿にチェックイン 歩行距離は約16キロ強 約7時間半歩きましたが、充実した時間で殆ど疲れは感じませんでした。
ただ悔しいことに宿から日光街道へ出るまで、約2.5q歩かなくてはなりません。
第7日目(11/5) 8時半にホテルをスタート 天候は晴
「日光杉並木の石碑」・・・寄進した松平正綱は天正四年(1576)生まれ。十七歳で家康側近に仕え後年大名になった。
家康に心服し、遺体が日光山に改葬される時は葬列に加わり、二代将軍の日光参拝の時は供を務め、日光山大火の後始末にも功績をあげ、慶安元年(1648)に没した。七十三歳。家康三十三回忌の年であった。
正綱はなぜ杉並木を寄進したのか。今市市歴史民俗資料館の半田慶恭館長は「家康公が眠る東照宮の参道を厳かな雰囲気に包み、神君の権威を高めようとしたのでしょう。参拝者が安らぐ街道整備の狙いもあったと思う」という。東照宮もおなじような見解だ。・・・このように解説されています。
「日光街道杉並木」
解説によると・・・日光・例幣使・会津西の三街道の全長37kmの両側にわたって約13,000本の杉がそびえる「日光杉並木街道」。
世界一長い並木道としてギネスブックにも載っているこの杉並木は植栽されてから、もうすぐ390年が経とうとしています。
現在日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている貴重な文化遺産であり日光市が世界に誇る「郷土のシンボル」。
杉並木は、家康の家臣・松平正綱が日光東照宮に寄進するため植栽したもので、寛永2年(1625)頃から20年余りの歳月を費やした一大事業でした。植栽された杉は約20万本と推定されるそうです。
「さくらすぎ」・・・この木は桜杉と呼ばれ、杉の割れ目に桜の種が落ち芽を吹いたもので、1本の木のようになっていて春には花を咲かせるそうです。
「杉の大木」・・・七本桜一里塚に立っている。
並木ホテルとも呼ばれ、杉の空洞に近づいてよく見ると確かに大人4人が入れそうな大きさです。なおこの塚は特別史跡、特別天然記念物の両方に指定されている そうです。
因みに私が背負っているザック(高さは約50p)を傍に置いてみました。
「今市の追分地蔵尊」
解説によると・・・日光街道と例幣使街道の分かれ道に祭られていることから、追分地蔵と呼ばれています。このお地蔵様には、日光の含満ケ淵の親地蔵や源頼朝の奥州征伐にかかわる話など多くの伝説が残されています。
いつごろのものか年代はわかりませんが、江戸時代の8代将軍吉宗の日光社参の時にはお地蔵様にかかわる話があることから、それ以前からあったようです。
石でできた座ったお地蔵様としては北関東一の大きさで、市の文化財に指定されています。
この地蔵堂を境にして、向かって左が「日光街道」、右が「例幣使街道」です。
16時頃 宿にチェックイン 歩行距離は約16キロ強 約7時間半歩きましたが、充実した時間で殆ど疲れは感じませんでした。
Posted
at 17:32
| この記事のURL
コメント(12)
| トラックバック(0)

