昨日(2/5)麗らかな陽ざしに誘われて、江戸時代の刑罰であった 「江戸市中引き廻しコース」 を歩いてきました。
下の地図が当時のコースを今の地図になぞったものですが、多少は違うような箇所もありますが、多くは当時のままの道が今も使われているようで、赤線がそのルートです。
なお @〜M は主だった場所を数字で示しました。
@:伝馬町牢屋敷 A:日本橋 B:新橋駅 C:田町駅 D:赤坂見附 E:豊川稲荷 F:迎賓館 G:四谷駅 H:神楽坂駅 I:本郷3丁目 J:上野駅 K:浅草駅 L:折り返し地の今戸橋 M:浅草橋駅
@・・3時方向にある「伝馬町牢屋敷跡」
この跡地の今は「大安楽寺の他に十思公園・小学校」などになっています。
Cの田町駅から北上すると、「慶応キャンパス」があります。
E・・8時方向にある「豊川稲荷」ですが、この境内にある「大岡越前守忠相(タダスケ)の墓」にお参りし、引き廻しの許しを願い出ました。
夕暮れが迫ってきた「不忍池と弁天堂」
午前10時、Mの浅草橋駅を出発、 12:35に田町駅を通過、 14:40に豊川稲荷、 15:40に神楽坂駅、 16:40に本郷3丁目 17:05に上野駅、 17:35に浅草駅、 17:50に折り返し地の今戸橋 18:40にゴールの浅草橋駅に到着。
所要時間は約8時間40分! 勿論途中で休んだり食事などしましたが、江戸時代は本当にこんなに長い時間掛けて引き廻したのでしょうか?
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂けますと幸いです。
検索した中にはこのような説明も・・・
【行列は牢屋敷裏門から出て、小塚原か鈴が森、板橋などにある刑場に向かうが、罪状によって距離に長短があり、軽いものなら日本橋から江戸橋の通りを引き廻し、重い者なら江戸城を一周させた。】
蛇足:近い内にこの事も私個人のブログに載せるつもりでです。
http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/
下の地図が当時のコースを今の地図になぞったものですが、多少は違うような箇所もありますが、多くは当時のままの道が今も使われているようで、赤線がそのルートです。
なお @〜M は主だった場所を数字で示しました。
@:伝馬町牢屋敷 A:日本橋 B:新橋駅 C:田町駅 D:赤坂見附 E:豊川稲荷 F:迎賓館 G:四谷駅 H:神楽坂駅 I:本郷3丁目 J:上野駅 K:浅草駅 L:折り返し地の今戸橋 M:浅草橋駅
@・・3時方向にある「伝馬町牢屋敷跡」
この跡地の今は「大安楽寺の他に十思公園・小学校」などになっています。
Cの田町駅から北上すると、「慶応キャンパス」があります。
E・・8時方向にある「豊川稲荷」ですが、この境内にある「大岡越前守忠相(タダスケ)の墓」にお参りし、引き廻しの許しを願い出ました。
夕暮れが迫ってきた「不忍池と弁天堂」
午前10時、Mの浅草橋駅を出発、 12:35に田町駅を通過、 14:40に豊川稲荷、 15:40に神楽坂駅、 16:40に本郷3丁目 17:05に上野駅、 17:35に浅草駅、 17:50に折り返し地の今戸橋 18:40にゴールの浅草橋駅に到着。
所要時間は約8時間40分! 勿論途中で休んだり食事などしましたが、江戸時代は本当にこんなに長い時間掛けて引き廻したのでしょうか?
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂けますと幸いです。
検索した中にはこのような説明も・・・
【行列は牢屋敷裏門から出て、小塚原か鈴が森、板橋などにある刑場に向かうが、罪状によって距離に長短があり、軽いものなら日本橋から江戸橋の通りを引き廻し、重い者なら江戸城を一周させた。】
蛇足:近い内にこの事も私個人のブログに載せるつもりでです。
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