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『日光街道』 [2007年09月29日(土) ]
先日「日光街道を歩く予定と投稿し、ルートなどを調べ始めると 思ってもいなかったことが最初から判ってきました。

1,「日光へは国道4号線を行けばよいのだ!」 と思っていましたが、実際はそうではなく、この地図の黒点線が「江戸時代の日光街道」だったのです。

【 なお江戸時代には中央を流れる「荒川」はまだ無く、昭和5年(1930)に「荒川放水路」として掘削されたものです。】

2,お江戸日本橋を出発すると最初の宿場が千住ですが、千住までは「上野ルート」と「浅草ルート」の2本あることも判りました。

これから更に北へ上るわけですが、日光街道と国道4号は合流したり、離れたりしながら日光へ向かうようで、こんな事を調べながらもまた楽しい時間です。 (仕事に家事にとお忙しい方々には申し訳なく思っています。)

蛇足1,6時方向にある「小塚原刑場跡」は、品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸時代の刑場でした。

     小塚原刑場跡の「首切り地蔵尊」

蛇足2、そのやや上にある「千住大橋」は、芭蕉が「奥の細道」を歩き始めた所で、ここまでは隅田川を舟で来ました。

蛇足3、上記のように江戸時代は荒川はありませんでしたから、そのまま陸続きに歩くことが出来ました。

だいぶ涼しくなりましたから、これから徐々にトレーニングを始めようと思っています。(が、これも予定でありまして未定です 笑)


Posted at 17:29 | この記事のURL
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昨夜の月 [2007年09月28日(金) ]
今回もまた「月番」の話題です。

千葉でも 先日の「中秋の名月」と同様 昨夜も綺麗な月を見ることが出来ました。

ただ贅沢を言えば「雲が少し出てくれないかなぁ」、と思いながら撮ったのが下の画像です


そこで「ダメで元もと」を決め込み、テラスで雲が出てくるのを待つことにしました。

既に時刻は0時過ぎ、見上げると何か薄いものが月を滲ませているようです。 下の画像がその時のものです。



今までこんなに長い時間 月を見上げて居たことはありません。

注) テラス とは、昔「物干し台」と呼んだ時代がありました。

Posted at 10:17 | この記事のURL
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月々に・・・ [2007年09月26日(水) ]
【 月々に 見る月は多けれど 見る月は この月の 】・・・詠み人知らず だそうです

という狂歌?がありますが、私も昨夜は月番をしていまして、これを撮りましたので見て頂ければと思います。











また 月見についてはこのような言い伝えもあるようですね・・・お月見は旧8月15日と旧9月13日の両方を見るのが良いとされています。
どちらか片方しか見ないことを「片見月(かたみづき)」と言って、不吉だと忌み嫌われています。


Posted at 14:08 | この記事のURL
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白山から茗荷谷(東京の本郷) [2007年09月25日(火) ]
昨日(9/24)巣鴨へ墓参に行った と言うことをアップしましたが、墓参の後 ブログのネタ探しで「白山から茗荷谷界隈(東京・本郷)」を散策してきました。

小石川植物園入口。映画「赤ひげ先生」の小石川療養所のあったところです。
説明によると・・・約320年前の貞享元年(1684)に、将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身であり、園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されています。その中には8代将軍徳川吉宗の時代に設けられた「養生所(あるいは施療院ともいう)」の井戸もあります。

ここの入場券は道を挟んだ酒屋で売っていて、大人330円。
なお 私は先を急ぐので植物園には入りませんでした。

         美幾(ミキ)女の墓
説明によると・・・かっては遊女であったと言われる美幾女は、明治2年(1869)に自らの死を予感、解剖のための遺体提供に応じ、特志解剖の第1号であった。
墓石は損傷が激しいのでアクリル板で保護されていました。

         辰巳屋惣兵衛の墓
説明によると・・・この人は享保18年(1733)生まれの遊侠人。墓石には娘姿で踊る惣兵衛が彫られているが、彼の女装での踊りは絶品で 神田明神などの祭礼で人気を博した。

         無縁仏と彼岸花

「石川啄木終焉の地」の碑(自販機の左隣)
説明によると・・・明治44年に啄木と母・妻の3人が本郷の喜之床からここへ移り住んだ。
啄木も母も病身で妻も病気がちであったが、翌45年3月に母が亡くなり、4月13日には啄木も肺結核でここで生涯を終えた。(1886〜1912)

この散策については近い内に ブログ「東京ってオモシロイ」 に載せる予定です。


Posted at 16:21 | この記事のURL
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とげ抜き地蔵 [2007年09月24日(月) ]
「しあわせ地蔵さん」がとげ抜き地蔵へ行かれた との書き込みがありましたが、私もきょう(9/24)同じ所へ行ってきました。
ただ 私が行ったのはこの近くへ墓参り(東京・巣鴨)に行き、その帰りに寄ったのですが。

数年後には私もお世話になる寺で、「江戸六地蔵」としても有名な寺です。

この日は4の日(9/2)なので「とげ抜き地蔵の縁日」、それと振り替え休日が重なり、そのうえ涼しいとあって それはそれは大賑わい。

  「とげ抜き地蔵境内」もこの賑わいです。

「お年寄りの原宿」と呼ばれていますが、ドウシテ・ドウシテ若い女性も一心不乱です。

巣鴨駅近くにある「徳川慶喜屋敷跡の碑」(電柱の右)。中央のやや左後方が巣鴨駅です。


Posted at 20:06 | この記事のURL
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マァ 大丈夫!? [2007年09月22日(土) ]
最近TVで 女子プロ卓球選手の「日光街道テクテク歩き」? という予告編を流しています。
そこで私も 「一つチャレンジしてみるか」 と思うようになりまして、計画を立て始めました。

先ず 「日本橋から日光」 までの総距離ですが 約150q。
次に1日当たりの歩行を20q前後とする。 (本当はもっと歩きたいのですが、自分の年齢を考えて少なめにしました。)

これを前提に宿泊地を決めると 8泊で歩けることが判ります。

その宿泊地は、日本橋を出発して 「草加」・「春日部」・「栗橋」・「小山」・「雀宮」・「徳次郎」・「大沢」そしてゴールの「鉢石(日光)」の8ヶ所になります。

       奥入瀬の遊歩道

これらの宿泊地間の歩行距離も 18q〜23q/日 となり、余裕のある計画になりそうです。
それにこの街道筋にはあまり勾配もなさそうですし、私が嫌いな危険なトンネルも無いようです。

と マァこんな大風呂敷を広げながら、「いつ出発しようか」 と夢みるようになっています。

        青森の歩行ルート

しかし考えてみれば、だいぶ前に歩いた青森県の 「十和田湖から竜飛岬まで」 ことを考えれば、いくら高齢になったといってもその半分の距離ですから マァ大丈夫 歩けるでしょう。
それに一人で歩くので、ダメな時はいつでもギブアップ出来ますか気が楽です。

Posted at 11:50 | この記事のURL
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長嶋茂雄夫人が・・・ [2007年09月18日(火) ]
下記のような記事がありました。

【長嶋茂雄元監督の妻、長嶋亜希子さんが18日午前4時33分、心不全で死去した。
64歳だった。亜希子さんは、17日夜に気分が悪くなり、都内の病院に運び込まれていた。通夜、告別式などは近親者のみで執り行う予定。

2002年には、地球温暖化対策について話し合う政府の「環の国くらし会議」のメンバーに選ばれた。04年3月、長嶋氏が脳梗塞で入院した際には、家族で交代で看病にあたり、リハビリを支援した。】

私はもちろん長嶋茂雄さんや夫人にはお会いしたことがありませんし、知り合いでもありませんが、どことなく惹かれる存在の選手でしたし、引退後もファンの一人でした。

しかしながら、長嶋さんが倒れた時、なぜ奥さんが出てこないのか と気にかかっていました。
このようなことで、明日からのTV番組で 有ること無いこと を放送するのではないかと思いますが、出来ることであればソッとして、ご冥福をお祈りするだけに止めて欲しい気持ちです。

Posted at 21:06 | この記事のURL
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敬老の日 [2007年09月17日(月) ]
私が住んでいる自治会で、1日早く「敬老の日」のお祝いをしてくれました。
参加資格は 70歳以上。 自分では若いと思っているので今まで参加することはありませんでした。 しかし戸籍上は47歳? 今年はご招待を有り難く頂きました。

が、行って驚きました。 ナ・ナント そこにはかって一緒にソフトボールやバレーボールをしていた人たちがたくさん居るではありませんか! みな平行移動するように歳を取ってしまったのですねぇ

市会・区会議員などの来賓挨拶がありましたが、画像はありません。

会場は公園で避暑用のテントが張ってありますが 気温は31℃。 右に居るのはスタフの方たちで 「どうもお世話さまです」

ホールなどはありませんから「青空劇場」、住民有志が舞踊を披露

テント内では心尽くしの手料理を前に「青空舞台」を・・

    新人と自称する歌手も熱唱

  会場裏はこのような自然公園になっています

自治会役員の方々の手作り祝日行事だと思いますが、ビール・弁当・手作り惣菜 帰りには小さな鉢花まで頂けた「敬老の日」で、お世話になりまして有り難うございましたした。
 (正直言うと、敬老という言葉に未だ抵抗があります)

Posted at 11:46 | この記事のURL
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白内障手術(其の2) [2007年09月16日(日) ]
先日「左目の白内障手術をした」ということをお話ししましたが、きょうはその後について感じたことを羅列してみたいと思います。

1,目にゴミが入ったような「ゴロゴロ感」はなくなりました。
2,メヤニのようなものは手術当初から出ませんでした。
3,我が家におネコ様が居るのですが、手足の色はどっちが正しいの?
手術目で見ると「真っ白」、そうでない方で見ると「やや黄色」
4,病院には「談話室」があって、そこには何冊かの雑誌・文庫本があったので、私も読み終えたものを置かせて と頼みました。

            談話室


余計な画像ですが、これが現在の「深川澪通り」で、「木戸番小屋」は橋を渡った左側にあります。

持っていった本は何れも文庫本で、「池波正太郎」「平岩弓枝」「北原亜以子」などの時代小説、それも私が好きな江戸もの?小説です。
置いてもらう時 看護婦さんに「もし置いてもらえるなら それに未消毒です」とお断りしておきました。

以上のような状態で明後日(9/18)が定期診断ですが、今のところは痛みなどは全くなく順調ではないかと思っています。

Posted at 11:32 | この記事のURL
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手術はたった16分! [2007年09月11日(火) ]
皆さん、こんにちは。 何回かここにアップしましたが、9/10 に「白内障の手術」をしてきました。
そこで 白内障の手術体験 を細かなことは省きますが、お話しようと思います。

手術の課程・・
1,手術室入室 13;17
  ここでは血圧・心電図装置をセット
2,手術スタート・・13;30
  術中は意識有り。眩しいうえにやたらと目に水分が注がれるが、何をしているのかは不明。
  緊張して目が動いてしまい、「目を動かさないで」の注意が2回
3,手術終了・・13;46 この間たったの 16分
  術後 血圧・心電図セットを外す
4,手術室退出・・13;55 この間 38分

術後の感想・・
1,目にゴミが入っているようなゴロゴロしているが、痛みはありません。
2,そのゴロゴロも少しずつ少なくなっていくようです。
3,術後1時間は安静だが、それ以降は疲れない程度のTV&読み・書きはOK。
4,眼帯を取った時の感想・・景色が明るく・白く見えるようです。よくビックリするほど良く見える! と聞きますが、私は鈍感なのかも知れません(笑)。

【余談】看護婦さんに、「手術室の入退室や手術時間を教えて下さい」と頼んだら、あまりこんな患者は居ないようでしたが、メモをくれました。

後のケア・・目薬・内服薬など受け取り、扱いを遵守すること。
洗髪・洗顔は2週間は原則として我慢。
ウオーキング・チャリンコ・ゴルフなど運動も2週間は中止。

退院は 9/11 の午前中で 家に帰ってきました。

蛇足・・カメラを持っていったのですが、何故か撮るシーンがありませんでした。

Posted at 19:09 | この記事のURL
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