1,「日光へは国道4号線を行けばよいのだ!」 と思っていましたが、実際はそうではなく、この地図の黒点線が「江戸時代の日光街道」だったのです。
【 なお江戸時代には中央を流れる「荒川」はまだ無く、昭和5年(1930)に「荒川放水路」として掘削されたものです。】
2,お江戸日本橋を出発すると最初の宿場が千住ですが、千住までは「上野ルート」と「浅草ルート」の2本あることも判りました。
これから更に北へ上るわけですが、日光街道と国道4号は合流したり、離れたりしながら日光へ向かうようで、こんな事を調べながらもまた楽しい時間です。 (仕事に家事にとお忙しい方々には申し訳なく思っています。)
蛇足1,6時方向にある「小塚原刑場跡」は、品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸時代の刑場でした。

蛇足2、そのやや上にある「千住大橋」は、芭蕉が「奥の細道」を歩き始めた所で、ここまでは隅田川を舟で来ました。
蛇足3、上記のように江戸時代は荒川はありませんでしたから、そのまま陸続きに歩くことが出来ました。
だいぶ涼しくなりましたから、これから徐々にトレーニングを始めようと思っています。(が、これも予定でありまして未定です 笑)
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at 17:29
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