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勿体ない [2007年11月29日(木) ]
シュウマイで有名な「キヨウケン」が 商品に表示のミスがあり 現品を回収して廃棄する とのこと。
なんて勿体ないことをするのでしょう。

賞味期限内ならば何とか有効活用が出来ないのでしょうか?
買う時に ここまで気を付けながら買っているのでしょうか?


何か どこかが「おかしくなってきている」ような気がしてならない、と思っています。

『追記・・・崎陽軒に 意見として同じようなことをお話ししました』

Posted at 10:57 | この記事のURL
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カッコいい雲 [2007年11月27日(火) ]
最近は快晴続きで夕焼けも平凡、やはり少し雲が出てくれないと面白味がない、などと思いながら徒歩トレーニングを続けています。

きょう(11/26)は、雲も出ているから素晴らしい夕焼けが見えるかな? 
そこで夕方までは時間があるので 格好のよい雲を探し歩くことにしました。

    縦型のパノラマにしてみました









格好の良い雲に出会えましたが、夕焼けはご覧の通りでザンネン

追記・・きょう(11/27)の千葉地方はドンヨリとした空模様です。

Posted at 15:51 | この記事のURL
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熟年者の山岳遭難 [2007年11月25日(日) ]
北海道の大雪山系での雪崩遭難事故の報道がありました。
それも山岳会による雪崩の対応訓練らしいのですが、遭難した人にはお気の毒に思いますが、多くの方々が60歳前後らしいのです。 

このような熟年者の遭難報道を見るたびに、遭難に遭われた人たちは自分の年齢と技量と相談しての行動なのか 疑わしく思ってしまいます。

当然山岳会ならば、事前の天候や周囲の環境などを調べた上ての決行だと思いますが、新雪の時期、年齢など あまりにも無鉄砲・無謀のような気がしてなりません。

 奥日光(小田代原)・・本文と画像は関係ありません

話は飛躍しますが、ケイタイの普及に伴っで遭難でもないのに救助の依頼が増えているとか、それも熟年者に多いと言うことも聞いたことがあります。
熟年者の登山ブームも結構ですが、配慮や考慮が足りないのでは と考えてしまいます。

もっとも私の「日光街道一人旅」も、無謀のそしりを免れませんが・・・

Posted at 22:32 | この記事のURL
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合点がいかない [2007年11月24日(土) ]
何故か最近「ブランドはやり」のような気がしてなりません。

マァ ファッションなどは それぞれのスタイルなどがあってブランドとしているのでしょうが。

合点がいかないのが 牛肉・鶏肉などのブランド?物、これでは牛や鶏が可哀相だし、ましてや彼等を一所懸命育てている生産者に失礼ではないかと思ってしまいます。
さらに魚に至っては **鰺とかXX鯖 全くもってナンセンス。

それぞれが こんなことをしながら価格を吊り上げていくのでは と考えてしまいます。

Posted at 18:33 | この記事のURL
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日光一人旅」のブログが [2007年11月23日(金) ]
皆さん、こんにちは。
この STAGE で日光街道のことをアップしてきましたが、私個人のブログにもだいぶ長くなってしまいましたが、まとめたものを載せました。

相変わらず画像ばかりの紙芝居式ですが、お時間とご興味がございましたらお越し頂けますと幸いです。
アドレスは
 http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/
です。 
   
       日光「お化け地蔵の紅葉」

Posted at 23:44 | この記事のURL
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画像のパノラマ加工 [2007年11月18日(日) ]
皆さん、こんにちは。
以前、ここで「パノラマ画像」を載せたところ、多くの方から「方法は?」とのお話しがありましたので、ここでご紹介させて頂きたいと思います。
ただ、私も良く判りませんので この事はどうぞご理解をお願いします。

なお、このソフトはフリーですが、WinXPVISTA 以外は適用できないかも知れませんので予めご承知置き下さい。

手順は・・・
1, http://go.windowslive.jp を開く
2,この画面の使いたい項目を選ぶ
パノラマ加工ならば「デジカメをもっと快適に」を見ると 左には「詳細」 右には「はじめてガイド」。
「はじめてガイド」は、内容の扱い方が説明されています。
「詳細」を左クリックすると、「ダウンロード」が上・下に2ヶ所にありますが、下段をクリックします。
3,そして「インストール」をクリック

このような手順で行うと、画像の画面が出てくると思います。

パノラマにしたい画像を決めたら、Ctrlキーを押しながら、その画像を左クリック。
パノラマは横方向だけではなく、縦方向も出来るようなので、相当大きな画像も可能と思います。

4,画像画面の上の段にある「画像の作成」から、パノラマ加工をクリックすると後は自動的にパノラマ加工してくれます。
5,次に「トリミング加工」をクリックして、トリミングすれば完成となります。

以上が手順なのですが、私自身良く理解できていませんので、ご不明の場合はどうぞ「問い合わせ」欄でご確認をお願いします。

なお これを教えてくれた方からは「多くの人に使って欲しい」との伝言がありました。

Posted at 17:48 | この記事のURL
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「日光街道一人旅」 其の9 [2007年11月17日(土) ]
「日光街道一人旅」もこれで最終回ですが、せっかく日光まで来たのですから市内観光をすることにしましたので、もう少しお付き合いをお願いします。

「日光市指定史跡 鉢石(ハツイシ)」・・・その昔、中世紀まではこの辺りは「坂本」と呼ばれていた。
その後 日光山開祖・勝道上人が托鉢の途中、大谷川(だいやがわ)岸辺のこの石に座って日光山を仰いだことから、この石が「鉢石」と呼ばれるようになり、日光街道の最後の宿もこれにちなみ、「鉢石(ハツイシ)宿」と名付けられたという。

この石は昔から柵をもうけ、しめ縄で飾って神聖視されて保護されてきたそうで、今でもこの様に管理されています。大きさは直径2メートル近いでしょうか。
このような歴史を持ちながら、この石がメジャーではないのは何故なのでしょう。

    日光東照宮(行ったという証拠写真 笑)

並び地蔵(別名 お化け地蔵)・・・大谷川沿いの憾満ケ淵(カンマンガフチ)付近に並んでいる地蔵群は“並び地蔵”と呼ばれています。
これらは慈眼大師の弟子約百名が「過去万霊,自己菩提」のために寄進したもので、一回り大きな親地蔵も置かれていたというが、明治35年(1902)の大洪水で,親地蔵と他の地蔵のいくつかが流され、現在は70体程度だそうです。

流された親地蔵の首は地元の人が見つけ、現在は浄光寺(じょうこうじ)に安置してあります。
また、別名化け地蔵と呼ばれるが、これは参詣者がこの地蔵の数を数えてみると、その都度数が違うというところからこのように呼ばれているとか。

憾満ケ淵(かんまんがふち)・・・或いは含満ヶ淵と書くこともあるそうです。含満とも書くので「がんまん」と濁って読まれる事が多いが、命名の由来から考えると「かんまん」と澄んで読むのが正しいそうです。
この場所は、並び地蔵さんと向き合うようにして滔々と流れています。

浄光寺・・・流された親地蔵のその首は、この浄光寺境内に安置されていました。

長いシリーズものになってしまいましたが、これで「日光街道一人旅」は終わりで、私はこれからバスで奥日光の湯元温泉へ行って 一人で「完歩の祝杯」をあげることにしています。

今回のことを思い返すと、途中で疲れたとか、もうギブアップしようか という思いもなく、こんな全てがバカバカしいことも、行動してみると意外に出来てしまうのだなぁ を実感しています。

そして多くの皆様がこの「一人旅」をご覧頂き、コメントを下さいましたことを厚くお礼申し上げます。

なお、私個人のブログにも整理しながら載せますので、その時もお越し頂けますと幸いです。

Posted at 16:58 | この記事のURL
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「日光街道一人旅」 其の8 [2007年11月16日(金) ]
きょうは「日光一人旅」の最終日。
行程は 「今市から日光まで」で、それほど長い距離を歩きませんからユックリと杉並木を歩くつもりです。

第8日目(11/6) 8時半宿をスタート
昨夜から明け方にかけて降っていた雨も上がり ラッキー

二宮尊徳の墓(今市の報徳二宮神社境内)
今市市の解説によると・・・二宮尊徳翁は天保13年(1842)56歳の時に幕府の役人に登用され、2年後に日光領仕法の計画を命じられました。
当時の日光神領は田畑は荒廃し、農業経営が成り立たない「潰れ」が多発する状況でした。このような状況から復興させるために、日光領仕法が行われたのです。
実際に仕法が行われたのは嘉永6年(1853)から尊徳翁が亡くなり、その遺命を息子の弥太郎が受け継いだ15年間 となっています。

尊徳は亡くなる間際、門人たちに『私を葬るに分を超えたことをしてはならない。墓石を立てることはするな。碑も立てるな。ただ土を盛り上げて、そのかたわらに松か杉を1本植えておけばそれでよろしい。必ず私の言うことに違うな』、と遺言していたそうです。

杉並木・・・この辺りは車の乗り入れ禁止区間もあり、そこは石畳が敷かれた遊歩道になっている所もありました。

戊辰戦争の時被弾した弾丸跡の杉(左杉の上の方に有る縦の裂け目)・・・
今から130年ほど前の戊辰の戦いで、官軍の大砲の弾丸が当たった「砲弾打込杉」が残っている、この周辺の倒木を調査すると時折り鉛の弾が発見されることがあり、この周辺は幕府軍との激戦区だった とのことです。

この他にも杉並木を歩いているとこのような大木もありました・・・日光並木太郎=杉並木のなかで、もっとも大きく美しいといわれる。
並木の中で一番大きな杉であり周囲 5.53m 樹高 38mで、姿美しく端正なことにより「並木太郎」というにふさわしい名木 と紹介されてます。(画像は省略)

異人石・・・明治の頃、杉並木を愛した外人がいて、この石を石屋に頼んで座りやすくしてもらい、毎日この椅子に座って杉並木を眺めていたそうで、異人石と呼ばれています。

この異人は・・・エルウィン・ベルツ(1849〜1913年)。1876年(明治9年)に東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師としてドイツから迎えられ、内科学、生理学、病理学、婦人科学の教授を務めました。「日本医学の父」と称され、教授の傍らツツガムシなどの寄生虫学、脚気、温泉の効用などの医学研究の他に人類学、民俗学でも業績を残しています。また、帰国までの30年間、明治・大正両天皇の侍医をつとめていました・・・という説もありました。

11時 日光駅に到着

日光へ着きましたが、終着点の東照宮はこれから行くので、日光市内の事を含めて もう一回この場をお借りしてお話ししたいと思います。


Posted at 18:37 | この記事のURL
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「日光街道一人旅」 其の7 [2007年11月15日(木) ]
きょうの行程は 「徳次郎(トクジラ)から今市まで」で、それほど長い距離ではないと思いますが、待望だった杉並木を歩くことになります。
ただ悔しいことに宿から日光街道へ出るまで、約2.5q歩かなくてはなりません。

第7日目(11/5) 8時半にホテルをスタート  天候は晴

「日光杉並木の石碑」・・・寄進した松平正綱は天正四年(1576)生まれ。十七歳で家康側近に仕え後年大名になった。
家康に心服し、遺体が日光山に改葬される時は葬列に加わり、二代将軍の日光参拝の時は供を務め、日光山大火の後始末にも功績をあげ、慶安元年(1648)に没した。七十三歳。家康三十三回忌の年であった。

正綱はなぜ杉並木を寄進したのか。今市市歴史民俗資料館の半田慶恭館長は「家康公が眠る東照宮の参道を厳かな雰囲気に包み、神君の権威を高めようとしたのでしょう。参拝者が安らぐ街道整備の狙いもあったと思う」という。東照宮もおなじような見解だ。・・・このように解説されています。

「日光街道杉並木」
解説によると・・・日光・例幣使・会津西の三街道の全長37kmの両側にわたって約13,000本の杉がそびえる「日光杉並木街道」。
世界一長い並木道としてギネスブックにも載っているこの杉並木は植栽されてから、もうすぐ390年が経とうとしています。
現在日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている貴重な文化遺産であり日光市が世界に誇る「郷土のシンボル」。

杉並木は、家康の家臣・松平正綱が日光東照宮に寄進するため植栽したもので、寛永2年(1625)頃から20年余りの歳月を費やした一大事業でした。植栽された杉は約20万本と推定されるそうです。

「さくらすぎ」・・・この木は桜杉と呼ばれ、杉の割れ目に桜の種が落ち芽を吹いたもので、1本の木のようになっていて春には花を咲かせるそうです。

「杉の大木」・・・七本桜一里塚に立っている。
並木ホテルとも呼ばれ、杉の空洞に近づいてよく見ると確かに大人4人が入れそうな大きさです。なおこの塚は特別史跡、特別天然記念物の両方に指定されている そうです。

因みに私が背負っているザック(高さは約50p)を傍に置いてみました。

「今市の追分地蔵尊」
解説によると・・・日光街道と例幣使街道の分かれ道に祭られていることから、追分地蔵と呼ばれています。このお地蔵様には、日光の含満ケ淵の親地蔵や源頼朝の奥州征伐にかかわる話など多くの伝説が残されています。
いつごろのものか年代はわかりませんが、江戸時代の8代将軍吉宗の日光社参の時にはお地蔵様にかかわる話があることから、それ以前からあったようです。

石でできた座ったお地蔵様としては北関東一の大きさで、市の文化財に指定されています。

この地蔵堂を境にして、向かって左が「日光街道」、右が「例幣使街道」です。

16時頃 宿にチェックイン 歩行距離は約16キロ強 約7時間半歩きましたが、充実した時間で殆ど疲れは感じませんでした。

Posted at 17:32 | この記事のURL
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「日光街道一人旅」 其の6 [2007年11月14日(水) ]
きょうの行程は 「雀宮から徳次郎(トクジラ)まで」で、それほど長い距離を歩くことになさそうです。

第6日目(11/4) 8時にホテルをスタート  天候は晴

雀宮から宇都宮までは立ち寄る場所もなさそう、それに引き替え宇都宮は奥州街道との分岐点であるし交通の要衝らしく、検索結果でも多くのお寺さんが市内に点在しているようです。

報恩寺の茅葺き山門(宇都宮市内)
なかなかの風情で、お寺さんとしては小さいのですが とても落ち着きます。
10時50分通過

蒲生君平の墓(宇都宮市内の桂林寺)
明和5年 〜 寛政10年 (1768〜1813)
生家は下野国宇都宮の燈油商で、父の名は福田正栄という。父の没後、兄が家業を継いだ。君平は自ら経史を学び、鹿沼石橋町の儒者・鈴木四郎兵衛(沢民)に師事。幼い頃、祖母より蒲生氏郷の庶族なることを教えられ、長じて自ら姓を蒲生と改めた。
荒廃した歴代天皇陵を調査して、1808(文化5)年著わした「山陵志」は幕末尊王論のさきがけとなった。

また、前方後円墳が「車塚」の名称で呼ばれていることに注目し、古墳を横から見た形を貴人の乗る屋形車に見立て、引く部分を前方、車の部分を後円とし「前方後円墳」と名づけた と言われているそうです。
11時半頃通過

「光明寺」(宇都宮からだいぶ北の方角)
ここも鐘楼付きの山門ですが、この山門を潜ると「ご詠歌」のような歌が流れてきました。(多分センサーが付いているのでしょう)
この歌をどの様に説明したらよいのか判りませんが、門の中のベンチに座って 聞いていると落ち着いてきます。穏やかな気持ちになります。 【こんな一人歩きのようなバカなことをしているうちに 私の中の何かが変わっているのでしょうか】
13時半頃から13時50分まで 山門の中で歌を聴きながら大休止

杉並木ではありませんが、日光街道が並木道に変わってきました。
これまでの日光街道は 街道とは名のみの平凡な道の連続でしたから、何故か嬉しくなってしまいます。

ここはまだ杉並木ではないと思うのですが、このような並木が多くなってきました。
この細い路は、車が走る日光街道と並行している「歩道」です。

宿は宇都宮市農林公園「ろまんちっく村」にある温泉宿泊施設です。 なおこのホテルは 日光街道からは2.5qくらい西に外れた所にありました。
16時半頃チェックイン  歩行距離は約21q強、時間は約8時間半

Posted at 18:05 | この記事のURL
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