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冥土の旅の・・・ [2007年12月31日(月) ]
今年の4月14日、皆さまに入会のご挨拶をしてから約8ヶ月が過ぎました。
この期間 私には腰痛手術後のリハビリ、約1年空白があったゴルフ練習の再開、そしてなによりも自慢したいのが「日光街道の完歩が出来たこと」でした。

           「大晦の日の入り
 (「初日の出」は早起きの習慣がないため 諦めています)

そして皆さまの支えを頂きながら好き勝手なことを投稿してきましたが、お陰様でアクセスを頂いた総数が ナ・ナント 50913 になっていました。

この場をお借りして 皆さまに改めてお礼を申し上げると共に、無事に「冥土の旅の一里塚」を越えることが出来そうなので、どうぞこれからも宜しくお付き合い下さいますようお願い申し上げます。

自己PRで恐縮ですが、先日散策してきた「向島・浅草界隈」をブログに纏めましたので、お越し頂けますと幸いです。
     東京ってオモシロイ

Posted at 20:06 | この記事のURL
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瑶泉院の陰謀 [2007年12月31日(月) ]
皆さん、こんにちは。
暮れも押し詰まったお忙しい時に、こんな能天気?な話題で恐縮ですが、TVで今「忠臣蔵・瑶泉院の陰謀」を再放送していますが、明日(12/31)が最終回。

所がこんなニュースがありました。
それはこの番組を下記の日に一挙再放送するそうです。

『BSジャパンにて再放送』
1月3日(木)朝9:00〜夜7:00
第一部 朝9:00〜12:50
第二部 午後1:00〜3:55

第三部 午後4:00〜7:00

忠臣蔵にご興味がありましたら如何かな と思いまして投稿します。
蛇足ですが、瑶泉院とは浅野内匠守の奥さんです。

Posted at 00:02 | この記事のURL
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どうぞご試食を・・・ [2007年12月29日(土) ]
先日「向島・浅草界隈」を散策してきましたが、ここで忘れてならないのが「名物」。
向島の「長命寺」の傍には「長命寺の桜もち」があり、通りを挟んであるのが「こと問い団子」の店です。

      「桜もち」の店先

桜餅が最初に作られたのは江戸時代、向島の長命寺だといわれてます。
享保2年(1717年)、長命寺で門番をしていた山本新六は、向島堤に数多く植えられていた桜の落葉掃除に悩まされていました。
そこで、これらを何かに使えないだろうかという思案の末に作り出されたのが、餡を小麦粉の皮で包み、桜の葉の塩漬けを巻いた桜餅だったのです。長命寺の門前にて売り始めてそれから二百八十年余、隅田堤の桜と共に名物となったそうです。

 「桜もち」の現物です。 但し、この「桜もち」は生菓子のため、デパートなどでの販売はしていないそうです。


「こと問い団子」の店先・・・言問と言えば、創業明治元年の「言問団子」で、団子は白あん、あずきあん、緑のこしあんの三色団子で、 この団子屋さんの祖先が言問いの名をこの地に広めたという説もあるようです。(残念ながら現物写真はありません)

言問橋の由来はご存知の通り平安時代まで溯るようです。
平安時代の六歌仙の一人。古今集歌人の中でも一二を争う人気歌人だった 在原業平(ありわらのなりひら) が、京を離れ、当時湿地帯が広がる辺境だったこの地に左遷され、はるばると隅田川の畔までやってきた時に、鳥の名に託して都の恋人を偲んだという伊勢物語の故事から言問を転用したものと考えられています。
名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」 (都鳥はユリカモメだそうです)

なお、この2軒の店では店内で食べることも出来ます。


隅田川を渡って浅草側に来ると、有名な「駒形どぜう

「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。

仮名遣いでは「どじょう」。それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案だそうで、 文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったのです。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て看板を「どぜう」に書き換えた そうです。

Posted at 15:26 | この記事のURL
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浅草(東京)点描 [2007年12月26日(水) ]
昨日(12/26)東京へ行く用事が出来たので、帰りに浅草へ寄り道してみました。
浅草寺は相変わらず大勢の人で賑わっていますが、特に外人が多いのには驚きます。

Xマス・イルミネーションに変わって 早くも正月飾りが店頭に

雑踏に紛れて「鼠小僧」現る  何処に?

江戸の番屋を再現したのでしょうか? 

浅草寺境内のパノラマ

日本髪の姿も やはり江戸っ子は気が早い
(言い訳;背景を考えるヒマがなくて せっかくの日本髪 が良く見えないのが残念!)

Posted at 16:13 | この記事のURL
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第九交響曲が [2007年12月24日(月) ]
年末になると色々な所でベートーベンの「第九交響曲」が演奏されます。
だいぶ以前のことですが、千葉市の広報誌に「第九合唱団募集」がありまして、応募しました。
応募した と言うと格好が良いのですが、誰でも入れるようでした。

練習は1〜2回/週 でしたが、先ずはパ−トの選別
 あ〜〜〜〜ぁ あ〜〜〜〜ぁ 
ピアノに合わせて声を出すと、「ハイ、テノールへ」「次の方 ハイ、ソプラノへ」という具合で、私はテノールでした。
更にパート別のテープももらって、「家で練習してください。」

合唱団は女性が2/3以上を占め、男は隅に小さくなって・・・
日数が経つにつれ男は徐々に欠席が多くなり、各パートの練習の時などは数人という情けなさ。

いよいよ本番当日 男は黒のスーツに蝶ネクタイは義務づけられましたが、不思議なことに男が大勢居るではありませんか。
舞台裏で待ちの体制! 
この時 先生が「自分で声が出ないな と思ったらムリせずに 歌うのを止めても下さい!」


 ♪ ダイネ〜ツァ〜ベル ビンデンビ〜デル・・・
曲の終わりはシンバルの音で締めくくられましたが、この時は舞台の上で 感動しました。 感激でした。

今ではスッカリ忘れてしまった歌詞ですが、年末になり、聴くたびにその時の感動が蘇ってきます。

蛇足;ここで腹式の発声練習をしたお陰でしょうか? 当時カラオケで流行っていた「昴」も歌えました。 今はとても声が出ませんが・・・(悔)

Posted at 10:27 | この記事のURL
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浅草の羽子板市 [2007年12月18日(火) ]
東京は浅草、浅草寺境内で「羽子板市」が開かれることを知り、さっそく昨日(12/17)行ってきました.。

そこで浅草まで行くのならば、と言うことで少し遠回りをしましたので その画像を投稿します。

「知る人ぞ知る」 と言っても良いのではないでしょうか、電気ブランで有名な「神谷バー」。 このビルの右側に「東武浅草駅」があります。

浅草は「吾妻橋」を颯爽と歩く「如何にも下町風オバチャン」

「隅田公園」では植木の手入れに余念がありません・・・江戸時代からの桜の名所として知られていますが、旧水戸邸なのだそうです。

向島の「弘福寺山門」
山門は京都宇治の万福寺を模したもので、勝海舟も青年時代にこの寺で参禅した そうです。
付記・・・勝海舟はここから近い両国駅近くで生まれましたが、その生誕の碑が両国にあります。

羽子板市での「看板娘?」
蛇足ですが、誰も同じ考えなのでしょうか、カメラマンが大勢で狙っていました。
(男って 幾つになっても全く仕様がないものなのです)

Posted at 11:40 | この記事のURL
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暮れになると [2007年12月15日(土) ]
暮れになると 何故か「忠臣蔵」がもて囃されますが、今回はチョット珍しい画像でお話ししてみたいと思います。

1,忠臣蔵と言えば、忘れたならないのが「南部坂 雪の別れ」。
これはフィクションという説(そこで画像にはボカシを入れました)もありますが、これでは身も蓋もありません。

ここが赤坂の近くにある「南部坂」ですが、車のすれ違いは出来ないような狭い、急な坂道です。 左の石垣の上はアメリカ大使館の宿舎。

2,忠臣蔵同志の中に「大高源五」という人が居ますが、この人は俳句も詠んでいたようで、両国橋の袂にこの人の句碑が建っています。 何故両国橋なのかは判りませんが・・・

   (左の字は私が書き入れてしまったものです)

3,討ち入りされた吉良上野介の屋敷跡で、両国駅の近くにあります。
左には吉良邸で亡くなった人たちの供養碑、右は「首洗いの井戸」だそうです。



4,仇討ち本懐の後、彼等は泉岳寺に向かうのですが、隅田川の東側を歩き、永代橋を渡ったそうです。
その永代橋近くに休息した場所が残っています。

       左手にその碑が建っています

5,泉岳寺から北へ数分歩くと、大石内蔵助以下の同志が切腹した場所が残されています。

とても狭い場所ですが、頑丈そうな塀で囲われていまして、その門の隙間から撮ったものです。
塀の中には大小数個の石が埋まるようにありました。

後日談として・・・その後、浪士たちは四大名に分散して預けられ、後日の処分を待つことになり、最終的な処分は切腹と決定。

これは、儒者の荻生徂徠が、「赤穂浪士は義士である。しかし、法に照らせば罪人。もし法を破って免罪すれば、政道は立ちゆかない。故に彼らには武士として名誉ある切腹を命じるべきである」との意見が取り入れられたとのこと。
誰一人取り乱さず、この場所で生と別れを告げていった そうです。

そして大石内蔵助は切腹の時、吉良家の断絶を知らされ随喜の涙を流したといわれている と説明されています。

寺坂吉左衛門が姿をくらましていますが、内蔵助が本家の芸州浅野家へ義挙を報告させるため、といわれているようです。


Posted at 12:04 | この記事のURL
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世迷い言 [2007年12月14日(金) ]
何処へ行っても、猫も杓子も、そして一般家庭も、日本中イヤ世界中が電飾に犯されているように思えてなりません。地球温暖化もヘッタクレもなく・・・いつまで続くのでしょうかこんな状態が。

イイエ これから益々何かに煽られ拡大し いつまでも続けていって、やがて人類は自分で自分の首を絞め、地球は・・・

或る年寄りの世迷い言ですが、少しづつでも何かを倹約して行かなければならないのではないでしょうか。

年金問題しかり、税金の無駄使い然り、何かが狂ってしまったように思えてならず投稿しました。

Posted at 15:07 | この記事のURL
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ふたご座流星群が [2007年12月12日(水) ]
こんな報道がありましたので、転載します。

ふたご座流星群が接近しているのをご存知でしょうか?
空から無数の流れ星が、降り注ぐように落ちてくる天体ショー、今夜はそれを見るチャンスなんです。

今年の12月13、14日を中心とした前後の数日間、日没と共に昇るふたご座の方向から、大規模な流星群、ふたご座流星群が出現。明日の夜、ピークを迎える予想です。

      【 防寒には気を配りましょう!!

今年この期間は、月も日没早々に沈み、夜空の星々が鮮明に見えるという数年に一度という絶好の天体観測日和だとか。
流星群の降り注ぐ方向は日没に東の空から真夜中に天頂、そして夜明け近くには西の空と、ふたご座と一緒に移動します。

多ければ1時間に50個もの流星が見られるかもしれないこの天体ショー。天体望遠鏡などは必要なく、街灯などの明かりの少ない場所なら、夜空を見上げていれば確認できます。』

以上が報道内容の一部ですが、「夕焼けハンター」から「見上げてご覧族」に変身しようか と思案中です。

Posted at 12:25 | この記事のURL
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東京都庁・展望台へ [2007年12月11日(火) ]
明治神宮まで行きましたので、新宿は目の前。
せっかく近くまで来たのですから ついでに「東京都庁・展望台」に上ってみました。

ここは45階にありますが、ウイークデーの夕方でしたからそれほどの混雑はしていません。
それでも「夕焼けハンターズ」は何処にもいるようですね。

      西方向を眺めたパノラマです

 上の画像と同じ場所から撮ったパノラマが 下の画像です
 

       夕焼けハンターの仕事?も忘れません

       これも同じく都庁です

ただ 展望台はガラスでガードされているので反射してしまい、肉眼で見るようには行かないようです。

Posted at 16:24 | この記事のURL
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