思い起こせば きょう(3/10)はあの「東京大空襲」の日です。
当時小学5年で学童疎開へ行って私は、偶々この日は東京の家に帰っていてこの空襲を見ました。
今でも憶えているのが我が家の物干し台から眺めた空で、東から南にかけて空が真っ赤になっていたことと、サーチライトに照らされたB−29の大きな機体です。
この時の状況を載せた記事が有りましたので転載します。
【 この日の空襲で8万人以上(10万人以上とも言われる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(約40平方キロメートル)が焼失した。(今の江東区・墨田区周辺)
この時使用された焼夷弾は日本家屋を標的にした物であり、燃焼力を主体とした「焼夷弾」が開発・使用され、これが木造を主とする日本家屋を直撃した。
火災から逃れるために、燃えないと思われていた鉄筋コンクリート造の学校などに避難した人もいたが、火災の規模があまりにも大きいため、火災旋風が至る所で発生し、建物に炎が滝のように流れ込み、焼死する人や、炎に酸素 を奪われ窒息死する人も多かった。
また、川に逃げ込んだものの、水温が低く凍死する人も多く、翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていたという。】
この日、この空襲に遭遇し火炎の中を逃げまどった友達の話では、「丸太が燃えながら大通りを転がっていった とか ビルの中に逃げ込んだ人たちは蒸し焼きのようになっていた」 などなど聞かされました。
しかし 今現在もこれと似たような状況下に置かれている国がある訳で、人間というのは恐ろしいことを繰り返すものだ とつくづく考えてしまいます。
当時小学5年で学童疎開へ行って私は、偶々この日は東京の家に帰っていてこの空襲を見ました。
今でも憶えているのが我が家の物干し台から眺めた空で、東から南にかけて空が真っ赤になっていたことと、サーチライトに照らされたB−29の大きな機体です。
この時の状況を載せた記事が有りましたので転載します。
【 この日の空襲で8万人以上(10万人以上とも言われる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(約40平方キロメートル)が焼失した。(今の江東区・墨田区周辺)
この時使用された焼夷弾は日本家屋を標的にした物であり、燃焼力を主体とした「焼夷弾」が開発・使用され、これが木造を主とする日本家屋を直撃した。
火災から逃れるために、燃えないと思われていた鉄筋コンクリート造の学校などに避難した人もいたが、火災の規模があまりにも大きいため、火災旋風が至る所で発生し、建物に炎が滝のように流れ込み、焼死する人や、炎に酸素 を奪われ窒息死する人も多かった。
また、川に逃げ込んだものの、水温が低く凍死する人も多く、翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていたという。】
この日、この空襲に遭遇し火炎の中を逃げまどった友達の話では、「丸太が燃えながら大通りを転がっていった とか ビルの中に逃げ込んだ人たちは蒸し焼きのようになっていた」 などなど聞かされました。
しかし 今現在もこれと似たような状況下に置かれている国がある訳で、人間というのは恐ろしいことを繰り返すものだ とつくづく考えてしまいます。
Posted
at 19:13
| この記事のURL
コメント(10)
| トラックバック(0)





