「思い立ったが吉日」 とか 「つい春風に誘われて」 などと勝手な言い訳をしながら、昨日(4/3)もまた「東京散策」をしてきました。
コースは錦糸町駅で下車し、菊川駅・森下駅を通り過ぎ、「清澄周辺」を歩き回り、ゴールの両国駅までの約3時間40分の散策でしたので、今回の投稿はこの「清澄界隈」の画像でお話しをしようと思います。
蕎麦屋のように見えますが、実は「公衆トイレ」なのです。
松平定信の墓(霊巌寺)・・・徳川吉宗の孫。26歳で白河藩主となり、天明の飢饉では的確な藩政で餓死者を出さず名君と讃えられた。田沼意次を失脚させ、1787年老中となり十一代将軍家斉を補佐した。
農村崩壊、財政破綻、外国船の接近など、問題山積の幕政打開のため、寛政の改革を行った。しかし、はじめは期待された改革もうまく機能せず家斉と対立し、老中を解任された。
馴染み深い話としては、鬼平として名高い「長谷川平蔵」の提言で、「越中島」に「人足寄場」を設けたことでしょうか。
紀伊国屋文左衛門の墓(墓は右に見える小さなもの)、大きな石碑は文左衛門の碑で野村吉三郎氏の揮毫によるもの。
ここの傍には紀伊国屋文左衛門の別邸があったと言われる「清澄庭園」があります。
「深川江戸資料館」の展示物で「江戸の町並み」
清洲橋と水上バス(深川の芭蕉庵史跡庭園からの眺め)
コースは錦糸町駅で下車し、菊川駅・森下駅を通り過ぎ、「清澄周辺」を歩き回り、ゴールの両国駅までの約3時間40分の散策でしたので、今回の投稿はこの「清澄界隈」の画像でお話しをしようと思います。
蕎麦屋のように見えますが、実は「公衆トイレ」なのです。
松平定信の墓(霊巌寺)・・・徳川吉宗の孫。26歳で白河藩主となり、天明の飢饉では的確な藩政で餓死者を出さず名君と讃えられた。田沼意次を失脚させ、1787年老中となり十一代将軍家斉を補佐した。
農村崩壊、財政破綻、外国船の接近など、問題山積の幕政打開のため、寛政の改革を行った。しかし、はじめは期待された改革もうまく機能せず家斉と対立し、老中を解任された。
馴染み深い話としては、鬼平として名高い「長谷川平蔵」の提言で、「越中島」に「人足寄場」を設けたことでしょうか。
紀伊国屋文左衛門の墓(墓は右に見える小さなもの)、大きな石碑は文左衛門の碑で野村吉三郎氏の揮毫によるもの。
ここの傍には紀伊国屋文左衛門の別邸があったと言われる「清澄庭園」があります。
「深川江戸資料館」の展示物で「江戸の町並み」
清洲橋と水上バス(深川の芭蕉庵史跡庭園からの眺め)
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