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『Beaujolais nouveau』  [2008年11月30日(日) ]
 折に触れて、フランスの旧友に便りを出しています。
 以前なら手紙を認めていましたが、最近はメール便にしているのでいつもなら折り返し返事があるのですが、久しく返信が無いので豪く心配していたところへ、昨日ようやくメールが届きました。
 パリは早や最低で0℃、最高でも8℃前後の寒い日が続いているようで、早々に風邪を引いてしまい返事が遅れて申し訳ないと冒頭からお詫びで始まり、最近、膝を悪くして日課の散歩も怠り勝ちと、文面が続いていました。
 来日して何日か拙宅に泊まった時も、僕の習慣だから、と朝の散歩を欠かさなかったくらいに健脚だったのに、膝の痛みとは何が原因だったのでしょうか。
 詳しいことは書いていませんでしたが、膝に水が溜まる病気もあると聞くので、歳が年だけに彼がそんなことになっていないかと些か気にかかります。
 しかし、例のBeaujolais nouveauの出荷解禁日である第三木曜日の午前0時には、馴染みの居酒屋で夜明けまで新酒で飲み明かしたとメールにあるくらいだから、それくらいの元気があればまぁー心配には及ばないでもないでしょう。
 続いて、昨日、ボージョレーでも極上のnouveauを君に郵送したから楽しみに待っていてくれーーとも書いていました。     
 そう、巷ではその味が分ってのことか、将又ムードに酔ってのことかは知りませんが、売り場に行列を作ってまで買い求める人たちもいるというのに、僕は家に居ながらにして絶品のnouveauを味わえると思うと、今からわくわくして小包が届くのを待っています。

 僕より少し年上で、まして膝を痛めたとあってはもう再度の来日も叶わないのではーーと、元気でクリスマスを迎えるように祈ってるよーーと、お見舞いを兼ねたクリスマスカードを送りました。
 遠いとこからの便りは、それが電子のメールに替わっても、友情の温もりに些かも変わりはないのであります。      瑠華

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『娘の来日』  [2008年11月28日(金) ]
 妊娠、出産と一年ばかり来なかったのですが、久し振りに娘(元留学生)がこの暮れに行きたいというので先日、招聘状を整えて送ってやりました。
 いつも思うのですが、来日の度にいちいち招聘状などを用意しなくてもと思うのですが、彼の国が相手では日本国も何かと目配りが必要なようでして。

 正確には抒函shuhanちゃん、通称チビはこの月で8ケ月になって、身長も74cmと順調に大きくなっているようです。
 子供のいないこの爺々は、残念ながらその実感を持ち合わせていないのですが、俗に言う目の中に入れても痛くないほど可愛いというのは、送られてくる写真を見る度にその言回しが当たっているように感じられて、血は通っていませんがそれはもう可愛くて愛おしくてと、毎日それを眺めて目を細めているのであります。

 一般に中国人の親族間の結束は固く、何かの事があれば一族郎党が総力で助け合うその古風は、親子でさえ音信不通が常の昨今の日本から見ると何とも羨ましい限りで、経済開放で万事に個人主義が侵入して来た今日でも、その美風は温かく続いているようです。
 夫婦共稼ぎが当たり前のあちらでは、幼児の面倒はどうしても誰かに頼まねばならず、別に特段のお金持ちでなくてもお手伝いさんを雇うのが普通です。
 まぁー、未だに田舎からの出稼ぎ(農工民)が多く、相対的に人件費が安い所為もあるでしょうが。
 娘のところは幸い、子供から手の離れたおばさんに終日お願いしているようで、勿論、手当てとして月1.000-元(約¥14-/元)を支給しているのですが。
 労働者の法定最低賃金が800元、都会の平均賃金が2.000元のこの国では可なりの出費でしょうが、幸い外資系の会社に勤めているので何とか持ち堪えられるのかも知れません。

 来るに当たってチビはどうするのだ、未だ手を離すには早すぎるから来日はもう少し辛抱しなさいと叱ったのですが、それでも行きたいから絶対に行くよーーと、未だ独身時代の気分が抜けないでいる、何とも我侭な娘ではありまして。
 ーーと言うことで、今年はいつもの年より早い目に暮れの大掃除を始めて、さっぱりした部屋で娘を迎えてやろうと思っています。      瑠華
 

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『宝くじ』  [2008年11月27日(木) ]
 毎年の事ですが、暮れの年末ジャンボ宝くじが発売されました。
 例によって人気のある発売所には長い行列が出来て、テレビによれば朝の6時から並んだ人もいたそうな。
 何とも暇な?、それとも欲の皮の突っ張った?、いや失礼、夢多き熱心な人!!もいるものだなぁーと、つくづく感心してしまいます。
 こんなもの、早く買ったって店を選んだって当たる確率は同じだと思うのですが、人の心理と言うか欲望と言うのか、夢はいくら膨らませてみても所詮は夢なんだけどーーと言ってしまえば、それこそ夢想になってしまいますがね。
 見ていると、何枚ではなく何百枚と纏め買いする人も多々、見掛けましたが、不景気と言われている割には、巷ではまだまだお遊びのお金のがあるのですね。
 何でも、一等の当たる確率は3.000.000.000分の1と言うことらしいですよ。
 早朝から店頭に並んだ貴方、これご存知でしたか?。
 宝くじ評論家なる御仁の曰く、買おうかなぁーと思うより何枚か余分に買うと当たる確立が高くなるそうな。
 世の中には何でも評論して、それを職業にしてしまうお宅が居るようでして、尤もらしい顔でいい加減なことを喋っても結構、飯が食えるものですなぁー。

  「運命を避けようと思って選ぶ道に、運命は待っている」とは、心理学者ユングが語る言葉ですが、除夜の鐘の一刻前に決まるその運命を、避けようどころか自ら積極的に走り求める人には、果たしてどのような運命が待っているのでしょうか。      瑠華

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『漫画』  [2008年11月25日(火) ]
 漫画の歴史は古い。ギリシャ時代には既にパウソンという漫画家がいて、滑稽な似顔絵で人気を得ていたとあります。
 我が国でよく知られている平安末期の「鳥獣戯画」などは、人の面白さを動物に置き換えて描いた傑作でしょう。
 この爺々の子供の頃の漫画といえば、宮尾しげをの「団子串助漫遊記」や田河水泡の「のらくろ」、そして島田啓三「冒険ダン吉」や横山隆一「フクチャン」に人気がありました。
 因みに「のらくろ」とは、黒い色の野良犬がモデルだったようで、今時こんなことを言っても通じませんが、こののらくろ二等兵がブルドックの上官と繰り広げるコミカルな、時には物悲しいストーリーがこのマンガの特徴だったように覚えています。
 戦後に広く人気があったのは、女性漫画家の長谷川町子さんが描いた長編連載漫画「サザエさん」が有名ですね。ここら当たりになると、後期高齢者以前の世代でも、よくご存知ではないかと。
 何れも、思わず誘う爽やかな笑いと仄々とした温もりを感じたものが、古き善き漫画ではありました。
 何でもヤンキー仕込の猿真似した銭金万能、能力主義とかのギスギスした競争社会の所為か、近頃のそれは殺伐とした闘争の表現でしかない、何の学習ももたらさない下衆な動画を漫画と言い包めているような気がしてならないのは、この爺々が古い人間だからでしょうか。
 小人が、余りに夢中になり過ぎて勉強のほうを疎かにするのは昔も今も変わらないようでして、漫画ばかり読んでいると馬鹿になって人様に笑われるよっ!!、とよく叱られたものです。

 何処かの国の首相は、偉く漫画愛好者のようです。
 その所為かどうか、発する言葉の正確さに疑問符が付くお恥ずかしい様で巷の嘲笑を買っています。
 国内なら何とか繕うことが出来ても、外交の場でこんな事が重なると、お恥ずかしい事と漫画チックで済ませられるものではないのですがねぇー。
 この人の読むそれは、粋な漫画ではなく只のコンテを追う動画の世界ではないでしょうか。
 どうもイマイチ大人ではないようですなぁー、この人は。      瑠華

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『ルンペン』  [2008年11月22日(土) ]
 この爺々のご幼少の砌!?、と言うほど高貴な出自ではないので詰りはガキの頃、巷にルンペンと言われる人達が居ました。
 「ルンペン」とはドイツ語の<Lumpen(ぼろ)>から来た言葉で、浮浪者とか乞食と訳されています。
 戦後、人権侵害とか差別用語とかで消えてしまった言葉ですが、中国では未だにこの種の人達が「乞討(物乞い)」という名で立派に存在しています。
 一見して華やかに発展しているかに見える彼の国ですが、何せ世界人口の4分1を占めているものですから、その総てを先進国並みに豊かにするのは並大抵のものではなさそうですね。
 先日、中国からのメール新聞によると、北京市社会救助管理事務センターという所が最近の気温の低下に合わせて、市中を彷徨う物乞いを寒さや凍傷などから守るために、全市18区県で職員が街頭を回り“冬季救助活動”を行うと発表した、と載っていました。
 因みに、今日(11/22)の北京の気温は−2℃<10℃、ここ神戸は6℃<16℃と例年、寒くなるのは日本より遥かに早く長く、そして厳しいのであります
 で、見回りや市民からの通報で救助された人々に対しては、身分(中国では身分制度上、農民は一種の二級市民とみられ色々と差別を受けることが常)の照会と登録を行い、食事と寝る場所が提供される他、郷里と連絡を取って帰郷の意思を確かめた後、列車などの切符を支給して郷里に帰れるようにするらしいです。
 少し前までなら、駅前広場などで農工民(出稼ぎ農民)やルンペンが屯しているとその理由も聞くことなく、即座に公安(警察)が強行排除しているがよく見られましたが、この記事を見ると少しはマシになったのかなぁーーと。
 しかしながら、彼の国は言うことと実際に行うことの違いが、常に多く存在するお国でありまして、果たして新聞記事のようにこの冬、ルンペン達がまともにそのような温かい救助を受けられるかどうかは、それは甚だ眉唾物なのであります。      瑠華

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『枯葉』  [2008年11月19日(水) ]
    『一葉づつ一葉づつの雨の枯葉かな』八幡城太郎

 我が家のベランダから眺める木々の彩が、それはまるで乗り遅れた列車を追いかけるような早足で色付いてきました。
 確か、一日二日前までは青々としていたのに、今朝はもうその半分もが黄色い葉に覆われていて、そんなに急がなくてもいいのにーと。

 初夏の新芽が勢いよく吹き出た初々しい若木も綺麗ですが、それらは緑一色でどこか単調な感じがしないでもありません。
 しかし今の季節は、青々と茂った木々に混じって、未だに吹き出す黄緑の若葉を梢の先に持つ若木。
 その合間に、半身に薄く黄色い葉を付けたと小枝や、既に全身を真っ黄色に染めた痩せ木、はや紫蘇で漬けた梅干を更に赤くしたような葉っぱに覆われた古木とがあちこちと斑に混在して、遠くに見える六甲連山ではぼんやりとしか見えない季節の移ろいを、ここでは真下に見ることが出来ます。
 この木々達は、嘗て海だった人口島のこの地に、いつどこから移り住んでいるでしょうか。
 それぞれの樹木は大地に確りと株を張り、季節が訪れる度に逆らうこともなく真っ正直に衣替えをする、この自然界の真摯な姿。
 同じ株でも、それはまるで浮き草のような軽さで朝夕に浮沈を繰り返して、それに連れて泡吹いて動転している人の界の株とは、ほんに大違いですね。

 人の一生を四季に擬えて言うに、その晩年を秋期と言うことがあります。
 移り行く木々の変装を眺め己の齢と重ね見るとき、成程、我が身も晩秋の期そのものだなぁーと。
 しかし、物事は万事において前向きがよろしいようで。
 確かに身は晩秋を迎えても、それだけに彩り豊かな経験を持ち合わせている筈?なのがこの期節。
 何も自らして枯葉を増やし老いさらぼふを急ぐこともあるまいにと、いつの季節でも青葉を蓄える常緑樹の濃緑に目を移すのであります。

    『木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ』加藤楸邨

      瑠華

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『壁紙』  [2008年11月17日(月) ]
 今日、久し振りにPCの壁紙を取り替えました。
 この壁紙を気分転換にと毎日、張り替える若い方もいらっしゃるようですが、僕はそれほど粋狂ではないので、それこそたまたま気が向いた時に替える程度です。 
 近頃はその気にならなくても無料OKの壁紙が多く用意されていて、いわゆる壁紙の素人!?には甚だ便利に出来ているようですね。

 遅ればせながら、その無料を売り物にする壁紙のHPを開いて夏模様からこの季節にぴったりなものに張り替えました。
 たったの27cm×34cmの画面を替えるだけなのに、何だか秋季の片鱗が身近に感じるこの不思議。
 先の、毎日画面を衣替えする若者の気持ちが、少しばかり分るような気がしないでもありません。

 替えた壁紙は、あの狂った騎士ドンキホーテーと従者サンチョパンサが果敢に挑んだ怪物、即ちスペインは高台に聳える風車であります。
 周りに広がる台地の芝生は緑の元気を喪い、茶色ぽく変色した岩山に古色蒼然と建つ風車はどことなく心寂しく、書斎の片隅に万巻の秋を広げるに十分なものです。
 何故、スペインの風車かというと、丁度この頃に彼の地を訪れたことがあるのをふと思い出したからであります。
 小さな空間に広がる壁紙が、高が壁紙、然れど壁紙と言われる所以でしょうか。      瑠華

Posted at 08:01  | この記事のURL
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『読書の秋』  [2008年11月16日(日) ]
 人は老いるほどに、先ずおやっ!という好奇心が薄らぎ、次には何だろう?という興味が無くなり、仮に興味を覚えて取り組んでみても、そのことに対する根気が続かず、それを無理すると苦痛をさえ感じるようになって、挙句の果てはまぁーいいや!ということになって、する事なす事の範囲がどんどん狭くなっていくのが、凡その流れのようです。
 このようなことを嘆いても仕方がないのですが、老いという自然の条理には逆らえません。
 しかし、訪れるその遅速は人によってかなりの差があるようです。
 この爺々の歳なら、これが普通なのか他人様より増しなのかは知りませんが、眼が鬱陶しいの腰が痛いのなどと文句を並べながらも、未だに読書の楽しみを失っていないのは、これは大いに喜ぶべきことではないかと感謝しています。

 先日、定期購読している雑誌ForesightとNewsweek、それから中国から送られて来るPeople’s Chinaが同時にポストに入っていました。
 そんなに急いで読むこともないのですが、先のブログ(11/8)で書いたように、ここんところ小説「楊令伝」に夢中になっているところなので、届いた本まで目が向かないでいます。
 一つは月刊誌ですから当然、内容もそのようになっているので急がないのですが、後の二つは週刊誌で、ぐずぐずしていると早々と次のものが来るので、読み遅れるほどに世相へのピントがずれてしまう羽目に陥ります。
 読書ひとつ取ってみても、若い方なら電灯の明るさで十分ですが、この歳になると無論、電灯でも何とか読めはしますが、如何に工夫してもそれでは目が甚だしんどいのであります。
 故に、確り読もうとすると、勢いお天道様の光を拝借できる日中のみの読書と相成ってしまうのでありまして、これ!、何とも難儀なことではあります、トホホホ!!。

 ーーーということで目下、出来るだけ外出を控えて、遅蒔きの読書の秋を楽しんでいます。      瑠華

Posted at 07:15  | この記事のURL
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『第六期』  [2008年11月14日(金) ]
 ある書き物を見ていると人の歩みは四つ期に別れていて、その第一は「学生期(0〜25歳)」で、この期間はよく学び身体を鍛える。第二期、「家住期(25〜50歳)」仕事に励み家庭を維持する。第三期、「林住期(50〜75歳)」仕事を離れ真の生き甲斐を探す。そして、第四の最終期「遊行期(75〜100歳)」は自らの死に方について考える時、と書いていました。
 しかし、今時の長寿を見ていると、この爺々は更に付け加えて第五期も用意してもよいのではと思うのですが。
 その第五期とは、もうこの期は自分なりの死に方も学び、後はいつお迎えが来ても驚かない、慌てない、怖れない「万歳期(100歳〜)」とね。

 しかしねぇー皆さん、昨今に見る唖然としたくなるような日本人を見るとき、先の区分に些かの手直しが必要なのではないでしょうか
 先の例に謎って第一期は、いつまで経ってもちんたらとして洟垂れ小僧を引き摺る「幼児期」、第二期は、恰好だけは大人のようだが思慮分別無く、己さえも律しえない少年思考で「小人期」、第三期に入って、ようやく何とか無理やりに体裁だけの「大人期」、第四期は、先に屑なる厄人(役人)奸猟(官僚)が設定したように、老後の生活に飢え怯える「怯飢高齢期」とね。

 処で先日、牛肉商法とかで78歳にもなるお爺んが逮捕されていました。
 先の区分でいくと第四期に当たり、人の何たるかを悟っておくべき最終の遊行期に入る歳ではないでしょうか。
 長寿時代とはいえもうこの歳では片足、いや少なくとも半身は間違いなく棺桶に入っているというのに、未だ銭金への執着を捨てきれず人様に悪さを重ねる、その悪行。
 こんな奴はきっと、第六の期として終末の「地獄鬼」に属するのでは、と。      瑠華

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『面白い』  [2008年11月13日(木) ]
 中国からの昨日のメール新聞に、面白いことが載っていました。
 浙江省温州市龍湾区のとある銀行のATMで、王強という男が振り込みをしようとしたところ機械に銀行カードが差し込んだままになっていたので、悪戯半分に123456と暗証番号を打ち込んでみると何と手続きを続けることが出来た。
 魔が差した男はそれを使って5万元を自分のカードに振り込んだが、その後だんだんと恐ろしくなって結局、二日後に自首して盗んだ金を返したそうな。
 法院(裁判所)は、本来はクレジットカード詐欺罪としての量刑を、王強が自首し自ら金を返したことを酌量減軽して懲役2年の判決を言い渡した、と。

 何故、これが面白いかと言うと、
 日本なら誰に何に遠慮してか、犯人の人権がどうの、生い立ちが環境が、家庭が収入が等に加えて、犯行当時の心境の感情のーーと、弁護士か詭弁士か、そして擁護士かと見紛う人種に守られ、有るか無いかの屁理屈を並べ立てた挙句に、人様をどんなに酷い形で殺めても、その下る判決は精々、何十年か、時によると何年かで世間に戻ってくるという、何ともまぁー!、犯罪人に甘過ぎるこのへんてこりんな司法制度。
 それに比して彼の国は、その金額がたったの5万元(約70万円)という上に、当人が自首してきたというのに、法院が下したのは減刑しての懲役2年というところでしょう。
 あらゆる面で義務と責任をすっかり忘れ、やたらと人権と権利を振り回して驕る、総ての犯罪に甘過ぎる我が国でなら、差し詰め王強という男が獄舎にぶち込まれているのは、精々1ケ月くらいか、長くて半年がいいところだろうと思うので、だから面白いと言ったのであります。      瑠華

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