今日はあの暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」で始まった、そしてこの歴史ある日本国大変転の切っ掛けになった「太平洋戦争開戦記念日」ですね。または「対米英開戦記念日」と呼ぶようです。
とまぁー歴史の重たい部分は置くとして、今日は「針供養」の日でもあるらしい。
日頃のお裁縫を休んで、折れた針を集めて豆腐やこんにゃく等の柔らかいものに刺して針を供養し、裁縫の出来栄えに感謝する日と聞きます。
確かに何事にも感謝し、上達を願うことは大変に良いことだと思います。
それは、あらゆる物に感謝し我々人間に役立っている事物にお礼をすることは、人が人であることの証しでもあるからですね。
世の中の何でもかでもに人間至上主義を唱え、人間以外の生きものもそして物もこれみな人間に隷属し、何を根拠にか殺生与奪権を振り回して、それらを自由に出来ると教えるコーカソイド思想から比べると、遥かに人間らしい考え方ではあります。
しかしだからと言って単純に、人間の被造物である針に感謝するのは未だしも、供養するーーは、大変におかしく思うのですが。
「供養」とは、正確には「死者の霊に供物を捧げること」とあります。
転じて、命あるものの亡き後、その霊が安らかならんことを祈り願う行為、これが供養ではないか。
然るに、人の被造物である針をどのように供養するのであろうか?、と。
なら、供養される針はいいとして、そのために刺される豆腐やこんにゃくはどうなるのでしょうか!?。
理屈を捏ねるより素直に行事すれば良かろうかとも思いますが、どうも納得がいきません。
命、と言うものからすれば金属から生る針よりも、大豆やこんにゃく球という生命あるものから出来た豆腐にこんにゃくの方が、先ず供養されるべきではないかーーとね。
針供養といっても、恐らくどこの寺でも無料でやっているわけではなかろう。
まぁーこんなのは、他の似たような行事も含めて、銭儲けの為なら何の志慮もなく無節操に何でもかでも執り行う生臭坊主の、暇つぶしのような気がしてなりません。
僕は、今様の世の中に対しては大いにへそ曲りになのであります、はい!。 §瑠華§
とまぁー歴史の重たい部分は置くとして、今日は「針供養」の日でもあるらしい。
日頃のお裁縫を休んで、折れた針を集めて豆腐やこんにゃく等の柔らかいものに刺して針を供養し、裁縫の出来栄えに感謝する日と聞きます。
確かに何事にも感謝し、上達を願うことは大変に良いことだと思います。
それは、あらゆる物に感謝し我々人間に役立っている事物にお礼をすることは、人が人であることの証しでもあるからですね。
世の中の何でもかでもに人間至上主義を唱え、人間以外の生きものもそして物もこれみな人間に隷属し、何を根拠にか殺生与奪権を振り回して、それらを自由に出来ると教えるコーカソイド思想から比べると、遥かに人間らしい考え方ではあります。
しかしだからと言って単純に、人間の被造物である針に感謝するのは未だしも、供養するーーは、大変におかしく思うのですが。
「供養」とは、正確には「死者の霊に供物を捧げること」とあります。
転じて、命あるものの亡き後、その霊が安らかならんことを祈り願う行為、これが供養ではないか。
然るに、人の被造物である針をどのように供養するのであろうか?、と。
なら、供養される針はいいとして、そのために刺される豆腐やこんにゃくはどうなるのでしょうか!?。
理屈を捏ねるより素直に行事すれば良かろうかとも思いますが、どうも納得がいきません。
命、と言うものからすれば金属から生る針よりも、大豆やこんにゃく球という生命あるものから出来た豆腐にこんにゃくの方が、先ず供養されるべきではないかーーとね。
針供養といっても、恐らくどこの寺でも無料でやっているわけではなかろう。
まぁーこんなのは、他の似たような行事も含めて、銭儲けの為なら何の志慮もなく無節操に何でもかでも執り行う生臭坊主の、暇つぶしのような気がしてなりません。
僕は、今様の世の中に対しては大いにへそ曲りになのであります、はい!。 §瑠華§
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