シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

リンク集
『ランチタイム』   [2007年02月25日(日) ]
 先日(2/22)、当ブログの「メニュー」で、フランス人とライチタイムの事を書きました。
 早速お二人の方から、それなら精進料理は如何ーーというご親切なアドバイスを頂戴して、ブログの効能を堪能しました。これ!、嬉しいじゃーありませんか。
 コメントによると東京の方といまお一人は大阪の方でしたが、この稿で厚くお礼を申し上げたいと思います。ご親切に、ありがとうございました。
 処で、当の友人ですが、関空から帰りの車中で、さぁー何をご馳走しようかとの話しになって、僕はアドバイスもあったことだし精進料理でもいいなぁーと思っていたのですが、彼のほうが早く、君んところは中華料理が美味しいからそれに決めたと、独断専行。
 確かにここ神戸は、東は横浜の「中華街」と並んで、西の美食を代表する「南京街」があって、メニューは豊富で味も一流、全市にはそのような店もたくさんあって連日、観光客で賑わっているので店選びには苦労しないのですが。
 そういえば以前、来日した時に一度ここに連れてきた事があるのを、いま思い出しました。
 しかしその頃の彼に糖尿病は無く健康そのものだったからなのですが、彼は確りとそのときの味を覚えていたようです。
 で彼に、それより悪くなっても知らんぞーーと投げ遣ると、流石にユーモリストのフランス人ですね。彼の曰く、「バイオ燃料とかでサトウキビ等が転用されて砂糖の値段が上がりそうだから、今のうちに糖分を溜めておこうと思ってねーー」と、きた。
 気が置けない友達ですが、本当にどうしょうもない奴ではあります。
 仕方なく、南京街に足を運んでしまった、という次第。
 彼はワインで有名なブルゴーニュよりまだ田舎、ドイツとの国境に近いブルターニュ地方の出身で、仕事はパリに事務所を構えています。
 自分の里もパリの都も随分と変わったと言う話を土産に、久しぶりのランチタイムは大いに盛り上がったのであります。
 別れ際に、次に来た時もここが良いよと。余程、神戸の味が気に入ったようです。
 しかしねぇー君、「次に」はいいけど、例え糖尿病を抱えていなくても、お互いにこの歳で「次」があるのかねぇーー??。      §瑠華§

Posted at 14:27 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

『ガジュマル君』 [2007年02月24日(土) ]
 榕樹の木は、植木鉢で楽しむのには大変に難しいと聞きます。
 先ず、熱帯性の植物ですから十分な日照に加えて、寒い時期になると室内での温度が高くないと保たないからですね。
 処が、我が家のガジュマル君は、一昨年の春に買った時はものの20cm程の小さくか細かった物が、この頃なら多少の黄色い葉を落とすことはあっても、今では握り拳くらいの幹の上に1mもの背丈に大きくなり、確りと頑張っているのであります。
 その事を植木屋さんに話すと大変に驚いていたから、聞いた話は本当なのでしょう。
 それはそうでしょう、お天気の良い日なら窓からはお天道さんが西山の稜線に沈むまでほぼ半日以上も当たっているのですから、暖房無用の室内で温室効果満点というところ。
 夜も、締め切った室内には日中の熱気が残っているしヒーターも欠かさないから、熱帯とまではいかなくても、彼のガジュマル君には暖く心地よい場所ではないでしょうか。
 しかし思うに、彼がこの季節でも元気なのは、このような環境の養生だけでなく、何かと声を掛けるからでは、と僕は思っています。
 朝起きると、おはよう!。時々に米の磨ぎ汁を加えての水遣りでは、元気で頑張ってるか!。就寝時には、お休み、明日も頑張れよ!!ーーと、声を掛けています。
 例え、喜怒哀楽の感情を表せなくても、自らの挙動を具現できなくとも、彼もまた立派に生きているのですから。
 同じ動物界に在りながら、何を根拠にしてか勝手にホモサピエンスとかの名を揚げて、人間至上主義を振りかざし、我れ以外の総ての物モノ共は終生我れに従うべしーーと、居丈高振舞って善しとし、自分の力だけを信奉して生きる狩猟民族のそれは、今様に見る物質・消費文化を誘発して甚だ悪く世界を席巻しています。
 その様にお粗末な思想は、日輪を仰ぎ天地の巡りに委ねて穏やかに共生するを旨とし生きてきた、農耕民族を祖とする我が国には毛頭、馴染まないのであります。
 それがアニミズムによるものか仏教思想によるものか等の七面倒くさい理屈は、学者先生の飯種に廻しておいて、凡夫においては、植木といえども親しく慈しみ多い態で接するのが「善」と言うものでしょう。
 春は目の前。
 今日も今日とて、手一杯になって息苦しそうなった我が家のガジュマル君を、一回り大きな鉢に植え替えてやろうと思っています。      §瑠華§

Posted at 09:42 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

『金豚』   [2007年02月23日(金) ]
 西洋暦に従って時計の針も今様になるまで、我が国も子・丑で始まる干支の十二支表で一日の時を刻んでいました。
 今年の干支は亥年。中国では「豚年」となります。特に今年のそれは、60年に一度訪れるおめでたい「金豚」の年なのですね。
 処で、亥(豚)の刻は今で言う夜9時から11時を指しますが、何故その豚がこの時刻なのか?。
 興味津々で中国の古典を開いてみると、流石に満漢全席を生んだ国ですねぇー、この時は豚が大きな鼾をかき全身を震わせて熟睡して最も肉が多く付く時間帯なので、迷わず亥の時刻にブタが配された、と言うわけらしいです。
 生物学的に、いや、純粋に言うと食物学的!?にはよく知りませんが、如何にも四つ足で机以外のものは何でも食べる民族、と言われている国の話ではありませんか。
 そのブタですが、汚いくて愚か者、不器用なくせに貪欲で無精者などと形容されて大変に差別されていますが、彼の国でもそのイメージは似たようなもので、「六畜」の中で、ウシは田を耕し、ウマは車を牽き、トリは夜明けを告げ、イヌは門を見張ることが出来るが、ひとりブタだけは何もしないくせに食いしん坊の怠け者である、と書いていました。
 名著「西遊記」の猪八戒ともなると、確か人間と神様が合体した豚の筈なのにーー?。
 しかしこれが内蒙古に入ると途端に昇格して、そのブタが何と竜と合体して「玉猪竜」に変身して一躍名を上げるのですね。
 「玉(ギョク)」も「竜」も、中国では古より皇帝のみが所持、崇拝を許される神秘にして崇高なものですから、それと同体になったとはえらく出世したものです。
 我が街の市役所の庭にも、アメリカはシアトル市から贈られた魔除けを表すトーテムポールが建っていますが、ブタもその昔は古代人が崇めたトーテムポールであったようです。
 また、「肥猪拱門」肥えたブタが金銀財宝を乗せて門を入ってくる、とも言われているので、今年のブタが「金豚」と言われるのはその辺りから来たのではと思います。
 今年の春節も後一日、娘の家にも丸々と太った金豚が勢いよく門を潜るように、と日本から祈っています。      §瑠華§

Posted at 14:56 | この記事のURL
コメント(2) | トラックバック(0)

『メニュー』 [2007年02月22日(木) ]
 明日、久しぶりに訪ねて来るフランスの友人とランチを楽しみたいと思っています。
 何処へ案内しようかなぁーと、今から思案投げ首をしているところです。
 友人との食事で楽しい筈なのに!?ーー。
 それは、ふと「中国人はいくら美味しくても身体に悪ければ食べないが、フランス人は美味なら身体に悪いと知っていても、間違いなく食べてしまう」というのを思い出したからです。
 何もこんな時にわざわざ!?というような事を思い出さなくてもいいのにーーなのですが、思い出してしまったから仕方がありません。
 歳は僕より四つ下なのですが、糖尿病を抱えていることを以前からよく知っているので、折角のランチで調子を悪くされても申し訳ないしーーと、長年の友人だけにそれこそ思案して首を傾けています。
 いっそ彼が中国人とフランス人のハーフなら、こんなに悩まなくてもいいのにーー。
 何故、かって?。
 そしたら彼は、きっと、よく考えながらメニューを選ぶと思うから。      §瑠華§

Posted at 08:14 | この記事のURL
コメント(2) | トラックバック(0)

『チリホカソ』   [2007年02月21日(水) ]
 先日のバレンタイン・デーで貰ったチョコに、可愛いハート形が載っかっていました。
 それを見て思い出したのですが、このハート形は一般的に心臓を表すのに使われ、俗にキューピットの矢と共に愛を射止めるマークとしても世に活躍していますが、ある人によるともっと深い意味があるらしいです。
 それはーー、
 先ず丸い円を描いて、その頂点に「チ」真下に「リ」、左に「ホ」右に「カ」と書き、円の真ん中に「ソ」と入れます。
 で、その「チ」は知性「リ」は理性、「ホ」は本能で「カ」は感情を表し、真ん中の「ソ」は想念、別の言い方をすれば魂とか人の本性と解する、と言います。
 その意味は、先の知性・理性・本能・感情がバランスよく丸く円を描いて為す程に、人は魂もまた安定、確立して、いわゆる知恵(知識ではありません)溢れ、人格円満にして高潔なる人格者、或いは人前に出ても恥ずかしくないジェントルマンと言うことになるようです。
 しかし人間は、そうそう常にバランスよく綺麗な丸を描いて生きる生き物ではないことは、人祖以来の性というもの。
 その形はいびつな楕円になったり四角や菱形になったり、極端には三角になって自分が誰だか分からなくなる人間も増えている昨今。人はこの世で、その形を色々と変えながら、いや変えざるを得なくてして生きているのであります。
 で、ハートの話ですがーー。
 何故、愛の証がハートなのか?。
 女と男の恋路が進むほどに、貴方は私の総て!。目の前には貴方だけしか居ないのよ!。君は僕の煌く星だ!宝石だ!命だ!、一生離さないよ!ーーと、燃えに燃えだすと、どこがどうなるか?。
 先ず、感情が昂り目の前はおろか周りの全ても見えなくなる。次に本能が燃え盛り、押さえ切れなくなって勃興する。つまり、左の「カ」と右の「ホ」が異常に膨らむのであります。
 人ゆえの性として、その反動というか自動的にというか、そのとき丸い円は無残にもその形を変えて、知性は落ち込み、理性はか細く痩せるのが自然の流れというもの。恋は盲目と言われる所以で、上下の「チ」と「リ」の変形が異常に進むのであります。
 いや兎角、燃える恋はこうでなければ成就しないのも確かなのですがーー。
 と言うことで、その真円は無残にも形を変えてハート形というわけ。
 もう一つ、何故「チリホカソ」なのか?。これは、単に覚えやすいように並べたものですが、間違いなく『理』には適っているのであります。
 先日、アメリカの女性宇宙飛行士が存外な犯罪に走ったと報じられていました。
 恐らく彼女は、持って生まれた丸くて美しい真円形を燃え盛る嫉妬の炎で歪にして、鋭く先の尖った菱形に変えてしまったのでしょう。
 万事において人は、バランス良く、出来るだけ真円なる大人(タイジン)でありたいものですなぁー。     §瑠華§



Posted at 13:26 | この記事のURL
コメント(1) | トラックバック(0)

『景観』 [2007年02月20日(火) ]
 マンション暮らしの素敵なところは、時に寂しさは伴うが個々の干渉が薄いだけ妙な煩わしさが少ないということか。
 それにもう一つ、住む階にもよるが景観が得られてベランダに出たときに四季のパノラマが広がっていることだろう。
 当家からは右に山並みが、目の前に港という些か幾何学的ではあるが一応、海というものが眺望できる。
 お天気の良い日には、四季折々の山の息吹、海の煌きを感じるに十分ではある。気の滅入るときなどには、ちょっとした気分転換に真に良い。これは大変にありがたい。
 春ともなると波の動きまで艶めかしくなり、衣替えに忙しい山々の初々しい緑の盛り上がりは、それとなく元気を与えてくれる。遠望する夏の花火大会では、ビール片手にパンツ一丁という特等席がまた嬉しい。
 処が山並みはともかく、去年から港の海面が全く見えなくなってしまったから何とも鬱陶しいではないか。
 元はコンテナの集積所で、日替わりに積み上げられる鉄の箱さえ、それはそれで波のうねりを借景に一幅の絵になっていたが、あの阪神大震災後にそのコンテナヤードが他所に引っ越して、その空き地に大学がなんと三校も同時に建設を始めたものだから、岸壁を完全に覆ってしまったというわけ。
 某女子大と女学院大学、医科大学の三棟がこの4月の開校を目指して完成を急いでいる。
 当マンションも一応、景観権を楯に市に抗議文を出したが、相手は愚たらの役人のこと返事がある筈もない。約人か厄人かと見紛う役人にもの言って、まともな返答を期待した方がそも間違いであったようだ。
 どこかのリゾートホテルと見紛うような豪奢な校舎が間もなく完成して、この4月から約4.000人もの学生が集うようだ。
 腹立ち紛れに言うのではないが、確かに建物は立派だが果たして、挨拶は出来ない道を譲れないまともな日本語も喋れない、テーブルマナーは習っても箸は禄に使えないetc−と。
 このような、単に金玉に毛の生えただけの幼稚園児ばかり量産しても仕方がない、と思うだがーー。      §瑠華§


Posted at 08:01 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

『春晩』   [2007年02月19日(月) ]
 一昨日と昨日そして今日と、中国のコラムが続きますがーーー
 毎日メールで送られてくる<CHINA EXPRESS NEWS>によると、春節の除夕(大晦日)に放送される番組「春晩」の平均視聴率が93.6%だったと報じていました。
 この「春晩」というのは、我が国で放送される毎年恒例の「紅白」に当たるもので、もう20年近くも続いている番組なのですね。それにしても、凄い視聴率ですね!。
 しかし、経済発展と共に生活様式も多様化して、娯楽も多種多様になり日本のそれに見劣りしなくなってはきていますが、つい数年前まではTVそのものの普及さえいまいちだったのが実情ですから、この数値はつい最近になってからのものでは、と僕は察するのですが。
 まぁー、そんな邪なる推測は差し置いてーーー
 同時に、片や新聞にはこんな厳しい批判もあると書いています。
 「放送の全体のバランスがどんどん悪くなっている。古ぼけた顔が並び、創造性に欠ける。伝統的作品がなくなり、現実的な経験に乏しい内容になっている」と。
 これって、何だかどこかの番組に向けられたような批判ですね!?。
 いえ別に、どこの放送局とまでは言いませんがーーー。     §瑠華§

Posted at 15:09 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

『春節』 [2007年02月18日(日) ]
 中国では今日から春節。
 日本でも、横浜や長崎の中華街、神戸の南京町ーーと、古くから華人の多く住む街では、派手に舞う獅子舞に混じって銅鑼や爆竹の賑やかな催しが開かれています。
 元々、約4.000年前の夏王朝の時代に始まった夏暦の正月元旦を起源に持つ『春節』は、彼の国にとって10月の国慶節、5月のメーデーに先駆けて行われる国を挙げての祝日なのですね。
 早くから春節を迎える準備に取り掛かり、玄関には「倒福」と「到福」と発音が同じところから縁起を担いでわざわざ逆さまに貼る「福」の色紙や、室内には新年を祝う句の「春聯」や、おめでたい絵の「年画」を飾ったりして大晦日を迎えます。
 大晦日の夜には一家が集い「団円飯」で、餃子を主にした「年夜飯」を食べながら年越しを過ごします。尤も、最近はTVを見ながら、スーパーで買ってきた餃子で済ます若い家庭も増えてきたようですが。
 元旦には「爆竹一声旧歳を除く」と、威勢よく爆竹を鳴らし新年を祝います。
 治安の関係か、余りに派手にやることによる怪我人の多発からか、その理由は定かではありませんが、北京辺りでは一時この爆竹が禁止された時期がありましたが、近年はまた派手にぶり返してきたようで、60年に一度訪れるというおめでたい金豚(猪)年と重なって、今年は特に爆竹が響くことでしょう。
 電話の向こうでは、耳を劈くように派手な爆竹音に混じって、留学生だった娘の声が明るく弾んでいます。
 今年もまた、日本で学んだ知識をフルに生かして、日本帰りの留学生の名に恥じないよう元気で頑張って欲しいものと、心から祈っています。     §瑠華§


Posted at 08:41 | この記事のURL
コメント(2) | トラックバック(0)

『除夕』   [2007年02月17日(土) ]
 改革開放政策が進んで10余年、貪欲に資本主義経済を呑み込んで成長する彼の国ですから、至る所に比薩餅(ピサ)に肯徳基家郷鶏(ケンタッキーフライドチキン)等の店が蔓延って食生活にも欧米化が進みますが、悠久五千年の歴史でDNAに染み込んだ風習は、そう易々と廃れるものではありません。
 除夕(大晦日)に食べるご馳走「年夜飯」の餃子もそのひとつで、日本で餃子といえば焼き餃子を指しますが、中国では水餃子が一般的で焼いたそれを探すのに苦労するくらいです。
 具材は数多く、ほぼ野菜と合い挽きが定番の日本から比べると、それはもうその選択に困るくらいの種類が楽しめます。
 例えば、天津市は平山道にある老舗の店『百餃子』には文字通り百種類余りの餃子があり、店内では10人はいるかと思う職人さんが忙しく餃子を包んでいるのが見られます。
 行けば必ず暖簾をくぐる僕の定番は、蟹味噌たっぷりの蟹餃子に始まり、海老に野菜にフカひれーーと言ったところでしょうか。
 つけるタレは、黒酢に醤油ゴマ油と蒜醤(潰したにんにく)で、黒酢には少しクセがありますが、酢といえば黒酢が一般的な国ですから不思議ではありません。
 この国のお正月「春節」では、各家庭でこの餃子は無くてはならないご祝儀もので、それは日本のおせち料理ほどのもの。
 特に北京・天津市などの北に位置する地域では、揚子江を境に別れた北は小麦文化、南は米文化という色分けから由来しているようで、だから広東・上海などではお餅が主なようです。
 何故、年夜飯に餃子が珍重されるのか?。
 古代中国の紙幣である「交子(ジャオズ)」とその発音が似ているため、縁起が良いとされる所以だそうです。
 その待ち遠しい春節も、今日が大晦日。
ホームスティで世話し、帰国後に日本の大手商社で頑張っている留学生の娘。
 除夕の今夜は、団円飯(家族が集まっての食事)には欠かせない年越し餃子「更歳餃子」の仕込みに、娘もさぞ忙しくしていることでしょう。
 序ながら、先ごろ北京の南三環東路の近くにもこの『百餃子』の支店が出来ました。北京に行かれた折には一度、暖簾を潜ってみられてはーー。     §瑠華§


Posted at 09:30 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

『胃カメラ』  [2007年02月16日(金) ]
 昨日この稿で、僕のフォァグラを書きました。
 で、その続きなのですが、昨日その症状を診てもらうために、朝食を抜きにしてあたふたと市民病院に駆け込んだのであります。
 何せ市の基幹病院なので、順番を待つ人も多い。自分もこのたび仲間入りをしたわけですが、世の中に病人が何と多いことよーーと、変な感心をしながら列に。
 いつものことですが、病院に来るから反って疲れて余計に悪くなるのではないか?と訝るのが、この待ち時間であります。
 小一時間ばかり待って、腹部超音波なる検査。
 仰向いたお腹にゼリー状の液を塗りカメラでお腹を弄るそれは、はい!、息を吸って、止めて、吐いての繰り返しでかなり疲れること頻り。
 ほっとしたのも束の間、次に胃カメラを呑む。
 そう、それはすっと入れるのではなく、文字通り涙と涎を垂らしながら、呑む、いや!、突いたり引いたりしながら強引に突っ込む、のであります。そう、それは恰も詰まったパイプを掃除するように。
 同じような硬さでも、誤って飲み込んだ梅干の種の比ではありません。
 長く(腸内まで達するから約50cm程)、そして嫌に太く感じる管(実際は小指ほどの太さ)が、喉チンコを無視して何分間も居座るのですからその苦痛や如何に。
 ご経験の方もお有りと思いますが、その前に、管を入れる時の拒否反応を和らげるために麻酔液を飲み、更に消毒液?を入れて、胃を弛緩させるために肩に筋肉注射をします。
 当人の緊張は、未だ検査室に入る手前の、当にその時から始まり徐々に高まっていくのであります。
 横になって何分ほどでしょうか、上目遣いにモニター覗いていると、僕の場合、胃にポリープなるものが見つかって一部を切り取ったのですが、そのために患部を消毒する液を流し込むと、真っ赤だった胃壁が薄気味悪く紫色に染まって、医者って色んなことをするもんだなぁーーと、妙な感心をしたのであります。
 これだけでものの1時間も掛かったでしょうか、やっと開放されて喉の麻痺が覚めやらぬまま、次は料金の支払いに。ここでもまた数分もの長い列。
 這々の体で帰宅したのですが、まだ喉の奥に何やら引っかかっている感じ。
 食事は、朝からお茶の一滴も胃の腑に入っていないというのに、これから2時間後まで厳禁。
 その大いなる空腹感を抑えながら、この日記を書いています。
 結果はこの月末に聞きにいくのですが、思うに、痛みや苦しみに比例して、僕のフォァグラが傷んでいては折角の珍味の価値が下がってしまうのではーーと、そればかりが気に掛かるのであります。     §瑠華§


Posted at 14:03 | この記事のURL
コメント(1) | トラックバック(0)

<< 2007年02月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
カテゴリアーカイブ
最新コメント
最新トラックバック