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『ゴールデンウイーク』 [2007年04月30日(月) ]
 遠望する六甲の山並みは、未だ衣替えというほどに入れ替わってはいませんが、我が家の前に並ぶ木立はもうすっかり若葉が茂り衣替えは終わっています。
 このマンションに入ったのが、丁度5月だったのを思い出します。
 14階の部屋も空いていたのですが、そこからならこの足元の並木が上から覗かないと見えず、この5階からならベランダに出る度にまるで庭の木立を見るように自然に目に入ってくるからと、妻のひと声で決まり、となりました。
 その緑を愛した妻も、亡くなってもう十余年になりますか。

    『若葉萌え 路面の見えぬ 五階窓』・・・瑠華

 ついこの間、赤茶けた葉と若葉が混在してまだら模様を見せていたのに、今はもう瑞々し若葉が覆いかぶさるように揺れています。
 ベランダから眺めるそれは、思わずそこへ飛び込んで包まれてしまいたいくらいに柔らかい葉を、初夏の風に靡かせているのが碧玉の天空と共に心地よい。
 午後のひと時、港から吹き来る爽やかな風に当たっていると、ゴールデンウイークの雑踏は、どこか遠い世界の騒めきにしか聞こえないのが、これまた大変に良ろしい。     §瑠華§


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『娘が来た!』 [2007年04月29日(日) ]
 関空に着いたらリムジンに乗る前に必ず電話するようにと言っていたのに、やはり思ったとおり、いきなりチャイムを鳴らして、爺々来たよ!、と。
 北京空港9.40分発、青島経由で来ると言っていたので、時には乗り継ぎの時間待ちが2〜3時間にもなる場合が多いので多分19.00頃になると思っていたら、それが1時間足らずと短かかったらしく、予想より早く着いたようです。
 今回は土産の中に、いつもの天津甘栗と揚げ菓子の「麻花」、頼んでいたプロポリスに加えて、今年の干支でおめでたい金豚の貯金箱と北京オリンピックのグッスがありました。
 それは、五輪を彩った可愛い人形の縫いぐるみと携帯用ストラップ。
 早速、ストラップは携帯電話にお人形は玄関にと娘の気持ちを飾りました。
 今日は朝から、それはもう透き通るまでの碧空。
 別にどうってことはないのですが、一足先にオリンピックの雰囲気に触れられるのは、孫娘の優しい気持ちと合わせて、何とも嬉しいではありませんか。     §瑠華§

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『貧乏神』 [2007年04月28日(土) ]
 先日の連絡で来日ビザが下りたという娘が、今日の夕刻に関空に到着します。 
 十数年前、彼女を始めて迎えたときの緊張は今は昔。
 写真を交換してお互いの顔を確認はしていましたが、空港の出口を出てくるまでは双方とも緊張のしぱなっしで、端に見る人がいればそれはもう落ち着かない格好だったと、恥ずかしく思い出します。
 初めてのこと、気を遣っての山ほどのお土産を抱えて、不安いっぱいの顔できょろきょろとしながら出てきた時は、当人より僕のほうが何倍もほっとしたものです。
 年に一回は、時には二回も来日する今はもう慣れたもので、関空へ迎えに行くことも無くなり、いきなり玄関のチャイムを鳴らして爺々を驚かす娘になりました。
 その娘が電話で、爺々なにか欲しい物は無い?、あれば持って行くよと言ってくれるので、今回はジャスミン茶と炒りゴマ、日本では高いプロポリスを頼みました。
 プロポリスは液状、練り物、カプセルと中国でも高価な物ですが、それでも日本から比べると相当に安いといえるでしょう。
ゴマも安く、あちらは店頭に山積みしての量り売りが多いので、いつもkg単位で
持ってきてもらいます。
 炒りゴマを何でそんなに大量にーーですか?。
 口寂しい時に、飴玉を舐るようにぺろりとやるわけです。美味しいし滋養になるし。

 処で、娘が来ると思わぬ出費でいつも貧乏症に罹るのが何とも難儀なことで。
 発展目覚しい彼の国ですから、今ではもう世界のブランド品の一揃えは手に入るのですが、何せ野放図を絵に描いたような偽物天国の国なもので、当の国民にさえ酷評されてはもういけません。
 そこで、化粧品から衣服に下着まで、一年掛けて狙いに狙ったブランドを爺々におねだりと相成るわけで、ここで爺々は貧乏症にーーと。
 遠くに離れてはいますが、僕にとっては可愛い孫娘。まぁーそれを楽しみに来るのですから、爺々は今回も、貧乏神を担ぐことにしょう。     §瑠華§


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『625元』 [2007年04月27日(金) ]
 失礼ですが、その自由度はかなり広がってきているとはいえ、中国発の情報には取り敢えず眉に唾を付けてからの方がよさそうです。
 しかしこの数値には国際的金融機関のクレディ・スイスの主幹名が付いているので、一応は信用してもよろしいのではないかと。
 こんな記事が出ていました。
 そのクレディ・スイスが北京、上海、広州、深センなど8大都市の2.700人の住民に訪問調査を行ったところ、去年度の税引き後の平均月収は5.043元(1元=約15円)だったそうです。
 その内、経済面で日本でもお馴染みの深センがやはり一番高く7.554元で以下、上海が5.816元、北京5.528元、広州5.363元ーーと、続いていました。
 一昔前なら500元位、以後800元から1.000元の時代が暫く続いたのと比べると、彼の国の発展振りが伺えますね。
 この額が高いか低いかはあくまでも個々の受け取り方ですが、現地での実感では、この月収なら贅沢をしなければ親子三人がそこそこ暮らしていける額だと思います。
 我が国の今年の大卒の初任給が¥200.000-を超えたと、先日の新聞を賑わせていました。贅沢をしなければ十分にやっていける額だと思います。

 新入社員諸君も今月、待ちにまった初めての給料を貰ったことでしょう。
 初月給で両親に親孝行をしたのでしょうか、それとも恋人を優先したのでは。
 或いは、そっくり貯金に回した堅実派も案外に多かったのかも。
 因みに、彼の国のサラリーマンの多くは、早い人で32歳から平均して37歳頃から老後の貯えを始めるようです。
 その為の月々の貯金額は、平均して625元と出ていました。
 そして、理想的と考える定年は53歳らしいです。これはまぁー!、随分と早くお爺ちゃんになりたい?。
 さても日本の新米サラリーマン諸君、君は何歳から貯金を始めて、何歳まで働きたいと思っていますか。
 少子高齢化で諸君がその頃になれば、逆三角形とかで本当に厳しい時代になっていると思いますよ。
 せめて君だけでも頑張って、人より早い目に貯金を始めてはーー。     §瑠華§


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『続・尊厳死』 [2007年04月26日(木) ]
 先日、このブログに「尊厳死」を投稿したところ、その日のうちに二三の疑問符と共に、尊厳死って本当に難しい問題ですねぇーーというコメントを頂戴しました。
 先ず、尊厳死を掲げる組織が他に幾つもあるのか、その会員の意思を尊重して正直に処置してくれる医師がいてくれるのか、しかし全く無視して延命による収入アップに励む医師もいるのかは、僕は知りません。
 尊厳死協会自体にそれだけの発言力があるとも思っていないし、だから会員であることに大安心とも思っていません。
 ただ朧気ながら、カードを持っている人の意思を尊重してくれる医師が、今の日本に僅かかも知れないが存在しているだろう、だから多分その時は安らかに逝けるのではないか?ーーという、一類の望みを持って入会しているだけのもので、実際にはものの役に立つのかどうか?。

   『散る桜 残る桜も 散る桜』と、これは良寛の辞世句です。
 その良寛でさえも、臨終の時に何か言い残すことはないかと尋ねられて、「死にとうない」と答えたそうです。
 自然死、事故死を問わず人の死を見ても、その死に様には興味を示し問題視して右往左往はしても、やがて来る筈の己のそれと結びつけることは先ず無いでしょう。
 死に対する恐怖、避けられないものを敢て回避し無視したい本能的な逃避が、自然とそうさせるのかも知れません。無意識に目を瞑っているわけです。
 死とは、それほどに抗って回避したい、見過ごしたい、無視したい。それはもう、生きるものにとっては最後のそして最大の関門なのですね。
 生は死によって裏付けされているのだと、頭ではよくよく分かってはいても、です。
 もう疲れた果てたから早くお迎えをと願っても、その時が来なければ逝けないし、如何に頑張って抗っても、その時が来れば否応なく逝かねばならないし、と、人の生き死にほど不確実なものはありません。
 生き方と共に死に方にたいしても、分かり易くこれだっ!という正解は、恐らく人の誰にも見つけられないのではないでしょうか?。
 江戸時代の狂歌にーーーー
  『今までいろいろやっては来たが、死んでみるのはこれが初めて』と。
 成程、こんな気楽な死に方もあるのだなぁ!ーーと、少しは気が楽になりました。     §瑠華§


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『連載小説』 [2007年04月25日(水) ]
 紙上で、朝にチンギス・ハンを、夕に織田信長を楽しんでいます。
 と言えば如何にも時代係っていますが、そうではなく、今日、特に天下り問題そして教育改革などの問題には必ず顔を出して抗う旧習派役人の動きに加え、それを統御できない軟弱な頭領を見る度に、良きにつけ悪しきにつけ、稀代にみる豪傑たちの活躍にどうしても興味を覚えてしまうのであります。
 国も年代もそして持つ思想も規模も違うのですが、彼らに共通するのは、旧来の因習を打破する進取性と視野広く洞察力に富んだ発想、それを実行するに確たる信念と勇気、諸々を束ねる統率力が行間に見て取れます。
その功績は、些か奇手、凄惨を伴いながらも、一旦敵と定めた者は躊躇うことなく抹殺するという、その蛮勇を越すまでの荒治療を敢えて実行して行ったことでしょう。
 ここでみる多くは信長の個性によるものであったろうし、チンギス・ハンにおいては、彼やモンゴル人が狩猟と戦争を同一視し、狩猟で多くの獲物を殺すことと戦争で多くの殺人をなすことを同じものとみなしていたことにもあるであろう、とはものの本に拠ります。

 「人間に差別無く 地上に境無し」チンギス・ハン
 血縁地縁、氏族部族による国づくりの旧習を破壊し、能力ある者は国、人種、宗教さえも問わず積極的に起用し、その力量を無駄なく活用した統率力というか持てる人格というか。
 それらは、一見してニヒルで凄惨なイメージを描きがちな傑物たちへの偏見を補って余りある、遥かに有効で意義深く、国家国民に有益かつ希望を与えるに値するものであったと思います。
 モンゴルの平原に在っては、人の、生きることへの活力に比して世界は未だ広すぎるくらいに広大だったでしょう。
 しかし今、世界が一層狭くなっていくほどに、そこに住まいする人間の度量はますます狭小にして視野狭く、洞察は愚闇で短慮と、人間性の小粒化が進行しているのではないでしょうか。
 紙上の古説はまだまだ残り多いようで、朝夕の楽しみはこれからも続きそうです。     §瑠華§


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『尊厳死』 [2007年04月24日(火) ]
 昨日、日本尊厳死協会の年会費を振り込んできました。
 その会則によると、これはもう何をどうしてもアカンとなれば、いらぬ処置はもう結構ですからそのまま放っておいて下さい。只、苦しみだけは和らげてもらって、素直にあの世に送ってくれたらそれだけで十分です、ということが本旨のようです。
 会員暦はもう何年になりますか。男性の平均年齢を超えた僕は、もうぼちぼち会員カードのお世話になるかも!?。

 平均寿命から見て、日本は世界一の長命国らしいです。
 些か乱暴な言い方ですがーー
 老人大国化に伴って老若の構成が今や逆三角形に近付いているのから見ると、この寿命の平均値というのは一体なに何でしょう。
 上智大学教授:デーケン神父は、『人間は何でも知りたがるのに、何故か死だけは学ぼうとはしない』と。
 死の何かを学ぼうともせず、教えようともせず、無闇やたらと長生きすることこそ唯一最高の幸せ、宝物と勘違いした妄執に駆られ、がむしゃらに生き延びようとする人達の歳と、方やはっきりと言って、僅かに残った!?倫理観に押されて、まさか早送りするわけにもいかない医者という立場から、仕方なく残置している散人の寿命とを計算に入れての数ですから、それはもう世界に冠たる数値が表れるのは当然というもの。
 しかし人間の尊厳値からすれば、とても自慢した数値なんかではないのでは?。
      
 お気付きでしょうが、あらゆる動物は、人間という獰猛な生きものに獲って食われる以外は、そして後日に、これもまた人間の好奇心の対象として掘り繰り返される以外は、その死骸を見ることは夙に稀と言えるでしょう。
 空を覆って群舞する数百の鳥たちの、原野に生きる野獣たちの<自然死>した、只の一羽、一匹たりともの死骸を見たことはありません。
 何故か?。 
 それは天の仕組みとはいえ、彼らが己の死を悟り、いち早く醜い骸を隠す術を事前に心得ているからではないでしょうか。
 死に対する獣のこの潔さと、生への執着に見る人間どものこの余りの醜さ。
 何かといえばおこがましくも、人間は万物の霊長とか、更には神の子とさえ吹聴し威張っていますが、「尊厳死」の意味を吟味するに、果たして真の霊長類は彼か我か。

 セネカもまた、その著<人生の短さについて他二編>の中で、『生涯かけて学ぶべきは死ぬことである』と、説いています。
 有って欲しくないもの、有ってはならないもの、有る筈のないもの、ではなく、産まれて生きて、そしていま在る限りは、絶対に間違いなく、それは必ず訪れる「死」というものを、今一度じっくりと学んでみようと思います。     §瑠華§

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『娘の来日』 [2007年04月23日(月) ]
 今朝、早くからの電話で驚いたのですが、中国は天津の娘(といっても元留学生ですが)からのもので、訪日ビザが下りたとの連絡でした。
 この月の始めに来日の招聘状を送ってやって、天津の事務所を通じて北京の日本大使館に申請していたのですが、昨日OKの連絡があったらしいです。
 以前なら約三週間、早くても二週間は掛かっていたのですが、去年あたりから早くなって、十日から一週間で下りるようになっています。大使館側の事務のスピード化か、それともこんなところにも日中雪解けムードが影響しているのでしょうか。
 毎年、春節やメーデー10月の国慶節などの長い休みを利用して日本に来るのを楽しみにしている娘ですが、本人の浮き浮きムードに反して、当方は何かともの入りが嵩んで気分は浮き沈み!?。
 しかし、遠く離れてはいますが何かと気に掛けてくれる孫娘のような子なので、今回も精一杯迎えてやろうと楽しみにしています。

 それにしても、中国からの団体旅行は旅行会社保障のもとに何とか順調に下りているようですが、就業など会社の保障以外の個人的ビザは、本人との関係などを記した招聘状なるものと、滞日での一切を保障する旨の保証書、期間中の行動日程、保証人の経済状況などの資料をいちいち揃えて提出。それを、来日希望から逆算して相手に送付、申請ーーと、何かと手間隙が掛かるのが邪魔臭いというか、難点ではあります。
 理由は言わずものがな、彼らの不法滞在や犯罪数の多さからの防止策なのですが。
 日中親善友好がより発展し、加えて彼の国においては日本へ不逞の輩を運ばなくてもいいような、政経ともに安定した豊かな国に早くなって欲しいものと願っています。     §瑠華§

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『役人&クズ』 [2007年04月21日(土) ]
『役人&クズ』   ‘07/4/21
 卵が先かニワトリが先かと、折に触れてよく言われる言葉ですね。
 先日、大阪のそしてお隣は神戸の役所でも、学歴の偽りという、またもや役人の不祥事が発覚しました。
 当にこれ、役所ではなく文字通りのクズ箱ですねぇー。
 普通、学歴を偽る時の多くは、例えば高卒者が虚勢を張るために或いは高収入を得るためにする不正行為だと思っていたら、何と大学卒が高校卒と偽っていたらしいです。  
 全く、役人の世界は何かにつけて奇々怪々ではあります。
 その理由が、一生安定した職場に早く付きたかったからーーだとか。
 確かに彼らの言う通り、役所は怠けいても悪さをしても監督する側も同じ役人で、その上に事なかれ主義を絵に書いたような職場なもので、馬鹿でもチョンでも余程の事での仕出かさない限り生涯において安定した職業ではあります。
 僕はいつかこのブログで、役人は何かをすれば適当なことしか出来ない<約人>か、たまにそれらしいことをすれば間違いなく災厄を撒き散らす<厄人>か、だから人のクズではとまで書いたことがあります。
 果たして、人間のクズが役人になるのか、それとも役人になったら人間のクズになるのか?。
 今回の場合は、どうも前者のようでーー。
 春の陽気に乗って暢気に、卵かニワトリかと混ぜ返して済ませられる話ではありません。     §瑠華§

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『詭弁士』 [2007年04月20日(金) ]
 「弁護」があり、「擁護」もあります。序ながら、「強弁」「詭弁」もあります。
 両者の違いはここで述べるより辞書で確認したほうが早いので控えますが、どうも近年この二つを勘違いして、公判を出来るだけ長引かせて、長くお仕事に有り付こうとする輩が増えたような気がしないでもありません。
 ご職業は、弁護士。
 言うまでもなく職業というからには、生計を立てるために少しでも実入りが多い方がいいに越したことはありません。
 故にこの職業においては、つまり難しげな薀蓄と抗弁術に長けて、更に担当する問題が長引けば長引くほど、ずばり収入も上がりオイシサも一入というわけですね。
 だから、というわけでもないでしょうが、ここで勘違いを起こしているのでは、と勘繰りたくなるのは凡夫の愚でしょうか。
 弁護とはあくまでも、その道の知識に疎い素人に成り代わってする、言葉の援護による正義、真理の貫きであると思います。
 そこには、いつどのような場面であっても常に正義が存在しそれが最後まで、そしてそれは言の葉によって真素直に通すのが善なる弁護だと思うし、それを真摯に務めるのが弁護士という職業であると思うのですが。

 代わって擁護ですが、これは事の良し悪しを問わずそれを庇い助ける、つまりその為様が社会的な悪であったとしても、とにかく丸抱えに守護することですね。
 故にその旨が通らぬとなれば、ここで強弁、詭弁が顔を出します。
 
 例えば、殺人を犯した当の本人が罪を認めてもう上告はしないと言っているのに、いや精神状態がどうの生い立ちがどうの社会的背景がーー、だから未だまだ争えると、更に上へと強弁、詭弁を重ねる、この弁護!?。
 世の多くの弁護士が、とは決して言いませんが、日本人の人間としてのモラル低下と共に、思わず彼の弁護士諸氏をも擬視してしまうのであります。
 ここで暫し、一体自分は被害者を守る真の弁護士か、それとも金銭のオイシサに溺れた詭弁士になってはいないのかーーと、自問してほしい輩も時々に見かけます。
 尤も、自問できるくらいの人間なら詭弁士でなく、まともな弁護士さんでありましょうが。     §瑠華§

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