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『またまた、行ってきま〜す!』 [2007年07月06日(金) ]
 またまた、行ってきま〜す!。
 またまたというのは、先月はじめにヨーロッパから帰ってきたところなのでありまして、はい!。

 パソコンで格安航空券を探すこと数件、ようやく何とか納得行く券が買えました。
 と言っても決して安くはないのですが、先に先方と日程を約束していて日にちを変えるわけには行かないのでその範囲内での購入、ということ。
 それにしても、日本の大手各社の高いこと。
 勿論、日本籍なので安全度ランキングの上位に位置していて、乗務員もみな日本人ということは何かと安心できるのは分かっているのですが、フライト時間は全く同じで、日本の飛行機だからからといって30分でも早く着くわけでもあるまいに。
 翻って、中国のそれでも決して悪くはないですよ。
 いや!、別に宣伝の片棒を担ぐつもりは更々ありませんが。
 確かに乗務員はみな中国人で、日本人スタッフのように愛想が良くて隅々までよく気が付くとはお義理にも言えないし、機内のアナウンスも中国語しか流れませんが、出てくる食事はそれほどお粗末でもないし、座席が特に狭いとも見えないしーーと、お値段の差を差し引いて余りあるとーー。

 宅配便と新聞の配達は止めた。郵便物の局留めは手続きし、ポストの管理はお隣さんにお願いした。貴重品は銀行の貸金庫に。ガス・水道の元栓は締め、コンセントは抜いてパソコンも切った。サッシのロックも確認した。レシート類も隠した(カード番号が書いているので油断は禁物)し、植木にはたっぷりと水も遣ったーーと。 はい!、これで万全。
 ということで、今朝の早便で北京に発ちます。
 今年も、爺々の夏休みがどうか満ち足りたものでありますように。      §瑠華§

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『お土産一杯』   [2007年07月05日(木) ]
 旅行会社のツアーと違って細々と用意する必要もないし、忘れ物があってもパニックに陥る恐れもないので、ちょっとした着替えだけをバッグに入れればよいはずが、頼まれたお土産や、持っていけば喜ぶと思うこちらからのお土産を詰め込んでいると、何と大きなスーツケースの他に、同じくらいの大きさのショルダーバッグが満杯になってしまいました。
 何をこんなに買い込んだのか!?と、只今、盛り上がっている荷物の前で座り込んでいます!?。
 まぁー、娘の喜ぶ顔を見たら途端に疲れは解消するのですが。
 ツアーの旅行も勿論楽しいのですが、気心知れた所への旅もこれまた別の意味で心休まるもので、あれこれと揃えている間も気持ちは早、浮き浮きとーー。
 爺々の夏休みが、明日から始まります。 
 現地からこのブログが発信できたらと思いますが、あいにくノートPCを持ち合わせていないので、娘のパソコンを借りての発信となりそうで、取りあえず頑張ってみる積りです。     §瑠華§

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『日焼け止め』 [2007年07月04日(水) ]
 今はもう古語のひとつになりましたが「色の白いは七難隠す」と、色白の人を美人としていました。
 確かに今でも、いや今だからと言ったほうがより当たっているかも知れませんが、黒く焦げた肌よりも瑞々しく白いほうが美しく見えるに違いありません。
 そのために日焼け止めなる物があり、最近は男性もつけるようになったのですね。
 豪放磊落、無骨豪快が男の象徴だった昔の男性像とは違って、平和ボケの延長でしょうか狂育の蔓延でしょうか、表面だけ飾って誇る軟弱男性の雌化が進んでいるようです。
 そんな愚劣な男は捨て置いて、女性はいつの時代でも美しく在るべきと思うのは世の常。
 日焼け止めなる物も、それを助ける大切な物なのでしょう。
 
 昨日のブログの続きになりますが、娘からの宿題を果たすべく百貨店の化粧品コーナーを見て廻りました。
 普段はこの様な所にとんと縁のない八十路に近いお爺んが、妙なところをうろうろするものですから店員さんの目が追ってくるような気がして、それはもう赤面を誘う思い。
 それにしても、女性方の付ける化粧品ってえらく高いものなんですね。
 あるブランド品でしたが、日焼け止め1本が¥4.800-もしましたよ!!。このようなこと全く分かりませんが、女性方、これで普通なのですか?。
 これ1本で2ケ月はもちますとのことですが、2ケ月で¥4.800-が安いのか高いのか、爺々はどうも納得のいかないまま買いました。
 日焼け止めにダイエット食品に美容体操にーーと、美しさを保つのにはその対価を厭わない時代だとしても、男のお爺んから見ると、もっと他にしなければならない事のほうが多いのではないかーーと。

 序ながら、その人柄を諮るに「目は心の窓」という言葉もありました。
 顔のつくりも肌の色もーーですが、心の目が思慮深く煌煌しく輝いている女性のほうが、僕は惹かれるのです。     §瑠華§

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『夏休みの始まり』 [2007年07月03日(火) ]
 今年もそろそろ、爺々の夏休み時期に入りました。
 いえ何、別に閑静な避暑地に移動して豪華に過ごそうと言うのではありません。北京・天津に行って、世話した留学生の両家に居候してぼんやりのんびりと過ごしてこようと。
 日頃は独り暮らしの爺々にとっては、食事に洗濯に物見遊山にーーと、上げ膳据え膳の機会はそうそう無く、寂しげな糊口に暮れる日常を忘れさせるに最も大切で優雅な!?時なのであります。
 この季節になってくると何とも落ち着かなくなってくるのは、この事がもう恒例になっているからでしょうか。
 この避暑、現地でも日本に負けず劣らず暑いのですが、空気が乾燥している日が多く過ごしやすいのが大変によろしい。何より、宿泊料ともに一切合切がロハと来ていますから嬉しいではありませんか。
 が、いくら爺々と孫娘という付き合いになっていても、そこはそれ社会には礼儀というものがあります。
 で、今回のお土産は?。
 お世話になり初めの頃は、当方の気遣いに加えて、彼の国も今に達しない文字通りの発展途上国。
 彼らの日本製品に持つ憧れも今日の比ではなく、例えば当時の小さなウオークマンでさえ大きな宝物として大喜びされて、お土産の品選びには何の苦労もありませんでした。持っていく総ての物が喜ばれ、大歓迎されたのであります。
 しかし最近は、??一体なにを持っていこうかと、暫し思案投げ首!することに。

 皇帝ナポレオン・ボナパルトの曰く「中国が目覚めれば、世界を揺るがす」と。
 国の広さと人口の多さも手伝って、今や少なくとも経済面においては、株式のグラフの上がり下がりでさえ、世界市場が右往左往しかねない大国に伸し上がりました。
 未だ上流とまで行かない彼のお宅ですが、それでも時には近隣へ海外旅行さえしようかという家族に、そうそうありきたりなお土産でもないとーー。
 あらゆる分野において世界中から偽物天国と糾弾される厚顔の国ですが、有名百貨店は言うに及ばす、今や商店街においても世界のブランド品が溢れている中国。本物も結構豊富なのであります。

 面倒くさいから単刀直入に、欲しいものはーーと聞くことにしました。
 すると、向こうでは化粧品も日本製が多く並んでいるのですが、それでもやはり純日本製、つまり日本国内で作られた本当の本物!?、が欲しいとメールしてきました。
 娘の、本物と偽物を区別する眼力は鋭く?!、これって、日本留学中に覚えたものの一つなのですねぇ!?。
 そこで銘柄と品番のメモを片手に、いい歳を通り越したこの白髭のお爺が、百貨店の化粧品コーナーを一巡する破目に。
 爺々の夏休みは、ほの恥ずかしい場面から始まったようです。     §瑠華§


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『ピーチゥ』 [2007年07月02日(月) ]
 福沢諭吉の曰く、「又ビイルという酒あり。是は麦酒にて、其味至って苦けれど胸襟を開くに妙なり」と。
 今年もまた、ビールの美味しい季節がやってきました。
 人口の減少も手伝ってビール業界でも生き残りを掛けた熾烈な戦いが繰り広げられていますが、??今年の王冠はどこが戴くのでしょうか。
 僕はアルコールにはめっきり弱いので、コップ一杯が美味しい!!の限度。その後は苦味の素でしかありませんが、上戸の諸君にとっては最もポピュラーな飲料の一つでしょう。
 現代ならいざ知らず、情報網においては個々ばらばらに点在していた筈の古代より、どの地域、民族においても必ず有ったのが打楽器とアルコール飲料というのが、人類史の謎の一つではありませんか。
 廻るほどに酔うほどに、憂さを忘れ人を忘れそして己さえも忘れさせてしまうこの不思議な飲み物は、神を恐れ敬う儀式の具以外に、弱き人間の格好の嗜好品として21世紀の未だに続いています。
 それはまた、人という生き物が存続する限り、これからも間違いなく受け継がれることでしょう。

 口に泡吹かせ、然も美味そうにジョッキを傾ける人を見るにつけ、子供でもあるまいに、ジュース片手に眺める己が肩身狭く惨めに見える季節ではあります。
 因みに、中国語でビールは「口偏に卑(常用漢字にありません)」と「酒」との二文字でピーチゥと読むのですが、なるほど「口に卑しい酒」とはよく言ったものですね。
 飲ん兵衛諸君、胸襟は開いても狂態だけは見せないように。
 くれぐれも程々に、ね。     §瑠華§


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『何故、旅行に?』 [2007年07月01日(日) ]
『何故、旅行に?』    ‘07/7/1       
 処で何故、旅行に?。
 人間という生きものは、甚だ飽きっぽく出来ています。
 人は、日々が凡庸であればあるほどその凡の何倍かの異色、時には奇異、珍奇を求めるようです。
 如何な名曲でも毎日、聞いていると耳障りな雑音に聞こえるし、馬鹿の一つ覚えのようにキャビアだのフォアグラだのとフランス料理に憧れても、続くとあっさりしたお茶漬けが恋しくなります。
 自動車で便利している筈なのに、たまには混んでいる通勤電車に乗ってみたいのも、強ち気分転換だけでもなさそうです。
 女房殿には申し訳ないが、毎日同じ顔を見ていると、愛していますーーとは裏腹に、たまには違った顔に出会いたい、これもまたいい刺激かも!?ーーなのですね。
 いや、妻だけではありません、特に意識はしていませんが、周りの景色にさえ飽きを感じているかも知れません。
 バーゲンに群がるウーマンパワーなんぞは、それはもう日頃の飽き、鬱憤が生んだ格好の捌け口なのではーーと思ってしまうのは、余りに失礼!?。
 突如として独裁者が現れて戦争を始めても、それを阻止する間も無く、烏合の大衆がまるで夢遊病者のように迎合して大戦に誘導されてしまう現象が、長い平和が続いた後に多いのも、平和という凡に倦んだ人々の、何かしらに飽きてきたものに対する鬱積した心情の捌け口なのではーーとまで、僕は思ってしまうのですが。

 それはともあれ。
 西行法師は、「浮かれいずる心は身にもかなはねば 如何なりとてもいかにかはせむ」と、旅に出たいという欲望はいったん動き出すと自分ではどうすることも出来ない、と旅の魅力とも魔力ともつかない、己のあきれた真情を詠っています。
 古来から、旅あるいは旅行というものは、人の心を揺り動かし、好奇心と冒険する心、そして美(異)食を堪能する欲望を限りなく刺激するもののようです。
 不思議なことに、「旅行に行く」と言っても「旅行に出る」とは言いませんね。また、「旅に出る」とは言うけれど「旅に行く」ともあまり言いません。この「行く」と「出る」の違いをどう判断すればいいのでしょう?。
 ーーとまぁ!、旅と旅行とはどう違うのかーーというような七面倒くさい理屈はおくとして、とにかく自分の住んでいる土地と違う、かなり遠い何処かへ行って、賢人なら先ず勉強に励むことでしょうが、僕たち凡人は先ず景色を眺めその地の食べ物で口を濡らして、珍しいお土産をしこたま買って帰る、と言うのが旅行の凡その定番というものでしょう。
 「旅」が時として、何の目的も無しに、只ただ自然の風情に浸り、その大らかさに身を任せて歩く風雅な道行とするなら、僕たちの日頃のそれは、旅というより旅行というのが当たっているかも知れません。
 特に、団体ツアーともなれば、これはもう間違いなく旅ではなく旅行なのであります。

 では何故、人は旅行に行くのか?。
 トーマス・アクィナスは、「総ての知識は感覚に起源を持つ」と。つまり、知識は五感によって得られるもの、と言っています。
 彼がその時、旅行というものを意識したかどうかは分かりませんが、旅行とはその感覚、つまり眼耳鼻舌身意の五感五体を総動員して、異郷の或いは異国の知識を貪欲に得るわけですから、浅い深いは別として、旅行は当に知識欲と好奇心を(序に食欲も!?)満たすにぴったりの行為であると言えます。
 今ひとつは、情報技術の発達と共に、テレビだけでなく近頃は歩きながらでも、遠くの、地球の裏側の景色まで手に取るように観られるようになりました。
 わざわざ何時間もの時差に煩わされることもなく、窮屈な座席に縛られてお仕着せの弁当に飽きることもなく、そして何よりも高価な旅費という計り知れない無駄!?も無く、にです。
 科学技術の進歩と情報網の発達は、精緻な媒体によって我々を、座して地球を眺められるようにしてしまったようです。
 それでも人は、旅行に出掛けるのですね。
 それは丁度、CDで聞く音楽の物足りなさが音楽会の生演奏を求め、レイルト食に飽きればレストランに足が向き、テレビや雑誌で満足行かなくなったときには、どうしても本物に触れてみたいーーー。
 この果てしない欲望を満たす凝縮した手段の一つが、「旅行」だからですね。例えそれが、思わぬ難渋を伴ったものであったとしても、です。
 日頃に鬱積した苦を楽に、悲しみを喜びに、窮屈を解放に変え、束縛を放埓に摩り替えて、日常の食事に飽きてか(本当に贅沢ですね)、違った土地の美食に憧れて、いつもとはどこか違った自分に浸りたいーーという果てしなく深い願望が、旅行というものに誘うのではないでしょうか。

 が、僕の旅行への誘惑は少し違ったものも含まっています。
 人の衰えは早く、先ず感動の劣化から始まり、好奇心の減退、手足の衰えを伴う肉体の衰退が故の行動範囲の狭小へと進み、遂に来たる老いの日々は、部屋に閉じ篭って只ただ過去の追憶の繰り返し、口篭もった思い出の呟き、今風に言うビデオの再生が一日の仕事となるのが、言うところの老人の日々ではないでしょうか。
 もしその時、紐解く何ものも無ければ、再生したくとも録画されたビデオの蓄えが無ければ、どれほどに寂しく虚しい日々が続くのではーーと、思うだけでも憂鬱になりそうです。それでは余りに、一日が長過ぎはしませんか。
 例えば、テレビを見たり書籍を紐解いたりしてその場面に出交す時、そして訪れる人と談笑したりする時、そのときに過ぎ去った自らの体験を重ね合わせて、思い出を繰りながら楽しかった時間に浸れる人と、重ねる何モノもビデオに記録されていないが故に、再生したくとも出来ない無味乾燥な毎日を送る人と、果たしてどちらの人が、いわゆる満ち足りた老後の人生、と言えるでしょうか。
 この両者の違いは、老いの一日という、それはもう長くて退屈であろう時間の過ごし方に、雲泥の差が生じるのは間違いないでしょう。
 それは、人間の記憶というものはかなりの歳を重ねても鮮明に残っており、いつ何時でも蘇ることが出来る(筈)ものですから。
 もし運悪く、脳味噌を構成するDNA(デオキシボ核酸)に狂いが生じなければーーの話ですが。
 だから、と言うのでもありませんが、それがためにせっせと録画して蓄えて、退屈な一日を少しでも潤いのある日に変えたいものーーと、そのための最良の手立てが「旅行」ではないかと、僕は思うのです。

 旅行の楽しみ方は人様々ですが、僕は人生に飽き飽きした時、何れその「旅行」を卒業して、独りふらっと「旅」に出たいと思っています。     §瑠華§

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